特別寄稿
神戸大学発バイオベンチャーのイノベーション戦略 Ⅱ

  • 山本 一彦 (神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科 教授、神戸大学大学院経営学研究科 教授(兼務))
  • 岩田 清和 (神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科 博士課程後期課程)

 本稿は、神戸大学経済経営学会が発行する「国民経済雑誌」第226巻第1号(2022年7月)に株式会社バイオパレットのケーススタディとして寄稿した「神戸大学発バイオベンチャーのイノベーション戦略」の第二弾として、株式会社シンプロジェン(以下、「シンプロジェン」という。)を事例として取り上げ、ディープサイエンス系ベンチャー企業のイノベーション戦略のポイントについて考察を行うものである。

1.はじめに
      ~「バイオものづくり」の潮流とバイオファウンドリ~

 生物のDNA1)を人工的に操作する遺伝子工学は1970年代から発展を続けている。特に近年では、遺伝子工学を駆使して改良した生物機能の活用を念頭においたSynthetic Biology(合成生物学)やEngineering Biology(工学生物学)といった学際的な分野が急速に発展し、健康・医療、農業・水産・食品、消費財・サービス、化学品・エネルギーなどを含む広範な産業へ波及しようとしている。2020年にMcKinsey Global Instituteが発表した「The Bio Revolution」2)によると、バイオテクノロジーを基盤として形成される産業の世界市場は2030~2040年に年間2兆ドルから4兆ドルに達すると予測されている(図表1)。

 

 この潮流を支えている要素が、バイオテクノロジーとデジタルテクノロジー双方の大きな進歩と、それらの融合による生物資源情報3)のデジタル化の飛躍的進展である。これらを背景として、微生物などの細胞(宿主細胞4))を改変して特定の物質を生産することを目指す「バイオファウンドリ」と呼ばれる企業が出現した。生物機能を活用した物質生産は「バイオものづくり」と呼ばれるが、「バイオものづくり」分野における一連の事業活動において、「宿主細胞開発」とその細胞を用いた物質の「生産プロセス開発」(スケールアップ検討)から構成される研究開発を「ファウンドリサービス」として提供するプラットフォーマーがバイオファウンドリである(図表2)。代表的なバイオファウンドリとして、Amyris社、Ginkgo Bioworks社、Zymergen社の3社(いずれも米国)が挙げられる。我が国においても、2022年6月に岸田内閣が打ち出した「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」5)において、「バイオものづくり」が科学技術・イノベーションへの重点投資領域として明記され、バイオファウンドリへの注目が高まっている。

 

 バイオファウンドリの競争力の源泉は、物質生産用の高機能な細胞(「スマートセル6)」と呼ばれる)の創出における「データアセット」の蓄積である。「データアセット」とは、生物の遺伝情報と物質生産機能との関係性についてのデータから構成された情報資産であり、Design(設計)、Build(構築)、Test(試験)、Learn(学習)の4つの工程から構成されるDBTLサイクル(図表3)を回すことによって蓄積される。DBTLサイクルは、ビジネスにおけるマネジメントサイクルであるPlan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)のPDCAサイクルのように、一連のステップを通して得られた知見を次のサイクルへと活用し、継続的な改善・進歩を促すワークフローである。DBTLサイクルを効率的に回すためには、各工程を構成する要素技術のパフォーマンスが重要となることは言うまでもないが、その中でもDBTLサイクルの基盤要素技術として位置付けられるのが、ゲノム編集とDNA合成(バイオテクノロジー)、そして、ロボティクス、オートメーション、AI(デジタルテクノロジー)である。

 

 

 「バイオものづくり」における直近での大きなトピックとして、COVID-19のパンデミックにおけるワクチン供給に際して、世界各国が医薬品の製造能力とサプライチェーンの重要性を目の当たりにしたことは記憶に新しい。これが契機のひとつとなり、世界の主要国が、バイオファウンドリにおける主要な活動である「宿主細胞開発」と「生産プロセス開発」だけでなく、下流の事業活動となる商用スケールでの「製品生産」と「製品販売」までを含めた“Biomanufacturing(バイオ製造7))”の考え方を重視し、国家安全保障上の課題として戦略策定を行い、投資を開始している。米国では、2022年9月にバイオ製造のイノベーション促進を目的とする大統領令8)が発出され、それを受ける形で2023年3月には、ホワイトハウスの科学技術政策局が「Bold Goals for U.S. Biotechnology and Biomanufacturing」9) を、米国国防総省が「Biomanufacturing Strategy」10) と題する文書をそれぞれ発表した。

 「バイオ製造」が重視される理由を理解するには、半導体産業の歴史を参照するのがよいだろう。半導体産業の初期においては、自社で半導体の設計から製造までを一貫して行う垂直統合型のIDM(Integrated Device Manufacturer)と呼ばれる半導体メーカーが主流であった。集積回路の微細化の進展によって回路設計が複雑化していくと、自動化ツールが取り入れられるなど設計手法に技術革新が起こるとともに、設計ソフトが普及し、IDM以外でも半導体設計を行える環境が形成されていった。一方、微細化は製造設備への投資額の増大をもたらした。このような背景のもと、製造設備を持たずに半導体の設計に特化するファブレス11)半導体メーカーが台頭していった。この流れの中で、半導体の委託製造のニーズを的確に捉え、微細加工技術と製造設備への積極的かつ戦略的な投資を継続することで製造ノウハウを蓄積し、半導体チップ製造(半導体製造の前工程)における圧倒的地位を築き上げたのがTSMC社(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)である。 TSMC社のように半導体チップの受託製造に特化する「ファウンドリ」や、半導体製造の後工程を受託する「OSAT(Outsourced Semiconductor Assembly & Test)」 の出現によって、半導体業界の水平分業化が大きく進むこととなった。現在、日本や米国は、半導体のサプライチェーンにおいて、生産の機能を台湾や韓国などの特定の国に大きく依存する状況となっており、この点が経済安全保障上の課題と位置付けられている。

