特集
働きがいを問い直す
筆者が大学を卒業したのは1994年である。バブル景気はすでに弾け、後から見れば就職氷河期が始まった年であった。そしてこの時の大卒初任給の平均は19万2400円であった[1]。それから24年たった2018年の大卒初任給の平均は21万100円である。記録のあった1976年は9万4300円であり、76年から94年までの18年間の上昇率が104%とおよそ倍増しているのに対し、94年から2018年までの24年間での上昇率は9.2%である。また実質的な平均給与でみると1994年から2018年では6.88%も下がっていることが示されている[2]。この数字をどのように読み取るかは難しいが、94年までは、働けば働くだけ給与が上がっていったのに対して、94年以降は働いても思うように給与が上がっていかないという状況であったことは確かであろう。では、その間の ❝ 働きがい ❞ はいったいどこにあったのか。
働きがいという言葉に含まれる「かい(甲斐は当て字)」という言葉を辞書で調べると「努力した効果や、期待できるだけの値打ちという意味の語」とある。この「かい」の語源は、代わるものがあるという意味の「かい」と支えという意味の「かい」の二つの説があるという。つまりは充分に等価として考えられるものがあるという「かい」とそれを支えにがんばるという「かい」という意味が含まれると考えることができるのである。一方、世界60か国で働きがいを調査し、働きがいある企業ランキングを発表しているGPTW(Great Place To Work)は、働きがいを働きやすさとやりがいの二つによって判定している。働きやすさとは快適に働き続けるための就労条件や報酬条件などを指し、やりがいは仕事に対するやる気やモチベーションといったことを指している。これは、いわゆるハーズバーグの二要因理論から導き出されている[3]。
改めてこれらを踏まえて働きがいを ❝ 言葉 ❞ から考えてみると、勤勉に働くことに見合う精神的・物質的・身体的な状況かどうかということを働きがいとして捉えることができる(図1)。精神的・物質的・身体的状況とは、気持ちよく仕事ができること、充実感や満足感、成長感を味わうといったこと、美味しいものがたくさん食べられることや生活そのものが豊かになること、心身ともに健康的に生活することができること、健康であることといったことを含むものである。どれを重視するかは個人によって違いがあるであろうが、自分の働きがこれらに見合うとき働きがいがあると人々は感じることができる。その点では、働きがいは人によって異なり、一様に一義的に捉えることは、働きがいそのものを誤用することにつながることになる。しかしわれわれは時に働きがいを一様に、一義的に捉えてしまうこともある。

働きがいの変化
誰もが腹をすかせていた戦後直後や物質的な豊かさを一つの目標にしてきた時代では、きっと働きがいとは美味しいものを日々食べられること、昨日よりも今日の暮らしが豊かになることに紐づいていた。頑張って働いた分だけ豊かにそして健康に暮らせることこそが、多くの人にとっての働きがいであったであろう。例えば、サラリーマンという言葉を普及させた(鹿島, 2018)とも言われる戦前の漫画家である北沢楽天[4]の漫画に「サラリーマンの天国」と「サラリーマンの地獄」という漫画がある。この漫画は、被雇用者であるサラリーマンの日常について描かれたものである。天国と地獄はそれぞれ四つのコマで描かれている。例えば「サラリーマンの天国」で描かれるのは、上役の留守や昇進・ボーナス、出張や休日と土日が連続になることである。一方「サラリーマンの地獄」で描かれるのは、ラッシュアワーやクビの心配、洋服屋の取り立てなどが挙げられている。また、週刊誌に連載されている「サラリーマン専科[5]」や新聞に連載されていた「フジさん太郎[6]」に代表される1960年代のサラリーマン漫画では、北沢の漫画と同様に、サラリーマンは気楽な存在として描かれることが多く、1960年代に描かれた漫画において気にしていることは給与、ボーナスといった金銭的な側面が多い。また「課長島耕作シリーズ[7]」などに代表される1980年代になると仕事で認められ昇進することが主人公の主眼であり、仕事の成功は仕事の中にはなく、仕事の成果によって得られるもの(真実, 2010)であり、働きがいとは頑張って働いた分、ボーナスや給与が支払われ豊かになることあるいは会社や上司に認められることであったと見ることができる。
