第34回 シンポジウム
ファミリービジネスの神話と実像:ファミリービジネス研究の可能性
講演
1.「HORIBAと堀場」オーナー家の一員としてのチャレンジと学び
堀場 弾氏(株式会社堀場製作所 常務執行役員/
株式会社堀場エステック 代表取締役社長)
2.事業承継とオンリーワンオリジナルの経営論
沼田 昭二氏(株式会社神戸物産 創業者/
株式会社町おこしエネルギー 代表取締役会長兼社長)
パネルディスカッション
<パネリスト> 堀場 弾氏、沼田 昭二氏
<司 会> 岡田 将稔氏(株式会社三菱UFJ銀行ファミリーオフィス 室長/
神戸大学大学院経営学研究科 客員教授)
講演1 「HORIBAと堀場」オーナー家の一員としてのチャレンジと学び

堀場 弾氏
(株式会社堀場製作所 常務執行役員/株式会社堀場エステック 代表取締役社長)
堀場製作所とは
京都の堀場製作所で常務執行役員を務め、またグループの半導体事業を担う子会社、堀場エステックの社長をしております堀場弾と申します。よろしくお願いします。
なぜ京都の会社がここに来てお話しすることになったのか、ということですが、数年前より三菱UFJ銀行のファミリーオフィスにおられる岡田さんを中心に、私のいろんな悩みごとを含めて堀場製作所に関わることについて対話の機会をいただいており、その経緯もあって神戸大学経営学部で学生向けに一度講演をさせていただきました。そのような縁もあり、今回の機会をいただきました。
堀場製作所は創業して、昨年(2023年)で70周年を迎えました。一般的に見ると歴史の長い会社ですが、京都では200年企業といわれるような老舗の事業を営んでいる方が非常に多くて、まだまだ若いと言われる企業です。私自身は堀場製作所に2004年に入社し、様々な経験を経て今に至っております。ローマ字の「HORIBA」は会社を意味しており、「堀場」が堀場家を表現しております。
まず、私の自己紹介をした後、堀場製作所とはどういう会社かを紹介します。その後に年譜を見ていただきながら、創業者と私の父である今の会長、そして私について紹介し、最後に私がアメリカで経験してきた内容も併せてお話ししていきたいと思います。
私は2004年に京都産業大学経済学部を卒業し、堀場製作所に入社しました。入社の理由は、海外で仕事がしたいということと、入社前から堀場家のつながりでHORIBAの社員を知っていたので、この人たちと一緒に仕事をしたい、それが自分の一番のモチベーションにつながるんじゃないかということでした。入社後、5年ほど日本で仕事をした後に、アメリカの子会社に出向して約10年間アメリカで過ごしました。2018年に帰国するまで、現地で働きながらカリフォルニア大学アーバイン校(UCアーバイン)に行ってMBAを取得し、現地の責任者をして戻ってきたという経緯があります。
その後、堀場製作所の子会社の一つである堀場アドバンスドテクノの社長を5年間務め、昨年から現職の堀場エステックの社長として働いています。
堀場製作所の歴史と事業内容
では、ここからは堀場製作所の概要を紹介していきます。京都に本社があり、分析・計測機器の製造、販売サービスを担っています。1953年設立で、昨年で70周年を迎えました。連結の売上高は、2021年の数字になりますが2,700億円、従業員数8,432名です。現在の代表者が、グループのCEOと会長を兼任しています堀場厚です。
図1に事業領域を示していますが、かなり広い領域を持っています。後ほど実例を紹介しますが、農業、水質管理分野では、土壌分析や水質分析、地球環境保全に関しては大気の計測など。自動車に関しては、自動車から出る排ガス、車両のパフォーマンス試験、現在では自動運転やサイバーセキュリティといった分野も、計測や試験をする場面で事業展開をしています。

半導体関連のデバイス販売、製造プロセスで使うコンポーネントが、現在の主事業になっています。宇宙開発に関してはオーロラの素材分析、元素の分析など広く展開しています。
図2に示す事業展開として、自動車、環境・プロセス、科学、医用、半導体という五つの事業体でオペレーションをしていますが、よりHORIBAが展開できる市場にアプローチを変えていこうということで、エネルギー・環境、バイオ・ヘルスケア、先端材料・半導体の大きく三つのフィールドを挙げています。今は市場の変化が大変激しい時期ですので、われわれの技術をベースに事業展開するのではなくて、それぞれの市場からの要望についていけるような形で事業展開していこうと、この三つのフィールドに注力していくオペレーションに変化しつつある段階です。

「はかる」をビジネスにする企業
「はかる」には、あいまいだった物事をハッキリさせる役目があります。「はかる」ことなしには、どういうことをするかがなかなか決められない、という意味でも、われわれの計測、分析サービスがベースにあって、それらを通して社会貢献、環境などを良くしていく活動につなげられるという自負を持って事業をしています。
われわれの主要な事業をいくつか紹介します。面白い例としては、「はやぶさ2」がリュウグウという小惑星から試料を採取したことがあります。試料である砂に含まれる元素を分析することで、その小惑星に何が存在していたかを解き明かすことにつながります。そこでHORIBAは、X線を使った分析機器を使ってその砂の元素分析をしました。その中に炭素分子が発見され、リュウグウに水が存在していたであろうことが分かりました。このような新しい発見にも当社の製品を使っていただいています。
最近では、半導体はAIがホットトピックになっていますが、半導体はあらゆる業界で使われるようになってきていて、需要が非常に上がってきている産業です。表に出る製品ではありませんが、ウエハ(半導体の基盤)の作成プロセスの中で、われわれの製品を活用していただいています。ガスをコントロールする製品、ウエハ上にある異物の検査などを通じて、半導体、デジタル社会にも貢献しています。
図3は、イギリスにある子会社での取り組みで、車を走行させている最中にサイバーアタックをかけたら、車がどういう挙動を示すかといったシミュレーションから試験、評価まで開発エンジニアリングを提供する総合施設があります。その施設には、直径1㎞くらいの広大な円形の場所もあります。販売に即しているかどうかを確認するための設備になっています。

次は大気環境で、排ガス分析に関わることです。工場や車から出る排ガスの質量濃度や含有元素濃度などが測れます。例えば、PM2.5の分析装置では、粒子の数や粒子に含まれる元素を分析することができるので、そのPM2.5がどこから飛んできているのか分かります。工場からの燃焼物がPM2.5に変わるのですが、その発信源を突き止めることによって、根本的な問題を解決するために活用されています。
水質分析は、国内だけではなく、海外、特に東南アジアが多いですが、浄水場、処理場、いろんな現場で使われています。水をどのように処理していく必要があるか、計測データを見て検討されています。
身近なものでは、チョコレートの口当たりも計測できます。チョコレートは、粒子が小さいものほど口に入れると溶けやすい。チョコレートは粒子の塊でできているので、品質管理の面で、レーザーを当てて粒子の大きさの粒度分布を調べるための製品があります。
また、皆さんはサッカーに興味があるかどうかは分かりませんが、われわれは京都パープルサンガのオフィシャルスポンサーもやっていますので、ユニフォームの胸の部分に「HORIBA」のロゴが入っています。機会があればぜひ試合もご覧いただき応援いただければと思います。
堀場製作所のグローバル戦略
われわれは、グローバルに事業展開している企業です。図4の上段が、売上高構成比率です。今は日本の売り上げは全体の30%を切っています。外国人の従業員比率も、徐々に上がり、今64%です。主に海外事業の買収を通じて、海外売上比率、海外従業員の比率が上がってきているという背景があります。日本国内だけではなく海外も見ていただくと、米州、欧州、アジアとバランスが取れている感じです。海外の事業展開を意識しながら、国内のオペレーションをやっていく必要があるという状況になっています。

堀場製作所は、私の父親である現会長が社長をしていた25年間を含む過去30年で、約7倍の売上規模に成長してきた会社です。図5は、買収前の売上規模と、従業員比率をグラフで表しています。90年代後半から主にヨーロッパの会社の買収をスタートしました。大きな企業は、イギリス、ドイツといったヨーロッパの企業です。企業を買収することによって、事業規模が大きくなっていくと同時に、海外の従業員比率が上がっているという状況になっています。

