第33回 シンポジウム
エフェクチュエーションV.S. OODAループ
ーキーエンス、サイボウズの事例―
講演
1.キーエンスの高収益を支える「データ活用」
柘植 朋紘氏
(株式会社キーエンス データアナリティクス事業グループ マネージャー)
2.エフェクチュエーションV.S. OODAループ ーサイボウズの事例
中村 龍太氏
(複業家:サイボウズ株式会社 執行役員 社長室長/コラボワークス 代表)
3.エフェクチュエーション
吉田 満梨(神戸大学大学院経営学研究科 准教授)
パネルディスカッション
<パネリスト>
柘植 朋紘氏、中村 龍太氏、吉田 満梨
<司 会>
原田 勉(神戸大学大学院経営学研究科 教授)
講演1 キーエンスの高収益を支える「データ活用」

柘植 朋紘氏
(株式会社キーエンス データアナリティクス事業グループ マネージャー)
キーエンス高収益の秘密とは
キーエンスの柘植と申します。皆さん、よろしくお願いいたします。
キーエンスという会社は、聞いたことはあるけれども詳しくは分からないという方が多いのではないかと思います。1974年創業のメーカーで、センサーや測定器、顕微鏡など、ものづくりの現場の生産性を向上する商品を中心に、B to Bで40か国に対しグローバル展開している企業です。このような事業内容よりも、業績面、高収益だという点が新聞や雑誌などに取り上げられる機会も多いです。
時価総額は昨日(2022年11月12日)時点ではトヨタに次いで国内で2位と、ソニー、NTT、ソフトバンク、KDDIなど有名巨大企業と並んでいる位置付けです。
また、営業利益率は50%を超えており、直近の決算では、売上が7500億、利益が4180億で、営業利益率が55.4%です。営業利益額は、10年前と比べると約4.6倍の規模で成長しています。面白いのは従業員数が連結で現在8961人。この10年で2.4倍の伸びです。つまり、営業利益の伸び4.6に対して人員の伸びの方が少ないということは、一人当たりが生み出している営業利益が1.8倍になっているということです。実際、キーエンスの中では「一人当たり営業利益」は、生産性を示している指標として非常に重視していて、これをどうすれば上げられるかに、経営としてもフォーカスしています。
日経ビジネスや日経新聞の中で生産性が高いのはなぜなのかと、よく取り上げていただく際に、「営業が強いからではないか」「ファブレス経営(自社の製造工場を所有しない経営方式)が強さを支えている」とか、様々な観点で分析をいただくことがあります。7月に日経新聞に取り上げていただいたのは「顧客データで先読み営業」、つまり、データをうまく活用しているらしいという観点です。他にも、半導体不足で、製造業の会社がなかなか出荷できない中で、キーエンスはデータを活用することで、生産調整に成功しているということも挙げられています。これらの記事にあるように、データ活用が、キーエンスの高収益、生産性の高さを支えていて、われわれ「中の人」としても、ここがキーエンスの強さの根幹だと考えています。
単純データの活用:1980~1990年代
そこで、データ活用の取り組みを題材に、キーエンスはどんなことに取り組み、レベルを上げてきたかという、試行錯誤の歴史をご紹介します。
1980~1990年代は、単純なデータを使っていました。具体的には、お客さまのマスターデータ(属性データ)です。製造業のお客さまが多かったので、例えば、〇〇自動車の〇〇工場、部署は設備保全部や生産技術部、研究開発部などで、役職は課長、主任など。最終的には〇〇様。こういった最低限の顧客マスターデータを使って営業効率を上げることに取り組んでいました。例えば、部署と役職という2軸でクロス集計をして、圧力センサーという商品を100件ご提案したときに、何件商談が生まれるかを見ると、設備保全部の課長以上の確率が高いという結果が出ます。それで、設備保全部の課長以上というセグメントに対して優先的にアタックしていくことになります。営業を支援する部門は、設備保全部で課長以上の方がよく参加される展示会を探し、そこで名刺を収集する。従来の勘や経験による営業と比べると科学的ですが、使っているデータは単純な属性データを2、3個組み合わせてやっていました。それが80~90年代のキーエンスの営業におけるデータ活用でした。
とはいえ、このころ、営業という職種がデータを使うのは、競合メーカーと比べると比較的進んでいたと思います。キーエンスの社名の由来は、「Key of Science(科学の鍵)」です。科学をするというのは、メカニズムを明らかにして再現性を高めるということです。例えば、人事の採用も、なぜ良い人が採れたかという要因をつかんで、翌年の採用に活かすというふうに採用を科学します。営業もただ売れても意味がなく、再現性が取れることが正だという考えが元々ありました。使っているデータは稚拙なものでも、当時から科学をしようという姿勢が大事だと考えていたというわけです。
トランザクションデータの活用:2000年~
2000年に入ると、使うデータの種類を増やしていくことになります。お客さまの購買プロセスも変わってきて、ウェブ検索など今までのように営業に聞いて営業から買うだけではないチャネルが増えてきました。データの観点では、データが営業だけに集まっていたのが、営業以外の、例えばウェブに集まります。ウェブはもちろんキーエンスだけが持っているわけではないので、各社のウェブサイトにお客さまの困りごとや検討のデータが散逸していく流れになりました。キーエンスも、購買履歴や売上の履歴データ、マーケティング系のメールを打ってその反応がどうかというログデータなどの、お客さまの履歴系のデータをしっかりと収集して、行動トランザクションデータをしっかり使うことで、お客さまの声なき声や行動の癖をつかんで、より精度が高く、営業の確率を上げるように取り組んでいきました。
その時点で、既に蓄積されていたトランザクションデータですら、活用が進んでいなかった理由は、キーエンスのビジネス部門のデータ分析スキルの低さにあります。キーエンスのビジネス部門は、営業職としての採用が多く、文系でExcelも大学時代に触ったことがないという人も多く存在しました。従って、分析のスキルが低く、購買履歴だけでも何百万レコード、何千万レコードになるようなトランザクションデータに対して、Excelでは簡単に触れず、結果的にデータの活用が進まない状況にありました。
第1フェーズ:外部コンサルに依頼
そこで、2010年代に、トランザクションデータを使っていこうとしたのですが、行き当たりばったりでやってぶつかった失敗、壁が大きく三つほどあります。今は「三つの壁」として俯瞰してご紹介できますが、当時はそれが1枚の壁なのかもよく分からずぶつかっていきました。
一つ目の壁は、最初は成功すると信じて外部のコンサルに依頼というフェーズを取りました。データサイエンティストを抱えている外部コンサルティング会社に、属性データ以外のトランザクションデータ、例えば基幹マスターデータに入っている購買履歴のデータ、展示会で今まで集めた名刺などキーエンスの一部の商品に関するデータ一式をお渡しして、受注確率が高いリストを抽出してほしいと依頼をしたのが始まりです。
今までの属性データだけのターゲッティングと比べると、はるかに精度の高いリストの抽出は、すぐに結果として出てきました。設備保全部で課長以上の方はグローバルに何万人といらっしゃって、その方々に一斉にキーエンスの営業がアプローチしても、「今、要る」「ちょうど欲しかった」という方もいれば、「今は要らない」という方もいます。トランザクションデータは、いつ誰が何をしたという「いつ」の情報を含んでいるので、その中でも今欲しい方と、まだ必要ない方の色分けを相対的にすることができ、精度が格段に上がりました。今考えれば当たり前ですが、当時はこういった様々なデータを組み合わせて使うのが初めてだったので、キーエンスにとっては、データを組み合わせて活用していくと精度が上がるということを体感した大きな第一歩でした。
外部依存の弊害
ただ、ここでぶつかった壁があります。それは、膨大な時間がかかるという壁です。何に時間が一番かかったかというと、データ分析や活用を外部コンサルの方に最初は全部お任せなので、データについていろいろと理解した上でやってもらう必要があります。外部の方にデータの説明をするには、当然われわれ自身がデータについて理解していないといけない。しかし、これまでデータを活用、分析しようという目線でトランザクションデータを見てきていないので、例えばABCDEという5段階のデータを営業が入力していた場合、外部の方からは「このABCDEの定義をください」と言われます。そのデータだけではなくて、各データの定義書やER図、データの関係性を示すようなものも提供するよう依頼される。そこでわれわれから情報システム部門に定義書の提出をリクエストしても、「情シスでは管理していないので、事業部門に確認するように」と言われます。事業部門に聞いても、「ABCDEを昔、営業には告知したけど、定義書としてまとまったものはない」と言われる。当時、営業に告知したPDFを探して送ってもらい、それをExcelに打ち直し、外部担当者に伝えると「Cのデータは2年前から、欠落して一つも入力されていませんが、2年前何か入力のルールを変えたんですか」といったやり取りが続きます。外部の方に説明する以前に、われわれ自身が自社のデータを把握していないという壁にもぶつかり、膨大な時間がかかりました。今回のトライアルは一部の商品に関するデータだけでしたが、この形で会社全体のデータ分析をやっていくには、全然時間が足りない。そこで、第1フェーズの「外部に頼りすぎる」形は難しいということで、二つ目のフェーズに移っていきました。