一方で、仕事の意味や楽しさに紐づく働きがいが近年では特に重視されてきた。働きがいのある仕事といえば、社会的に意味や価値、意義がある仕事ややった分だけ精神的に満足感を得られる仕事のことを主に指すことが多い。改めて、賃金の推移に話を戻せば、賃金の上昇が少しずつ緩やかになるにつれて、満たされなくなってきた物質的な(より直接には金銭的な)働きがいは、より精神充足的な働きがいへとその内容の主体が変わってきたといえる。この背景には社会の成熟に伴い、労働者の物質的な豊かさが満たされるにつれ、われわれ自身が物質的な働きがいを求めなくなってきたことが考えられよう。このような変化は、漫画を見ることからも分かる。「いいひと。[8]」や「サラリーマン金太郎[9]」など1990~2000年代にかけての漫画においては、主人公が会社や上司の意向に反して、何のために仕事があり、会社があるのかということを問うシーンが多く描かれる。一方で、昇格やボーナスに一喜一憂する姿はほとんど描かれなくなり、仕事を通して自分の可能性を探求することや仕事の中で自分の信念を貫く姿が、旧時代の上司との対比の中で描かれていく。また、近年の漫画では、仕事の意味や意義が強調されるようになっているが、その描かれ方は仕事への思いやこだわりが報われる、理解されるという形で描かれる。それは、仕事自体は大きなものではないものの、自分がきっちり仕事をしていれば、どこかで誰かがその思いやこだわりに気づいてくれるというささやかな働きがいである(鈴木, 2021)。
また歴史的(というと大袈裟であるが)に見ていくと、日本人の働きがいはさまざまな意味合いで捉えられている。職業社会学を著し、日本的経営について研究を進めてきた尾高(1995)は、日本人の職業観として三つあげている[10]。一つ目は自分のための職業であり、食うためとしての職業である。この職業観は戦後直後のようにまさに食べることにも困っている時代に見られた職業観である。二つ目は家を越えたある全体者のための職業である。この二つ目の職業観は、自己利益を抑制した封建的職業道徳に基づく奉仕の精神による職業である。国のために戦った戦時中の軍人や会社のために働く高度成長期のサラリーマンのステレオタイプもこのような職業観を持つ。三つ目の職業観も奉仕の職業観であるが、仕事というものに仕える職業観である。ここでは「ただ仕事そのものが要求し、仕事の純技術的な特質が命じるところに従って、なしうる最善の努力と工夫を傾けること」がその信条にある。この三つの職業観のうち、封建的職業道徳に基づく奉仕の職業観と仕事本位の職業観は、それぞれM.ウェーバーが言うところの有機的職業倫理と禁欲的職業倫理に対応する。また自分のための職業観は、食うためだけでなく、仕事の外のレジャーや趣味の中に自分の生きがいを発見しそのための職業という自分本位・レジャー志向につながっている。
改めて言えば、このように多様な働きがいの姿に反して、近年の働きがいという言葉は、物質的な豊かさを得ることができるという働きがいというよりは、精神的な豊かさや充実感を得ることができるという働きがいの側面を一義的に意味することが普通になっていると言えよう。
働きがいのマネジメントと組織行動論
では、組織行動論をはじめとする経営学研究は、この働きがいをどのように捉えてきたか。働きがいをマネジメントすることは従業員のモチベーションの向上となり、組織の業績や成果に直結するとともに人材の確保においても重要になる。社会が成熟し、人々が日々暮らしていくこと(物質的な充足)にそれほど大きな問題がなくなれば、精神的な充足を求めて仕事に意義や意味を求めていくことは必然的である。今日のような知識労働中心の社会においては、それはさらに顕著になる。その際の働きがいは、ワーク・エンゲージメントや職務満足感、内発的動機付けといったようにさまざまな学術概念に置き換わりながらその知見がマネジメントに活かされてきた。例えば、近年ではワーク・エンゲージメントが働きがいを表す学術概念として捉えられることが多い。このワーク・エンゲージメントは、仕事に誇りややりがいを感じていることを意味する熱意(dedication)と仕事に熱心に取り組んでいることを意味する没頭(absorption)、仕事から活力を得ていきいきとしていることを意味する活力(vigor)の三つから構成される(図2)。

このワーク・エンゲージメントは、ワークホリズム(仕事中毒)やバーンアウト(燃え尽き症候群)と区別される概念として示され、ワークホリズムも仕事に対して行動的に熱心な様子を示す概念であるが、ワーク・エンゲージメントが仕事への態度や認知が快適であるのに対し、ワークホリズムは不快と認知されている。一方、バーンアウトは行動への熱心さもなく、不熱心で不快であるワーク・エンゲージメントの反対の概念として置かれることになる。近年のワーク・エンゲージメント研究では、国際的な調査が可能なユトレヒト・ワーク・エンゲージメント尺度(UWES)があることから多くの研究蓄積がなされているとともに、さまざまな働きがいについての論考もこのワーク・エンゲージメントの概念に基づく知見をもとにしているものが多い。
しかしながら、組織行動論においてはワーク・エンゲージメント以外にも働きがいに関わると思われる概念は多く存在している。例えば、仕事そのものに動機付けられている状態を指す内発的動機付け(intrinsic motivation)や仕事への没頭を指すジョブ・インボルブメント(job involvement)はその代表的なものである。内発的動機付けは、有能さと自己決定に動機付けられている状態であり(Deci, 1980)、ジョブ・インボルブメントは自分の仕事に心理的に同一化あるいは自己像における仕事の重要性の程度を指す概念(Lodahl & Kejner, 1965)である。また、長年組織行動論で検討されてきた職務満足感(job satisfaction)も働きがいに関わると考えられる。いずれの概念も仕事への意義や意味、価値といった側面の働きがいの一面を示したものであり、どの概念を用いても働きがいが高いとすることに違和感はない概念である。