堀場製作所のM&A戦略
利益率を見ると、上がったり下がったりしています。2009年にリーマン・ショックがあって、多くの会社が苦労された時期でもあります。2019年も少し落ちていますが、買収の全てが成功してきたわけではなくて、中には事業状況がすぐには改善されないこともあります。また、継続投資をしてきているという背景もあり、利益率が少し下がる局面もあると思います。
このように企業買収をして事業成長をしてきています、と紹介していますが、今回はM&Aの成長の裏側も紹介したいと思います。
幸いなのか、われわれの能動的な動きが足りないのか、両面だと思いますが、これまでの企業買収は、先方から当社にアプローチをしてきて、われわれがその企業に対しての買収を検討するケースがほとんどです。それは当社の企業文化を他企業やHORIBAの従業員から聞いてアプローチされたという面もあると思います。
もちろんM&Aを判断するときに、その企業とのシナジーの部分である事業のポートフォリオや技術のシーズをどのように増やしていくかなどを検討しますが、それ以外の判断項目として、その企業の人財(HORIBAでは人を財産と考え、このように表わしています)、あるいは人財が持っている専門知識などをしっかり見て、かつ、その方が買収後も残って、われわれとのシナジー面の効果を発揮してもらえるということが約束できた状態で買収をしています。そもそも技術的なユニーク性がないと買収検討には至りませんが、そういった人財が持っている知識や経験も大事にして、買収の判断をするようにしています。
それに加えて買収前にPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション:経営統合、業務統合、意識統合)の計画も立てます。キーになる技術のシーズと人財に残っていただくことに加えて、われわれの方からは、どういったメンバーが事業シナジーを出せるのかを検討します。技術面の専門性を持っている人間で、シナジー効果を生み出せるメンバーは誰なのか、戦略も磨いていけるメンバーは誰なのかを議論し計画を立ててから買収に進む、というプロセスでやっています。
例えば買収額が10億円ぐらいであれば、買収後もほぼ同額の追加投資が必要になるだろうということで、うちの会長がよく言っていることですが、結局、買ってすぐに成長がプラスアルファになるわけではありません。シナジー効果を出すには、戦略的な動きが計画に沿って進み、そこに新製品の開発、あるいは新しい販売面の確立などが加わっていくことが必要です。それには、追加投資も必要で計画の中に入れて進めます。追加投資が必要なときは、どうしてもネガティブになりがちですが、最初からこれだけの追加投資が必要だろう、と想定していれば、それほどネガティブにならず、その後の成長を期待できるような形で進んでいくことができます。
また、多くの会社が買収後に技術を本社に持ち込み、日本でその技術を育てて、海外に移していくという展開をしていると思いますが、われわれはできるだけ現地に根付いた人財や技術をそのまま残しながら事業展開をしています。
これをやると、買収すればするほど販売・生産・技術のシーズの場所がグローバルにバラバラに分散し、われわれは本社としてその製品を輸入して国内販売していくといったように物の流れはかなり複雑になります。研究開発機能も現地で育てていきますので、その周辺のアプリケーション開発やカスタマイズを国内でやると、体制としてはすごく複雑になります。ただ、今でもその複雑さをあえて継続しています。現地に人財と技術を残すことによるメリットは大きいですが、一方でいつもグローバルのメンバー間でそれが議論になり、なかなか答えのない中で悩みながら進んでいるのが現状です。
買収して以降、赤字の状態ですぐにシナジーが出ないケースもありますが、継続投資をしていきます。売却や今までの事業を縮小するといった例は過去にほぼなく、とにかく成功するまで継続投資をするのが今までの歴史です。どこかのポイントで黒字化すればそれは一つの成功ですし、それに伴うシナジー効果が出れば成功だと思います。継続投資の判断はできているのかもしれませんが、私自身はこれが企業文化であって、企業文化の側面から対応していると理解しています。
そして、既存事業からのリソース配分にも苦労します。買収後に誰を現地に派遣するか、誰がこのシナジー効果を実現していくのか、というところです。今の事業を引っ張っている優秀なメンバーがセレクトされるので、既存事業は残るメンバーでやっていかなければならないという苦労があります。
ここまでが会社の紹介と買収の背景です。
堀場製作所と堀場家
ここからはHORIBAの年譜を見ながら、堀場家のこれまでの環境、どういう時間軸で動いてきたかを紹介します。
1945年に創業し、53年に堀場製作所を設立しています。創業者は2015年に亡くなった堀場雅夫です。今、まさにわれわれが直面しているのが、創業者がいなくなってからの企業文化の継承についてです。プライム市場の上場企業ですので、「家族の視点」「経営の視点」「所有の視点」という三つの円が徐々に遠心力で広がってきている状況です。いかに広がりすぎず、接点を増やしていくかという点に取り組んでいるところです。
1978年に「おもしろおかしく」という社是を制定しています。われわれの企業文化と言えるものですが、これは創業者が提唱したものです。どういう背景があるかというと、仕事をしている時間は多くの労力を使う時間であり、人生で最も大切な時間でもあります。この大切な時間にやりがいとチャレンジを持つことによって、本人にとっても会社にとっても生産性が高くなるだろうということで、この社是が制定されました。この社是の制定にも背景があります。創業者ですから、社是はすぐに制定できたものだと私は思っていました。ところが、役員会で何回も「おもしろおかしく」を提案していたけれど、当時の役員メンバーに反対され続けたようです。その当時の時代には受け入れてもらいにくく、計測や分析に関わる、結構、堅い事業をやっているという点も反対理由だったようです。ただし、その後、社長から会長に変わるタイミングで、「最後のお願いや、これだけはやってほしい」と提案し、役員メンバーも「そこまで言うのなら、しょうがない」ということで、この「おもしろおかしく」という社是が制定されたと聞きました。当時この社是がすぐに受け入れられたかどうかは分かりませんが、社是制定から40年以上経ち、今ではこの社是がわれわれ企業の、あるいはHORIBAで働いているメンバーの根幹を支え、グローバルメンバーの心をつないでいます。
その後、90年代から第二の創業期に入り、現会長の堀場厚が92年に3代目社長に就任しております。図6の写真の左側が創業者で、真ん中が堀場厚です。2代目社長は同族の方ではありませんが、当時、その後40年以上にわたりHORIBAを支える大ヒット商品を作った方です。

私の父親は2代目社長が酔っ払ったときに、何かのはずみで「お前は絶対に社長にはせえへんからな」と言われたそうです。父は、「面と向かって言わんでええやろう」と当時は思っていたようです。でも父は「認めてへんぞ」と言われたことを自分の励みにして頑張って、最終的には2代目社長から「次は厚君に社長をお願いしたい」と言われたと聞いています。
それから、先ほども触れた買収した企業がグループに入ってきました。
そして、私自身は、2004年に入社し、営業からスタートしました。その後、企画、経営管理など、いくつかの部署を渡り歩くことになります。入社当時、外回りでお客さまのところに行って名刺を見せると、「堀場製作所の堀場さんですか」と言われ、創業家というほどの自信もないけれど、うそはつけないので、「関係はあります」という形で自己紹介をしていました。社会人になったばかりで、すぐに良い仕事ができるわけではない状況の中、何かプラスアルファの期待をお客さまからされていると思いながらやっていました。社内的にも息子が入ってきたということで期待値が大きく、社外でも社内でもプレッシャーを感じて仕事をしていました。
正直、このまま続けられるかな、辞めた方が楽かなと思った時期もありました。何とかその時期を乗り越えて、入社前から行きたかった海外赴任のチャンスがめぐってきて、2008年にアメリカに赴任しました。
その後も海外の買収は続いています。図7は、2010年から現在の年譜です。私は、創業者の祖父が亡くなる前にMBAを取得して、2014年にアメリカの子会社の社長に就任しました。そこから、私の経営者という立場でのキャリアがスタートしました。それまでは祖父も忙しく、ゆっくり話をする機会はほとんどありませんでした。家族との自由な時間がとれていないという背景もありました。振り返ると、私自身が創業者と経営や仕事の話ができる立場に至っていなかったのではないかと思います。私がアメリカで子会社の責任者になって以降、祖父が亡くなるまでの時間はそれほど長くはなかったのですが、帰国した際には、これまでの経緯や経営者たるべきものとか、私の悩み相談など、ゆっくりと話をする時間を持てました。