 「バイオものづくり」においても、半導体産業において水平分業化が進んだ背景と同様の状況が生じつつある。「バイオものづくり」の出口となる産業は多岐にわたるが、図表4のように分類されており12)、特にレッドバイオ分野(医薬品産業)においてその状況が顕著である。医薬品モダリティ13)の進化・多様化と相まって、「生産プロセス開発」の機能や「製品生産」のための設備を持たないベンチャー企業等が創薬シーズ創出の中核となっており、高品質な医薬品を迅速に低コストで委託開発・委託製造することへのニーズが格段に高まりつつある。最先端のモダリティの製造に対応できる技術・機能の確保と製造インフラ(製造プラットフォーム)の構築によって、バイオ医薬品の開発製造受託機関(Contract Development and Manufacturing Organization: CDMO)におけるプラットフォーマーが出現する可能性がある。現に米国においては、National Resilience社など、新規モダリティのバイオ製造に特化する企業も出現している。

 

 本稿では、独自のDNA合成技術を基盤として、「バイオものづくり」における合成DNAの提供とレッドバイオ分野でのバイオファウンドリ事業の展開を図る神戸大学発バイオベンチャー「株式会社シンプロジェン」を取り上げ、ディープサイエンス系ベンチャー企業のイノベーション戦略におけるケーススタディとして紹介する。

2.神戸大学発バイオベンチャーの事例研究
      ~シンプロジェンのイノベーション戦略~

 ケーススタディでは、はじめにシンプロジェンのコア技術となっているDNA合成技術に関して、技術発展と産業化の概要を示す。続いて、シンプロジェン設立の背景と経緯、および、シンプロジェンの2つの事業の立ち上げと内容について、技術戦略、知財戦略、事業戦略の観点から説明する。そして最後に、財務戦略、組織戦略の観点からシンプロジェンの成長の過程を紹介する。

2.1 DNA合成技術の発展と産業化【技術戦略】
2.1.1 短鎖DNA合成技術

 DNA合成技術とは、DNAの構成単位である塩基(A、T、G、C)を化学的に繋げていき、DNAを創り出す技術である。DNA配列を解析するシークエンス技術14)はDNAを「読む」技術と表現されるが、DNA合成技術はDNAを「書く」技術であるといえる。200塩基程度までのDNAを化学合成する手法として現在も主流となっているホスホロアミダイト法は1981年に開発された。この手法を用いてDNAを合成することでDNA合成市場が誕生し、2022年には世界のDNA合成市場は約30億ドル規模にまで成長している。

 ホスホロアミダイト法によるDNA合成では、合成反応を行う担体として多孔質ガラス(Controlled Pore Glass: CPG)を用いるCPG法が長年主流であったが、その後、インクジェット技術や半導体技術などの導入が進み、多種類のDNAをシリコン基板上で同時並行的に合成する技術(マイクロアレイ法)を採用する企業も出現している。短鎖DNA(200塩基程度までの短いDNA)の先端的製造技術といえるマイクロアレイ法では、約10万種類のDNAを並列して合成することが可能であり、短鎖DNA合成において圧倒的な価格破壊を引き起こした。この手法を採用してDNA合成市場におけるリーダーとなった企業が、米国サウス・サンフランシスコ市に拠点を置くTwist Bioscience社(以下、「Twist社」という。)である。同社は、1塩基当たり0.07~0.09ドル(2022年時点)という非常に低価格で300~5,000塩基のDNAを合成して、アカデミア、バイオベンチャー、複数分野(製薬、化学、食品、飲料、化粧品など)の大手企業にDNAを供給している。

2.1.2 長鎖DNAの需要の高まりと長鎖DNA合成技術

 DNA合成技術は2つの方向性で進展している。1つ目は短鎖DNAを効率よく合成するもので、マイクロアレイ法はその代表的な例である。2つ目の方向性はより長いDNA(長鎖DNA)を合成するというものである。数千塩基程度までのDNA配列であれば、DNA合成受託サービスを利用することにより短期間で入手することも可能となってきた。一方、「バイオものづくり」においてスマートセルを創出するためには、例えば微生物のDNA配列を単一遺伝子単位で逐次改変を行うのは効率が悪く、複数遺伝子(遺伝子クラスター)単位で改変することが求められている。また、遺伝子治療15)用製品におけるウイルスベクター16)産生用DNAやmRNA医薬17)における鋳型DNA18)など、医薬品分野においても長鎖DNAの需要が増大している。さらに、DNAの先進的用途として、DNAを情報記録媒体として利用するDNAストレージが注目され、マイクロソフト等の企業がこの分野の研究に投資を行っている。長鎖DNAの代表的な用途を図表5に示す。

 

 ホスホロアミダイト法で合成可能な長さを超えるDNAを合成する場合は、複数のDNA断片を集積していく手法が用いられる。既存の手法として、Golden Gate法やGibson Assembly法といった手法が1万塩基程度までのDNA合成手法として使用されている。さらに長いDNAを合成する技術としては、細胞を利用する手法があり、酵母や枯草菌を用いる集積手法が報告されている(図表6)。酵母を用いる手法としては、ゲノム19)研究の世界的第一人者であるクレイグ・ヴェンター(Craig Venter)が設立したクレイグ・ヴェンター研究所が開発した手法が有名である。この方法は2016年に同研究所から発表された人工的に全合成されたゲノムを持った世界初の生命体「ミニマルセル」の作製にも利用された。

 枯草菌を用いる手法は、現在シンプロジェンで取締役 / エグゼクティブ・リサーチ・フェローを務める柘植謙爾らによって開発された。枯草菌は、納豆を作り出す菌として日本人に馴染みがある細菌であるが、DNAの取り込み機構等においてユニークな特徴を有しており、この特徴を活かしたDNA集積法として利用されている。

 

 ゲノムレベルの長鎖DNAを合成する潮流は、国際的なプロジェクトにも表れている。ヒトの全ゲノム配列を解読するために1990年にヒューマンゲノムプロジェクト20)が開始され、13年をかけて約30億塩基対におよぶヒトゲノムの塩基配列が決定された。このプロジェクトにおける技術蓄積が次世代シークエンサー21)の開発につながり、DNA解析コストの圧倒的な低下をもたらした(図表7)。そして2016年、ヒトゲノムの全合成を目指してゲノムプロジェクト・ライト22)(GP-write)が米国の研究者を中心に立ち上げられた。これによって、DNAを「読む」ことから「書く」ことへと重点が移り、新たな産業のドライバーとしてDNA合成技術が大きな脚光を浴びている。