第2フェーズ:ビジネス部門にBIツールを配布
二つ目のフェーズは、自社のビジネス部門にBIツールを配布して、自分たちで同じようなことができないかというチャレンジでした。BIツールは、経営指標とかKPI(重要業績評価指標)を見える化するのに非常に向いたものです。BIツールを配りさえすればすごいことが起こると、当時は思っていました。当然、勝手にグラフが作られるというわけではなく、誰かが作らなければいけません。作る人は誰かというと、キーエンスのビジネス部門、比較的、データ分析スキルが低い人たちです。横軸は時系列で月ごとや年ごとで区切ればいいものの、縦軸を何の切り口で切るかというときに、例えば、購買回数0回、1~2回、3回以上という三つで分けても、その分け方に何の意味があるかというと、何となく分けているだけで、特に意味がない。何となくの切り口で分けても、ただのカラフルな推移表が出るだけで、何にも変化を捉えられない。アクションにもつながらないグラフや表がいろいろできただけで、なかなかビジネスに有効活用できなかったのが、この第2フェーズでした。
第3フェーズ:データ分析の専任チーム
第2フェーズは、ツールに期待し過ぎたのが失敗でした。そこで、2016年ごろに、データサイエンティストを中途採用して、データ分析の専任チームを作りました。第1フェーズの外部コンサルを、内製で中に取り入れる形でやれないかという試みです。
外部コンサルとの違いは、最初は時間がかかってもデータについての理解や把握度が上がっていけば、工数を掛けずに、多くの案件を回せるのではないかというもくろみでやっていました。これは非常にうまくいきました。
社員なので、このデータはこういうふうに使えるとか、自社のデータに関する知見も蓄積されていき、各事業部門からの案件を数多くこなせるようになりました。営業現場でもデータ分析の結果を基にしたアプローチリストの受注確率が高いということも浸透していき、多くの分析案件が舞い込んでくるようになりました。
ただ、この第3フェーズでぶつかった壁がありました。それは、案件が増える勢いに対して、採用が追いつかないということです。データサイエンティストというのは非常に需給バランスが取れていない職種です。しかも、テクニカルなスキルだけでなく、ビジネス理解やコミュニケーション力などキーエンス社員として非常に高いレベルの素養を求めます。そうなると、思うように採用が進みません。分析案件の社内ニーズから逆算すると、何十人の規模にしなければ間に合いませんが、そのペースでの採用はかなり困難を極めました。つまり、ぶつかった三つ目の壁は、高度なデータ分析をする専任チームの規模を増員する際の採用の壁です。
その後:データ分析ソフトウエアの内製化
高度な分析をしていくことにかじを切り、実現するためにどんなことをしていったかというと、ビジネス部門に教えるには、10年、20年かかりそうだったので、やはりツールが要るということになりました。既存のBIツールを配ればできるというレベルではないので、内製でソフトウエアを開発して、ビジネス部門自体で機械学習も含めた高度な分析をすることにチャレンジしました。
結果としてこの開発に成功し、最終的にはこのデータ分析のノウハウと開発したソフトウエアを、キーエンスの「製造業ではない新規事業」として外部にも提供していくことになりました。この流れは大企業が新規事業を始めるときの一つの成功例だと思います。新規事業室を作ってネタを探すということではなく、自社のために中を向いてやってきたことが、世の中にとっても価値があるので、新規事業化するという流れです。事業開始から三年半が経ちますが、キリンビール様・みずほ銀行様・大阪ガス様・田辺三菱製薬様・ディノス様など、業界部門を問わず数百社のお客さまのデータ活用支援をさせていただいています。
前半をまとめると、データ活用を浸透させる理想の形を求めて、数々の失敗と痛手を被りながら、社内のビジネス部門がデータ分析をするのが最も効果的という結論に達したのが、この20年の試行錯誤の歴史になります。
キーエンス流「データドリブン経営」の四つのポイント
この歴史も踏まえて、データドリブン経営でキーエンスが大切にしていることをいくつかご紹介します。
一つ目は、ROIを短期で求めすぎないということです。その代わりに、途中のプロセスを評価するという考え方をキーエンスでは重視しています。よくデータ活用の取り組みを進めていくと、経営層からデータ活用のプロジェクトを始めて、結局、いくらもうかったのかと業績で聞かれることが多くあるケースだと思います。
キーエンスも、ROIで考える会社なので、短期で求めることを初期のころはよくやっていましたが、データ活用においては、特に売り上げがいくら増えたといったことは、短期では計測できないという学び、発見、気付きがあり、今ではこの点が大事だと定着しています。最終的に売り上げが増える前のプロセスとして、例えば、営業では売り上げは増えていないけれど、既存の顧客だけではなく、新規が少し増えてきた、もう一つ手前のプロセスとして新規の顧客を増やすために、ルート営業のうちの20%の時間を、新しいターゲットリストに対してアタックする時間に充てるようにしたとか、専任ではないがリストを作るために二人をアサインして、データ分析をやり始めたというようなことがあります。キーエンスでは、この途中プロセスが長くかかるというのが、データ活用の取り組みだと気付きました。
ですから、しっかり途中プロセスを評価していかないと、最終的なROI、財務の観点での評価にたどり着けないと考えました。最終的な果実や花が業績、その前段階の茎や葉、何より土。人づくりが土に該当すると考えています。「売り上げがいくら上がった」だけではない、様々な観点をしっかりと評価していくことによって、短期にROIを求めすぎず、途中プロセスを定量・定性でしっかり評価することで人を育てていくのが、データ活用のようなすぐに成果が出にくい活動においては、重要だと考えています。
この人材とか風土が、特に見えない部分で土の役割を果たすものの、いい土ができると継続的に再現性高く、大きな成果としていい花や果実を作り続けるので、最終的にアセットになるような土の部分を重視して、短期のROIを我慢するというのが一つ目の考え方です。
二つ目は「当たり前の分析結果」こそ、日常を変えて組織を変えるという考え方です。データドリブンの話をすると、何かすごい分析やすごいことをしているように思われることがよくあります。特に、ソフトウエアやAIなどを自社で作っているので、何かとんでもない予測をしているのではないかと思われますが、キーエンスは「当たり前の分析結果」をすごく大事にしているというのが、二つ目の話です。
データ分析チームを作ったころの話です。例えば、お客さまグループBについて、営業の訪問を8%増やすだけで27%も受注が増える。もっとBを攻めた方がいいのではないかという提案を事業部門に持っていく。すると、責任者は元営業のハイパフォーマーですから、「そんなこと知ってる。Bのグループが売れるなんて、営業やっていれば、誰でも知ってるよ。もっと知らない新しい分析結果や面白い分析結果を持ってきてくれ」といった要求をもらうことがよくありました。
ハイパフォーマーが「知っている」といっても、実際にはできていないことはよくあることで、多少の人ができていても無意識にできる、「している」という習慣化の状態にあるとは限りません。ですから、ハイパフォーマーが知っていたところで、その分析テーマは超重要なテーマだと考えています。
よくデータ分析、データ活用においては現場が知らないようなことをデータで見い出すよう求められがちです。もちろん、何か研究や発明をするときには、それが重要なセグメントになりますが、キーエンスではこのセグメントは捨てています。ハイパフォーマーが何となく知っているようなことや当たり前と言われるようなことを分析のテーマ設定にすることで、ハイパフォーマー以外のミドル層やローパフォーマーなど、全体で再現性が取れる状態にするのにデータ分析を活用しています。
当たり前の分析結果を積極的に活用して、現場の行動変化、習慣化を狙って、日常を変えていくという、そんな考え方を重視しています。分析チームもホームランを狙ってやりたくなりますし、経営層も求めたくなりますが、地味なゾーンでも成功確率が高いと、データ活用に関わる人もテンションが上がり、それがチームにとってデータ活用を継続するとても大事な報酬になると考えているので、この地味な「当たり前の分析結果」を大事にしています。