2015年に堀場雅夫が亡くなり、その後、私自身が2018年に日本へ帰任します。規模はそれほど大きくないのですが、堀場製作所の国内グループ会社の堀場アドバンスドテクノの社長になりました。その後まもなく、約25年間続いた経営体制を一新します。堀場厚から足立正之に社長が代わり、番頭役として一緒にやってきた齊藤壽一が副会長に就任し、会長、副会長、社長という体制に変わりました。私自身は堀場アドバンスドテクノの社長を5年間、2023年からは、もう少し規模の大きい堀場エステックの社長を務めています。いろんな経験を経て、今の状況にあるというところです。
最近感じていること
私が最近感じていることは、同族経営とはいえ、プライム市場上場企業ということで、三つの円が少しずつ離れていっているのを感じています。それを今回まとめてみました。
私は創業者の同族とはいえ、継ぐことが決まっているわけではない。それはずっと以前から考えていました。ただ、辞めない人のトップリストには入ると思うので、責任のあるポジションとか、責任のある経験をさせても、100%か50%なのかは分からないけれども必ず返ってくるはずだから、投資するには、あるいは責任を持つポジションにするにはリスクが低いという見方もできると思います。そういう意味では、私が「堀場」という姓を持っていることで、責任あるポジションのチャンスをもらえてきたのではないかと思います。ただ、そのチャンスを生かすも殺すも自分次第だと思うので、一所懸命やって、ある程度はしっかり自分の肥やしにできているのではないかと思っています。
ただこの先、成果や結果なしでは次のステップアップした役職はないと思っていますし、プライム市場上場企業なので、同族が優先されるというわけではなく、会社の成長の答えとして、これがベストだという選択をしていくことが一番だと思います。同族以外の人がふさわしいと思えば、その方がやるべきだと私自身も思っています。
良くも悪くも注目されてきましたし、私がどんなことを感じているか、日々の悩みなど全てを相談できませんし、分かってもらえない部分もあります。ポジティブ面もたくさんありますが、ネガティブ面も分かってもらいにくい部分があると思います。最近よく感じるようになってきたのが、いかに覚悟を持って改革に取り組めるか、ということです。いい意味でも悪い意味でも責任をしっかりとっていこう、あるいは決めたことをどう成功させるかというのが大事で、決めたことを振り返って、間違えていたと反省するよりも、どうやって成功させるか、どうやってその判断をしていくかというプロセスの方が大事だと思います。積極的に覚悟を持って取り組んでいきたいと思います。
それから自分の軸ではなく、会社の軸で判断を下せるということ。何か自分自身が思っている「こうあるべきだ、こうすべきだ」ということを、もちろん様々な会議なり事業の方向性なりで判断しているのですが、周囲がそれに違和感があっても、発言できない、あるいは意見が出せないという状態は会社として不健全だと思いますので、そういう意見もできるだけ聞くようにしています。正直、自分の意見に反対されるのは、気持ち的に楽なことではありません。私も寝付けない夜があります。ただ、判断する軸を自分がやりたい、自分がこれをしないといけないと思っていることに置くのではなく、会社にとって一番いいことは何かに置くと、反対した人の意見も正しいかもしれない。この軸をずらすことで、会社にとって一番正しい判断を下せばいいと思っています。それを考えた上で、自分の意見が正しいと思えば進めますが、できるだけ、その軸をずらして判断することを今はしています。もちろん経験が十分ではないという背景がありますし、先輩方の意見を尊重するということもあります。
そして、今の私の目標は、働きがいのあるいい会社にしたいということで、私の責任下にある子会社が第一ですが、グループ全体をそういう会社にしたい、と取り組んでいるところです。
私の父が会長ですので、もちろん仕事の話はします。しかし、私と会長だけで何かを判断することはなく、全て齊藤と足立を巻き込んで判断しています。仕事の報・連・相は必ず齊藤あるいは足立を通じて行う。ただ、直接話しておいた方がいいことも中にはあるので、そういったものに関しては直接会長と話をして、直すべきところは提案していくようにしています。
米国UCアーバイン校でのエグゼクティブMBA体験
ここからは、私が社会人生活を通じて、アメリカ赴任で感じたこととMBAでどんな授業に出て、何を感じてきたかをお話しします。
アメリカに赴任して、まず英語の洗礼を受けました。アメリカ国内の田舎の地域に赴任したということもあったと思いますが、英語のベースは学んでいたものの、海外メンバーだけで会議をすると、自分の意見を発信していく、あるいは会議の内容をしっかり理解して、次のアクションにつなげていくという苦労は、行ってみないと分かりませんでした。苦労することによって、英語力、事業の理解力を上げていかないといけないと感じたきっかけにもなったと思います。
赴任して3年すると、語学力も上がり、責任も上がる中で、グローバルな事業リーダーとの戦略会議や事業の方向性の会議に出席する機会が増え、業務レベルも上がっていきました。一方で限界も感じ始めていました。自分の考えや信念、経験などを整理して議論し、メンバーと一緒に構築していく作業には高い壁がありました。このままでは、分からないことが多く、知識や経験も身につかない、ついていけずに限界がくると思いました。
アメリカ人は仕事を早めに終わって帰宅して、家族と一緒に過ごすというイメージを持っていましたが、実際は午後6時に終業しても、自己研鑽で勉強しに行ったり、資格を取りに行ったり、キャリアを上げる人は遅くまで仕事をしていたり、自分のキャリアを考えている人がたくさんいることに気づきました。大学を卒業してすぐにHORIBAに入社したので、対外試合もやっておかないと自分のレベル感や周りからどう思われるかも気になる、自分の物足りなさを感じるなど、いろんなことを思っていました。自分自身が感じるこういった課題を解決する答えは何だろうと考えて、MBAに行ったら経営も英語も学べ、対外試合もできるということに気づきました。上司に相談したら、「行きたいのなら、来年から行け」と言われ、そこからギアを上げて勉強して、カリフォルニア大学のアーバイン校に入学することができました。
UC Irvine Executive MBAは、管理職を最低2年以上経験した人でないと入れない管理職向けのプログラムです。主に30代中盤から50代前半の働きながら通っている方がほとんどです。コースは、組織行動論、マクロ経済、財務/管理会計というテクニカルなカリキュラムもありますし、事業戦略、マネジメント、グローバルビジネス、マーケティングといった分野も幅広く学べるプログラムです。
米国内のホテルに1週間泊まってプログラムがスタートするという、いきなりギア全開みたいな感じでした。1週間丸々、寝ても覚めてもずっとクラスメイトと一緒という缶詰状態で、もうこの時点で音を上げるようなかなりタフなプログラムです。その後は、2週間に1回、金・土曜日は丸々2日間のプログラムが3か月続いて、次のタームに移ります。そして、また3か月が終わって次のタームに移る。1年に1回海外研修プログラムがあり、中国に行くこともありました。1タームの中にプログラムが二つあって、午前/午後、午前/午後という形で組まれています。2年弱ぐらいのプログラムでした。キャンパスも今はきれいになって、多くの学生が学んでいます(図8参照 )。

多様な国の出身者が学んでいると思っていましたが、入ってみるとほとんどがカリフォルニア州育ちのアメリカ人ばかりでした。国際色豊かで、英語を第二外国語にしている人たちがいると思っていましたが、40人弱クラスの中で3人しか外国人がいませんでした。これは想定外でしたし、英語のハードルが高く、2タームが終わる頃まで、いつ辞めようかなと思うぐらい大変なプログラムでした。国内でMBAを受講するのも大変だと聞いていますが、レポート作成、タームの終わりには必ず試験、自身のプレゼン発表やチームのプレゼン発表も準備しないといけない。もちろん平日はみんな仕事をしているので集まるのが難しく、プログラムがない週末に集まってチームプロジェクトをやったり、平日の夜に補習講の受講後に打ち合わせたり、大学とオフィスと家の三か所以外、ほぼ移動していないような2年間を過ごしました。かなりタフなプレッシャーをかけられて、そのタフなプレッシャーを乗り越えるのがMBAだという感じでした。
MBAは半年ぐらい経つと、アメリカ人でも結構しんどいということが分かりました。私が英語でやっているからしんどいということではなくて、アメリカ人にとってもタフなプログラムで、仕事をしながら何とか時間を捻出して、分からないところは一所懸命、勉強していました。エンジニア系のバックグラウンドの方は、テクニカルの知識も普段の仕事で持っておられる中で、財務や管理とか、短期間で学んで最後は30分とか50分間で提示されている財務諸表を読み取って答えるという試験を受けます。いろんなプレッシャーを感じながら学んでいたと思います。
私自身も授業中に求められる発言や質問などがポイントになるので、ずっと頭のCPUが動いている状態で、何か質問しないといけない、コメントしないといけないと考えながら受講していたので、受講後は疲れきっていました。そういう経験を終えて振り返ると、大変ではありましたが、MBAで学んだ内容は学びたいと関心を持っていた内容でしたし、非常に興味深い内容ばかりだったので、それを身につけて、そのコンセプトを大事にして今の経営にも活かせていると思います。修了してみると、学ぶのにいいタイミングだったと思っています。
卒業式はメジャーリーグの大谷翔平選手が以前所属していたエンジェルスのスタジアムで開催されました。スタジアムの中を卒業生が歩いて、観客席から家族や友人らが見守ります。センターのバックスクリーンの前に舞台が用意されて、そこで来訪された当時の大統領のオバマ氏が、はなむけのスピーチをしてくださいました。アメリカの非常に大きなスケールを幸いにも体験できました。
米国法人でのレイオフ経験
それ以外に、アメリカの働き方の違いなども経験しました。一番タフだったのはレイオフに関することでした。多くの日系企業もそうだと思いますが、同族経営では雇用をいかに守るかということが大切にされています。アメリカの経営でも、守ろうとする傾向はもちろんありますが、人件費は固定費ではなく変動費として見られます。リーマン・ショックのように市場がどうしようもなくなって事業を戻せないときには、利益を出すためのコスト削減で、人を減らしていくという判断しかできない。昨日まで一緒に楽しく仕事をしていたメンバーが、レイオフを言い渡されると即時オフィスを退出しないといけない。実際、言われて自席に戻って段ボールに荷物をまとめ、涙を流しながら出て行く人もいますし、後日、荷物を取りに来る人もいます。そういう米国式の厳しい経営も経験しました。その後、私自身も経営者という立場になりました。アメリカではそういうことが起こると頭の片隅において経営すると、判断が変わってくることもあると思います。そういった経験を大事にしながら、これからも経営者として邁進していきたいと思います。
講演2 事業承継とオンリーワンオリジナルの経営論

沼田 昭二氏
(株式会社神戸物産 創業者/株式会社町おこしエネルギー 代表取締役会長兼社長)
業務スーパー設立の経緯
これまでの事業展開の流れをお話ししながら、事業承継についても触れていきたいと思います(図1参照)。

