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書籍紹介

杉林弘仁(著)
『日本発グローバル・ラグジュアリー・ブランド:明治~戦前昭和のミキモトのグローバル・マーケティング史』

栗木 契(神戸大学大学院経営学研究科 教授)

碩学叢書、中央経済社、2023年

 

 ミキモトは、真珠などの高級宝飾品を取り扱うブランドとして知られている、日本を代表するラグジュアリー・ブランドである。

 本書には、このミキモトの明治から戦前昭和期のおよそ70年にわたる日本、ヨーロッパ、アメリカの三市場での活動が、これまでの二次資料に加え、経営学研究で使用されていなかった新たな一次史料を用いて記述されている。そのうえで本書は、ミキモトがグローバルにブランドを構築していった過程の経済合理性を、歴史叙述を踏まえて解き明かす。

 本書の執筆者である杉林弘仁氏は、神戸大学大学院経営学研究科で学んだ実務家である。本書の充実した記述は、同氏の真摯な学術研究への姿勢に加えて、長らくラグジュアリー・ブランドにかかわってきた実務家としての経験に裏打ちされている。本書の魅力のひとつは、史資料の読み解き方などに、ブランド・ビジネスに取り組んできた同氏の視角が活かされていることである。

 ラグジュアリー・ブランドとは、単に高額であるだけではなく、文化と創造性に満ちた商品を手がけることで広く知られるブランドである。日本には、優れた性能や品質の製品で世界に知られる企業は多くあるが、ラグジュアリー・ブランドの世界で名をはせる企業は少ない。そのなかにあって、ミキモトは日本の数少ないラグジュアリー・ブランドの代表的存在となっている。

 ミキモトのグローバル・ラグジュアリー・ブランドとしての歩みは古く、戦前の昭和期にはすでにその地位を確立している。本書では、日本、ヨーロッパ、アメリカに広がる事業の記述を、同社の社史などの二次資料に加えて、海外の出張員や各支店からの書簡(手紙)という一次史料を用いて進めている。この書簡を用いることで、社史や回顧録などではとらえることができていなかった、当時の社員たちが直面していた、その場、その時の状況や出来事の展開をつかむことができるようになっている。さらに本書では、これらの書簡の内容を、当時の写真や新聞記事、カタログやパンフレットなどの関連史資料と付き合わせることで、書簡という史料の弱点ともいえる断片性を補いながら、ミキモトがどのように事業を展開していったかの記述を進めている。

 こうした本書の記述が可能となったのは、ミキモト真珠島の真珠博物館に残されていた書簡が2010年頃から整理され、活字化(テキスト化)されていったからである。本書はこの新しく利用が可能になった一次史料を用いることで、戦前期までのミキモトのグローバル事業の理解についてのミッシングリンクをつなぎ合わせていく。この作業を通じて、当時国内では宝飾品のブランドとしての地位を確立していっていたミキモトが、海外では養殖真珠という素材ブランドとして受け入れられていったことなどが新たに明らかになっている。

 本書は、戦前期のミキモトが、グローバル・ラグジュアリー・ブランドとしての地位を確立していくプロセスにおいて、国内外でマーケティングのアプローチを柔軟に使い分けていたことを描き出している。そして、この柔軟なアプローチの経済合理性を、A.スミスの分業論、取引費用論、国際製品ライフサイクル論などを踏まえて確認している。

 本書は、埋もれていた史資料を掘り起こすことから生まれる、企業の歴史の新たな理解を提示するとともに、この発見物の経済学や経営学との整合性を検討している。ブランド論や経営史学に関心をもつ実務家や研究者に向けて新たな一石を投じる書籍である。