2.2 シンプロジェンの設立と知財の集約【技術戦略】【知財戦略】
2.2.1 神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科と株式会社科学技術アントレプレナーシップ

 神戸大学は2016年4月に新たな独立研究科として神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科を開設した。同研究科は、理系の大学院生に、科学技術上のブレークスルー(発見・発明)を生み出す能力にとどまらず、ブレークスルーを経済的・社会的価値の創造、つまりイノベーションにつなげる能力も獲得させることを目標としている。

 株式会社科学技術アントレプレナーシップ(以下、「STE社」という。)は、神戸大学発ベンチャーの投資育成に特化したシード・アクセラレーターとして2016年2月に設立された。STE社は、教員や学生からの事業化の相談に対応するとともに、創業期の資金提供、チームビルディング、事業創造のための技術戦略、知財戦略、事業戦略および財務戦略の検討、さらには事業計画書の作成に至るまで、研究成果を社会実装するための包括的かつ実践的なサポートを行っている。

 本稿の筆者である山本は、科学技術イノベーション研究科において教職を務めるとともに、STE社の共同創業者・取締役として神戸大学発ベンチャーの創業支援・投資育成に主導的に関与している。

2.2.2 シンプロジェンの設立

 シンプロジェンはSTE社による創業支援のもと、2017年2月に神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科発のベンチャー企業として設立された。シンプロジェンの設立から遡ること約1年前、神戸大学においてバイオ生産工学・合成生物学の研究を統括していた近藤昭彦は、長年にわたりDNA 合成法の研究を行っていた柘植を、自身が研究科長を務める科学技術イノベーション研究科に迎え入れた。柘植は学生時代以来、一貫してDNA合成の研究を行ってきたこの分野のスペシャリストであり、枯草菌を用いるDNA合成技術であるOGAB®法Ordered Gene Assembly in Bacillus subtilis)の発明者である。神戸大学に赴任後もDNA合成の研究を継続してOGAB®法を進化させ、重要な研究成果を生み出していた。その研究成果を中核とするDNA合成技術の事業化を目的として設立されたベンチャー企業がシンプロジェンである。創業メンバーは柘植、近藤、山本であり、柘植、近藤が創業時に取締役に就任し、代表取締役には山本の知人であり、複数のバイオベンチャーの経営経験を持つ村瀬祥子を迎え入れて会社としての活動を開始した。なお、シンプロジェン(Synplogen)の社名には「精確に長鎖DNAを合成する」という意味が込められており、柘植により“Synthesis of precise and long genomic DNA”を由来として名付けられた。

2.2.3 OGAB®法に関連する知財の集約

 柘植は神戸大学への赴任前に複数の研究機関においてOGAB®法の研究を行ってきたことから、柘植が発明者であるOGAB®法に関連する特許が複数の機関に分散する形で存在していた。特に、三菱ケミカル株式会社(旧:三菱生命科学研究所)が有していたOGAB®法の基本特許、および、慶應義塾大学が元々の出願人であり、慶應義塾大学が高機能遺伝子デザイン技術研究組合(通称:TRAHED)に譲渡していた第二世代OGAB®法の特許については、シンプロジェンが柘植のDNA合成技術を基盤とする事業を行うにあたって必要不可欠となる特許であった。

 そこで、シンプロジェンは、事業基盤構築の第一歩として、これらの知財の集約を行うこととした。各所有機関と交渉の上、OGAB®法の基本特許については2017年11月に、第二世代OGAB®法の特許については2017年4月に有償にて譲り受け、シンプロジェンが権利者となった。さらに、柘植が神戸大学赴任後に発明し、神戸大学が出願していたOGAB®法の応用技術であるCombinatorial-OGAB法の特許についても、2019年4月に神戸大学との間で独占的実施許諾契約を締結した(図表8)。これらの結果、シンプロジェンはOGAB®法を事業として利用できる唯一の機関となった。

2.2.4 シードファイナンスと戦略的パートナーシップ

 コア技術となるOGAB®法に関する知財の集約を完了したシンプロジェンは、2018年9月、Spiber株式会社(以下、「Spiber」という。)を引受先とする第三者割当増資により1億円の資金調達を実施した。

 Spiberは、関山和秀と菅原潤一が中心となって2007年に設立された慶應義塾大学先端生命科学研究所発のベンチャー企業である。同社は人工クモ糸を用いた機能性と環境性能を兼ね備えた次世代素材「Brewed Protein™」の開発と生産に取り組んでいた。SpiberではDNAを改変した微生物を用いてBrewed Protein™の生産が試みられており、シンプロジェンが有する長鎖DNA合成技術であるOGAB®法は微生物による物質生産の効率を向上させるために極めて魅力的な技術であった。

 そこで、シンプロジェンはシードファインナンスの引受先であるSpiberと戦略的パートナーシップを締結し、本格的な事業活動を開始した。また、新たな経営体制としてSpiberの共同創業者・取締役である菅原がシンプロジェンの代表取締役に就任するとともに、Spiberから2名が取締役としてシンプロジェンに参画した。

2.3 DNA合成サービス事業【技術戦略】【知財戦略】【事業戦略】
2.3.1 DNA合成サービスの立ち上げ

 シンプロジェンは最初の自社事業として、OGAB®法を活用したDNA合成サービスの立ち上げに取り組むこととした。そのための設備として、2019年7月に神戸医療イノベーションセンター(KCMI)内にDNA合成用のファクトリーを構築し、研究員1名を採用してDNA合成サービスをスタートした。

 OGAB®は、バイオテクノロジーといえる枯草菌の性質を活用した技術であるが、複数段階の工程から構成され、精密な操作が必要となる工程を含んでいる。手作業によってOGAB®法によるDNA合成を行った場合、合成の歩留まりは作業者の熟練度合に大きく影響される点がOGAB®法を商業化する上での大きな課題であった。その課題を解決するためには、バイオテクノロジーとデジタルテクノロジーを融合した統合的なDNA合成プラットフォームを構築することが必要であった。具体的には、最適な集積用DNA断片の設計のための専用ソフトウェア(情報科学的手法)の開発、DNA断片の合成と集積作業におけるロボティクス・自動化システムの導入等である。

