特集-14
14.「見えにくさ」と対峙する:アンケート調査から見える新型コロナウイルスの影響
8月2日寄稿
「見えにくさ」に向き合う経営学
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響が、社会・経済の広範囲に及んでいる。ただその影響が具体的に、誰に対して、どのように、そしてどの程度あるのか、と問われたとき、私たちはどこまでこの質問に正確に答えることができるだろうか。「甚大な影響を与えている」と大まかに答えるか、あるいは「我が社ではこうだ」という風に答えるのがせいぜいではないだろうか。COVID-19の難しさは、この「影響の見えにくさ」にある。
われわれ経営学者にとって「見えにくさ」と対峙する一つの有望な方法が、経営の現場に赴き、人々の声に真摯に耳を傾け、そこで起こっていることを観察するというやり方である。経営学の黎明期から採用されてきたこのアプローチにより、数多くの理論や発見事実が生み出されてきた。ところがCOVID-19の拡大は、私たち研究者にこのアプローチを採用しにくい状況を出現させてしまった。現場に寄り添い、現場の声に最も耳を傾けるべきこの時期に、私たち経営学者は現場に赴くという選択肢を奪われてしまったのである。
そこで浮上したのが、アンケートを通じて現場で起こっている事実を定量的に捉え、そこから現場のリアリティを構成していくというやり方である。現場のリアリティを深く、そして厚く記述するという点では一つ目のアプローチにかなわないが、反面、極めて多くの就労者や多くの企業を対象に声なき声を拾い、今起こりつつあることを把握することはできる。アンケートを通じて、人々が生きるCOVID-19下の世界を読み取り、そこから日本の産業社会の実像を紡ぎ出すことならば、今のわれわれにもできるはずである。
こうした問題意識から、大きく分けて二つの研究プロジェクトが立ち上がった。一つ目は、18名の経営・経済学者とHR 総研の共同による「新型コロナウイルス感染症への組織対応に関する緊急調査」(2020 年 4 月 17 ~24 日)、二つ目は、6 名の経営学者とリクルートワークス研究所の共同による「新型コロナウイルス感染症の流行への対応が、就労者の心理・行動に与える影響調査」( 2020年4月14~16日)である。前者は、企業の経営者および人事部を対象に、COVID-19への組織的対応や財務的・組織的成果へのインパクトを問うたものであり、ここではこれを「マクロ調査」と呼ぶ。後者は、企業に所属するビジネスパーソンを対象に、COVID-19下での行動・心理を問うた「ミクロ調査」である。
両調査の具体的な成果については個別のペーパー(参考文献参照)に譲るとして、ここではこれらの主要な発見事実を要約しつつ、日本の産業社会に対する私なりの提言をまとめてみたい。
主要な発見事実の要約
マクロレベルの調査からみえてきたのは、「COVID-19の影響は、ほぼあらゆる企業に及んでいる」こと、ただし「企業業績への影響、コロナ対応としてのテレワーク導入、現場でのミスの発生や物資の不足など、かなりの部分において、企業間の差異がある」ということである。より具体的には、①宿泊・飲食サービス、娯楽、医療・福祉などの産業に属する企業、②1945〜1965年創業の企業、③東京および埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫、福岡の6府県立地の企業、とりわけこの三つの条件が重なった企業において、事業レベル・現場レベルで大きな影響が出ている。日本全体が大きな影響を受けているが、中でもとりわけ大きな問題に直面している企業、早急な支援を必要としている企業が間違いなくある、という結果である。
ミクロレベルの調査においても、COVID-19の影響があらゆる個人に及んでいる一方で、所得の落ちこみ、感染予防物資の確保状況、リモートワークの実施、不安、学習棄却などにおいて、明らかに個人差が見られることがわかった。さらに、不安やストレス、その結果としての学習棄却に影響を与えるのは、所属先企業の組織レベルの対応だけでなく、パーソナリティをはじめとする個人要因がかなりの影響を与えている。日本の就労者の中には、深刻な状況に陥り、支援を必要としている就労者がいることを示す結果と言える。
レジリエントな個人、レジリエントな組織
希望があるとすれば、COVID-19感染拡大前の段階で、平素から多様な解決策を提示し、問題に対して素早い対応をとり、社員一丸となって変化する状況に対応してきた企業(組織レジリエンスの高い企業)では、現場への影響が緩和されており、資源の不足が起こっていないという事実である。組織のレジリエンスとは、「組織が存続し繁栄するために、漸進的な変化や突然の混乱に対して予見、準備、対応、適応する能力」(一般社団法人日本企画協会JIS22300)であるが、これを高めるためには、平時においてさまざまな失敗と学習を行うこと、社員一人ひとりに高度の自由を与えておくこと、常に「想定外」の事態を想像したり内省したりする習慣をつけておくことなどが必要になる。
たとえば、日本の代表的メーカーであるAでは、平時において、あえてリスクの高い製品開発で、社員に失敗を経験させたり、「自社の製品市場に最悪の変化が起こるとすれば、それはどのようなものか」という仮想的な状態を想定して、真剣に議論・内省したりする場を設けたりしているという。平時において組織のレジリエンスを高めようという試みに他ならないわけであるが、これらは平時の企業経営の観点からすれば、「冗長性」であり「無駄」を組織内にとり込む行為に他ならない。有事において貴重なリソースとなるレジリエンスは、平時における無駄の結果として担保しうるものであるが、企業は、これらのために時間とリソースを割くインセンティブを持ちにくい。
かつて経営学の泰斗リチャード・サイアートとジェームズ・マーチは、企業などの組織内部に存在する冗長性や無駄の重要性を指摘し、それを「組織スラック(organization slack)」と名づけた。具体的には、余剰人員や設備、生産のロスタイム、内部留保、冗長な経験など、組織の中に存在するさまざまな「無駄」を指す。彼らの議論のおもしろいところは、平時においては「無駄」でしかない組織スラックが、環境変化によるリスクに直面した時、重要な緩衝剤や稀少資源として機能するという点である。カネやモノの余剰が緊急時に役立つのと同じように、このような無駄もまた、有事に際して極めて有効な資源として機能する組織スラックなのである。ハイパーコンペティションと形容される厳しい競争状態にあって、冗長性の確保と排除をどのように両立させるか。このパラドクスこそ、われわれ経営学者が今後向き合うべき課題ではないだろうか。
参考文献
・原泰史ほか(2020)「新型コロナウィルス感染症への組織対応に関する緊急調査 : 第一報」一橋大学イノベーション研究センター WP#20-10.
・服部泰宏ほか(2020)「新型コロナウイルス感染症への組織対応に関する緊急調査 : 第二報」 一橋大学イノベーション研究センター WP#20-11.
・佐々木将人ほか(2020)「新型コロナウィルス感染症への組織対応に関する緊急調査 : 第三報」 一橋大学イノベーション研究センター WP#20-12.
・江夏幾多郎ほか(2020)「新型コロナウイルス感染症の流行への対応が、就労者の心理・行動に与える影響: 第一報」 リクルートワークス研究所、 Works Discussion Paper No.31.
・]江夏幾多郎ほか(2020)「新型コロナウィルス感染症の流行下で就労者や企業が経験する変化―デモグラフィック要因の影響―」 神戸大学経済経営研究所 Discussion Paper Series No.2020-J08.
