銀賞
高齢者のがん医療における便益形成と治療への参加意欲を高める要因に関する研究
−便益遅延性に着目して−

桐島 寿彦
(地方独立行政法人京都市立病院機構 京都市立病院)
1.研究の背景と問題意識
高齢化の進行により独居の高齢がん患者が増加する。高齢者は、様々な課題を抱えており、しかも若年者とは異なる価値観を有するため医療を行う際には配慮が必要になる。医療者と患者との間には情報の非対称性が存在するため、患者は医療サービスの品質を正確に評価することが難しい。また、がんに対する患者体験調査では、治療終了または経過観察中の患者と比べて、治療中の患者の満足度は低いことが報告されている。これは、医療の本質的な便益である機能的便益の享受が遅延しているために、患者の満足度評価が歪められているためであると説明されている(藤村, 2015)。
若年者と異なる価値観や治療選好を有する高齢者のがん医療において、患者の治療への参加意欲や患者満足度を高める要因を明らかにすることが重要で、高齢者の視点で顧客価値を高める取り組みを行うことは、競合する他の医療機関との差別化につながる。
2.先行研究レビュー・リサーチクエスチョン
高齢者の価値観が若年者と異なることについては様々な報告がある。Fried(2002)は、高齢者は十分な治療効果が得られる場合であっても治療に伴う後遺症が残る治療は望まないことや、Akishita(2013) は、日本の高齢者の治療選択時の優先順位は、原疾患の改善や身体機能の改善が上位であり、延命の優先度は下位のランクであったと報告している。医療サービスの特性として、藤村(2009) は、医療のデリバリーにおいて、患者は受動的な態度で診療プロセスに参加することや医療者と患者の間に情報の非対称性が存在することを指摘し、島津(2005) は、患者の医療サービスへの事前期待の不明確性を挙げている。また、藤村(2015)はサービスにおける便益遅延性という概念を提唱した。便益遅延型サービスでは便益享受の不確実性、サービスデリバリーへの顧客参加の抑制、顧客満足度評価の歪み、サービス提供に関わる従業員のモチベーションの低下などの問題が生じる。便益遅延型サービスの典型である医療サービスにおいて、便益を機能的便益、感情的便益、価値観的便益の視点で分析した先行研究がある。慢性疾患や早期乳がん患者では、治療への参加意欲を促進する要因として価値観的便益が挙げられ、医師や専門看護師による関わりが価値観的便益の形成に寄与することであった。ここに機能的便益とは、患者に肉体的健康度の回復・維持を提供するものであり、感情的便益とは、患者に心理的健康度の回復・維持を提供するもの、そして、価値観的便益は、生きることの意義や生き甲斐に対する態度にポジティブな変化を導くものを意味する。
治癒が望めない高齢者のがん医療において、治療への参加意欲を促進する要因が何であるかを明らかにして、当院が地域の中であるべき姿を探索するために以下のリサーチクエスチョンを設定した。
RQ 1.便益遅延型サービスにおいて、高齢がん患者の治療へのポジティブな参加意欲を引き出す要因は何か
RQ 2. 機能的便益の享受が遅延あるいは望めない高齢者の進行がんの医療プロセスにおいて、どのような便益がどのようなタイミングで形成されるか
RQ 3. 医療者は患者参加にどのようなタイミングでどのように関与しているか
3.調査対象と方法
A病院に通院中で抗がん剤治療を行っている65歳以上でポジティブな参加意欲を有するがん患者10名とその患者に関わる医療者9名を対象に半構造化面接を行った。分析は修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチを用いて行った。また、A病院臨床研究倫理審査委員会の審査を受審し承認を得た。
4.分析結果・考察
表1と表2はそれぞれ患者と医療者インタビューの結果である。研究者が重要と考えた被験者の発言を抽象化し概念を生成した。新たな概念が出なくなるまで(理論的飽和)継続的比較分析を行った。次に、同じような概念同士を抽象化しカテゴリーを生成した。