 シンプロジェンの創業当初、神戸大学の特命准教授であった柘植は、神戸大学での研究を本職としながら、シンプロジェンの共同創業者・取締役として関与していたが、2020年4月には神戸大学からシンプロジェンへと所属を移し、自らの全精力をシンプロジェンの事業の成功へ注力することを決断した。そこで、柘植とコンビを組んでOGAB®法によるDNA合成サービスの立ち上げに尽力したのが林謙太郎である。林は、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科でシステムバイオロジー23)を専攻して博士号を取得した後、マサチューセッツ大学での博士研究員、日本イーライリリー株式会社の研究開発本部での勤務を経て、2020年4月にDNA合成サービスの事業開発マネージャーとしてシンプロジェンに加わった。

 KCMIの設備における事業立ち上げが順調に進み、2020年10月には、KCMIに隣接して建設されたクリエイティブラボ神戸(CLIK)へDNA合成施設を大幅拡張し、国内最大規模のDNA受託合成拠点を構築した。以来、幅広いDNA配列の受託合成を行いながら、DNA合成工程のブラッシュアップを継続することで、塩基あたりのDNA合成コストを着実に低下させている。現在も、林が中心となり神戸大学大学院システム情報学研究科 太田研究室と共同でOGAB®法専用のソフトウェア(「OGAB designer」「OGAB guard」)開発に取り組むなど、さらなるデジタル化を図っている。

2.3.2 新たな価値をもたらす技術 Combinatorial-OGAB法

 シンプロジェンのDNA合成サービスに新たな価値をもたらした技術がある。柘植が神戸大学への赴任後に新たに開発したCombinatorial-OGAB法である。これは、OGAB®法によって合成した複数種類のプラスミドDNA24)を構成単位のDNA断片に分解し、それらのDNA断片を材料として再集積を行うことで、数千〜数万パターンの多様なDNAライブラリー25)を作製する技術である。この技術の特筆すべき点は、DBTLサイクルとの親和性が極めて高いことであり、DBTLサイクルと組み合わせて使用することで、微生物開発等における高速スクリーニング法として有用なツールとなることである(図表9)。

2.3.3 シンプロジェンのDNA合成サービス

 OGAB®法Combinatorial-OGAB法を基盤としたシンプロジェンのサービス概要を図表10に示す。

 

 シンプロジェンはこの2本立てのDNA合成関連のビジネス展開によって、他社にはない特徴的な受託サービスを提供している。これらのサービスを通してシンプロジェンではDNA合成の実績を着実に積み重ねており、柘植が研究機関に在籍していた時点から累積すると、OGAB®法によるDNA配列の合成実績は300種類以上におよぶ。また、これまでに受託したDNA配列の合成における成功率は99%(2023年4月時点)に達しており、これらの実績はシンプロジェンの技術力の高さを示している。

 米国の先行企業であるTwist社は、短鎖のDNAを低価格で顧客に提供することによって、市場シェアを急拡大させ、短鎖DNA合成市場を寡占化する戦略を取っている。同社の他にも競合企業が複数存在する短鎖DNA合成市場において価格競争を行うことは得策とはいえず、シンプロジェンはTwist社を含む他のDNA合成企業とは得意とする市場を明確に棲み分ける戦略を採用している。

 OGAB®法は、10万塩基までの長いDNAを合成するだけでなく、従来技術では合成難度の高かった配列(偏りのあるGC含量26)やリピート配列を含むDNA)を合成できることも大きな強みとなっている。この特徴は、「集積用DNA断片の設計・合成における独自技術」、「枯草菌が持つユニークな性質」、そして「蓄積されたノウハウ」などの複数の要素によってもたらされている。この強みも活かし、シンプロジェンは長鎖または合成難度の高いDNA、もしくはその両方の特徴を兼ね備えたDNAに特化したサービスを展開している(図表11)。そのため、価格競争に巻き込まれにくく、短鎖DNAの合成と比較すると、相対的に高い価格水準を維持している。

2.4 遺伝子治療バイオファウンドリ®事業【技術戦略】【知財戦略】【事業戦略】
2.4.1 遺伝子治療を取り巻く環境

 遺伝子治療とは、これまで治療が困難であった疾患を根治できる可能性を秘めた新たな治療手段であり、患者の体内へ送達する治療用の遺伝子を搭載した人工ウイルス(「ウイルスベクター」と呼ばれる)が治療薬として利用される。ウイルスベクターの製造工程において、プラスミドDNAは製造原料として利用されており、その品質改善と製造コスト低減が遺伝子治療の産業的普及において極めて重要な課題となっている。

 遺伝子治療の臨床試験の件数は近年著しく増加しており、大手グローバル製薬企業も遺伝子治療を開発するベンチャー企業との連携にM&Aを含む多様な手段を用いて盛んに取り組んでいる。遺伝子治療は、重篤な疾患を持つ患者の命を救う新たな治療手段として急速に拡大しており、再生・細胞医療・遺伝子治療の世界市場規模は2030年には7.5兆円、2040年には12兆円に拡大すると予測されている27)(図表12)。遺伝子治療用製品の開発が活発化する中、遺伝子治療薬で使用するウイルスベクターの需要も世界的に急増している。2020年時点で、既に治験に必要となるウイルスベクターの需要に対して供給が追いつかない状況となっており、現在も世界的に深刻な供給不足の状況が続いている。

2.4.2  遺伝子治療関連事業の立ち上げ

 シンプロジェンは、DNA合成サービスに加えて、遺伝子治療を自社注力事業分野として選定した。この事業の立ち上げにあたって中心的な役割を果たしたのが齋藤俊介である。大日本住友製薬株式会社(2022年4月、「住友ファーマ株式会社」に社名変更)において製剤の研究開発を行っていた齋藤は、2019年4月から神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科の博士課程後期課程に社会人学生として入学し、遺伝子治療用ウイルスベクターの製造および品質管理に関する研究を行っていた。齋藤は指導教員の一人でもあった山本とのコミュニケーションを通じて、シンプロジェン独自のDNA合成技術を遺伝子治療分野に活用するイノベーション・アイディアを着想し、その事業化に取り組むことを目指して製薬企業を退職し、2020年4月にシンプロジェンに参画した。