三つ目は、「目標」は立てますが、「計画」は立てません。キーエンスには中期経営計画はありません。この規模の会社で、中期経営計画を検索しても一切出てこない会社はレアなのではないかと思いますが、外部に公開していないだけではなくて、中にも世の中一般で「中期経営計画」と呼ばれるようなものはありません。3年を予測できるほど賢くないと思っているからです。
中期経営計画が一切なく、その代わりに、データから状況の変化を各ビジネス部門が読み取って、それに基づいて動いていくという考え方をしています。
四つ目は、研修のための研修をしない。ほぼ実戦で人を育てていくという考え方です。座学で学ぶことが全くないわけではありませんが、例えば、データ活用に必要なスキルはいろいろありますが、「人を巻き込んでいく」という、ビジネスのメタスキルがデータ活用においては大事だと考えています。分析してリストができたら、そのリストを他の人に使ってもらいます。営業部門に使ってもらうには、ヒューマンスキルが必要になります。分析の結果を他部門に渡しても、いろいろ反抗されることもあります。使ってもらうために、どう攻めるかを考えます。例えば、トライアル営業所を二つ決め、そこで試して成功事例を作る。このスモールサクセスを次に展開していこうという学びは、座学ではなかなか得られないと考えています。キーエンスのデータドリブンを進める中では、ビジネスの動かし方において特にデータ活用が多くを支えているので、そこは実戦型で学んでいくのを重視しています。
データと直観との棲み分け
最後に、「キーエンスは全部データに基づいて、少なくとも、例えば営業は動いているのではないか」とご質問いただくことがありますが、全然そんなわけではありません。営業でいうと、先方の部長の顔色がどうかなどは、データ化できないと思っています。逆に、データ化できるところはデータ化できるものとして、しっかりとあります。
大事にしている考え方は、しょせんデータで捕捉できるところは一部に過ぎない。ただし、例えば営業で、「どこに行ったら確率が上がるか」のような、データでできることぐらいはしっかりとデータに任せて、人はもっと直感的な、感覚的なところにリソースを集中していくのがいいのではないかということです。ものづくりで匠の人でしかやれないところと、自動化を図るところの住み分けと同じような考え方で、データがやるべきところと、人がやるべきところをビジネスで位置付けています。
講演2 エフェクチュエーションV.S. OODAループ
~サイボウズの事例~

中村 龍太 氏
(複業家:サイボウズ株式会社 執行役員 社長室長/コラボワークス 代表)
エフェクチュエーションとは
サイボウズの中村龍太です。今回はサイボウズというよりは複業家として、個人で参加をしています。その中でサイボウズを紹介する機会をいただきました。今回はエフェクチュエーションのお話しをします。
エフェクチュエーションは、不確実性の高い環境において起業家が行う意思決定の論理といわれています。熟達した起業家による不確実性下の意思決定をプロトコル分析したりして、明確なパターンの発見をしたのが、経営学者のサラス・サラスバシー[1]先生です。コーゼーションとエフェクチュエーションの二つの言葉がよく出てきます。PDCA(Plan, Do, Check, Action)といわれるキーワードはコーゼーションといわれていて、新しく発見したロジックがエフェクチュエーションといわれています(図1参照)。

コーゼーションは新しい市場があって、その市場に対して競合分析をしながらマーケットをリサーチし、それに対して事業計画を策定して、それに必要な資源を投入し、時間とともに対応する内容を実行しながらぐるぐる回していくという仕組みです。エフェクチュエーションは基本的に元手になっている資源をベースにして、手段を活用して、目的が最終的に出てくるので、目的がない状態、何もない状態から始めるものが、この熟達した起業家における非常に特異なモデルだといわれています。そして起業家的熟達の原則は、「手中の鳥」「クレイジーキルト」「許容可能な損失」「レモネード」「飛行機のパイロット」という、五つの原則で回っているといわれています。
サイボウズでのエフェクチュエーション
サイボウズでのエフェクチュエーションについて、私の一つの役割であります社長室でやっていること、エフェクチュエーションのマネジメントを利用し社長室のメンバーの活動を活発化させるために何をしているのかについてお話ししていきます。
サイボウズは、グループウエアというソフトウエアを作ったり、チームワーク強化のメソッドを開発・販売・運営している会社です。1997年に3人で愛媛県松山市にて創業しました。現在は連結で約1000名になっています。平均年齢は34.5歳です。売上は、184億円、経常利益14億円です。
具体的にどのようなソフトを販売しているかというと、最近は「kintone」を推していて、国内だけではなく、海外においても展開しています。一番ユーザーが多い事業が「サイボウズOffice」という事業で、創業当初から中小企業のグループウエアとしておなじみの製品になっています。
売上は、1997年創立時から成長しています(図2参照)。2005年は28%という高い離職率で、週に1回くらい、送別会があるような会社でした。離職率が低くなると同時に、二次曲線を描きながら売上が上がっている状況です。時価総額も1130億円ぐらいなので、増えている感じです。

私たちの企業理念は、「チームワークあふれる社会を創る」ということを存在意義として、これに対してクラウドサービス、ソフトウエアなどを開発しています。面白いのは、「企業理念2020」としていることです。「理念は変わる」ということを意図しており、会社の存在意義とされる言葉すらも、会社の中から変えていくのだという、エフェクチュエーションっぽい考え方だと思っています。いろいろ手段を用いながら資源を投入したら、目的が変わってしまいます。それを「企業理念が変わる、変えていいのです」という意味をこめて、2020としているわけです。実際、今までに3、4回変わっているはずです。そんなところが面白いところだと思っています。
育苗実験室
社長室は私が農業をやっていることもあり、「育苗実験室」と名付けています。サイボウズらしいチームワークあふれる社会基盤を創るために、「おやっ?!」と思う未来に向けた小さな社会の変化の芽を見つけて、育苗していきましょうというスタイルです。それを社会に露出して、もし社会に共感してもらえれば、政府や行政機関に政策として利用してもらえればと思っています。
「おやっ?!」と思う未来に向けた小さな社会の変化というのは、経営学の用語では、「既に起こった未来」と経営学者のピーター・ドラッガーが言っている活動をしているつもりです。そして、賢く失敗というところに「許容可能な損失」というエフェクチュエーションの原則を盛り込んでいます。
事例として、新しい事業の「ラーニングコミュニティ事業」をご紹介します。エフェクチュエーションは、個人の見方と組織・法人の見方があるので、分かりにくい面があるかもしれませんが、意識しておくと理解していただけるのではないかと思います。
このラーニングコミュニティは、自立を育む事業なので「サイボウズPICスクール」と言っています。
永岡恵美子さんの事例
個人に焦点を当てないとエフェクチュエーションは見えないので、本人に了解を取ったうえで、永岡恵美子さんの事例を紹介します。この事例では、エフェクチュエーションの「レモネード」といわれる、想定もしなかったようなことが起きるということを、会社側も本人も経験しています。この方は、日本興業銀行入社後5回の転職をしています。サイボウズに入社する前は、千葉市の起業家支援施設の館長をやっていました。サイボウズには、当時の副社長の紹介で入社しました。永岡さんは秘書業務が得意ということで、社長の青野さんに秘書がいなかったこともあり、秘書として入社しましたが、入社後、青野さんから秘書は不要と言われて、いきなり働く場所がなくなりました。しかし、会社側は永岡さんの5回も転職しているという経験に対する社会資本、つながりに期待していましたので、そのまま在籍していただきました。
1年ほど決まった職務や役割もなく、私の仕事に付いてきたり、出張に帯同したり、いろいろな部署の活動に参加していました。また、知り合いが多いので、そこにサイボウズのグループウエアを売ろうと営業部署にお客さんを紹介するから営業するよう依頼していました。永岡さんは転職してきたばかりなので、サイボウズのツールに関する知識がなく、売りたくても営業できなかったからです。その中で、千葉県の「ちば起業家応援事業」が2015年にスタートした際に、永岡さんは千葉の起業家施設の館長だったので何かやりたいということになりました。これがサイボウズにとって何の意味があるかよく分からないという状態から始まりました。
手中の鳥の原則:自分は何者か?
