特集
価値評価研究への誘い
第108回ワークショップのテーマは、「価値評価研究への誘(いざな)い」であった。価値評価というとあまり聞きなれない言葉かもしれないが、価値評価はわれわれの身の回りにあふれている。学生なら、定期テストで自分の勉強の進度を確認できるし、友人の成績と比べることでうらやんだり、ねたんだりする(だから、テストの成績は簡単に他人に見せられない)。会社に入っても、こうした成績評価は常について回る。目標管理制度が導入されている職場なら、一定期間に達成すべき目標を定め、目的の達成度をもって働き方が評価される。成績評価だけではない。オンラインショップで類似した商品を比較するときには、他者が付けたホシのスコアを気にする。商品が決まったならば、価格順(もちろん安い順)に並び替えて、最安値を狙う。しかし、ここで注意しなければならないのは、送料無料かどうかである。最近では、商品の価格と送料の合計で並び替えてくれる親切なサイトも出てきているが、ちゃんと商品を届けてくれるか、梱包は丁寧か、クレームや返品に応じてくれるかも大事だ。こうした情報もショップに対するホシで評価されている。しかし、商品やショップに対するホシのスコアが高くてもクリックするのはまだ早い。関係者が自作自演で高い評価をつけているかもしれない。そんな業者にだまされないためには、評価の件数が多い商品やショップを選ぶべきだろうか。そう考えると、面倒になって近くの店舗で買ってしまうかもしれない。その価格がオンラインショップと比べて高いかどうかは、もう確認しないことにしてしまうだろう。
価値評価研究は何を分析対象とするか
さて、先に例示した、われわれの身の回りにあふれている価値評価であるが、価値評価「研究」(valuation studies)は何を分析対象とするのであろうか。価値評価とは、数量化、経済化(金銭的変換)、ランキング、比較など、形式的な基準に基づいた比較秤量の行動を全て含んでいる。つまり、会計学や経済学は、おのずと価値評価をその一部に含む研究領域である。価値評価をインターネットで検索してみれば、M&Aの際に買収先企業の経済的価値を評価するツールに関するファイナンスの書籍がヒットする。
では、価値評価「研究」は、会計学や経済学、ファイナンスなのかというと、そうではない。価値評価研究が分析対象とするのは、価値評価「実践」(valuation practice)だからである。これは、冒頭に記述した、われわれの身近にあふれる実践に他ならない。それは単に評価するという行動そのものではなく、評価されることによって導かれる行動変化、人々が評価基準に基づいて行動することを想定した戦略的反応、そうした戦略的反応に対する用心(そのために別の価値評価基準を探し求め)、さらには価値評価を考慮すること自体がわれわれに引き起こす心理的反応、これら全てが価値評価実践であり、価値評価研究はこれらの実践を分析対象とするのである。
換言すれば、価値評価研究は、なんでも数量化できたり、金額をつけたり、他にもなんらかの形式基準によって比較秤量できると考えているわけではない。しかし、企業には、数量化できない価値があると主張するものでも、人的資源は金銭に変えられない価値があるなどとセンチメンタルなことを主張するわけでもない。重要なのは、そういう評価をされない領域さえ、価値評価実践を通じて認識されているということなのだ。価値評価研究は、こうした形式基準に基づいた近代的な認識のあり方を全て問おうとするものであり、それによってわれわれの生活の全般に及びつつある利益中心主義的な開発目標を第一に据える新自由主義的な資本主義を批判的に検討することを目的とするのである。
価値評価研究のはじまり
さて、少しは価値評価研究に興味を持ち始めていただけただろうか。ここからは少し、価値評価研究の学術的成り立ちを紹介しておきたい。この研究の嚆矢として位置付けられるのは、社会学者ヴィヴィアナ・ロトマン・ゼライザーによる『モラルとマーケット:生命保険と死の文化』(千倉書房、1994年、田村祐一郎による翻訳)であり、人の命に値段をつけられるかという究極的な問題に挑むものである。不幸にも交通事故で人命が失われたとき、若い人ほど、収入が多い人ほど、より多くの賠償金を出すべきだろうか。それとも、人の命には値段がつけられないのだから定額で賠償金を支払うべきであろうか。世界の国々には、このいずれもの考え方がある。日本は人の命を値踏みする前者の立場をとっており、だからこそドライバーは高い自動車保険を支払うのである。
他方で、先進諸国を見てみても、人の命に差をつけることを嫌い、賠償金は定額に定められている国も多い。しかし、それは人の命をより尊重する帰結になるかというとそうではない。定額で設定されている賠償金は、当然ながら保険によって支払う金額としても織り込み済みとなり、日本のように存外の膨大な賠償金が請求される心配がなくなる。そうなってくると、むしろ人命を疎かにする暴走行為を誘導してしまうかもしれないのである。ゼライザーは、人命に対する価値評価に関する生命保険の計算プロセスが、単に経済的なだけでなく、各国の宗教の考え方に深く埋め込まれた文化的次元と不可分にあることを示した。残念ながら絶版になっているので購入は難しいかもしれないが、日本語訳も出版されているので、ぜひ関心を持った人は図書館で借りて読んでみてほしい。
学際的な価値評価研究
その後、価値評価研究は、ここ10年ぐらいの経営学で一つの大きなトレンドになっている。とくに2013年に専門誌Valuation Studiesが発刊され研究領域として確立された。われわれの価値評価研究も、2011年に神戸大学で開催された日本情報経営学会第62回全国大会の課題研究セッションから始まった。当時はまだ「価値評価研究」という呼び名もはっきりしていなかったことから「計算空間のアレンジメント」と題し、当時の若手が新しい研究にチャレンジし、いま振り返っても先鋭的であったように思う。その後、いくつかの国際ワークショップ・シンポジウムや出版企画を経て、2020年には、日本情報経営学会誌から「価値評価研究」特集号(40巻1-2号)が発刊された。掲載ベースでも16本の経験的研究が掲載されている記念碑的な論文集に仕上がり、第108回ワークショップでは、その特集号の執筆者のなかからご登壇いただいた。