 遺伝子治療用ウイルスベクターの製造においては、ウイルスベクターを産生するための細胞(宿主細胞)にウイルスベクターの設計図となるプラスミドDNAを入れ込むことによって目的のウイルスベクターを宿主細胞に産生させるが、例えば遺伝子治療において主流となっているアデノ随伴ウイルス28)(Adeno-Associated Virus: AAV)ベクターの製造においては、トリプルトランスフェクション(Triple Transfection)と呼ばれる3種類のプラスミドDNAを同時に宿主細胞内に導入する手法がスタンダードとなっている。すなわち、AAVベクターの製造にはその原料として3種類のプラスミドを用意する必要があり、このため、AAVベクターのGMP(Good Manufacturing Practice:医薬品の製造管理および品質管理の基準)29)準拠の製造(以下、「GMP製造」という。)に要するコストの約4割は製造原料となるプラスミドDNAの製造コストであるといわれている。齋藤のアイディアは、シンプロジェンの長鎖DNA合成技術を活用して、AAVベクターの産生に必要となる設計図を全て組み込んだ1種類のプラスミドDNAを合成することで、AAVベクターの製造コストを圧倒的に下げるプロセスイノベーションを起こすというものであった。

 シンプロジェンへ入社した齋藤(2023年4月より取締役)は、この技術をオールインワンプラスミド™(All-in-One Plasmid™)と名付け、柘植らと連携してコンセプト検証を開始した。まずはOGAB®法によってオールインワンプラスミド™を合成できるか否かが重要ポイントであったが、合成に成功して順調にコンセプト通りの初期実験データが得られ、2020年11月、オールインワンプラスミド™に関する2件の基本特許の国内出願を完了した。これらはシンプロジェンが出願人となった初の特許出願であり、OGAB®法関連の基本的な特許に加えて、OGAB®法を応用した特定分野の事業に競争優位性をもたらす重要な知的財産となった。本特許出願は1年後のPCT出願30)において早期審査の申請を行い、各国で審査が進められているが、2件のうち1件は日本において2022年7月に特許査定31)となり、早期の権利化を達成している。

 シンプロジェンは遺伝子治療関連事業のための専門人材の採用を着実に進めていった。2022年1月には、日本ロシュ株式会社および中外製薬株式会社においてバイオ医薬品の製造プロセス開発に約30年間携わっていた細胞培養のスペシャリストである高木良智が執行役員として参画した。高木はオールインワンプラスミド™を含むシンプロジェンの独自技術も活用した製造プロセス開発のための基盤構築に取り組んでいる。試験法開発等の分析関連業務の立ち上げについては、2021年1月にシンプロジェンへ参画した和田和洋が担っている。和田は複数の外資系製薬企業での勤務を経た後、バイオベンチャーでの遺伝子治療薬の開発経験を有している。さらに、2022年10月には、品質保証体制構築の担当者として高橋加奈子が参画した。高橋は塩野義製薬株式会社でワクチンを含む非固形製剤の開発や品質保証に携わっており、CMC(Chemistry, Manufacturing and Control:医薬品の製品化研究)32)に関する深い知見を有している。

2.4.3  遺伝子治療バイオファウンドリ®

 遺伝子治療バイオファウンドリ®とは、事業分野を遺伝子治療に限定した専門分野特化型バイオファウンドリであり、シンプロジェンが遺伝子治療分野における事業展開として独自に開発したサービスである。

 一般的な「バイオものづくり」のバリューチェーンにおいては、「ファウンドリサービス」で特定の物質(目的物質)を生産するスマートセルを開発した後、スマートセルを用いた「目的物質(原料)生産」、その原料を使用した「製品開発」、そして「製品生産」との流れになるが、遺伝子治療薬においては、スマートセルによって生産するウイルスベクターそのものが製品となるため、「目的物質(原料)生産」が「製品生産」であり、図表14のとおり、「目的物質(原料)生産」および「製品開発」のステップが省略され、「ファウンドリサービス」に続くステップは「製品生産」となる。また、遺伝子治療薬の「ファウンドリサービス」を細分化すると、「配列設計・DNA合成」、「細胞開発」、「生産プロセス開発(スケールアップ検討)」の3つのステップとなる。これら3つのステップに、これらに並行して行われる「試験法開発」と、製品生産における「品質管理」を加えた内容が遺伝子治療バイオファウンドリ®のサービス対象となる(図表13および14)。

 

 シンプロジェンでは、この遺伝子治療バイオファウンドリ®・サービスによって、遺伝子治療薬の探索研究を行う製薬企業や創薬ベンチャーから、遺伝子治療薬の開発過程におけるCMCに関わる業務を受託する。さらに、GMP製造が可能な国内外の企業と連携することで、遺伝子治療薬の早期実用化に貢献する一気通貫の開発・製造プラットフォームを構築している。

 なお、シンプロジェンは、本サービスの対象となる遺伝子治療薬のモダリティとして、サービス開始時はAAVベクターを使用する遺伝子治療用薬に集中し、現在は、レンチウイルス(Lentivirus: LV)33)ベクターやmRNA医薬・ワクチンに対象モダリティを拡大している。

2.4.4 GMP製造パートナーとの連携と顧客企業の獲得

 シンプロジェンでは、上述の一気通貫の開発・製造プラットフォームを構築するため、社内での遺伝子治療バイオファウンドリ®・サービスの構築と並行して、GMP製造が可能なパートナーの模索を行ってきた。その結果として、2022年12月、シンプロジェンは日本マイクロバイオファーマ株式会社との間でプラスミドDNAのGMP製造について、また、Merck社(独)との間でウイルスベクターのGMP製造について、それぞれ協業を行う旨の基本合意書を締結したことを発表した。

 そして、2022年12月、遺伝子治療バイオファウンドリ®・サービスの顧客企業の獲得にも成功している。第1号の受注案件となったのは、シンプロジェンと同じくポートアイランド(神戸市中央区)内に拠点を有する株式会社VC Gene Therapyが実用化を目指す遺伝子治療用製品の生産プロセス開発および試験法開発である。