彼女は、自分のやろうとしたことをまとめたものを「企画書ではない企画書」と言っています。当時の彼女にとっての企画書は、ノートにイベントのシナリオを書いたようなものです(図3参照)。これを、千葉県庁の方や社内の社長室内部のミーティングなどでこんなことをやると見せて話しました。これによってこのイベントの内容が理解されて、やってもいいのかもしれないということになりました。ただ当時、サイボウズにとって、これは、何がメリットなのかという議論はありましたが、まずは彼女の話を聞きました。

これをエフェクチュエーションのモデルに当てはめて説明するには、「手中の鳥」の「誰を知っているか」と「何ができるか」の二つを考えるのがよいでしょう。当時、自分が何者か、本人はよく分かっていない状態でした。しかし、「誰を知っているか」は、金融機関、銀行の人たち、千葉県庁の人たち、起業したばかりの経営者の人たちなど、5回転職する中で知っていました。非常にユニークなスキルとして、起業のためのコミュニティづくりはこれまで経験していて、自分は何者かというのは、なんとなく認識していたと思います。「何ができるか」は、ちば起業家応援事業を、自分のリソースだけで完結できそうだということで、社内で提案したのだと思います。具体的には、事業に応募するコンソーシアムのメンバーや千葉県庁の職員と打ち合わせを重ねました。彼女のスキルとノウハウに、「必ず100人集客する仕方」の標準化されたマニュアルがあります。まちの人を必ず100人集めるのはすごいことです。これを生み出しながら、それを「手中の鳥」としてやっていました。最終的にはこれを回すことによって、地域を応援する起業家を応援するための市場を確立していきます。
許容可能な損失の原則:1200万円の予算
2015年5月、永岡さんは正式に県から「ちば起業家応援事業」を受託します。サイボウズにとっても初の試みであり、社内でも了解を取りながらのスタートでした。コンソーシアムを組んで、「許容可能な損失」は、サイボウズの社員が一人だけで回せるということでやり始めました。県の事業費の1200万円の予算枠の中で、千葉県の5か所で2回ずつ交流会を開きたいという提案で、それを受託しました。
彼女は社内への企画案として、イベントのシナリオのようなメモを持っていきました。どのレベルで「許容可能な損失」として社内が判断するかという点ですが、どこの部署の「許容可能な損失」として判断するのかがポイントです。アイデアAという大きな企画があったときに、部や会社で持っていくと、「許容可能な損失」になると思いますが、メモ程度の内容と彼女の工数でできるという中で、チーム内で了解をもらう際、組織がどこまで「許容可能な損失」を持っているかというと、大きくなればなるほど大きく持っています。それを判断する材料として、どこが適切なのかというと、私は経験上、一番身近なチームで議論するといいのではないかと思いました。会社の中では、新事業を起こす際に全社に稟議を上げるのが必要かもしれません。しかし、部署によっては、部署内で小さく始める仕組みができるかもしれません。
「地域クラウド交流会開催支援プログラム(ちいクラ)」という取り組みは、千葉県の事業として終わりました。うまくできたということで、社内でも新事業としてこれを立ち上げるため翌年の2016年8月から取り組み始めました。千葉でやっていたものを社内で起こすということで、今度は「許容可能な損失」は事業としてやるための元手が必要です。会社として新たな事業を開始するため、今度はどこまで損失を許容するか、あらかじめコミットする必要がでてきます。「サイボウズ地域クラウド交流会」の基本コンセプトは、地域の起業家で地域を活性化するということです。運営のお金の流れは、参加者100名を集め、1人1000円いただき、500円を運営費、500円を起業アイデアのプレゼンに対する得票数に応じて配分していきます。これをサイボウズでいただくことは運用上できません。永岡さんが事業の元手を運営するオーガナイザーを育成する費用としてサイボウズがいただきました。この費用の収益だけでは事業的には赤字です。しかし、サイボウズ社長室としての判断は、イベントの参加者には、サイボウズのことを知らない人が多いので、kintoneやサイボウズの宣伝のためにはなるというくらいの「許容可能な損失」でやっていました。
オーガナイザーの育成は、当初OJTでやっていましたが、うまくいったので2017年には研修型育成プログラムにしました。
新しい研修事業へのピポット
研修型育成プログラムにしたときに、地域クラウド交流会の社内的な意味付けが変わりました。最初は「チームワークあふれる社会を創る」というサイボウズのビジョンに対して、グループウエア事業があり、「ちいクラ」はグループウエアとかサイボウズを知ってもらうための事業としてやっていました。それが、新しく研修事業という形に変わりました。オーガナイザーを育成して起業によって地域をチームにしていく地方創生事業として意味付けを変え、ピボットしたのです。これにより、売り上げも少し上がり、たくさんの方が参加することになります。
2019年には21都道府県63市町村、オーガナイザーも45名に拡大しています。100人集めるので、各地域の公民館や市役所の場所を借りてやっていきます。手作り感満載な感じですが、そこに共感を得る人たちが集まります。地域の銀行や行政の方、地域の起業家がオーガナイザーになって、それぞれの狙いに応じて活用しています。
地域交流会主催の金融機関8社が内閣府より表彰を受けて、受賞した金融機関には非常に喜んでいただいたと聞いています。
レモネードの原則:コロナ禍からの再出発
ところが、2020年はコロナでリアルイベントができなくなりました。エフェクチュエーションの中に「レモネード」という原則がありますが、それに相当する予想や想像もしないことが起きました。このときに、彼女はまた一種の失業状態となります。
そこで、彼女は提供している研修プログラムは、この地域クラウド交流会でなくてもできるのではないかと考えました。自分が持っている「手中の鳥」でスクールにしようと考え、始めたのがPICスクールです。「ちいクラ」を始めた2015年からは予想もしないような事業が生まれました。僕も全然予想もしませんでした。彼女は自分が経験したこと、つまり「ちいクラ」の人がオーガナイザーになることで、もやもやを解消し楽しく仕事に向かっているという現実を見て、このプログラムを開発したのです。
基本的にはオンラインで、ラーニングコミュニティを実験的に2021年までやりました。3期生までやって、マーケットを定義できるかどうか、コーゼーションに移せるのかどうか、などの実験をしていました。
具体的に、このスクールは受講料17万円です。スクールの先生も作ろうということで、インストラクター資格取得は11万円です。受講生の学び合いのコミュニティとして、定期的なフォーラムなどもスクールの枠内でやっています。
ここまでをPICのエフェクチュエーションのモデルで表現してみます(図4参照)。永岡さんは人の変容を後押しする教育者に興味がある。そして、チームワークあふれる社会にしたいと思っている。私の言葉でいう「内発的なもの」を手段にして、この事業も作られていったと理解しています。何ができるかは、リアルなコミュニケーションやリアルなコミュニティは難しいので、オンラインでやりました。パートナーシップは、協力してくれる0期生や先生になりたいスクール生、スクールに参加希望のサイボウズ社員もいたので始めました。新たな手段としては、サイボウズらしいチームワークは、個人が自分軸で生きることが大切だという気付きでした。「個人の自立」というキーワードで成り立っていると解釈して、プログラムに組み込んでいきました。最初は永岡さんの思いだけでやっているので、それをどうやってサイボウズと組み合わせて、サイボウズの向かう方向に調和させていくかが、私の仕事でした。結局、サイボウズのビジョンに沿った新規事業として1年でスタートアップすることになりました。

エフェクチュエーションマネジメント
私が何をマネジメントしているのかお話しします(図5参照)。まず前提として、個人のニーズと組織のニーズが僕たちのエフェクチュエーションマネジメントとしてあります。その個人のニーズと組織のニーズ、社長室のニーズをどこの時点で掛け算させるか、まず「Will」、次に「Must」、最後に「Can」を定義していきます。通常、人事採用するときは、個人のニーズは関係なくて、組織のニーズの「Must」ができて、それに「Can」が必要になります。実は、この「Can」が採用のポイントになりますが、私たちの社長室は全くこの形態を取っていなくて、「Will(本人がしたいこと)」と、この組織のニーズを組み合わせた「Must」が作られればGoになります。「Can」は、足りなければ他の人で補完すればいいということになります。大切なものが「関心軸」になります。永岡さんであれば、人の変容を後押しする教育者になります。

関心軸には裏と表があり、表の関心は、わくわく、喜びなど肯定の関心、裏の関心は、ねたみとか恨みなどがあり、重要な内発的な動機付けをするための関心軸になっています。
実は、社長室のほとんどの人が、ワークグラムという方法を通じてこの関心軸を導き出して、社内で共有しています。共有することが大切で、本人が何を思ってこの活動に取り組んでいるかというところを、本気で考えて、本気で共有しています。私も、自分から湧き出ている発想や内的活動を楽しむのがわくわくするポイントで、それをうちのメンバーと共有して活動をしています。
コーゼーションタイプの会社に、エフェクチュエーションを有効に働かせるこつとは何だろうということで、一つのアイデアを出しました。通常は、エフェクチュエーションをコーゼーションの人にやると、「どんな成果になるか分からないし、どんな目的でやるの?」といった反応や「金食い虫」と言われたり、経営層、株主に説明ができないと言われたりすることがあります。しかも、上手くいっているのかどうかがよく分からないという状態です。これに対する解決策は、僕の経験では三つほどあります。