患者と医療者インタビューから生成されたカテゴリーから関係図を作成し、高齢者のがん医療における価値共創モデル(図1)と命名した。
患者と医療者および家族との関係性便益が起点となり、複数の職種が協働してケアに関わるチーム医療を実践することで、関係性便益と感情的便益から価値観的便益が形成される。そして、価値観的便益から治療継続行動(患者参加)が高まることが明らかになった。価値観的便益の中でも、【病気との付き合い方】や【人生の楽しみや喜び】といったサブカテゴリーが重要である。また、病気の治癒という客観的機能的便益は得られないが、痛みや苦痛の改善といった主観的機能的便益はその都度享受され、治療への参加意欲につながった。医療者のカテゴリーである「患者中心の医療」、「チーム医療」と「生活者としての患者の視点」が価値観的便益の形成に促進的に働いていた。
本研究の対象者は、医療の客観的機能的便益である病気の治癒は得られないが、痛みや苦痛などの主観的機能的便益は医師の治療により緩和され、患者参加が促進された。高齢者のがん医療においてEmanuelの医師患者関係モデルでは、父権主義モデルを選択するケースが多く見られた。患者価値を尊重し患者満足を高めるためには対話モデルを選択することが望ましい。しかし、医師には時間的制約があることから、看護師などが関わるチーム医療が重要になる。サービス・デリバリー・プロセスにおいて医療者と患者の協働により、価値観的便益を形成して事前期待を望ましい方向と水準に変容させ、さらに短期の目標を設定し達成を繰り返すことで患者満足が促進する(図2)。

RQ1: 便益遅延型サービスにおいて、高齢がん患者の治療へのポジティブな参加意欲を引き出す要因は何か?
A:関係性便益と生活者としての患者の視点で捉え、チームで働きかけて患者の認識や価値観をポジティブに変化させる価値観的便益である。
RQ2: 機能的便益の享受が遅延あるいは望めない高齢者のがん医療プロセスにおいて、どのような便益がどのようなタイミングで形成されるか?
A:医療者が主観的機能的便益を適切に提供することで、治療への参加意欲を促進する。関係性便益を起点にチーム医療を実践することで、感情的便益と価値観的便益をそれぞれ促進し、患者参加や患者満足につながる。
RQ3: 医療者は患者参加にどのようなタイミングでどのように関与しているか?
A:医療者は、患者中心の医療とチーム医療を基盤に、情緒的配慮、生活者としての患者の視点を重視しており、それぞれ感情的便益、価値観的便益に関係していた。
5.結論・インプリケーション
高齢がん患者の治療への参加意欲を高めるには、単に最新の高度医療を提供することではなく、医療者や家庭との関係性を高めるとともに、チーム医療により価値観的便益を形成することである。さらに、生活者としての患者の視点で、患者の生活の場である地域を巻き込んだ地域完結型のがん医療を提供することが重要であることから「価値共創型がん地域包括ケアモデル」(図3)を提案した。

高齢者のがん医療において、チーム医療を実践することで患者の事前期待を望ましい方向と水準へ転換して価値観的便益を形成することと、地域完結型の医療を提供することが重要である。また、本研究の結果が高齢者のがん以外の慢性疾患のマネジメントにも適応できる可能性がある。
今後、高齢化の進行によりがん以外にも慢性心不全や呼吸不全などが増加する。これらの疾患は、便益の享受が遅延し比較的経過が長いため、病院での医療よりも地域での看護やケアが重要になる。そのため本研究の結果は、慢性心不全や呼吸不全のような進行性の高齢者の慢性疾患にも適応できる可能性がある。
<参考文献>
- Masahiro Akishita, Shinya Ishii et al. “Priorities of health care outcome for elderly.” Journal of the American Medical Directors Association, 2013, 14(7), p.479-484. doi:10.1016/j.jamda.2013.01.009
- Terri R. Fried, Elizabeth H et al. “Understanding the Treatment Preferences of Seriously Ill Patients.” The New England Journal of Medicine, 2002, 346(14), p.1061-1066. doi:10.1056/NEJMsa012528
- 島津望(2005)『医療の質と患者満足―サービス・マーケティング・アプローチー』 千房書房
- 藤村和宏(2009)『医療サービスと顧客満足』 医療文化社
- 藤村和宏(2015)「便益遅延型サービスの顧客満足形成モデルに関する考察―医療サービスをケースとして顧客満足形成モデルの発展の可能性について探る―」『香川大学経済論叢』第88巻第3号, p.243-265
