特集
試されるコミュニティ・スクール
ー待ったなしの教育危機に経営学は何ができるかー

  • 松嶋 登 (神戸大学大学院経営学研究科 教授)

 「待ったなしの教育危機」が、昨今の新聞紙面やウェブをにぎわせている。特に初等教育における学校行事の大幅な縮小や、部活動の廃止、その背景にある教員の過重労働、教員のなり手不足など、もはやわれわれが受けてきた教育制度は崩壊寸前にあると言えよう。しかし、第111回ワークショップの狙いは、昔は良かったというノスタルジアに浸ることでも、これからの子どもたちの未来を憂う悲観論を展開することでもない。むしろ、この教育危機が、新たな教育制度をつくりだすチャンスであると捉えたい。そのために、教育危機に対して準備されてきた各種教育政策の意図や、そうした政策以前からも行われてきた学校経営の先進的な事例にも触れていきたい。そして、われわれが知る学校という枠組みを超えたコミュニティ・スクールをはじめとした新しい教育制度の意義、さらにはこうした取り組みに積極的に関与する企業の可能性を、ワークショップの参加者とも議論し、広めていきたいと考えたのである。

「待ったなしの教育危機」の本質

 教育危機の具体的な問題に関しては、登壇者の皆さまからご紹介いただいた内容をワークショップ開催記録で読んでいただけるので、ここで網羅的なレビューを行う必要はないであろう。また、表面化している問題一つひとつに反応していては、問題の本質を見過ごしてしまう。それ以前に、危機意識も共有されていないかもしれない。現役子育て世代の親でさえ、何が起こっているかを理解している人は少ない。ましてや、子育て世代でない人には、何を騒いでいるのかと思われる向きもあろう。そこで、まず、小学1年生と3年生の親でもある私自身の観察から、現役の子育て世代ではない方々にも、教育危機を実感していただきたいと思う。

 まず、コロナ禍において、学校行事がほとんどなくなってしまったことは、想像に難くないであろう。運動会や音楽会はもちろん、あまり感染予防に関係ないと思われる野外活動もことごとく廃止されていった。それ自体は、仕方がない問題でもあろう。われわれが違和感を感じるのは、コロナ禍が落ち着いた今でも、これらの活動がもとに戻ることはなかった点である。このような違和感を覚えるうちにメディアをにぎわせるようになったのが、教員不足の問題や、残業時間が過労死レベルに達していることから、学校における働き方改革が必要であるという内容である。そして、そのことがコロナ前の学校行事が戻らないことを正当化しているように映るわけである。

 世の中の保護者たちは、徐々に学校教育に対する怒りや諦めの感情を抱くようになっている。もっとも初期は「コロナ禍が終われば何とか回復するだろう」と期待し、今もなおそう期待する人たちもいよう。また、さまざまに唱えられる教育危機に対して「もっと教員を増やせばいいではないか」という反応や、「教員の給料を上げればいい」という指摘もある。さらに、コロナ禍と共に進んだ働き方改革に批判的な立場の人からは、教員の怠惰を指摘する声も少なくない。こうした怒りはまだいい。どうせ教育制度は変わらないであろうという諦めのもとで、せめて自身の子どもには良い教育を受けさせようと、良い学区を選んだり、公教育に見切りをつけて私立学校を選択したりするという傾向も強まっている。そして、最後には教育には金がかかるのだというため息がつかれることになる。

 しかし、こうした反応は、常識的であっても正しくはない。教育と経済格差に関しては、経営学だけでなく社会学や教育学などいろいろな研究領域で議論されてきているが、共通して挙げられるハード・エビデンスがある。一つは、家庭の収入と学歴には相関関係があり、高学歴ないし偏差値の高い大学に入学する子どもは高収入の家庭からしか出ないことである。もう一つは、本人の学歴と収入には相関関係は確認されない。つまり高い学歴を得たところで収入にはつながらない。この二つのハード・エビデンスのうち、前者が意味することは、学歴はもはや経済格差を映し取っているに過ぎないということになる。アメリカをはじめ海外では、こうした状況がかなり以前から進んでおり、今や日本の大学生が先進諸国の海外留学に自費で行くことは、ほとんど不可能となっている。もちろん、海外の大学には、優秀な学生に給付タイプの奨学金というインセンティブが用意されており、授業料が高くなる一方で給付タイプの奨学金を縮小している日本よりましなのかもしれない。そして、後者はもっと深刻である。学歴が収入につながっていないということではなく、社会で生き抜いていく力が、高学歴を目指す教育の中では身についていないという事実である。もちろん、こうした生き抜く力は、もともと学習指導要領に記載されている教育内容でもなければ、そもそも学校に期待することでもないかもしれない。だとすれば、子どもたちは、その生きる力をどうやって身につけてきたのだろうか。