一つは、会社のビジョンを利用するということです。これからやろうとしている、何となくやりたいというのは、目的というよりも自分の思いの「手中の鳥」ですが、会社のビジョンで説明できるようにするということです。これが、もしうまくいくのであれば、その会社のビジョンが浸透していることにもなりますし、社内でリソースを得られることもあるかと思います。二つ目が、小刻みで、いろいろな情報を共有することです。うまくいっているかどうか分からないので、細かく共有します。サイボウズはグループウエアの会社なので、月報や週報、日報などがありますが、分単位でその都度つぶやいている「分報」という文化もあります。これを、社内のみんなが見ています。こういう文化の中で共感し合いながら、事業やプロジェクトを広げていっています。「ざつだん」という1 on 1にも長い時間をかけてやっています。三つ目が様々なツールで表現することです。バリューグラフやMVP、既存の3C分析、SWOT分析などを見立てで使い、それに縛られないことがポイントになります。
それでもエフェクチュエーションができない場合は、「許容可能な損失」で、社外でやればいいと思います。
[1] サラス・サラスバシー:カーネギーメロン大学Ph.D(情報システムとアントレプレナーシップ)。1978年ノーベル経済学受賞者であるハーバート・サイモン教授の最晩年の弟子にあたり、熟達した起業家の意思決定についての研究で博士論文を執筆した。現在、バージニア大学ビジネススクール教授(戦略・倫理・アントレプレナーシップ部門)
講演3 「エフェクチュエーション」

吉田 満梨
(神戸大学大学院経営学研究科 准教授)
OODAループとエフェクチュエーション
エフェクチュエーションの話は中村さんから具体的な事例とともにご説明いただきましたが、今回、初めてお聞きになる方もいらっしゃると思います。OODAループとの関係性を整理するための概念的な話を中心に説明させていただきます。
まず、エフェクチュエーションとは何か。初めて聞かれる方に一言で申し上げると、これは、サラス・サラスバシー先生がエキスパートの起業家を対象として実施された意思決定実験から発見された、彼らが好んで使う思考様式のことです。エキスパートの起業家の方々は、極めて高い不確実性に対して繰り返し対処していると考えられるので、そうした高い不確実性下で有効な思考様式として提唱されています。
OODAループとエフェクチュエーションを比較する機会をいただき、まず思い出したのが、サラスバシー先生の本で紹介される、実際の意思決定実験に協力したある起業家が語られたナラティブ(物語)で、彼は「準備して、撃って、狙ってというモットーで生きている」と言っています。なぜかというと、「準備して、狙って、狙って、狙って」をやっていくと、多くを費やしてしまい、いろいろな偶然を活用することができないので、撃った後でターゲットがどこにいるか見つけ出せばいいと言っています。これとOODAループは重なって見えると思います。
OODAループとエフェクチュエーションはすごく近いところがあると考えています。特に不確実性に対する試行錯誤プロセスという位置付けや、ループやサイクリカルなプロセスとして展開されるということも共通していると考えています。
一方で、エフェクチュエーションに特徴的なのは、まず環境の分析をして適応することだけではなくて、むしろ自らが主体的に関わりながら環境自体を創造していくことを志向している考え方であるということです。その結果として、自分たちが何をするのかという目的自体が新しく見いだされたり、形成されたりすることも、エフェクチュエーションの中で説明されます。
OODAループは不確実性が高くて変化の大きい環境に対して有効な考え方ですが、それが軍事組織で開発されたという背景から表面的に理解すると、そうした大きな環境変化には競合への対応が含まれていると思います。新しい事業や市場を生み出す起業家から発見されたエフェクチュエーションの場合には、もちろん結果的には競争相手になるような企業もあると思いますが、そもそもプロセスの最初には、誰が競合で誰が顧客かということは前提とされていません。むしろ環境をつくりながら一見、同業他社だったとしても、働き掛けて競合ではなくてパートナー関係になろうとする考え方も含まれています。
人間は認知限界を持つために最初から環境を分析して予測できるわけではありませんが、そうした制約の中で「何ができるか」を発想していくエフェクチュエーションの過程では、起業家自身の内部環境として、起業家の内面的な「自分は何者か」とか、「何を知っているか」、「誰を知っているか」といったことが強く反映されるという特徴もあります。
三つの不確実性
エフェクチュエーションに対して、目的を最初に設定し、その実現のために最適なリソースを追求していくコーゼーションという考え方があります。目的から考えるコーゼーション的な手法は、経営実践にも経営学にも深く浸透しており、新たな事業やイノベーションを生み出す上でも活用されていますが、なぜコーゼーションだけではなくエフェクチュエーションが重要なのでしょうか。
それを説明するために使われているのが、アメリカの経済学者のフランク・ナイトが用いた、不確実性に対するタイプの識別です。ここで不確実性は、中の見えない壺に手を入れて、赤いボールを引き当てれば勝ちで賞金がもらえるというゲームに参加して、成功するかどうかの不確実性だとたとえられています。
そのゲームには三つのタイプがあります。一番左側のものは、事前に赤と緑のボールがそれぞれ50個入っていて、成功確率は50%であることは分かっている。ただし結果がどちらかということは不確実であるというタイプです。このようなことはビジネスでは現実に考えにくいと思います。恐らく多くの方が想定されている状況は2番目の真ん中のタイプだと思います。これは赤いボールも緑のボールもいくつ入っているかは事前には分かりません。ただし何回か試しに赤いボールを引いてみることで、追加的な情報を得ることができるのであれば、例えば10回に3回は赤いボールが出るので、成功確率は30%であると予測できるようになるというタイプです。一方で一番右側の壺は、赤いボールがいくつ入っているかも分からないので、同じように繰り返しボールを引いてみて何回に1回出るかを試してみますが、何度引いても1回も赤いボールが出ない、あるいは緑のボールすら出なかったりする。青いボールとか黄色のボールとか思ってもいなかった色のボールが出たり、あるいはボールではないものが出てきたりします。つまり、そもそも赤いボールが本当に入っているかどうかすら知る手段がないようなタイプの不確実性です。

ナイトがなぜこの三つを区別したかというと、いわゆる起業家が利潤を手にできる源泉になり得るのは、一番右側の、第3番目の壺のタイプの不確実性への対応でしかないことを説明するためでした。真ん中のタイプの壺は、成功確率が低ければ不確実性は高そうに見えますが、例えば70%失敗することが分かっているのであれば、それに保険を掛ける形でコストとして対応することができるようになります。それができないのが3番目の壺です。
つまり、1番目、2番目の壺の不確実性のタイプにはコーゼーションが有効ですが、確率予測が不可能な第3番目の壺では、コーゼーションによる対応は不可能であり、ナイトはこれを「真の不確実性」と呼びました。
エフェクチュエーションの発見
3番目の壺に対してどうアプローチすべきかの理論的な答えは存在しませんが、現実には起業家として繰り返し成功している方やイノベーターとして評価されている方は存在しています。では、その方々はどうやって3番目の壺のタイプの不確実性に対応しているのでしょうか。エフェクチュエーションを発見したサラスバシー先生の研究は、彼らに対して典型的に起業家が直面するだろう架空の問題設定を与えて、意思決定実験に協力してもらうことでその思考パターンを抽出するというものでした。そこから、エキスパートの起業家の行動原理は五つの思考様式の組み合わせから構成されているというパターンが発見されて、エフェクチュエーションという名前が付けられたのです。
意思決定実験に参加した経験ある起業家は、厳しい基準の下に選ばれ、起業家としてエキスパートであるという基準を満たしている点は共通していますが、それ以外の属性や、あるいは彼らが発想したビジネスの結果は様々でした。しかし、彼らが活用する意思決定のロジックに共通性が見られたのです。そこから、特定の属性や性格特性等を持っている方が起業家として成功するのではなくて、共通の思考様式を適用した結果がそうなのだということが言えるようになりました。
彼女は一貫してこれを学習可能なものだと提唱しています。この研究がトップジャーナルに掲載された2001年の論文で初めて提唱されて以降、急速に世界中のビジネス教育の中でも普及して、現在、日本でも広まり始めています。
意味のあるエフェクトを生み出す
コーゼーションと対比しながらエフェクチュエーションの思考様式の特徴を見てみましょう。コーゼーションが目的に対して最適な手段を追求する考え方であったのとは逆に、エフェクチュエーションは所与の手段を活用して、意味のあるエフェクト(効果)を生み出すことを重視する考え方になります。言い換えると、これは実効性を高めていくことを重視する考え方なので、訳書の中では加護野忠男先生が「実効理論」という副題を立ててくださっています。
エフェクチュエーションの意思決定がどのように進んでいくか、見ていきましょう。まず、出発点として、目的ではなくて起業家自身が個人として活用できる既存の手段を評価して、自分は何者で、何を知っていて、誰を知っているのか、から具体的に「何ができるか」という行動のアイデアを発想します。不確実性が高い前提では、この行動のアイデアがうまくいくかどうかの保証は逆にうまくいくかどうかではなくて、仮にそれがうまくいかなかった場合の損失が許容であればやればよいという基準で、実際に行動に移していきます。行動に移すと、他の方との相互作用が発生しますので、そこで交渉をして、何らかのコミットメントを獲得し、パートナーシップを構築することを重視します。パートナーシップが構築されると、パートナーが持っている手持ちの手段がこのプロセスに加わることになります。これは繰り返しのサイクルであり、パートナーが加わることによって自分たちの手持ち手段が拡張されるので、もう1度「何ができるか」をアップデートする形で拡張的に定義をして、このサイクルを繰り返し回していきます。また、そのパートナーは手段だけではなくて、新しい目的をもたらすと考えられるので、目的がさらに「何ができるか」に対して影響を与えることによって、やはりサイクルが繰り返し回っていきます。想定外の新しい事態が生じたり、思ってもいなかった目的がもたらされたりすることも含めて、偶然手にしたものを積極的に活用するという考え方も、このプロセスを回す上で組み合わされています。