私は26歳までに1,000万円貯めて、31歳のときにフレッシュ石守という食品スーパーを設立しました。軽四トラックを買って、行商から始めました。その当時、ダイエーの中内さんをはじめ、流通業界に素晴らしい方々がいらっしゃったので、その方々が未来永劫、成長されるであろうと強く信じて仕事をしていました。それがバブル崩壊後の1990年以降、ダイエーさんも厳しくなり、流通のバイイングパワーだけでは厳しいという時代に大きく変わっていきました。
しかし、そのときにはメーカーとしてのノウハウが全くなく、何を作ればいいか分かりませんでした。その当時、中国はハイリスク、ハイリターンでしたが、いろいろなメーカーさんに相談して、当社が全部リスクを取って中国に工場を作るので、そこで商品を作っていただきメーカーさんは商品を日本に売っていただく。私どもはバッティングを避けるため、日本ではなく海外に売るということで、食品メーカー、加工メーカーとしてのノウハウを初めて勉強させていただくことができました。
それと同時に、日本食は海外でも非常に成長していたので、佃煮や漬物、わさびなどの引き合いが非常に多く、その当時は、流通のノウハウを勉強するという目的ではなかったのですが、ウォルマートさんやマクドナルドさんなど、世界の大手企業と取引をすることができました。
私どもとしては、これからはオンリーワンのものを持たないと、メーカーとしてやっていけないと思いました。日本ではスーパーを2店舗持っていたので、その中で製造と流通と販売を新しい形で結びつけることができました。
業務スーパーのビジネスモデル
当時、ダイエーさんも苦労されていたのですが、今でも販管費(販売費及び一般管理費)が20%を割るスーパーマーケットは、当社以外におそらく日本では存在しないのではないかと思います。その当時はウォルマートさんが16%でした。大きな店舗ですので、閉店後、フォークリフトで商品を積載したパレットを店舗の通路に運び込む作業をされていました。日本では無理だといわれていましたが、16%の販管費を何としても割りたいと、冷凍ケースから棚のケースまで全て見直しました。現在も業務スーパーは14~15%台の販管費で運用しています。
そうすると何が起こるかというと、数千億とか一兆円を超えるような流通業界の方々に、100分の1以下の数十億円の企業のバイイングパワーで対抗する。つまり、一番高く買って一番安く売らないといけない。これが現実です。それでも、生き延びることができるかどうか、ということが一番の課題になりました。年間数十億円が数百億円前半になっても流通は厳しいです。業務スーパーは、ロイヤリティーを1%しかもらっていません。売り上げが仮に5,000億円であれば、1%のロイヤリティーは50億円です。しかし、数百億円の利益を常に上げていました。なぜかというと、ほとんどはメーカー利益です。年間23,000本のコンテナが入ってきます。それは全部海外で直接取引したメーカーの商品です。これで最低でも数百億円のいい利益が出ます。そして国内グループ工場の最終利益が平均で15~20%。なぜかというと、営業も何もいりません。多くの工場は2、3個のアイテムを作っているだけなので、利益が出て当然なんです。神戸物産がM&Aする前の工場は、一つの工場で何種類もの商品を作っていたため、商品ごとの原価、工場ラインが必要となり、赤字が増していました。そこで、売れ筋商品を2、3種類にしぼり、原価やラインなどの無駄、ロス、非効率を洗い出し徹底的に排除しました。商品をしぼり込むことによって大量生産が可能となり、生産品は売れ筋商品のため回転率も上がり黒字に転換しました。そういった当然の積み重ねで、バイイングパワーもついていきます。同じ土俵に乗れれば、販管費の差は大きい。そして、メーカーとしての利益、製販一体としての無駄やロス、非効率のないビジネスモデルが徐々に効いてきます。
ほとんどのものは人口が減ることによって縮小していきます。しかし、縮小することによって、不要になるものがあります。例えば、空き店舗です。業務スーパーだけでは、お客さまのニーズに応えにくいので、業務スーパーは小さい店であれば、「馳走菜」という惣菜店や酒屋などを加えて展開します。スクラップすべき店舗や長期間空いている店舗物件を、長期的に借りることで家賃を少し下げていただいて、徹底的に販管費を下げる。無駄、ロス、非効率を最優先に検討しています。
それからメニューです。冷凍品のメニューはパーツアッセンブル方式[1]にしています。例えば、AとBの食材を使ったレシピ、もしくはAとDの食材を使ったレシピなど、専用パーツの組み合わせを考えてオリジナルメニューができます。例えば、中華料理の売れ筋メニューの酢豚であれば、必要なカット野菜や肉などが冷凍でパックされています。カット野菜と豚肉の揚げたものを混ぜると、簡単に酢豚ができる。一度買って使うと、その便利さを感じてリピート購入する、というような流れにもなっているのではないかと思います。
その方式を取り入れたのは、2008年に中国で毒入り餃子事件があったのがきっかけです。実は私が2004年に甲状腺がんを患ってしまい、社長を退任し会長となりました。4年ほど社長職から退いていましたが、体調が落ち着いてきた頃、毒入り餃子事件がありました。この事件は業務スーパーにとって結構大きいダメージでした。しかし、ダメージは業務スーパーに対してではなくて、全ての冷凍食品に対してのダメージでした。食品の保存性を高めるためには、水分活性を低く抑えて、微生物の繁殖を防がなくてはいけません。水分活性を抑える方法は飽和塩蔵 、乾燥、冷凍、包装加熱の四つ以外にはありません。それ以外には、添加物を最小限にして長期保存することができません。
なぜ、手軽に料理ができて、長期保存できなければいけないかというと、以前の3世代同居のような家族形態から核家族少子化に変化し、共働きの家庭が増えました。毎日生鮮ものを買って手間をかけて料理して消費されるような時代は二度と来ないと思います。冷凍食品は長期保存もできて、料理も手軽にできるということもあり、時代にあった商品ですのでダメージが大きくても冷凍食品の取り扱いをやめることはできませんでした。
時代の流れを読んで先のニーズを考え、対応していく必要があります。毒入り餃子事件をきっかけに、国内食品工場のM&Aを行い、同時に国内SPA(製販一体)の強化を開始しました。
昔の冷凍食品は、日本ではブロック冷凍が主流でした。ヨーロッパでは、IQF[2]凍結といわれるバラ冷凍でした。バラ冷凍は必要な分だけ使って、残りは保存することができます。それを参考に、日本で冷凍バラ肉や冷凍加工食品を始めました。いろいろなことを積み重ねて、徐々に業務スーパーを作り上げることができました。
このときに一番注意したのは、時代の変化です。もしダイエーさんが1990年以降も絶好調で、業務スーパーを10年早く作っていたら、バイイングパワーの差でおそらくつぶれていたと思います。日本における、核家族化、少子高齢化が進むという現実を、どのような形で将来につながるビジネスモデルにしていくことができるか。そういうことをしっかりと考えることが、私は非常に重要だと思います。
長男への事業承継
神戸物産は現在、私の息子が社長に就任しています。事業承継の中で息子の博和君に、「私と同じことをしては絶対に駄目だ」と言いました。経営をスポーツに例えると、私が仮に野球が得意だったとすると、野球の考え方で神戸物産をゼロイチで組み立てます。しかし、博和君はもしかすると野球は苦手かもしれない。だから、野球の枠組みで経営するのではなく、引き継いだ博和君の得意な面を活かす形で神戸物産を経営していけばいい。スタートアップ、要するに、ゼロイチというのは、0から作り上げるということです。そのためには、利益を出すための方程式を作らないといけない。考えて、考えて、考えて、とにかく考えることが一番だと思います。しかし、考え抜いた方程式で実際試してみると、必ず問題なり間違いが出てきます。それをいち早く微調整をしながら方程式に反映できるか、ということが私は大切だと考えています。
スタートアップで会社を作るときと、会社をさらに成長させるときでは、経営方法や方針が違います。会社を成長させ、維持していくためには、状況にあった組織構成を考えないといけないと思います。
町おこしエネルギー設立の想い
私が31歳で創業したころは資金がなかったので、質素倹約して運営し、会社のベースを作るようにしました。神戸物産は、質実剛健で徐々に規模を拡大していくことを考えました。神戸物産では、博和君と数年一緒に仕事をしましたが、その後承継しました。神戸物産では80MWぐらいの太陽光発電をやっています。業務スーパーでの再生可能エネルギー(以下、再エネ)は、社会貢献のためであり、取引先様にも貢献するための事業拡大でした。町おこしエネルギーは、自分の私利私欲は全て捨てて滅私奉公しようと思い、社会問題に勇気を持ってトライしたいと設立しました。
ソーラーグレージング®を私が考えたのは、2014年に脳幹脳梗塞を患ったときです。脳幹脳梗塞になったときは、身体の右半分が手も足も顔面も1mmも動きませんでした。全く動かなかったのは3か月ぐらいですが、その間、何もできなかったけれど考える時間はいくらでもありました。2度の大病を患い、新たな使命感が生まれました。事業には夢と希望がないといけません。夢と希望を次世代につなぐために何かできないかと考え、日本の食糧自給率とエネルギー自給率の低さという課題を解消する事業に、残りの人生をかけたいと考えました。
畜産×太陽光発電:ソーラーグレージング®(放牧)
新しいビジネスモデルとして、耕作放棄地を活用して畜産と太陽光発電を組み合わせた畜産モデルのソーラーグレージング®(放牧)をしています。今、農業従事者の平均年齢が68歳です。その60代後半の方々が、今後も重労働の農作業ができるかというと、身体的にも難しく多くの方は離農されると思います。今までは農場経営を大規模化することによって、耕作放棄地も吸収されました。しかし、今、搾乳業者さんは、大手の業者さんからつぶれていっています。農家の方が本当に努力されてもうまくいかず、放棄された土地を法人が買って、もう一度畜産に取り組んで黒字にするというのは、ハードルが高い。しかし、食料の自給率アップのために、もう一度畜産を見直そうという気持ちは大切です。そういった社会的問題をビジネスチャンスにできるか。社会問題に対するビジネスモデルを作るということは、世のため人のためであって大義にもなるので、Win-Winの関係になるということです。そこで、農業従事者の高齢化などによる耕作放棄地の増加という社会問題解決のため、新しい畜産モデルの事業を考え始め、まず農地所有適格法人[3]の要件を満たしていないと、法人が農地等の権利を取得できないので、農地所有適格法人を取得しました。そして、金融措置や税制措置などの支援を受けるため、認定農業者を取得しました。
太陽光発電で中規模以上、特別高圧以上のもので、木の伐採、抜根、切土、盛土をしていない物件は1件もありません。日本の場合は、国土の7割弱が森林です。木の伐採、抜根せずに、何十㏊という土地はほとんどありません。森林の次に割合が高いのは宅地ではなく農地です。2023年から森林法も特定盛土等規制法も変わりました。つまり、森林の乱開発が許されません。農地を有効利用しないと次はないのです。農地については、ビニールハウス経営の約0.1㏊ぐらいは一家族で整形できます。しかし、露地栽培経営となるとトラクターで1~10㏊が限界です。しかし、牧草地は30~100㏊が平均です。その広さで一家族しか整形できません。
それで、畜産業に太陽光や風力など再エネを掛け合わせ二つの業種業態を入れることにしました。30~100㏊の森林を、30億円以下で切土、盛土をして造成する業者さんはいません。もっと費用がかかります。しかし、放牧地や牧草地には、木がほとんどないので、伐採、抜根しなくてもよいし、切土、盛土して造成する必要もありません。また、畜産業の方は、1億円とか3億円の借金返済ができなくて廃業しているケースがほとんどです。そこで、畜産業と組むことで、放牧地などを有効活用して乱開発せずに太陽光発電でも収益を出す。畜産業の方が返済に困っていた分を初期費として考え、牧柵から厩舎(きゅうしゃ)のメンテナンス費のサポート、ランニングの部分もサポートします。
北海道の白糖町で羊と馬の厩舎・パドック付きの放牧場に太陽光発電を整備しています(図2)。耕作放棄地にはクマ笹など雑草が生い茂ります。そこで、北海道和種の道産子を放牧したら、笹をきれいに食べてくれました。道産子は、江戸時代に運搬などで使役するために本州から北海道に持ち込まれました。冬の間は放置され、翌年に冬を越すことができた馬を捕獲して使役していました。北海道は冬になると積雪で牧草を食べることができません。道産子は北海道の厳冬と粗食に耐える特有の資質を持った馬なのです。6年前は、雌馬が40頭ほどでしたが、当社で繁殖して今は500頭以上います。道産子が耕作放棄地のクマ笹を食べてくれるのでコストをかけずに整備することができます。

