特集-13
13.ウイズコロナ時代の働き方改革

  • 上林憲雄 (神戸大学大学院経営学研究科 教授)

8月1日寄稿

日常の崩壊

 今般のコロナ禍で、どこの会社も個人も、普段から当たり前だった日常が崩れ、てんやわんやの状態である。

 中国武漢で発見された新型コロナウイルスについて最初に報じられた当初、「日本には関係ない」「うちが影響を受けることはないだろう」と高を括っていた向きも多かったのではないだろうか。何を隠そう、この私自身も大いに不明を恥ずべきだが、初めのうちは深刻に考えることはほとんどなかった。

 しかし、コロナの第二波、第三波の到来が確実に予測される中、以前のような日常に戻ることはもはや期待できず、コロナとともに暮らさざるを得ない「ウイズコロナ」時代に突入したといってよい。

 今回のコロナ禍で私たち組織人が受け止めるべき重要な視点は、「当たり前だった日常の前提条件が崩れた際、組織人として何ができるか」であろう。

試される柔軟性と想像力

 できる限り他者と接触しないことが求められる中、チームで仕事をすることが前提となっている日本の職場は、特に大打撃である。満員の通勤電車はもとより、普段一緒に仕事をしている同僚との接触も極力控えなければならない。ノミニケーションもできない。

 しかし、裏を返していえば、今こそ新しい仕事の段取りや働き方を提案するチャンスであると捉えることもできる。何もテレワークに限らない。変えようとしてもなかなか変わることができなかった日本のビジネス界にとって、今回のコロナ禍は、身近な日常を見直し、新たな経営やマネジメント手法を創造し試行する千載一遇の好機と捉えなければならない。

 新しいことへのチャレンジは、経営者ももちろんであるが、働く人たち一人ひとりが個々にアイデアを出し合い、仕事のさまざまな局面において創意工夫を凝らすことが、いま求められている。

本当に必要な業務は何か

 たとえば、移動の自粛が求められる中、通勤途上でマスコミからインタビューを受け、「書類にハンコを押さないといけないから、どうしても出社が必要だ」と生真面目に答えておられる社員が、ニュースにとりあげられていた。普段通りに仕事をすれば、印鑑を押して決裁することは重要で、それをしないと先へ進めない事情は理解できなくもない。

 しかし、そうした「ハンコ押し」が必要なのは、従来のビジネスプロセスや仕事の仕方を前提としているからである。いろいろと障壁はあるかもしれないが、何とか創意を働かせ、「ハンコを押さなくても仕事ができる仕組み」に変えるという発想にならなければならない。

 情報通信技術がこれだけ発達した今日、「ハンコを押さなくても済む仕組み」を作るのがテクニカルに不可能なわけはない。要は、発想を柔軟に転換し、日常の仕事のやり方を見直してやればいいだけなのである。

見せかけのワークライフバランス

 また、意外にも多く漏れ聞こえてくるのは、「自宅勤務で仕事仲間と会えないからつらい」とか「家で家族とずっと顔を合わせているので、何となくギスギスしてしまう」といったビジネスパーソンたちからの声である。

 政府が「働き方改革」を推進しようとする中、ここ数年、日本社会では盛んに「ワークライフバランス」の重要性が説かれ、労働時間を短くして休みを増やすことばかりがやけに推奨されてきたきらいがある。本当に大切なポイントはそこではないことが、図らずも今回のコロナ騒動で明らかになった形だ。

 ワークライフバランスの指標を、時短や有給休暇の増加といった量的次元や形式面に求め過ぎることは危険である。「数字さえ守っていればよい」、「この数値目標の達成のためには斯く斯くしなければならない」といったような、物事の本質を顧みない本末転倒な思考様式を助長することにもつながりかねない。

 本来のワークライフバランスの精神はそうではない。職場での仕事も充実していて楽しいし、家庭ももちろん温かくて寛げる「仕事と家庭の良き調和と循環、双方の質的な向上」こそがワークライフバランスの本来目指すべき理想のはずである。

仕事のあり方を再考するチャンス

 いずれにしても、組織人としてはコロナ禍が早く一段落することを祈りつつも、「ピンチはチャンス」の発想で、我が社の仕事のありよう、私の働き方を考え直す好機と捉える視点が必要であろう。

 ウイズコロナ時代の到来で、我が社にとっての「働き方改革」を真剣に進める時が来ている。

 

※ 本稿は、筆者が執筆した「公開講座通信」(株式会社インソース、2020年5月号)に加筆修正を施したものを、許諾を得て掲載したものである