大事なのは、このプロセスが繰り返し拡張しながら回っていく中で、予測が一切必要とされていないことです。予測が一切成立しない先ほどの第3番目の壺のような不確実性の中でも、実行可能な行動は定義でき、サイクルが繰り返し回っていく結果として、起業家が元々思ってもいなかったものも含む、新しい市場や製品、事業などがアウトプットされる。こうしたプロセス全体を支えている特徴として、予測ではなくてコントロールによって望ましい未来を創り出す、という考え方も組み合わされています。
五つの原理
エフェクチュエーションを構成する思考様式(五つの原理)については、それぞれユニークな名前が付けられています。目的ではなく手段から何ができるか発想することは「手中の鳥(bird-in-hand)」、行動にコミットするかの基準である「許容可能な損失(affordable loss)」、パートナーシップを重視する思考様式は「クレイジーキルト(crazy-quilt)」、偶然を活用することは「レモネード(lemonade)」と名付けられています。これら四つは具体的にプロセスを回すときに起業家が用いているヒューリスティクス(経験則)であり、それを全体として支えているのが「飛行機のパイロット(pilot-in-the-plane)」という、予測ではなくてコントロールに集中して望ましい成果を帰結させるという、起業家の認識論・世界観だといわれています。
エフェクチュエーションの思考様式は、起業をする際に有効なわけではなく、様々な不確実性の中での創造プロセス一般に適用可能であるとされ、現在、様々な分野に応用されています。例えば、ドイツの既存企業の研究開発マネージャーを対象としたサーベイリサーチの研究では、革新性が高い成果を生んでいるR&D(Research and Development)の成果に対してエフェクチュエーションが有効であるという結果が示されました。革新性が高いゆえに高い不確実性を伴うR&Dプロジェクトの場合には、エフェクチュエーションがプロジェクト成果とプロセスの効率性の両方にプラスに効いていることが分かっています。
手中の鳥の原則
「手中の鳥」は、目的ではなく手段から始めるという考え方ですが、手段には、企業が一般的にリソースと呼ぶものだけではなく、個人としての起業家が活用し得るものを含みます。特に典型的に活用されるものとして、「私は誰か(Who I am)」、「何を知っているか(What I know)」、「誰を知っているか(Whom I know)」があります。一つ目の私は誰かは、起業家自身のアイデンティティに関わるものであり、二つ目の何を知っているかは、起業家が活用できる様々な知識です。三つ目の誰を知っているかというのは、起業家が活用できる社会的ネットワークです。
手持ちの手段から何ができるかを考えるときには、こうした起業家の個人的な資源が反映されます。それを考える際には、必ずしも客観的な強みではない起業家の自己認識や、一見仕事と無関係の知識や人間関係、あるいは必ずしも関係性が強くない人とのつながりを、含んでもよいといった考え方もしていただけるのではないかと思います。
こうした起業家が個人として活用できるものに基づいて、具体的に何ができるかのアイデアを生み出すことになりますが、これに加えて、組織や社会の中にある資源を活用する場合もあります。とはいうものの、その時には、企業や他の人々にとって貴重な資源ではなくて、むしろ他の人があまり重要だと考えていないような余剰資源を積極的に活用しようとすることも特徴的です。
余剰資源を活用した事業創出では、様々な実例をあげることができます。例えば、任天堂が1980年に発売した「ゲーム&ウォッチ」は、世界的に大ヒットした携帯型液晶ゲーム機ですが、これは当時余剰資源になりつつあった、市場が成熟期に入った液晶の電卓に活用されていたシャープのチップ技術を完全に水平展開したものです。「アスタリフト」という富士フイルムの化粧品事業は、元々写真フィルム製造に使われていて、市場が成熟して使われなくなりつつあった技術を余剰資源として、基礎化粧品の開発に転用したものです。こういった“枯れた技術の水平思考”のような形で余剰資源が活用されることもあるかもしれません。また世の中の人々が見向きもしないものに、余剰資源がある場合もあるでしょう。佐賀で薬種業をされていた江崎利一さんは、干し牡蠣を作っている業者が捨てていた煮汁を分けてもらい、九州大学の研究室で分析してもらったところ、グリコーゲンがたくさん含まれていることが分かり、そこから江崎グリコを栄養菓子の会社として興しました。廃棄物の中から余剰資源として活用できるものがないかというのは、最近の言葉でいえばサーキュラーエコノミー(循環型経済)の一種でしょう。
許容可能な損失の原則
次に「許容可能な損失」の範囲で行動するという考え方を紹介しましょう。最適な手段を追求する考え方であるコーゼーションの場合には、成功しそうなものやリターンが大きそうなものから、つまりは期待利益を評価して何をすべきかの優先順位をつけるでしょう。しかし、エフェクチュエーションの場合には、起こり得る損失を許容できるのであれば実行する、という考え方をします。損失可能性の中にはお金の問題だけではなくて、費やした時間や様々な協力者の信頼、犠牲にした機会なども含まれます。これらが失われても構わない、許容可能であるという基準で行動することの利点には、事前に失われるものが分かっているのでハードルが低くなるとか、成功するかどうかを予測することに余計な努力をしなくてもよいことも含まれるでしょう。さらに重要なのは、失敗した場合にもそれが許容可能な範囲にとどまるために致命傷にならず、再チャレンジを保証することになることです。つまり失敗経験が大きな問題にならずに、むしろ失敗して再チャレンジするのであれば、過去の失敗した経験は何らかのその後の実践に活かされて、むしろ学習機会と解釈されるようになることが大事だと考えています。
例えば、Apple社が撤退した事業として世界的にも有名なNewtonというPDA(携帯情報端末)製品があります。これは失敗事業と言われていますが、この失敗経験がその後、大ヒットしたiPod touchとかiPadの開発に活かされているのではないかということは、容易にイメージすることができます。
失敗自体が問題になるわけではなくて、そこで致命傷を生んで許容可能な損失を超えてしまうから問題になるのです。そうすると、いろいろなことを諦めざるを得なくなってしまいます。一方、許容可能な損失の範囲内での小さな失敗は、むしろ学習機会とポジティブに捉えることができるようになるということです。
許容可能な損失の範囲にとどめるために起業家はどう考えているかというと、まず本当に必要な資源はどれぐらいか、を考えることが重要です。投入する資源量が多くなればなるほど、許容不可能な損失になる可能性は高くなりますので、むしろスモールスタートで始められないか、「手中の鳥」プラス余剰資源ぐらいで始められないかと考えることです。
もう一つ重要なことは、自分は何を失っても大丈夫なのかを考えて、自分が失ってはいけないと思うものを危険にさらさない始め方をすることです。逆に自分が失うことを危険だと思うものを、危険だと思わない方がいるのであれば、その方とパートナーシップを組んでやることによって、双方にとって許容可能な損失の範囲で物事を実行していくことができると考えて、パートナー獲得に向かうことが考えられると思います。
また、損失可能性では、行動をすることによって失敗した際に失われてしまうものだけではなくて、行動しないことによって失われてしまうもの、つまり行動しないことの機会損失も考慮するので、もし後者の方が大きいのであれば、リスクは大きくても行動することの方が合理的になり得る、という考え方にもつながります。
レモネードの原則
思ってもいなかった事態というのは、不確実性が高い中では頻繁に起き得るわけですが、それを許容可能な損失にとどめるだけではなくて、むしろ起こってしまった事態を積極的にポジティブに活用する考え方は、「レモネードの原則」と呼ばれます。この名前は、「人生が酸っぱいレモンを与えるのならレモネードを作れ(When life gives you lemons, make lemonade.)」ということわざからきていて、失敗をむしろ学習機会と捉えるということにも関わります。
計画通り進めようとすると、予期せぬ事態が起こったときに、コントロールを喪失するのではないかと見なされることがあると思います。一方、エフェクチュエーションの発想では、予期せぬ出会いは手持ちの手段の中の「誰を知っているか」を拡張する機会になりますし、失敗も含めて、想定外のことが起こったということは、自分が「何を知っているか」を拡張する機会としてポジティブに捉えることができます。自分の手持ちの手段を拡張する機会だと捉えることができれば、それを活用して新しい行動が可能になります。つまり、手にしたものが酸っぱいレモンで不都合なものだったとしても、砂糖を加えることで、よりおいしいレモネードの原料にすればよい、という発想です。
様々な失敗が大成功のきっかけになるのは、幸運な偶然の結果だと理解されることも多いと思います。しかし、エフェクチュエーションでは偶然自体が幸運かどうかということは問題とせず、むしろ手にした偶然を積極的に成功の原料として活用することによって、望ましい結果につなげていくことが重要だという考え方をします。
3Mの「ポスト・イット」の開発は有名な事例です。元々、絶対に剥がれない接着剤を開発するプロジェクトで、できあがった接着剤は簡単に剥がれてしまうものでした。完全に失敗作です。しかし、開発者のスペンサー・シルバーが何か別のことに使えないかと社内に情報提供したところ、パートナーとなったアート・フライという研究者が、讃美歌を歌っている時にずり落ちるしおりを見て、失敗作の接着剤をこれに使ったらいいのではないかというアイデアを着想しました。こうして2人で開発したポスト・イットが、3Mを代表する世界的な大ヒット製品になったのです。元々、失敗だと見なされていたものも、活用することによって大成功の原料になっている点が、「レモネードの原則」の典型的な事例です。