図2 新しい畜産モデルのソーラーグレージング®
自分のかわいい従業員、そして家族のことを思うと、5年、10年先のことにリスクは追えません。しかし、驚くほど耕作放棄地が増えています。国は戦後、水田を作ることに対して多くの補助金を出しました。しかし、お米が余るようになると、今度は減反したら補助金を出すという方針に変わりました。せっかく水田を作ったのに、今度は米を作るのはやめてくださいと。その後、米以外のものを作ったら、一反14万円補助金を出すという制度を作りました。もう米は作るなということです。国のこういった農業政策に、農家さんは翻弄されてきました。そして、農業従業者が減り、海外との競争力もなくなって、食料自給率は下がっていきます。
ソーラーグレージング®は乱開発もなく、CO₂排出もありません。自然にも動物にも優しい営農放牧ができ、太陽光発電により事業収入が2倍以上になってダブルメリットの事業です。パネルを置く面積が平均で20%ぐらいです。耕作放棄地の使えるところだけにパネルを置くようにしています。場所によっては傾斜がきつく、9%しか置けないところもありますが、それでも出力が約20MWです。畜産業の方に、全部ではなく一部をサポートすることで、ノーリスクでWin-Winの関係ができます。私はこのようなビジネスモデルは、今後必要とされていくのではないかと思います。
再エネ自立化へのステップアップのための制度であるFIT制度[4]が2012年にできて、再エネの固定価格での買取保証制度ができました。しかし、2010年にはヨーロッパでは固定価格買取のFIT制度ではうまくいかない、間違っていたということで、補助額が一定で収入は市場価格に連動するFIP制度[5]に移行しました。ヨーロッパよりも12年遅れて、日本は2022年にFIP制度に変わりました。再エネも社会的な問題なので、ビジネスチャンスになるということです。
太陽光発電の一日の有効日射時間は平均2.6~4時間といわれていますので、一日の稼働率の平均が16%です。ということは80%以上の送電が空いてしまっています。特に大消費地には海底高圧ケーブルで送電しないといけないので、その負担は国民が持つことになります。16%を50%以上に上げることは、私は十分可能だと思っています。自社の中でいろいろな特許を絡めながら上げようとしています。ソーラーグレージング®に「®」がついていますが、商標登録をしています。トラス構造のパネルもそうです。トラス構造は、三角形に継ぎ合わせた構造体で、従来の太陽光パネルの架台にはない、弊社で特許申請中の新しい架台構造です。トラス構造にすることで強度が増し、屋根型にすることで従来のパネルの弱点だったパネルの背面からの横風・台風などによる倒壊事故に強い構造となります。太陽光や風力など、ハードの二つのものをミックスして、再エネのクリーンなものが国民負担にならないように、電力系統の負荷を下げるようにしようと考えています。
地熱発電のビジネスモデル
次に地熱発電の紹介をします。地熱発電は24時間安定した電源です。資源の少ない日本ですが、地熱は世界第3位の地下資源量です。それが残念ながら、日本の地熱発電設備容量は世界で10位。ポテンシャルを持っているのに、10分の1ぐらいしか開発ができていません。開発がなぜできていないかというと、日本の中規模以上の地熱発電所で最も短期間で開発できたのは12年です。12年開発にかかるということは、事業決定した経営陣が退任し、次の世代になってしまい、開発事業の承継がうまくいかないことがあります。開発に長期間かかる事業が、日本の上場会社でできるかということがあります。
地熱は、地表に兆候が出てきます。兆候が出ている場所の地熱発電は、もうほぼ全て開発が終わりました。あとは地下1~3km下のものを掘って当てないと、地熱発電はできません。そうなると、掘り当てるのに成功する確率が悪くて、外れた場合には、埋め戻すことになるので、掘った費用を全部一括損金処理しないといけません。そうなると上場企業の場合、この事業は株主に対して問題があると判断されるのではないかと思います。町おこしエネルギーは上場企業ではないので、リスクのある地熱開発も前向きにトライできます。私は、残りの人生をかけてやっていきたいという強い覚悟を持っています。
当社は、地熱発電の探査から操業までをパッケージにしました(図3)。例えるならば「家」です。家を大工さんが建てたら、できるまでに半年かかります。しかし、大手のハウスメーカーさんが建てる場合、基礎ができたら、何日かで組み立てて建てることができます。それと一緒です。地熱開発の場合は、配管だけなので約2か月でできます。日本は林業が衰退しているということもあって、山道である林道はガタガタで細い。そこで、狭い山道を自走できるようにキャタピラーがついたヒートホール調査用の自走式掘削機を開発しました。やぐらもいらないので、掘削機がアームを上げて、地下1km以上掘っていきます。残念ながらこの機械は日本のオペレーターでは使えないので、海外に会社を作って、掘削技術者として10年以上経験のある方を採用しています。