 さらに、2023年3月、遺伝子治療用製品の製造プラットフォームのより一層の強化を目的として、富士フイルム株式会社(以下、「富士フイルム」という。)との業務提携契約の締結を発表した。富士フイルムは、シンプロジェンが保有する高度なプラスミドDNA合成技術・ノウハウにアクセスし、同社の重点領域であるバイオ医薬品の開発・製造受託事業の応用展開を図るとともに、バイオ医薬品用のプラスミドDNAおよびウイルスベクターのグローバルな供給体制構築に関するシンプロジェンとの協議も進めていく方針としている。

 このようにシンプロジェンは、バイオ医薬品の製造において強固な基盤を有する有力企業とも連携し、遺伝子治療バイオファウンドリ®を中核とする遺伝子治療用製品の開発・製造プラットフォームの構築を着実に進めている。

2.5 資金調達と組織体制【財務戦略】【組織戦略】
2.5.1 資金調達

 シンプロジェンは2018年9月のシードファイナンス以降も第三者割当増資による複数回の資金調達を実施し、2023年2月に完了したシリーズCファイナンスまでの累計調達額は総額約32億円となっている(図表15)。

 シードファイナンスに続いて2019年5月に実施したシリーズAファイナンスでは、日本で最大規模のベンチャーキャピタルのひとつである株式会社ジャフコ(2020年10月、「ジャフコ グループ株式会社」に社名変更。以下、「ジャフコ」という。)1社から総額10億円を調達した。この資金は、2020年にCLIK内に構築したDNA合成用ファクトリーや遺伝子治療関連の先端研究開発設備の導入、専門人材の雇用など、シンプロジェンの2つの事業の立ち上げに活用された。

 2021年11月から12月にかけてのシリーズBファイナンスでは、2社のベンチャーキャピタルに加えて、双日株式会社(以下、「双日」という。)および株式会社八神製作所の2社の事業会社が出資した。双日とシンプロジェンとのつながりは、双日のコーポレートベンチャーキャピタルの主管部署であるビジネスイノベーション推進室に所属していた石坪直成が、合成生物学関連の国内最大規模の研究グループとなっている神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科に興味を持ち、その技術をもとに設立されたベンチャー企業に熱烈なコンタクトをしたことから始まった。双日はシンプロジェンへの出資とともに、2022年1月から石坪を出向させることで、シンプロジェンの事業開発に積極的に関与している。なお、双日は、シンプロジェンと同じく科学技術イノベーション研究科発ベンチャー企業であり統合型バイオファウンドリ34)を目指している株式会社バッカス・バイオイノベーションへも出資し、「バイオものづくり」への関与を深めている。

 2022年12月のシリーズC-1ファイナンスのリード投資家となったのは株式会社みずほ銀行(以下、「みずほ銀行」という。)である。みずほ銀行は、カーボンニュートラル実現に資する領域(トランジション領域)への技術開発やビジネスモデル構築に関する取り組みに対して500億円超の出資枠を設けることを2022年4月に発表しており、シンプロジェンへの出資は記念すべきその初号案件となった。みずほ銀行は、DNA合成技術を基盤とする「バイオものづくり」によって、「医療・健康」のみならず、「食糧・資源」「気候変動」などへの展開を期待するとしており、シンプロジェンの成長支援への同社の意気込みが見て取れる。

 シリーズC-1ファイナンスに続いたシリーズC-2ファイナンスでは、遺伝子治療関連事業において業務提携契約を締結した富士フイルム株式会社がリード投資家となった。なお、シリーズC-1ファイナンスではジャフコ、シリーズC-2ファイナンスでは双日がフォローオン投資を行っている。シンプロジェンはシリーズC-1ファイナンスの発表とともに複数のプレスリリースを出し、遺伝子治療バイオファウンドリ®・サービスの本格展開の開始をアナウンスした。シリーズBファイナンスでの調達資金(総額6.7億円)によって事業の立ち上げから本格展開までの準備が進み、シリーズCファイナンスでの調達資金(総額14.6億円)によって、事業拡大が図られている。

2.5.2 組織体制

 シードファイナンス(2018年9月)以降、シンプロジェンの人員数は拡大を続けている(図表16)。特に、CLIKに拠点を開設してDNA合成および遺伝子治療の事業の立ち上げに着手して以降は、人員が大幅に増加している。

 

 人員(常勤役員、正社員、契約・派遣社員、出向社員を含む)の内訳についても見てみたい。シンプロジェンでは事業別にビジネスユニットが設けられており、2023年4月時点において、DNA合成ビジネスユニットは9名、医療ビジネスユニットは25名から構成されている。これにコーポレート部門8名を加え、人的リソースの総計は42名となっている(図表17)。組織の特徴として、理系の博士号取得者(15名)や製薬企業出身者(11名)が多数在籍しており、DNA合成や遺伝子治療等における科学的知識とそれらを基にしたビジネスを展開するにあたっての専門的スキルを兼ね備えた専門家集団が形成されている。

 このような急速な成長を牽引する重要な要素のひとつが経営体制である。2023年4月現在のシンプロジェンの取締役は常勤4名、非常勤6名の合計10名となっているが、その中でリーダーシップをとっているのが山本である。

 シンプロジェンの共同創業者であり、2018年9月から取締役としてシンプロジェンの経営に深く関与していた山本は、2021年12月に代表取締役 社長 兼 CEOに就任した(神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科教授と兼務)。山本はSTE社の投資・育成先であったバイオパレット(2022年1月まで)やバッカス・バイオイノベーション(2021年11月まで)の取締役も兼ねていたが、各社の成長ステージが進展し、神戸大学発ベンチャーとしてはシンプロジェン1社に注力することとなった。山本がトップに就任して以降、シンプロジェンはより一層事業展開を加速している。

 2022年4月には、取締役CTOとして山田尚之が参画した。山田は、味の素株式会社において25年以上にわたりバイオ医薬品、食品用酵素等の分析・構造解析技術の研究開発に従事した後、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の創薬事業部おいて遺伝子治療等の創薬基盤研究開発事業に携わった人物である。山田の参画によって、山本と連携して専門家集団を束ねる経営体制が強化された。シンプロジェンではこれらの組織体制を基盤として、さらなる組織拡大も図りつつ、DNA合成事業および遺伝子治療バイオファウンドリ®事業の展開をより一層加速していく。