クレイジーキルトの原則
「クレイジーキルトの原則」は、自発的な参加者とパートナーシップの構築を積極的に模索するような起業家の考え方を表すものです。エフェクチュエーションのプロセスをみると、出発点の手持ちの手段から、そこにひねりを加えて「何ができるか」のアイデアを発想しますが、アイデアの時点でそれが優れているかどうかはあまり重視をしていません。
なぜならば、それが本当に実行可能なイノベーションになり得るか、事業機会になるかは、パートナーを獲得する行動を起こして、そのパートナーのコミットメントを得られて初めて評価できるようになると考えるからです。アイデアの時点でとても優れたものに思えたとしても、それを売りに行ったときに誰も顧客になってくれないのであれば、当然、それは事業にはならないわけですし、逆にアイデア時点では平凡だと思われていたものでも、顧客や、それを実現することに協力するパートナーがコミットしてくれるのであれば、実効性を高められて、有望なイノベーションに近づいていく、と考えられるのです。
起業家が、なぜ競合分析を重視しないかというと、誰が競合となって、誰が顧客となるかは、実際、事業としての形ができた結果でしか分からない、と考えているからです。一見、同業他社であったとしても、そこから何らかのコミットメントを獲得できるのであれば、パートナー関係になれないかということも含めて模索します。
さらにそのパートナーシップの特徴として、自発的な参加者であることを重視します。始めに顧客としてコミットした方が、いずれ別の形での協力者になっていくこともありえます。もしかしたら経営に参画してくることもあるかもしれませんし、別のお客さんを紹介してくれるパートナーになってくれる可能性もあります。エフェクチュエーションのサイクルの中で、パートナーは、そうした多様なコミットメントを提供し、多様な役割を果たしていくことが想定されていますし、資源だけではなくて新しいビジョンや目的ももたらす存在になると想定されています。
それゆえパートナーが加わるたびに、「何ができるか」が繰り返しアップデートされて、直接的にエフェクチュエーションのサイクルの方向性に影響を与えると考えられています。
既存企業でも、多様な自発的参加者とのパートナーシップを構築することによって、様々な新しい市場開発や製品開発につなげている会社もあります。倉敷のカモ井加工紙が、思ってもいなかったユーザーとの関わりからB to Cの新しいチャネルと市場を開拓した話もそうですし、「三新活動」[1]として知られている日東電工の実践の中で、思ってもいなかった使い方やオーダーをしてくる想定外の顧客を、実際に製品開発や事業開発のパートナーとして抱き込んで、一緒にその市場開拓や製品開発を進めていることも、同じように認識していただけるのではないかと思います。
飛行機のパイロットの原則
予測ではなく、コントロールによって望ましい結果を帰結させるのが、今の話を総括する起業家の世界観です。コーゼーションの場合には、未来が予測可能なほどコントロール可能だと考えているので、未来を予測することに注力します。エフェクチュエーションの場合には、未来の予測可能性とコントロールの可能性は別であると考えているので、未来が予測できないのであれば逆にコントロールする活動に集中することによって、望ましい未来を自分たちで創っていくところに注力する考え方をします。
なぜこれにパイロットという名前が付いているのでしょうか。コーゼーションの考え方は、いわゆる自動操縦機能、オートパイロットのような仕組みを設計する考え方だと思います。ただし航空機には必ず高度な自動操縦機能が付いているはずですが、それにもかかわらずパイロットが乗っている理由は、例えば自動操縦の想定されたルートから外れてしまったときに、パイロットが乗って操縦桿を握ってさえいれば、コントロールによって対応することができると考えられているからです。
つまり、エフェクチュエーションのプロセスの中では、あらかじめ設計した仕組みが自動的に回っていくわけでもなければ、偶然によってランダムに動かされるわけでもなく、その中心には必ず、プロセスをコントロールし続けている起業家が存在しているのです。偶然を察知してそれを活用するのも起業家のコントロールですし、誰がパートナーになり誰がならないのかという線引きを決めているのも起業家や起業家チームであり、そういった起業家がパイロットの役割を担っているのです。
エフェクチュエーション・サイクルの実践
エフェクチュエーションのプロセスをまとめると、まず「手中の鳥」として手持ちの手段に基づいて、「許容可能な損失」の範囲で一歩一歩実行していくのですが、それだけだとスモールスタート、スモールエンドにしかならない、局所最適にしかならない実践です。大事なのは、この最初の行動はこの後に外部環境の複雑性を取り込んでいくためになされており、行動を許容可能な損失の範囲で起こしていくことによって、外部との相互作用が発生して、そこで自分が元々読み切れなかった外部環境の偶然性や、他者をこのプロセスの中に積極的にどんどん取り込んでいくようなサイクルになっていることです。
そうしたプロセスのアウトプットとして、起業家がつくり出す事業や製品を、ここでは人工物と呼んでいます。そのデザインには、外部環境の制約だけではなく、起業家自身のアイデンティティや信念を含む、内部環境も反映されます。ただし、外部環境はもとより内部環境ですら、認知限界を持つ私たちは、多くの場合、最初から完全に把握できているわけではありません。それは、最初は自分がどういうことを大事にしていて、何が目的なのかということを、必ずしも分かっていないということを意味しますが、最初に読み切れないところも含む環境を認識した上で行動を起こし、行動を起こすことによってフィードバックを継続的に反映する。その中で新しい人工物を作っていくプロセスとして、エフェクチュエーションのサイクルを考えることができると思います。
[1] 三新活動:既存製品に「新用途」と「新技術」を付加し、「新需要」を創造する取り組み
パネルディスカッション
<パネリスト> 柘植 朋紘氏、中村 龍太氏、吉田 満梨

<司会>原田 勉
(神戸大学大学院経営学研究科 教授)
原田 最初の質問は、データドリブンの影響です。データドリブンは、まさにOODAループで、AIがobserve(観察)、orient(状況判断、方向づけ)して、AIが推奨したものを例えば営業が受け入れるかどうかをdecide(意思決定)して、act(行動)することで回っていくということです。キーエンスでは、データドリブンによってスキル形成にどのような影響があるでしょうか。成長を阻害することはありませんか。
データドリブンのスキル形成
柘植 いただいた質問は、よく営業現場でデータ活用を始めるときに、反論として言われたことです。「こんなことをやっていたら、みんなあほになるぞ」とよく言われました。結論としては、全員を「あほ」にできるほどデータですべてを指示することはできません。ターゲティングで行き先をAIが示唆するといっても、すべての営業担当者の朝から晩までの行き先を示唆できるほど豊富なデータが、実ビジネスにおいては実際にはありません。例えば30%はプライオリティを付けた行き先を示唆できたとしても、残りの70%は示唆の手前の材料までは提供できても、どの順番で、誰に、どんなふうに何を切り出すかみたいなことまでをAIで出すことはできないので、人がやる部分は十分に残っています。ただ、何も示唆を出さずに、「どこに行こうかな」とリストから適当に選んで電話をしていたときに比べると、絶対に行ったら確実なところを除いた中で選ぶことを考えるので、結論としてはデータで示唆をしたところで、考えることを完全になくすことはないということです。
原田 なるほど。ありがとうございます。もう一つの質問は、ビッグデータではなくてスモールデータから学ぶことを実施されているかどうかです。私は『POSITIVE DEVIANCE』を訳しました。Positive Devianceは、少数の逸脱者が実は何か新しいことをやっていて、そこから学んでいこうというアプローチです。そのあたりはどうされているでしょうか。
柘植 おっしゃるとおりで、営業に行き先のターゲットリストを100%提供しない理由の一つが、あえて営業の勘でそういった少しの異変とか、例えば、半導体業界はデータから基づくと今は行くべきではないと出ていたとしても、70%自由に行く領域があると、つい勘で行ってしまう人が出る。そうすると半導体業界の最新のデータが取得できるので、実は半導体業界でもこういう商品で、こういう部署だったら行くべきだという、少ないデータを取ることができます。戦略的にデータを散らすために、意図的に営業の勘や経験で動くべき場所をあえてつくっている。そこは、最初は勘で動きますが、データがたまってくるとそこは行くべきだということで、少ない「n」がたまった段階で公式に行く。でも、最初は「n1」で動けるようにあえてしているという、そんな考え方でやっています。
育苗実験室とデータドリブン
原田 なるほど。ありがとうございます。
では次に中村さんにお伺いします。「育苗実験室」においてデータドリブンの影響はあるのでしょうか。
中村 私のチームの中では、データドリブンというワードは、ほとんど使われていないのが事実です。データドリブンをいわゆる事実という五感で分かるものだと定義すると、事実を解釈した解釈のコミュニケーションが多いです。解釈とは、どんな世界にするのか、どんな思いでやっているかなどのコミュニケーションです。外部のパートナーとも、解釈のコミュニケーションを使って「クレイジーキルト」でやっているのが特徴的だと思います。僕もOODAはよく分かっているので、OODAの得意な分野、特徴がありますが、現状の「育苗実験室」では、解釈ドリブンのような感じです。
原田 分かりました。吉田先生、データドリブンとエフェクチュエーションの関係について、理論的にはどうなのでしょうか。
エフェクチュエーションとデータドリブン