図3
また、日本には5MW以上に対応可能な大型の汽水分離器(地熱熱水を 蒸気と熱水に分離する装置)がありませんでした。それで、自社設計で、10倍の圧力に耐えることができる移動式の汽水分離器も作りました。そして、現役の掘削業者の方々は、ほとんどが60~70代です。あと10年もすれば、この特殊な技術を持った方々が全ていなくなるという危機感から、掘削技術者の人材育成や技術継承のために掘削技術専門学校も開講しました。
全部まとめてパッケージ化することによって、今回は6年かかりましたが、次からは3~5年で地熱発電ができるようになると思います。最初の設計に2年半かかりましたが、次からは設計は要りません。これだけでも約2年短縮できるので、5年以下のモデルはできると思っています。今まで開発から操業まで15~20年かかったので、採算が合いませんでした。これが3~5年で操業できたら、地熱発電は24時間稼働しますし、ボイラーも燃料も不要です。操業してからは、油井管と外のセメントのメンテナンスが問題として考えられます。セメントは強アルカリですので、酸性のものとは相性が悪い。しかし、中性とか弱アルカリ性であれば、50年、100年はびくともしません。つまり、操業してからは、中性のpH7以上という前提がつきますが、50年、100年はもちます。
社会問題をビジネスチャンスに変える!
社会的な問題が放置されていたら、私どもがその問題をビジネスチャンスに変えることができれば、次世代のためにもなると思います。放置されているというのは、時代に合わないから放置されているということが前提です。それを合うようにすることは、業務スーパーでもできますし、ソーラーグレージング®でもできます。地熱でもはっきりとした問題点があったから、ポテンシャルはあっても放置されていたというだけの話です。エネルギーの自給率は、今までは地下資源がないから低くても仕方なかった。日本の輸入品の9割弱が化石燃料です。それによって日本は貿易赤字という大きな問題を抱えてしまっています。貿易赤字の大きな要因となっている化石燃料の輸入が、再エネ開発により不要となる可能性も十分あると思ってます。
日本は、国土が縦長ということもあり北海道から九州の電力系統が、くしを刺したように見える「くし形」に連携しています。電気の流れを監視・制御しやすいというメリットもありますが、離れたエリア間で大容量の電気を融通することが難しいというデメリットもあります。欧州は陸続きということもあり、国際的な電気取引がしやすい「メッシュ状」系統で、再エネの普及にも好影響があったといわれています。
電力は、需要と供給のバランスをとらないと、周波数に乱れが生じ、発電所の発電機や工場の機器に悪い影響を与え、最悪の場合は大規模停電につながってしまいます。発電量が天候によって左右されてしまう太陽光などの再エネ由来の電気を電力系統に導入する際には、火力発電などで発電量を調整しています。化石燃料に頼らないようにするためにも、今後、さらなる電力の地域間連携が拡大されるように考えていかなければなりません。
今は、多くの車はガソリンを燃料にしています。しかし、何十年先も車がガソリンで走行しているかというと、そうではないと思います。ガソリンや軽油から徐々に電気の割合が増えています。EVでも水素を含む燃料電池に対応するためには、ベース的な電源は必要です。
今、オーストラリアと日本の共同プロジェクトで褐炭水素プロジェクトがあります。オーストラリアには褐炭が大量にあります。褐炭に酸素を加え、高温で蒸し焼きにすることでガスを発生させ、水蒸気を加えると水素と二酸化炭素に変わります。しかし、水素を日本に運搬するには、できた水素をマイナス253度で冷却し液化しないといけません。冷却するためのエネルギーはどこから来ているのかを考えると、そのプロジェクトを今、進めて本当にいいのか。いいはずがないと私は思っています。技術開発者の皆さんのおかげで水素の水展開は効率が良くなっています。しかし、液化のためにマイナス253度まで冷却するエネルギーはかなり大きく、コストもかなりかかるのではないかと思います。
一つの例ですが、遊休地になっている畑があります。そこに電柱を1本立てます。飛び地であっても、太陽光パネルを置く。そこにEVステーションや燃料電池のステーションを作ったら、電力を圧縮させるだけです。褐炭から取り出した水素を液化するためのエネルギーもいりません。運搬もないのでコストも圧倒的に違います。具体的な数字で言うと、太陽光では1kWhあたり10円以下です。電気は託送料金、系統に積むコストが高いのです。系統というのは、高圧に乗って低圧に持っていく。もしくはその逆です。それを自営のステーション内ですれば、コストが圧倒的に安くなります。これが実践できれば、耕作放棄地が減り、もし災害が起こっても太陽光で蓄電され、太陽光水電解すると水素燃料ができます。再エネで蓄電できれば、そこを避難所にすることができます。それが地域分散型にもつながります。
再エネは、それを高く売ればいいという時代はもう終わります。私は、それが地域の方々や次世代のためになるかどうかということが、事業モデルを考えるときの重要なポイントとなるのではないかと考えています。先ほどの例にも関連しますが、もし地域の耕作放棄地にEVステーションがあれば最低限の熱量をキープできるので、震災が起こったときに避難所にすることもできます。震災後に避難された方が災害関連死で亡くなってしまうこともありますが、電力があればそれに歯止めをかけることができるのではないか、それが今後の再エネではないか、と考えています。
そういった考えもあって、町おこしエネルギーという会社を作りました。「町おこし」は、地域活性、地方創生を意味しています。「エネルギー」は、輸入に頼らず、エネルギー自給率アップを目指し、純国産エネルギーを作るということで、会社名を考えました。
二枚貝のアサリやシジミは、海外産のものを国産と偽装したニュースを聞くことがあります。なぜ偽装されるのかというと、国産のアサリやシジミの収穫量が激減しているからです。その理由は、魚と同じように二枚貝は放卵放精をします。放卵放精の時期に、梅雨とか線状降水帯で雨量が急激に増えると、川から大量の水が流入するので、放卵した卵が割れてしまいます。それを着床するまでサポートしようということで、当社では人工孵化や成長をサポートし、地熱発電の熱水を利用してヤマトシジミの完全養殖を行っています。他にもオニテナガエビの養殖やフルーツや野菜のハウス栽培にも熱水が利用されています。「町おこし」のプロジェクトとして、再エネ事業を多様な産業に展開し、雇用を生み地域経済の活性化につなげています。
日本の地下には地熱という大きなエネルギーがあります。地熱開発のやり方を変えれば、地熱発電量がぐっと上がります。再エネのバイオマス発電では、原料の安定供給の確保や収取、運搬、ボイラー管理をしないといけません。地熱発電は操業して最初の2か月だけ徐々に強くなりますが、一旦強くなるとその後は安定します。ボイラー燃料も不要ですし、24時間安定しメンテナンスも1週間に1回、バルブ調整だけでいいんです。
再エネ事業をするのに、木を伐採したり、予定地にパネルをびっしり張ったりするような環境破壊につながる開発をするのは論外です。太陽光パネルは遮光するので、利用する場合は条件があります。当社の場合は、全て太陽光パネルは両面パネルを使います。価格も片面に比べると高いのですが、両面パネルの利点は、例えば雪の多いところでは、雪面の反射で稼働でき、いち早く雪を解かすことができます。また、両面にすることで地面からの反射光を吸収し稼働率を上げることができます。両面パネルの裏面は表面と異なり、様々な方向から反射した光を吸収できるため、方角やパネルの設置角度がベストでなかったとしても、効率的に反射光を吸収できます。片面パネルは、パネル裏にバックシートを貼るので、透過性がありません。両面だとセルと強化ガラスなどで透過性が上がります。
先ほども言いましたが30億円の投資をして、木々の伐採抜根、切土、盛土して造成するのを2年で引き受けてくれる業者さんはいません。土地の造成からスタートする再エネ事業は、耕作放棄地を利用するのに比べて2年間ロスタイムになりますし、そもそも土地を造成するという論理が再エネ事業の場合は通じないと思います。再エネ事業であれば、森林を守る、なおかつ畜産も守る。そして、新しい再エネは、もうけるだけではなく、その系統の負荷や託送料の上昇も考えなくてはいけません。今後、このようなことを考えて、ビジネスモデルを作れば、太陽光発電でも「乱開発をしてどうするんだ」という問題はなくなっていくと思います。
私は次の再エネでは、ハードとソフト(技術力、コスト、小売り、システム)の融合がポイントになってくると思っています。再エネだけではなく、そういう部分がビジネスモデルとしてたくさんあると思います。今後、ファミリービジネスが夢と希望を次世代につなぐ新しいビジネスモデルを作っていくのではないかと期待しています。
[1] パーツアッセンブル方式:レシピをもとに、自社工場などで原材料を加工し専用パーツ(食材)を製造、店舗で専用パーツを組み合わせて調理することで本格的なメニューを短時間で提供できる仕組み。
[2] IQF:「Individual Quick Frozen」 の略で、個別急速冷凍を意味する。
[3] 農地所有適格法人:農地等の権利を取得し、農業を行うことのできる法人。法人が農地等の権利を取得するには、農地法第3条により、農業委員会の許可を受けることが必要。農地法第2条第3項に規定する農地所有適格法人の要件を満たしていないと許可できない。
[4] FIT制度:再生可能エネルギーの固定価格買取制度。電力会社による全量買い取りが前提。どの時間帯に売電しても収入は一定で、市場価格変動リスクを遮断。
[5] FIP制度:市場価格に一定の補助額も交付する制度。再エネ事業者が売り先を決める柔軟なビジネス。市場価格に応じて収入は変動するが、収入額はFITと同程度。市場化価格を踏まえた発電シフトなどにより、他電源の調整コストを抑制することができる。
パネルディスカッション
<パネリスト> 堀場 弾氏、沼田 昭二氏

<司会>岡田 将稔氏
(三菱UFJ銀行ファミリーオフィス 室長/神戸大学大学院経営学研究科 客員教授)
パネルディスカッションの趣旨
岡田 三菱UFJ銀行ファミリーオフィス室長の岡田です。最初に自己紹介とファミリービジネスについてお話をして、その後に沼田会長、堀場社長とパネルディスカッションさせていただきます。
私は神戸大学MBAを2011年に修了、2018年に神戸大学経営学研究科にて博士(経営学)を取得しました。2022年から神戸大学のファミリービジネス研究教育センターで客員教授を務めています。現在は神戸大学MBAでファミリービジネス講座を担当しています。
今回のテーマはファミリービジネスです。図は、左側がノンファミリービジネス、右側がファミリービジネスのモデル比較の表となります。ノンファミリービジネスは、所有(オーナーシップ)と経営(ビジネス)から構成されるモデルです。「所有」は株主であり、「経営」は主に取締役会の方々になります。ノンファミリービジネスでは、コーポレートガバナンスの強化に向けた様々なルール作りが広く進められています。