3.おわりに
      ~日本におけるバイオものづくりへの挑戦~

 「はじめに」で述べたとおり、生物機能の工学的応用による「バイオものづくり」は広範な産業に波及し、持続的で循環型の経済社会を実現する可能性を持つ。「バイオものづくり」を牽引するのは、今まさに立ち上がりつつある「デジタル×バイオ」産業であり、第5次産業革命の到来ともいわれている。世界の主要国はこの点を認識し、新産業創造における主導権の獲得も狙って戦略的な投資を開始している。本稿の最後に、シンプロジェンの事例も踏まえ、日本が「バイオものづくり」において世界をリードするために何が必要となるかを考察することとしたい。

 筆者らはこれまでに、米国の先行バイオファウンドリの分析等を通して、日本において競争力のあるバイオファウンドリを構築するための戦略として、「集中」と「共有」が必要であるとの考え方を提示している。「集中」とは、宿主細胞、事業分野(エンドマーケット)を絞り込み、バリューチェーン上の活動範囲も「ファウンドリサービス」に絞り込むというものである。これによって、「バイオファウンドリ」の競争力の源泉となる「データアセット」を効率よく早期に蓄積する。一方、「共有」とは、DBTLサイクルにおける基盤要素技術(特にBuild工程における「DNA合成」や「ゲノム編集」などの先端技術)を確保した上で、複数の国内企業でそれを共有するというものである。この考え方から生まれた概念が、複数の「専門分野特化型バイオファウンドリ」と、それらが共有する「基盤要素技術」の2軸のプラットフォームの構築である。

 本稿を通して見てきたシンプロジェンの事業方針は、上記の「集中」と「共有」の戦略を実行するものである。すなわち、シンプロジェン自身は、遺伝子治療(AAV、LV、mRNA)を自社注力事業分野とする専門分野特化型の遺伝子治療バイオファウンドリ®であるとともに、シンプロジェンの独自技術であるDNA合成技術は、DBTLサイクルにおける基盤要素技術としてバイオものづくり企業へ広く提供を図っている(図表18)。日本において、シンプロジェンのDNA合成技術を使いこなす専門分野特化型バイオファウンドリが複数誕生していくことで、遺伝子治療等のレッドバイオ分野のみならず、グリーンバイオ分野、ホワイトバイオ分野においてもバイオものづくり産業が発展していくことが期待される。

 

 米国でバイオ医薬品の製造プラットフォーム構築に取り組むNational Resilience社は、ライフサイエンス分野の著名ベンチャー企業を数々創出してきたARCH Venture Partnersの共同創業者兼マネージングディレクターRobert Nelsen氏の主導によって2020年に立ち上げられた。同社は設立時に総額8億ドルもの資金を調達し、2023年3月には米国国防総省から4.1億ドルを借り入れるなど、累計で25億ドル以上の巨額の資金を調達している。自社を“technology-focused biomanufacturing company”と称する同社は、これらの資金によって最先端の製造技術の獲得を図るとともに、既存の製薬企業の製造設備を次々に買収して製造機能を急速に拡大し、全米に製造施設のネットワークを構築している。これによって既にワクチン10億回分の製造能力を備えたといわれている。

 日本企業が「バイオものづくり」に取り組むにあたっては、このような米国をはじめとする各国の動向にも注視しつつ、国益に資する産業の創造という強い意志のもと、官民が一体となった明確な戦略構築と連携が必要となるであろう。シンプロジェンをはじめとするディープサイエンス系ベンチャー企業による日本における「バイオものづくり」の牽引を期待したい。 

 


【脚注】

1)「DNA」は生体の遺伝情報を保持している物質である。塩基と呼ばれるアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の4種の化合物等から構成され、塩基の並び(塩基配列)が遺伝情報となる。

2)McKinsey Global Institute「The Bio Revolution: Innovations transforming economies, societies, and our lives」(2020年5月)

https://www.mckinsey.com/~/media/mckinsey/industries/life%20sciences/our%20insights/the%20bio%20revolution%20innovations%20transforming%20economies%20societies%20and%20our%20lives/may_2020_mgi_bio_revolution_report.pdf

3)「生物資源情報」は、生物の遺伝情報、特性情報、および、それらを解析したことによって得られる情報である。遺伝情報は、A、T、G、Cの4つの塩基の羅列によって保存されており、ある意味でデジタル情報であるといえ、コンピュータで扱うことに親和性がある。コンピュータ性能の向上によって膨大な遺伝情報を扱えるようになり、かつ、AI等の進化によって複雑な生命現象の解析が可能となったことで、生物資源情報のデータ化が格段に進んだ。さらに、ゲノム編集等のDNA配列を編集する技術が登場したことで、プログラムコードを書き換えるかのごとく遺伝情報を編集し、生物機能を“プログラミング”することが可能となりつつある。これが「生物資源情報のデジタル化」である。

4)「宿主細胞」とは、本稿では、「バイオものづくり」において物質生産に用いられる細胞を指す。宿主細胞としては、大腸菌や酵母などの微生物、動物細胞などが使用される。

5)「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画 ~人・技術・スタートアップへの投資の実現~」(2022年6月7日)https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/pdf/ap2022.pdf

6)「スマートセル」は、特定の物質を生産するために高度なデザインのもと遺伝子改変を行い、物質生産機能を高めた細胞。

7)「バイオ製造」は、本稿においては、「バイオものづくり」分野のバリューチェーンにおいて、「ファウンドリサービス」およびそれ以降の製品の生産と供給に関わる機能を指しており、「バイオものづくり」と区別して使用している。

8)「Executive Order on Advancing Biotechnology and Biomanufacturing Innovation for a Sustainable, Safe, and Secure American Bioeconomy」(2022年9月12日)
https://www.whitehouse.gov/briefing-room/presidential-actions/2022/09/12/executive-order-on-advancing-biotechnology-and-biomanufacturing-innovation-for-a-sustainable-safe-and-secure-american-bioeconomy/

9)「Bold Goals for U.S. Biotechnology and Biomanufacturing, Harnessing Research and Development to Further Societal Goals」(2023年3月)
https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2023/03/Bold-Goals-for-U.S.-Biotechnology-and-Biomanufacturing-Harnessing-Research-and-Development-To-Further-Societal-Goals-FINAL.pdf