 もちろん、それは「隠れたカリキュラム」として学校教育を「通じて」身につけられてきた部分もあろう。厳しい受験勉強をくぐり抜けたことでタフになり、いじめも厳しい社会関係に耐え抜く訓練だと、昭和世代はいうかもしれない。しかし、結果としては、圧倒的な自己肯定感の低さが日本の子どもたちの特徴として表れるようになって久しいのである(例えば、内閣府「特集1 日本の若者意識の現状~国際比較からみえてくるもの~」『令和元年版 子供・若者白書』など)。こうした動きの背後にある、最も大きな問題は、子どもたちの教育に関わる親や地域、企業などの当事者意識のなさ、また、持ちようのなさである。良い学校を選ぶという保護者の当たり前のような行動は、自身は教育に直接的には関わらない、あるいは関われないという認識から生まれている。この脆弱な当事者意識こそ、今日の教育危機の正体なのである。

コミュニティ・スクールと地域学校協働活動の一体的推進

 他方で、教育を学校任せにせずに、子どもたちの保護者、地域、さらには企業が教育に関わるような政策は、すでに始まっている。それが、コミュニティ・スクール(地域運営協議会制度)であり、地域学校協働活動だが、教育学分野ではその政策がよく知られているものの、一般的にはほとんど知られていないといってよいであろう。例えば、コミュニティ・スクールという言葉は、残念ながら子育ての主役ではなかったビジネス・パーソンの男性の多くは、今でもご存知ないかと思う。さらに言えば、地域学校協働活動ないし地域学校協働本部という仕組みは、現役の子育て世代の人の多くも聞いたことがないというだろう。

 学校運営協議会制度(コミュニティ・スクール)は平成29年(2017年)4月1日に施行された地方教育行政法第47条を根拠とした、「地域と共にある学校」への転換を図るための仕組みである。具体的には、学校長が作成する学校運営の基本方針の承認や学校運営、教職員の任用、教育委員会規則に定める事項について教育委員会に対する意見陳述を主としたものである。つまり、学校経営の意思決定に保護者や地域住民が参加するという枠組みが設けられた。他方で、このコミュニティ・スクールの仕組み自体は、教育実務には関わらないということになる。

 それゆえに、「社会に開かれた教育課程」を実現するために、平成29年(2017年)3月の社会教育法の改正で立法化されたのが、地域学校協働活動である。コミュニティ・スクールと一体的に推進する位置付けが与えられ、「学校を核とした地域づくり」を目指して、学校と保護者やPTAはもちろん、地域に住む高齢者や学生などの住民、さらには民間企業や外部団体と行う連携活動である。ここで重要なのは、地域学校協働活動の目的が、教育そのものではなく、地域づくりにあるという点であろう。自らの生活世界を支える地域をつくる活動が、学校外のさまざまな学びの機会(社会教育)につながっていくという考え方なのである。

文部科学省「学校と地域でつくる学びの未来」より

 今の教育制度の法的立て付けとしては、とりあえず上述の二つを理解するだけでも十分であろう。なぜなら、保護者としてこの仕組みを理解すれば、さまざまな行事を廃止する学校への落胆や、より良い教育を提供してくれる学校に入学させようという考えが、いかにズレているかがわかるからである。決定的に欠けているのは、保護者だけではなく、地域住民や、さらには民間企業もその一員として意思決定に関わり、学校と共に社会教育に関わって活動する主体であるという認識である。

協働関係を作るための組織のマネジメント

 ここで、経営学の最も基本的な概念を紹介しておきたいと思う。それは「組織」という概念である。実務家のチェスター・バーナードは、「組織とは二人以上の人々の意識的に調整された協働体系」と定義している(Barnard, 1983)。これは、世界で最も有名な組織の定義でありながら、とても難解な「つまずきの石」であることでも有名だ。この難解さを克服する鍵が、組織の定義に含まれる「協働体系」に対する理解であり、協働体系を「効率的」で「有効的」に作るマネジメントの考え方になる。

 あえて単純化して言えば、組織の目的を達成する協働を作るマネジメントは、われわれの日常に浸透している経済学的な前提では理解できない。経済学では、基本的に人々は経済的利害を最大化するために行動すると仮定する。だとすれば、マネジメントとしては、例えば従業員との関係で考えると、企業はなるべく低い賃金で従業員を雇いたいと考えることになる。仕入れ先の企業からも、なるべく安く資材や部品を調達しようとする。それが効率的なマネジメントであり、その結果として得られるコスト競争力をもとに、企業として最大の利益を残すことが、有効的なマネジメントになる。