所有(オーナーシップ)と経営(ビジネス)が分離しているということが、ノンファミリービジネスの特徴になっています。そのため株主が経営者をモニタリングするために、社外取締役の設置や監査報告を求めます。また、経営者に株主と同じ方向を向いてもらうために、役員報酬の一部が自社株で支払われたりしています。つまり経営者に株式を持ってもらった方が、株主と経営者のベクトルは合うのではないかと考えているわけです。このようにエージェンシー理論[1]の考え方に基づいた様々なガバナンスの方法が導入されています。
一方、ファミリービジネスは、所有(オーナーシップ)と経営(ビジネス)と家族(ファミリー)から構成されるモデルです。ファミリービジネスは、所有(オーナーシップ)と経営(ビジネス)と家族(ファミリー)が密接に絡みあい、バランスを取っていかなければならないという特徴があります。
創業家のメンバーが自社株式を保有したうえで、経営メンバーにも入っていることをファミリービジネスの定義として考えた場合には、上場企業の約4割程度がファミリービジネスであり、非上場企業では、9割以上がファミリービジネスといわれています。日本企業の多くがファミリービジネスであることを考えますと、ファミリービジネスについて研究する価値が非常にあると考えています。
それではパネルディスカッションに移らせていただきます。一つ目の質問は、上場企業になっても、創業家が長期の経営戦略に関与している「ファミリービジネスの強み」について、お伺いしたいと思います。また課題と感じている部分があれば、あわせてコメントいただければと思います。
二つ目の質問は、「ファミリーガバナンスの重要性」についてお伺いしたいと思います。ファミリービジネスが永続的に発展するためには、コーポレートガバナンスに加えて、ファミリーガバナンスが重要であるという研究があります。
コーポレートガバナンス強化の仕組みづくりが進む中で、堀場家ではどのような「ファミリーのガバナンス」が行われてきたのか。創業者の雅夫様、厚会長、弾社長の3世代で何がどのように承継されてきたのかを、堀場社長にお聞きしたいと思います。
ファミリービジネスでは、先代が経営を引き継いだ後、後継者に任せきれずに復帰するケースをよく見かけます。沼田会長の「神戸物産を2017年に退任してから、会社に行かないようにしている。次の世代に任せたからには口を出さない」というお話には大きな含意が含まれていると感じています。沼田会長には博和社長との関係性について、お伺いしたいと思います。
三つ目の質問は、「事業承継の要諦」についてお考えをお聞きしたいと思います。堀場社長は、今後事業承継を受ける可能性が高い立場でいらっしゃいます。沼田会長は、次世代に事業をお渡しになった方です。受ける側、渡す側、それぞれのお立場から円滑な事業承継について何が重要だと考えるか、コメントをいただきたいと思います。
まず、最初の質問について、堀場社長からお願いします。
ファミリービジネスの強み
堀場 オーナーシップとビジネスとファミリーという三つは、かなり複雑に絡んでいると思います。
まず、信頼できるというところが、一番強いのではないかと思います。やめないということを前提に、責任のあるポジションにつけるチャンスがあり、何かを任せられるにしても、学びと経験が積める時間をもらえる。そういった立場でいうと、信頼関係が軸にあるからこそ、受ける方はそれをしっかり積み上げることができるのではないかと思います。
一方で同族としては、責任を果たしていくという覚悟を持っているかどうかによって、自身のベクトルの傾きは変わってくるのではないかと思います。何かを判断していく、何かを決めていくときに、自分が軸ではなくて、会社を軸に考えられるというのも強みだと思います。逆に同族の方でなくても、それができる、そういう判断ができる方は、会社の中においても信頼が高く、パフォーマンスが高くなる傾向にあるのではないかと思います。
沼田 堀場さんがおっしゃったように、この質問は結構難しくて、私は博和君の好きなようにやってくれたらいいと思っています。どうしても駄目であれば、会社のため、従業員のために売ることも考える。しかし、可能な限り会社を残したいというのが本音です。
一緒に仕事をしている従業員は、息子よりも家内よりも一緒にいる時間が長いです。町おこしの従業員の多くは神戸物産から来てくれて、今も私の会社をサポートしてくれています。だから、子どもや家族と同じように従業員を大切にしたいし、それが頑張れる原動力になっていると思います。
これは質問とは直接関係ないですが、日本は相続税が非常に高い。これは個人的に問題だと思っています。私の子どもたちが次の代に相続するときには、相続した時点で会社としてのダメージがかなり大きいと思います。日本の場合は、ファミリービジネスに対して良い、悪いというご意見はあると思いますが、私はそれよりも、相続税に問題があるのではないかと考えています。
子どもや孫だけでなく一緒に働いて苦労してくれる従業員も同じようにかわいいです。答えからはずれているかもしれませんが、今の正直な気持ちです。
創業ファミリーが継承するもの
岡田 企業の寿命には限界はありませんが、事業の寿命には限界があります。事業の寿命を超えて、企業の永続性について考えるときに、経営陣には長期的な視点が必要になります。そして、長期的な視点で行われる企業経営は、ステークホルダー全員にとってWin-Winの関係を創り出していく必要があるのだと思います。
「ファミリービジネスの創業家だから良い」という単純なお話ではなく、「長期的な視点で、事業ポートフォリオの入替を行い、企業の永続性を目指していく」、このあたりに重要なヒントがあるのではないかと、今のお二人のお話を伺いながら思いました。
二つ目の質問は、「ファミリーガバナンスの重要性」について伺いたいと思います。ファミリービジネスの永続性を志向する場合、コーポレートガバナンスの強化だけではなく、創業家のファミリーガバナンスの仕組みづくりや、様々な無形資産を含めた伝承が重要であるという研究があります。お二人はどのように思われますか。
堀場 3世代という意味で言うと、創業者と約2年間、経営について直接話をすることができる時期がありました。HORIBAは技術をベースにしている会社ですが、私は文系なので、技術のコアな部分まで理解を深めることができないことがありました。そこは私の弱みでもあると思い、どう自分自身がふるまっていくかというような話や経営に向かう姿勢なども創業者と話しました。そこから、いろんなヒントやアドバイスをポジティブにもらえたことが、自分自身を支えている部分でもあります。ファミリー憲章みたいなものは全然ないんですが、コミュニケーションを通じて受け取った言葉、父親と話してきた言葉は、経営にポジティブに反映できるのではないかと感じます。
コーポレートガバナンスという意味では、会長、副会長、社長、役員のメンバーがいて、個人というよりは会社をどういうふうに導いていくのか、あるいは創業者との時間は、私よりもそういった方々の方が仕事を通じて一緒に過ごしてきた時間は長く、直接いろんな学びやコミュニケーションをとっているので、そういったものをわれわれの世代に引き継いでいってくださいという話もしています。創業者の意思あるいは堀場家の意思というものを、できるだけそういった周辺の方々にも吸収してもらいながら、それを私だけではなくて次の世代に受け取れるような形に持っていければ、一番良いのではと考えています。
沼田 親が大切にしてきた思いや覚悟は、きっと受け継いでくれるはずという気持ちが正直あります。自分が作った会社なので、自分が一番わかっていて扱いやすいのです。それを博和君が成長させていくということは、非常にありがたいことなんですけど、やはり一番大切なことは、継いでくれた彼が一番しやすいようにするということだと思います。
博和君が神戸物産に入社することは状況的に難しいと考えていましたが、彼がいろいろと考えて入社することを決めてくれました。理由は何にしろ、私は継いでくれることが本当にうれしかったですし、非常にラッキーだったと思っています。
私がスーパー2店舗の有限会社の社長になったのが31歳です。失敗の経験をいくつも積んで、それが次の糧になっています。博和君が入社したときには、彼を東証プライムの社長にしようと考えました。それで、入社した次の年には部長、その次の年には取締役、入社3年目には代表取締役社長に就任させました。入社したときから、会議があれば必ず私の横にいてもらいました。入社したばかりだったので、当然、専門用語も含めて全く何も分からなかったはずです。私が神戸物産を辞めるときには、「この会社は、私が一番能力を出せるように作った会社だ。だから博和君が同じことをする必要はない」と言いました。それと同時に、取締役全員を呼んで、「明日から私はもう来ないので、博和君の言うことを聞いてください」と伝えました。神戸物産を辞めて6年半の間に、お世話になった方が来られたときの2回のみ神戸物産に行っただけで、仕事に対してクレームはもちろん、自分の意見を伝えるようなことは一度もありません。
実際、良いところ悪いところはあるかもしれませんが、継いだ後の6年半、今の時代に合うような神戸物産の形になっていっているのではないかと、外から見て思っています。これはどちらがいいのではなくて、大切な家族に会社を継いでもらったので、創業者とやり方が違っていても、それはそれでいいと思います。
私はがんがステージⅣだったので、私利私欲は絶対出さない、残りの人生は次世代のために使うと願掛けをしました。その10年後に脳幹脳梗塞を患いました。博和君が入ってくれた時点で、後を継いでもらう段取りでやっていましたが、思い切って別会社を作って、神戸物産を博和君に渡しました。博和君と一緒に神戸物産で仕事をしていた4年間は非常に思い出深いし、うれしい時期でした。博和君を信じて神戸物産を渡したのは、結果として良かったと思ってます。
質問の答えになっているかどうか分からないですが、私は、そういう渡し方も一つの例としてありだと思っています。
事業承継の秘訣
岡田 お二人のお話には二つポイントがあると思います。
一つは、ファミリービジネスにとって必ずしも親族のみが重要ではないということです。日本は「イエ制度」という概念が浸透していた国です。「イエ制度」におけるファミリーメンバーの概念は、必ずしも親族のみを表しているものではなく、番頭さんやその他の関係者も含めた広義のものでした。そういった広い範囲で、ファミリーガバナンスを捉えていただきたいと思います。