10)「U.S. Department of Defense, Biomanufacturing Strategy」(2023年3月21日)
https://media.defense.gov/2023/Mar/22/2003184301/-1/-1/1/BIOMANUFACTURING-STRATEGY.PDF

11)「ファブレス」はFabrication facility lessの略語で、製品製造のための工場を持たないメーカーを指す。

12)一般社団法人日本経済団体連合会「バイオトランスフォーメーション(BX)戦略 ~BX for Sustainable Future~」(2023年3月14日)より

13)「モダリティ」とは、創薬技術によって分類される医薬品または治療手段の種類を指す。モダリティの具体例としては、低分子医薬、抗体医薬、核酸医薬、細胞治療、遺伝子治療、mRNA医薬などが挙げられる。

14)「シークエンス技術」はDNAを構成する塩基の順序(塩基配列)を決定する技術である。

15)「遺伝子治療」は、「遺伝子」または「遺伝子を導入した細胞」を人の体内に投与することで疾患を治療する手法である。

16)「ベクター」とは、遺伝子を細胞へ送達するためのツール(遺伝子の運び屋)であり、ベクターのうち、ウイルスを利用したものを「ウイルスベクター」という。

17)「mRNA(メッセンジャーRNA)」とは、DNAに保持されている遺伝情報からタンパク質をつくる際に、必要な情報のみを写し取って一時的に保持する物質である。RNAはDNAと同じく4種類の塩基から構成されるが、DNAにおいてチミン(T)に対応する塩基がRNAではウラシル(U)となる。「mRNA医薬」とは、mRNAを疾患治療に利用する医薬品の形態である。

18)mRNA医薬の製造において、mRNAは鋳型となるDNAから合成される。その鋳型DNAを作製するためにDNA合成技術が利用される。

19)「ゲノム」とは、生物の持つ遺伝情報の全体を指す。

20)「ヒューマンゲノムプロジェクト」は、ヒトのゲノムの全塩基配列を解析することを目的とした国際プロジェクト。米国が約30億ドルの予算のもと1990年に開始し、2003年に完了した。「ヒトゲノム計画」とも呼ばれる。

21)「シークエンサー」はDNAの塩基配列を決定する装置であり、2000年代半ばに登場した「次世代シーケンサー」は、従来の装置に比べて塩基配列を並列的に解析できる能力が桁違いに高い。

22)「ゲノムプロジェクト・ライト」は、ヒトゲノムの全合成を目指して2016年に立ち上げられた国際プロジェクト。現在の技術水準では30億塩基におよぶヒトゲノムを全合成するには莫大な資金を要するとして、2018年に当面の目標がヒトゲノムの書き換えによるウイルス感染耐性を備えたヒト細胞株の樹立に変更されている。

23)「システムバイオロジー」は、生命現象をシステムとして捉え、全体の挙動を理解することを目的とする学問分野。

24)「プラスミドDNA」は、本稿においては、特定の物質を生産する際に宿主細胞内へ導入される環状のDNAを指す。

25)「DNAライブラリー」は、多様な配列パターンを持ったDNA断片群である。DNAライブラリーの作製はDBTLサイクルのBuild工程において活用される。

26)「GC含量」は、DNA配列のうち、グアニン(G)とシトシン(C)が占める割合を意味する。GC含量が高いDNA配列は合成難度が高い。

27)第1回再生・細胞医療・遺伝子治療開発協議会 資料4「国内外の開発動向分析・市場規模予測海外政府の投資動向について」(2020年9月2日)より

28)「アデノ随伴ウイルス」は、ヒトやマウスなどの動物に感染する小型のウイルスで、病原性は確認されていない。長期に渡って遺伝子の発現を誘導するため、生命科学研究や遺伝子治療において利用されている。

29)「GMP」はGood Manufacturing Practiceの略で、医薬品の製造管理および品質管理の基準である。この基準に準拠した製造を「GMP製造」という。

30)「PCT出願」は特許協力条約(Patent Cooperation Treaty)に基づく国際特許出願である。

31)「特許査定」は特許権を付与する旨の行政処分である。

32)「CMC」はChemistry, Manufacturing and Controlの略で、Chemistryは化学,Manufacturingは製造,Controlはそれらの管理(品質管理)を意味する。医薬品の製品化のために必要となる原薬研究、製剤研究、品質保証、品質管理などの一連のプロセスを表す用語として使用される。

33)「レンチウイルス」ベクターは、哺乳類細胞に遺伝子導入を行う際によく使われるウイルスベクターの一つ。遺伝子治療の臨床試験で使用されているウイルスベクターは、AAVベクターとレンチウイルスベクターの2つのベクターが約半数を占めている。

34)「統合型バイオファウンドリ」は、本稿においては、複数の宿主細胞と事業分野を対象としているバイオファウンドリを指す。

【参考文献】

  • 山本一彦(2019),「理系アントレプレナーと神戸大学発ベンチャー」,『月刊経団連』,第67巻,第6号,34-35頁。
  • 井上真・濱口典久・近藤昭彦・山本一彦(2019),『知られざるゲノム技術の衝撃~破壊的イノベーションを前に企業は何をすべきか?~』,神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科・ATカーニー。
  • 山本一彦(2019),「バイオエコノミー、デジタル×バイオ時代のチャンス」,『商工ジャーナル』,第45巻,第12号,14-17頁。
  • 山本一彦・桑山斉・高畑豪太郎・三宅秀昭(2022),「神戸大学発バイオベンチャーのイノベーション戦略」,『国民経済雑誌』,第226巻,第1号,11-34頁。
  • 山本一彦・神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科山本研究室・みずほフィナンシャルグループリサーチ&コンサルティングユニット(2022),「バイオものづくりへの挑戦 バイオファウンドリの成功戦略」,中央経済社。
  • 山本一彦(2023),「日本のバイオファウンドリを成功させるための戦略的ヒント」,『月刊経団連』,第71巻,第5号,26-28頁。

【ウェブサイト】

  • 株式会社シンプロジェン ウェブサイト(閲覧日:2023年4月)https://www.synplogen.com/
  • 株式会社科学技術アントレプレナーシップ ウェブサイト(閲覧日:2023年4月)https://www.ste-kobe.co.jp/
  • 神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科 ウェブサイト(閲覧日:2023年4月)http://www.stin.kobe-u.ac.jp/