また、仕事生活の質(QWL: Quality of Work Life)といった概念も長らく用いられている働きがいに関わる概念である。QWLは、近代の労働の機械化や画一化による人間性の喪失や健康への影響から、人間らしく仕事ができる仕事環境への取り組みを理解する概念として用いられてきた。経営学や組織行動論でもこのQWLという概念は取り上げられ、長く研究の蓄積が進んでいる。近年、研究でよく用いられるSirgy (2001)では、QWLは七つの下位次元から構成される。それらは、健康・安全の欲求、経済・家族の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求、知識欲求、美的欲求(aesthetic needs)に関する満足感である。このうち、社会的、承認、自己実現に関してはマズローの欲求階層説で示される欲求に対する仕事での満足感である。健康・安全の欲求とは、ストレスなく働くことに満足しているか、経済・家族の欲求は、福利厚生を含むワークライフバランスや経済的な充足を示すそれぞれ次元である。知識欲求は、新しいことを仕事の中で学ぶことや自分のスキルを高めることに関する現在の仕事への満足感の次元である。美的欲求とは、自分の創造性を生かすことができている程度に関する満足感である。いずれもそれらの欲求が仕事の中で満たされているかどうかを指している。ここまで述べてきた多様な働きがいを広くカバーする概念であることが分かる。先に示したように、多様な働きがいの世界を経営学はカバーをしてきたのである。
価値や意義に紐づく働きがいのもたらす問題
しかし、ここまで見てきたような働きがいの認識、働く意味や価値や没頭できる仕事への傾斜は、いくつかの問題を現在引き起こしてもいる。一つはやりがい搾取と呼ばれる現象である(本田, 2008)。やりがい搾取とは、本田(2008)によれば、金銭や福利厚生などの待遇改善が不十分なまま「やりがい」のみで仕事をさせ、労働者の労働力や時間を奪い取ること、とされる。やりがい搾取が問題となる職種としてよくあげられるのは、小中学校の教員や保育士、介護士、看護師などである。いずれも、社会的に意義があることが明確な仕事である。彼らの中には過酷な労働条件で働いていながらも、給与や待遇がそれに見合わないといったことが指摘される。例えば、中学校教員であれば、部活動の顧問として土日も仕事があったり、問題を抱える生徒やモンスターペアレンツと呼ばれる保護者の対応をしたりと教員としての仕事以外の労働も増えている。彼らのそれらの労働を支えているのは、教員としての社会的意義や仕事としての価値、あるいは面白さである。たとえ労働時間が増えようとも、生徒から感謝されたり、生徒の成長を感じたりすること、生徒が充実した学生生活を送っていることは教員を志した人にとっては代え難い働きがい(やりがい)であろう。またその仕事の社会的価値から「自分たちはお金のためにやっているのではない」という誇りもある。そもそもこれらの仕事は仕事柄、お金という対価のために仕事をしていると言いづらい部分もある。それゆえ、このようなやりがい搾取が起こる。ここではわれわれの社会が働きがいややりがいというものに過度に甘えてしまっている問題がある。このようなやりがい搾取の問題は、あらゆる仕事の場面で起こりつつある。例えば、小売やサービス業においても「おもてなし」や「顧客志向」「お客さまのために」といった考え方から、労働力や時間を費やすサービスを過大にしてしまう傾向がある。
働きがいが仕事の意義や意味に傾斜することの問題は若い人にも起こっている。働きがいが仕事の意味や意義として捉えられるようになったことから、(その点での)やりがいや働きがいが今の自分の仕事にないことは個々人にとって望ましくない状態であると考えられるようになっている。その結果、やりがいや働きがいを感じる仕事を求めて離職や転職を繰り返すことや、どのような仕事にもやりがいや働きがいがあるとして、その意味を求めようとする個人あるいは組織による働きかけが起こる。前者は「どこかに働きがいのある自分の仕事があるはず」といった青い鳥症候群につながり、後者は(やりがいに疑問を感じる仕事であっても)なんとか意義を見つけて仕事をしようとすることから、やりがい搾取が拡大していくことにつながる。
また、組織行動論では働きがいに関して、さまざまな概念を提示し、それぞれの概念のもとにその研究を蓄積している。基本的にはそれらの研究は、従業員の(さまざまな概念によって置き換わるものの)働きがいは高いほど、組織においては良い成果をもたらすことが示されていると言えよう。しかし近年では、より広い視野でみた時に、必ずしも良い成果ばかりではないことが示されている。確かに、個人の視野でみた際には、働きがいを感じている人ほど仕事の成果などにポジティブな成果が出ると考えられるが、家族という視点までその成果の範囲を広げれば、働きがいを感じている人ほど仕事に没頭し、家族との間にコンフリクトが生まれる可能性があることが示唆され、そのような研究結果も示されている(Halbeskeben et al., 2009)。またワーク・ファミリーコンフリクトの観点でさらに考えれば、夫婦共に働く世帯において、どちらかが仕事に没頭することがワークファミリーバランスの不均衡を生み、生活圏におけるストレスや不満を引き起こすことも考えることができよう。
