プロフェッショナルの仕事術
仕事になった。経営学。
<略歴>
2003年 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了
同 年 シャープ株式会社入社
2006年 神戸大学大学院経営学研究科専門職学位課程(MBA)修了
2012年 神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了
2013年 獨協大学経済学部経営学科専任講師
2017年 同 准教授
専門は技術経営。
著書に『脱コモディティ化を実現する価値づくり-競合企業による共創メカニズム-』(2019、中央経済社)などがある。
◆憧れはニート。
子どもの頃、夢はなかった。「大人になったら何になりたい?」という質問はあまり好きではなかった。
高校生になっても、あいかわらず「やりたいこと」はなかった。ただ、祖父と父が企業家ということもあり、経営を学ぶことができる大学か最先端の技術を学ぶことができる大学に行こうと思った。神戸大学経営学部も候補の一つだったが、一浪した末、早稲田大学理工学部に進学した。
大学では友人との時間を楽しんだ。大学院では電子材料工学を専攻した。半導体の研究、特に化合物半導体ナノ粒子の光学特性研究はそれなりに面白くもあったが、熱い想いを持つことはできなかった。
その頃、ニートになれないかと本気で考えた。大阪に帰省した際、親にそのことを相談すると「それだけはやめて」と言われた。当然のことだと思い、就職することにした。
◆出会いはいきなり。
就職先はシャープ株式会社とした。理由は地元の大阪の企業であったこと、希望した経営管理の仕事ができそうだったためだ。
入社すると、大阪の本社ではなく、三重にある最新鋭の液晶パネル工場に配属となった。仕事内容は経営管理だった。仕事はそれなりに楽しかったが、都会から離れていたため、終業後と休日にはこれといってすることがなかった。都会で働く友人との差がつくような気がし、将来について漠然と不安を感じるようになった。また、企業家になる準備も何かはじめたいとも思うようにもなった。
そんな時、神戸大学のホームページで見知らぬシャープの先輩がMBAを取得した記事を見つけた。すぐさま社内ページからメールアドレスを調べ、連絡した。その先輩はすぐに会う時間をつくってくれた。さらに神戸大学MBAコースへの進学を優しく勧めてくれた。
しかし、三重から毎週末、神戸まで通うことは当時の自分には難しいことに感じられた。ただ、先輩に研究計画書を見てもらうなど受験準備はなんとなくはじめた。
そんなある日、大阪で新製品開発を行うメンバーを募集する社内公募制度があることを知った。悩んだ末、応募することにした。
入社3年目の2005年、神戸大学MBAの入学と同時に社内公募制度も通り、大阪に転勤した。新しい世界への扉が開いた「音」がした。
◆ふらふらと。
MBAの最初の授業は三品和広先生だった。「こんなに面白い授業があるのか」とショックを受けた。延岡健太郎先生(現・大阪大学教授)の授業にも強く惹かれた。
また、指導教官となる原拓志先生(現・関西大学教授)との出会いも大きかった。企業家になる準備のため神戸大学MBAに来たはずだったが、原先生の「何か」に惹かれはじめていた。
同期の宮尾学さん(現・神戸大学准教授)との出会いも大きかった。修了の際、宮尾さんが「博士後期課程に行こうと思っています」と言ってきた。当時の私は「そんな道があるのか」という程度の気持ちだった。しかし、しばらくすると「行ってみるか」という気持ちに変わった。ただ、気持ちだけでは博士後期課程には進学できない。進学試験1年目は不合格、2年目にやっと合格し、進学できた。
◆もうふらふら。
MBA同様、博士後期課程もはじめは楽しかった。しかし、博士論文を執筆する頃には、それは苦痛と絶望に変わった。全く歯が立たない。何が正しく、どこまで行けばゴールなのかもよくわからなかった。友人と家族の支えもあり、結局、博士後期課程には4年間在籍し、博士号を取得した。
博士号を取得した翌月、本社の経営企画室に異動となった。仕事内容は経営再建だった。シャープは経営危機に直面していた。大融資先であった銀行との交渉には興奮した。日々、日本経済新聞の一面に掲載される事柄に自身が関わるのは不思議な感覚だった。
しかし、ある時から不良債権処理などの過去を向いた仕事よりも、より未来を向いた仕事をしたいと思いはじめた。ただ、その仕事が何なのか、当時の私にはよくわからなかった。
◆再びふらふらと。
それがいつのことか、正確には覚えていない。原先生が「陰山さんには大学の仕事が向いている気がするけど」と言ってくださったことがあった。
ある時、そのことを思い出した。また、その時には、宮尾さんも大学教員になっていたので、あとを追い大学教員を目指すことにした。
ただ、大学のポストを得ることは容易ではなかった。履歴書を何通書いたか覚えていない。結局、現在働いている獨協大学が採用してくれた。
◆おかげさまで。
経営学者となり9年目となった。現在、私の仕事には三つのタイプの顧客がいると思っている。
一つ目の顧客は、教え子たちである。目の前にいる大学生や大学院生を育てること、これは未来を向いた仕事であり、私が一番大切にしている仕事である。最近は高校でも教えている。
二つ目の顧客は、同業者である先生方である。学問の進歩に貢献することは、研究者である我々の大切な仕事である。論文や学術書を書くこと、学会報告することなどがこれにあたる。
三つ目の顧客は、ビジネスパーソンである。以前の私のように悩めるビジネスパーソンの一助となる書籍を執筆したり、話をしたりすることなどがこれにあたる。たとえば、私の場合、若手のビジネスパーソン向けに『ビジネスマンに経営学が必要な理由』(2019、クロスメディア・パブリッシング)、『できる人の共通点』(2018、ダイヤモンド社)を上梓している。
研究に力を入れる先生もいれば、教育に力を入れる先生もいる。ビジネスパーソンへの啓蒙活動に力を入れる先生もいる。人それぞれが個性を活かしながら、自分が信じた道を行けば良い。
神戸大学に「いる人、いた人」のおかげで、私は今、日々を楽しく生きている。ありがたいことだ。