もう一つは、「最も言ってはいけないタイミングで、最も言ってはいけないことを言ってしまうのが親族」だということです。これは「感情的なやりとりが許される家族(ファミリー)の立場」と「合理的な判断が求められる経営(ビジネス)の立場」が入り混じる、ファミリービジネスならではの奥深い問題だと思います。あらためてお二人のお話から伺えるご家族との信頼関係が素晴らしいことが、事業承継の秘訣なのだと感じました。
それでは三つ目の質問です。将来的に事業を受ける立場の堀場社長、事業を承継した立場の沼田会長、それぞれのお立場から、事業承継の要諦についてお考えをお聞きしたいと思います。
堀場 二つポイントがあると思っています。一つ目は、沼田さんから全てご説明されたポイントで、経験と学びの機会を持てるということです。沼田さんは、承継される前の4年間を通じて一緒に会議に出ていたというお話をされました。その後、辞められてから6年半で会社に2回しか行っておられないということですので、承継されてから全く経営に関与されてないということです。逆の立場で言うと、これはすごくありがたくて成功のポイントではないかと思います。
私も子会社で責任者をしていますが、プライム市場企業ですのでその子会社を超える大きな投資とか契約とかは、承認を取っていかないといけません。相談をしないといけないときもありますが、私の裁量でできる限りのところは自分でやっているつもりです。そこにできるだけ介入されない方がやりやすいです。おそらく、言いたいことはたくさんあると思いますが、あえて介入しないのか、ある程度、納得してくれているのかは分かりませんが、これは結構大事なポイントではないかと思っています。これは同族企業だからではなくて、皆さんにとっても自分の責任下でできる裁量の中で、自由に仕事ができるというのは、すごくやりがいにつながると思います。それとニアリーイコールで、親族だからということではなくて、自分の裁量の中で自由にできる。もし間違えても、その失敗から自分の学びに変えて次に活かすことができますし、失敗する前に直されたら失敗しないかもしれませんが、結果、学びのベクトルはそんなに上がらないと思います。そういう意味では自分の裁量でやらしてもらって、失敗も含めて自分で経験させてもらえるというのはすごくありがたいことで、承継の要諦につながるのではないかと思います。
あとは私自身もそうですが、いろんな厳しい環境とかを乗り越えなければいけません。自身のチャレンジの壁や厳しい判断をしていくというところは、もう自身で乗り越えるしかないと思います。それも同族だけではなくて皆さんも同じだと思います。そういう経験を積んでいくことによって、自分がこの形を作ってきた、自分がこれを描いてきた、あるいはやればやるほど、その会社の思いも強くなると思いますので、経験を積んでいくことによって、承継で受け取る方もそうですし、任せる方も「これだけ経験しているから任せられる」と意識が変わっていくのではないかと思います。
沼田 堀場さんと全く同じ考えです。まず、私の場合は息子に継いでほしいという気持ちが非常に強かった。最初に会社を設立した31歳のときから、その後の失敗の経験が自分のためになっているので、言葉で説明するよりも横にいてもらって、自分で感じてほしいと思っていました。一番難しいのは、親子関係は互いの距離を本当にしっかりと注意しないと、言ってはいけないことを言ってしまいます。私はそういう友達をたくさん見ています。ずっとサポートしてきたのに、たった1回の言ってはいけない言葉で、今までの努力が全部無駄になってしまうことがあります。
今回、シンポジウムが始まる前に、私は堀場さんに「プレッシャーは感じていらっしゃいますか」とお聞きしました。私は、創業者でありトップダウンで経営している立場なので、プレッシャーはほとんど感じたことがなく私には分からないことなんです。自分がしていたことがあっていたのかどうか、そして今後、親子として、任せた相手として、博和君にどのような距離感で接するのが一番いいのかを、堀場さんに教えてほしかったのです。ですから、堀場さんがおっしゃったことが、特にファミリービジネスの事業承継には必要だと感じています。
Q&A
岡田 ありがとうございます。本当に学びの多いコメントをたくさんいただきました。会場の方からも、ご質問を受け付けたいと思います。
質問者1 今回は、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございます。私もファミリービジネスに娘婿という形で関わっていますので、非常に興味深く聞かせていただきました。お聞きしたいのが、お二人にとって仕事をする上で、または人生でいろんなことを意思決定する際に、中心に置いている価値観、考えがどういったものなのか、ということです。厳しい環境に自分を置くという話はお聞きしましたが、さらにもっと深いところに自分が置いているものはどういうものなのか、教えていただけたらと思います。
堀場 私は常にベストを尽くすことだと思います。「おもしろおかしく」という社是が、気を楽にしてくれるという部分もあります。仕事においても家族との時間、自分の趣味の時間もそうですけど、常に自分のできる限りのことをやる。それをやって失敗すれば、しょうがないと思いますし、仕事においてもできる限りのことをやって、難しければしょうがないし、スケジュールも仕事、家族、趣味とバランスが取れるようにできるだけやっています。そこが一番根本にあると思います。
沼田 私の場合は時期によって違います。業務スーパーは、多くの方の協力で成り立っています。いろいろな技術も教えていただき、相談もさせていただいて、作り上げていきました。ベースにあるのはそういう方々への感謝です。年が年なので、子どもや孫の世代の方々に、自分が今まで多くの方々からのサポートで事業家として生き残ってこられたことを、どう伝えられるかです。
次世代のため、次世代の日本の国のために利益を生む循環を作らないとせっかく作ったものが途絶えます。利益を生む循環を構築するには、今までサポートいただいた経験を活かせるかどうかです。創業者として、何が一番大切かというと、私は考えることだと思っています。常に考え抜くことによって、ビジネスモデルはできるといつも考えています。
岡田 ありがとうございます。他にはいかがでしょうか。
質問者2 自分が受け取る側の責任を感じているものの、継ぐことが明確でない状況で、どんなふうに自分を作っていけばよいのか。堀場さんの「確たる自分」というお話は、まさに自分で一つずつ築いておられるものだと思いますが、そのときの要諦をアドバイスいただけたらありがたいです。沼田会長には、渡す側が主導権を持っているときに、受け取る側は、どんなスタンスでいればいいのか、アドバイスをお願いできればと思います。
堀場 そうですね。私の経験で言うと、前所属の子会社から今の子会社に移る過程の中で、海外のメンバーを含めて、自分の考えを共有する機会は結構ありました。それは次の中長期計画に関わることなんですけど、その辺の議論をさせてもらう中で、自分の考え方とかこうしていきたいということを共有したときに、共感して自分の仲間になってくれる人たちが出てくるというのはすごく大事だと思いました。
これは自分だけで持てる自信ではないと思います。いろんなことをぶつけてみたときに、ここは間違っている、ここは正しいということを、対話を通じて共感者を増やしていく。自分の共感者が増えていくと、この提案や意見は、自分だけが言っているものではないという自信だけではない土台ができます。周りのメンバーも含めて同じ意識や意思を持ってやろうとしている提案にまとまってくると、預ける方もその意見に対してリスペクトを持ってくれますし、受け取る方も、自信を持ってその意見を持っていけるので、このプロセスは大事だと思います。
要は同じベクトルになる人たちをいかに増やしていくか、ということと、その人たちとの壁当ての中で意見をまとめて、それが小さい球ではなくて大きなボールになる状態にすることは、大事なことだと思っています。直接的な回答になっているかどうか分からないですけど、そういったところで雪だるま式に自分の考えを大きくしていくとか、受け取るにしても周りの意見を聞きながら、こういうプロセスだとうまくいく、と自分自身で納得できれば、やりやすくなると思います。
岡田 ありがとうございます。沼田会長はいかがですか。
沼田 質問いただいた方の会社にはお世話になっているのに、適切な答えがなくて申し訳ないです。御社は、包装加熱のものなど惣菜的な保存食の製造をされていると思います。特に佃煮は日本の伝統的な保存食なので、米文化がベースになります。しかし、日本の食文化の変化がありますので、行動自体を変えるぐらいの大きな転換がないと佃煮や煮豆などの保存食文化が戻るのは難しいのではないかと思います。
そこを次の世代の方が勇気を持って、今の食文化に合った柱となる商品を作る。長期保存ができる商品でないと、少子化の世代では生き残れないと思います。将来的に成長が見込まれるのは、レトルトのラインではないかと思います。新しい製造方法などを、新しい経営者の方が入って考えていかないといけないのではないかと思います。
岡田 ありがとうございました。では、加護野先生からコメントをいただきたいと思います。
加護野 大変面白かったです。創業者は、何の制約もなく自由に考えて経営してこられたので、事業承継が難しいと思います。継がれた方は、いろんな制約のもとで考えなければならない。次に伝えていく際には、苦労したことを振り返った上で、承継されるのだと思います。堀場さんにお伺いしたいのは、親父さんとの会話で、承継について何かあればお願いします。
堀場 初代の祖父は哲学的なところがあり学者肌だったこともあり、経営という断面でいくと、父とは意見が合わなかったそうです。2代目が経営面を成長させて、3代目の私の父は特にグローバル経営を進めてきました。創業者は現場で仕事を0から1を作っている中で、会社の経営もしないといけないという、両輪を回しながら進んでいきます。継いだ者はそれをどう成長させていくかということだと思います。沼田会長もおっしゃっているように、世代によって役割は変わっていると理解しています。
岡田 今回は、沼田会長、堀場社長から大変貴重なお話をお伺いできたと思います。ご登壇いただきありがとうございました。ご参加いただいた皆さまもありがとうございました。
[1] エージェンシー理論:情報の非対称性を前提。契約関係をプリンシパル(委託者、株主ないし投資家本人)とエージェント(代理人、経営者)の関係として捉え、エージェントの行動がプリンシパルの利害と一致しないときに発生する問題の構造を明らかにし、その問題に対処する方法を考察する理論。