改めて働きがいとそのマネジメントを考える
すでに見てきたように、働きがいが、仕事に価値や意義を感じることやその仕事に没頭・専心する(できる)ことを指すようになったのは、それほど昔からではない。また、経営学や組織行動論においては、働きがいをさまざまな観点から概念化し、多く研究を蓄積した。つまり、われわれは働きがいが多様であることをよく理解し、一様ではない働きがいをいかにしてマネジメントするかをこれまでも考えてきたのである。また、やりがい搾取の問題や働きがいに関わる研究の中には、仕事の範囲においてはポジティブな成果をもたらすとされてきた働きがいが、家族との関係を含んだ時、必ずしも常に良いものをもたらすわけではないことも指摘されている。この点についてもわれわれは驚きというよりは、さもありなんと理解できる。
繰り返し述べているように、近年の働きがいマネジメントは、仕事の意味や意義を感じることやその仕事に没頭・専心する(できる)ことを高めることに注力している。そのことは悪いことではない。ただし、働きがいを狭い範囲に押しとどめることで、さまざまな問題が影として立ち現れることもわれわれは理解する必要がある。働きがいは多様で豊かな意味合いを持っている。多様なものをマネジメントすることは難しく、それを一義的に捉えることではじめてマネジメントの可能性が生まれてくることも事実である。故に、われわれは時々にその働きがいのマネジメントについて問い直す必要がある。
[1] 厚生労働省「賃金構造基本統計調査」より。
[2] 厚生労働省HP掲載データより。
[3] GPTWのHPより(https://hatarakigai.info/)2021年7月19日閲覧。
[4] 北沢楽天(1876-1955)。
[5] 東海林さだお著、1969-現在まで「週刊現代」(講談社)にて連載。
[6] サトウサンペイ著、1965-1991まで「朝日新聞」にて連載。
[7] 弘兼憲史著、シリーズとして1983年から現在まで(なお「課長島耕作」は1983-1992)モーニング(講談社)などで連載。
[8] 高橋しん著、1993-1998まで「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)にて連載。
[9] 本宮ひろ志著、1994-2002まで「週刊ヤングジャンプ」(集英社)にて連載。
[10] ここで触れている論考は、尾高(1995)所収の「第一章 仕事への奉仕」である。本論考の初出は1947年、雑誌『人間』に発表されたものである。
【参考文献】
・Deci, E., 1981, The psychology of self-determination, Lexington Books.(石田梅男訳,1985『自己決定の心理学 内発的動機付けの鍵概念をめぐって』誠信書房.)
・Halbesleben, J. R. B., Harvey, J., & Bolino, M. C. (2009). Too engaged? A conservation of resources view of the relationship between work engagement and work interference with family. Journal of Applied Psychology, 94(6), 1452–1465.
・本田由紀, 2008『軋む社会 教育・仕事・若者の現在』双風舎.
・鹿島あゆこ, 2018 「『時事漫画』にみる「サラリーマン」の誕生」, フォーラム現代社会学, 17, 78-92.
・Lodahl, T. M., & Kejnar, M. (1965). The definition and measurement of job involvement. Journal of Applied Psychology, 49(1), 24–33.
・尾高邦雄(1995)『尾高邦雄選集 第二巻 仕事への奉仕』, 夢窓庵.
・Sirgy M. J., Efraty, D., Siegel, P., & Lee, D., 2001, “A new measure of Quality of Work Life (QWL) based on need satisfaction and spillover theories, Social Indicator Research, 55, 241-302.
・真実一郎, 2010, 『サラリーマン漫画の戦後史』, 洋泉社.
・鈴木竜太, 2021, 「お仕事漫画からみる日本人の労働エートスの研究」, 神戸大学Discussion Paper Series 2021-5.