吉田 明確にお答えできるほどの研究を見つけられていないのですが、研究テーマとしてはとても大事だと思っていて、エフェクチュエーションのプロセスでいうと、データドリブンのデータは、会社のアセットとしての様々な情報や知識もそうですが、手中の鳥のうちの「何を知っているか」の中に恐らく組み込まれて活用されるプロセスとして、関連付くのだろうと認識しています。
原田 例えば、イベント会社などが、仕込みが8割で現場対応2割とよくいいます。事前の仕込みも大事で、エフェクチュエーションするときに何か関連するものを仕込んでいるとか、あるいは、これについて社内の誰が知っているかを検索できるようなものが重要ではないかと思うのですが、そのあたりはどうですか。
吉田 原田先生のOODAループのマネジメントの本の中でも、3Mさんの実践事例をご紹介されていると思いますが、私の言及させていただいた事例の中で言うと、三新活動をされている日東電工さんなどを含む、エフェクチュエーションを有効に活用されている会社というのは、恐らくそれぞれにキーテクノロジーや研究者の情報に関する棚卸をされていて、それが常に社内で可視化されている状態で、いろいろなパートナーがひも付いてくるのを管理されているということは、とても大事だと思います。
原田 分かりました。ありがとうございます。
柘植さんにお伺いしたいのですが、私がすごく重要だと思ったのは、再現性を重視する風土があるのが大きいような気がします。最終的に人が大事だという話をされていましたが、そのあたりはどのように捉えているでしょうか。
データドリブン経営に必要な組織風土と人材
柘植 元々キー・オブ・サイエンスで科学をしていこうということがあります。ここで言っている科学は、AにBを足したら常に答えは同じという形で、再現性が取れます。ビジネスにおいての再現性は、なぜそれがうまくいったのかをしっかりと言語化して、それを他の人が同じプロセスでやったらうまくいくということを追求しています。実際、営業以外でも、例えば、今年いい人を採用できたとして、来年も同じように採用するにはどうしたらできるのか、そもそもいい人とは何だ、これはなぜなのだというような嵐のような問い掛けが、社内で常にあります。キーエンスは実際にビジネスをしていますが、巨大な研究機関みたいな、かなり変わった組織です。例えば営業の評価でも、売り上げが出て、「達成率が何パーセントでした」と言っても評価されなくて、こういう先に、こういう理由で、こういう提案を何件持っていったから、こういう率になったと説明できることが大切です。再現性が取れると、他の人もそれをまねできるということは、経営として業績によりつながるということで、結果とプロセスが半々の評価です。根幹に流れているのは単に結果が短期的に出るということではなくて、それはどういうプロセスなのかということを解明していくのがDNAレベルで根付いていて、それが一番の鍵となっています。そのうちの一つの手段がデータにすぎないという、そんな感じだと思います。
原田 なるほど。それはすごく面白くて、私は、キーエンスさんはすごく実績主義で、成績がよくないとクビになるイメージを持っていました。プロセスについて再現性を持って説明できるかどうかが評価につながるということですか。
柘植 おっしゃるとおりです。例えば営業でいうと、売り上げの前のプロセスは当然、案件の数やそこに対していくつご提案するかとか、この役職の方には何件提案してとか、いろいろ分解することができると思います。それはKPI管理ということではなくて、何をしたら経験が少ない新人などでも気持ちよく売り上げにつなげることができるか。うまく売り上げにつながれば当然、気持ちのいい人生になるので、できるだけいいアクションのメカニズムを解明して、それをみんなが手に取れる状態にして、明確に評価する。そういう活動に社員を向けている組織です。
原田 そうなると、自分だけが持っている「秘伝のたれ」も、開示した方が評価されるということですか。
柘植 そうですね。明確に評価されるので、経営のコミュニケーションとして評価しても、みんなに共有することを良しとしているので、隠すメリットが全くない組織です。
原田 面白いですね。ありがとうございます。
中村さんにお伺いしたいことがあります。一つ目は組織としてやるのに、まず「Must」で、次に「Will」、そして「Can」が来るというお話がありました。Willは、部署と個人のパーパス(存在意義)のすり合わせのイメージでいいのでしょうか。
Willのすり合わせ
中村 エフェクチュエーションをやるために個人を重視する、Willを重視するところはサイボウズが大切にしているポイントだと思います。具体的には、社内異動を会社が提示することはまずありません。自分が言わないと異動できません。それから、個人をという意味では、柘植さんがおっしゃっていた、自分のノウハウをオープンにすることが、絶対的に評価されることもないです。つまり、個人がノウハウを隠したければ隠していいという話です。結果として、どうなるかは、自己責任という考え方ですね。
その根本には、自分の強いところと相手の弱いところを組み合わせればうまくいくということがあります。キーワードがチームワークなので、「こんなことで困っているから、ここを助けて」と言われれば、持っている、秘めているものを外に出さずに手伝うと言えばいいということです。個人とかWillは、そこにポイントを置いていて、個人がそうしたければそうしてもいい。その結果として自分がどうなるかは、自分で責任をとってくださいということです。
そのWillの上位概念にあたるちょうどいい会社のパーパスとして、チームワークあふれる社会があるということです。チームワークあふれる社会というのも、広い解釈をとりやすいちょうどいいパーパスになっていると思います。どんなチームワークあふれる社会が、サイボウズの目指しているチームワークかということまでは定義せず、自分で解釈するということです。それはお客さんに対しても、外部のパートナーさんに対しても、自分で考えて解釈するという余白を残しています。結果的に、自分のWillから出てきた新しいパーパスが、会社のパーパスを変えることもあるということです。パーパスが2020となっているのはそういうことなのです。
原田 それに関連してですが、エフェクチュエーションだったら、なかなか実績も出ないということがありますね。サイボウズさんの中で評価は何に基づくのでしょうか。1 on 1とかつぶやきとかを重視されているので、何かプロセス評価みたいなことをされているのか、そのあたりはどうなのですか。
人事評価の方法とは
中村 評価というキーワードでお話したいことは、成長の評価と給与評価は別々だということです。成長の評価はいろんな解釈で成長を確認します。また、成長したくない人は成長しなくていいという考え方は、ありなのです。給与評価については、基本的に自分たちの理想を達成するために、いくらで買いたいかというだけなので、いわゆる給与テーブルもありません。1000人いますが中小企業のような給与評価をしているかもしれませんね。プロセス評価というより、対話評価と言ってもいいでしょう。
原田 事例紹介いただいた永岡さんみたいに、成果が1~2年出なかったとしても、それなりの給与がもらえるということになるのですか。
中村 そうですね。それなりの給与というのがよくわかりませんが、本人にまずいくら欲しいかという話はします。それに対して妥当かどうかは、マネージャー同士で、確認のプロセスはあります。サイボウズへの売上もさることながら、ブランド、スキル、人とのつながりなどの貢献と信頼を確認して決めていきます。その決めた理由を解説して、お互いに納得していきます。もし、納得できなければずっと論争していていいのです。1年に1回、業績評価しているわけではなくて、それに納得ができなければずっとやり取りしていていいという会社です。
原田 なるほど。分かりました。個人としてエフェクチュエーションを回していくときに、管理の対象からいかに逃れるかが鍵かなと思ったのですが、そのあたりはいかがですか。
管理の対象から逃れる
中村 そのお話は、まさにサイボウズの中でもあると思います。管理対象から逃れるというのは、どの部署のマネジメント下で、どれくらいの許容可能な範囲で行動し始めるかというところです。ジャストアイデアレベルのものをいきなり経営会議まで上げると「いや、それ、よう分からんわ」という話になるけれども、あるチームの中でメモレベルのアイデアの話をしたときの「それだったらあと半年でこれだけやってみたらどう」といった内容を、誰もが検索すればわかる私たちの情報共有ツール「kintone」に書き込みながら、細かく、そして小さくエフェクチュエーションを回していく。そういう作業をして、大きな輪になったり、オブジェクトがクリアになったときに、本部全体に発信したり、経営会議で助言をもらいながら、共感者を集めていく。要はそうやって社内で資源を集めていくということです。それを育んでいくプロセスをサイボウズのエフェクチュエーションではやっています。
原田 ありがとうございます。吉田さん、個人としてエフェクチュエーションをどう実行するかではなく、マネジメントとして、エフェクチュエーションをやっている人たちをコントロールしなければいけなくなったときに、何がポイントになるのでしょうか。
エフェクチュエーションのマネジメントとは
吉田 とても大事な論点だと思いますが、研究としては議論の決着がついていないような感じだと思います。効率的にというときの考え方としては、エフェクチュエーションのプロセス自体や行動の原則が、不確実性の中で効率的にとか、合理的に試行錯誤する考え方になっていて、個人としても許容可能な損失の範囲で行動していますし、組織としても許容可能な損失を見ていて、そこの範囲でやることをサイボウズさんでやっていらっしゃるという話もありました。
もう一つは、エフェクチュエーションの中で元々いわれているわけではなくて、基本的にはリターンが不確実であることが大前提の考え方です。個々としては、確率予測はできませんが、大数法則的に何らかそれをマネジメントする工夫は、十分あり得るのではないかと考えることができると思います。
原田 ありがとうございます。キーエンスさんとサイボウズさん、両方ともPDCAではありませんが、かなり対照的で面白いお話を聞かせていただきました。ご登壇者の皆さま、参加者の皆さまも、ありがとうございました。