 バーナードの協働のマネジメントに対する考え方は、このような考え方とは全く異なっている。バーナードは、組織に参加するさまざまな立場の人々との間に「誘因≧貢献」の関係を結ぶことをマネジメントの肝要とする。簡単に言えば、組織からもらう誘因の方が、組織に尽くしている貢献の量よりも大きいか、少なくとも等しいという関係を結ばないと、組織を支える協働体系は維持できないという前提である。この前提で考えると協働のマネジメントもガラリと変わる。効率的とは、組織に参加する人たちの満足の程度を示すという。確かに、組織に参加する人々の貢献を最大限に引き出すには、誘因を多くすれば良い。問題はそれがいかに可能であるかであるが、組織にはさまざまな立場から利害が異なる人々が参加している点がポイントになる。そこでは、金銭的な報酬のみならず、組織に参加して得られるさまざまな誘因を立場が異なる参加者にいかに提供していくか、さらには気づかれていない誘因を意識させる「誘引と説得の経済」が目指される。そして、組織全体として有効的なマネジメントとは、組織の目的を達成するために協働を結ぶ参加者の満足の総和として判断される。念のために繰り返しておくと、この考え方は、研究者ではなく、米国AT&Tの子会社として1927年に新設されたニュージャージー・ベル電話会社の初代社長であったバーナードが自らの管理者としての経験から導いたものである。

試されるコミュニティ・スクール

 組織として参加する人々の満足を最大化する協働体系を作るマネジメントを経営学の基本的な考え方から見直しただけでも、今日の教育制度のあり方の理解が深まるであろう。子どもたちの生きる力を育む教育は、学校を中核としても、決して閉じられたものではない。まず、コミュニティ・スクールとして学校運営に対する意思決定が社会に開かれている。われわれは、もはや外部の傍観者ではなく、意思決定の当事者として学校経営に関わっている。

 さらには、学校経営の外部から、子どもたちの社会学習の活動を担うことを通じて、地域づくりを行なっていくのが、地域学校協働活動である。かつてのPTAのように、学校のために何かやるとか、やらせられるといった組織ではない。地域学校協働活動は、そこに参加するさまざまな立場の参加者に「誘因≧貢献」の関係を結ぶ、効率的かつ有効的なマネジメントが必要になる。なお、この地域学校協働活動全体を調整する管理組織のことを、地域学校協働本部と呼ぶ。

 今回のワークショップのテーマに「試されるコミュニティ・スクール」という言葉を選んだ。これは、われわれが新しい教育制度であるコミュニティ・スクールが使い物になるのかを試しているのではなく、はたしてコミュニティ・スクールを受け入れ、地域学校協働活動を担う社会になっているかという意味で、われわれの方が試されているという意味である。「教育は、社会のリトマス試験紙のようなものだ。」この言葉は、ワークショップに第一報告者としてご登壇いただいた、神戸市教育委員会の三善先生からお聞きしたものである。

 コミュニティ・スクールおよび地域学校協働活動という教育制度それ自体は、新しい法的立て付けに根拠を持つものでありつつ、この仕組みを支える活動自体は昔からあったことも触れておきたい。有名なものとして長野県伊那市立伊那小学校では60年以上も前から、時間割も通信簿もない、地域の林業や農業などの体験学習を中心とした「カリキュラム・マネジメント」が行われている。さらに、その体験学習を担っているのが、地域の林業を支えている保護者や地域住民たちである。そうした人たちによって構成されている地域が、また教育に関わっていく循環が現に存在しているのである。他にも、科目横断的に課題を探究する「総合学習」の仕組みも、多様な学びの機会として応用可能な仕組みである。実際、第三報告者の石原氏から、総合学習に企業が関わることで、子どもたちの社会学習と地域づくりが極めて効率的かつ有効的に実現した、コープおきなわの取り組み事例を紹介いただいた。

 もちろん、今日、われわれが直面する教育危機は、かつての問題とは比較できないほど根が深くなっているのかもしれない。問題解決のためには、現在利用可能なあらゆる手段を利用しなければならない。第二報告者の大熊氏からは、5G・IoTデザインガールがITプラットフォームを通じて、学校と地域をつなぐ先進的な提案を提示していただいた。ワークショップの開催記録を、ぜひあわせて拝読いただきたい。


<引用文献>
● Barnard, C. I. (1938), The Functions of the Executive, Harvard University Press(山本安次郎・田杉競・ 飯野春樹(訳)『新訳 経営者の役割』ダイヤモンド社, 1968年)

● Snyder, B (1973), Hidden Curriculum, MIT Press.

● 文部科学省「学校と地域でつくる学びの未来」 https://manabi-mirai.mext.go.jp/torikumi/chiiki-gakko/ (2023年8月1日アクセス)

● 内閣府「特集1 日本の若者意識の現状~国際比較からみえてくるもの~」『令和元年版 子供・若者白書』 https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/r01gaiyou/s0_1.html (2023年9月1日アクセス)