さて、その特集号の巻頭には、専門誌Valuation Studiesの創設者の一人でもある、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のピーター・ミラーを招聘した時の講演録が掲載されている。そのタイトルは、「会計化、 組織化、 経済化」であって、同じタイトルの論文が、専門誌発刊と同じタイミングの2013年、Academy of Management Annals(Vol. 7, No. 1)でも発表されていた。そこで論じられているのは、価値評価研究は会計学と経営学(特に組織論)の共同研究が必要であるということである。会計学は、当然ながらそれ自体が価値評価の一部であるが、価値評価実践を見る視点を有していないし、さらには新たな価値評価実践を作り出していく価値創造については論じる言葉を持ち合わせていなかった。それは、かつては一体であった経営学が分化されて高度に専門化されたことによるものであって、会計は組織論に学ぶ必要があるというのである。
実際、価値評価研究には、経営学の組織論を含んで、極めて多様な参照理論が存在する。学際的アプローチだと言ってもよい。主要理論としては金融社会学やアクターネットワーク理論、制度派組織論、コンヴァンシオン経済学、最近では社会物質性、組織ルーティン、実践理論、Strategy as Practiceなどの理論がよく援用される。これらの理論は、どれひとつとっても理解するのが非常に難しいものばかりなのだが、それらの理論が同じ土俵に乗るというのは、価値評価研究以外にはないだろう。もちろん、それだけ価値評価実践が現代社会の根源的な現象に迫るものであることに他ならないわけであるが、経営学ないし社会科学の最新理論のショーケースとしても極めて興味深いのである。
ワークショップのメニュー
第一報告は、岡本紀明先生(立教大学)によって、会計学の立場から金融社会学を参照され、「M&Aを対象とした価値評価研究」についてご報告いただいた。岡本先生は、現在LSEで、ミラーの客員研究員として在籍され、ワークショップもイギリスからオンラインでご報告いただいた。価値評価研究の基礎的な研究領域の一つに金融社会学があるが、その第一人者としてエジンバラ大学のドナルド・マッケンジーが挙げられる。岡本先生は、エジンバラ大学でも客員研究員をされ、マッケンジーの著書を『金融市場の社会学』(流通経済大学出版会、2013年)に翻訳された。マッケンジーの代表的概念に、遂行性(performativity)という概念がある。金融理論は、投資行動の必要性のために考案されるのみならず、特にそれが万人に利用可能な装置となることによって、より多くの人々の関心を投資行動に惹きつけることになる。たいてい経済学の前提は、現実とは異なる理論上の市場を想定しているが、より多くの人々が金融装置を利用することによって現実の市場が理論通りになり、さらには理論を超えて破綻する金融危機を引き起こすのである。企業のM&Aが、いかなる価値評価ツールによって支えられ、また、価値評価ツールの発展によってどのような企業行動の変化を導きうるのか、一緒にお考えいただきたい。
第二報告では、天王寺谷達将先生(岡山大学)から「複数価値の追求と銘刻」と題してご報告いただいた。天王寺谷先生は、東田明先生(名城大学)、篠原阿紀先生(桜美林大学)と「複数価値の併存:マテリアルフローコスト会計の銘刻に着目して」(『日本情報経営学会誌』40(1-2)、 124-135頁、 2020年)を執筆された。この論文は、日本情報経営学会論文奨励賞を受賞した非常に優れた研究である。いろいろな価値基準が併存し、特にそれが矛盾する場合、われわれはどのように価値評価をすることができるのかという非常に重要な問いが投げかけられた。マテリアルフローコスト会計で、マテリアル(物質)がわれわれの価値評価の実践に極めて大きな影響を与えているというのが、理論的なトレンドでもある。リュック・ボルタンスキーの議論はどちらかというと抽象的な価値の次元が複数あると言っているのに対して、実践のレベルでは、もっと物的にわれわれの行動を拘束するような性質があり、それをうまく組み合わせるところが天王寺谷先生たちの報告ポイントになっている。経営学において物質性(materiality)という概念は、価値評価研究のみならず様々な研究領域で注目されているので、われわれの共著Materiality in Management Studies: Development of the Theoretical Frontier(Springer, 2022, Yatera, A.他との共著)を併せてお読みいただけると理解が進むだろう。
第三報告は、高橋勅徳先生(東京都立大学)から報告いただいた。高橋先生の特集号掲載論文は、学術論文でありながら非常に広く様々な方に読まれ、その後出版された著書『婚活戦略:商品化する男女と市場の力学』(中央経済社、2021年)は現在も売れ続けて、ベストセラーとなっている。『婚活戦略』の背景には、価値評価研究に持ち込まれる経営学の参照理論である制度派組織論がある。1980年代に勃興し、2000年以降の経営学を席巻している制度派組織論の肝要となる一つに、抽象化された形式的基準への同型化と、その形式的基準に基づいた具体的な実践の多様化がある。制度派組織論に関心がある方は、高橋先生と私が共編した『制度的企業家』(ナカニシヤ出版、2015年、桑田耕太郎・松嶋登との共編)を参照いただきたい。今回、高橋先生が注目されているのは、婚活パーティーなど婚活市場を仲介する企業の登場によって、人々は合理的にスペックの高い相手を探すように仕向けられるようになった。それは、必ずしも自分が望んでいたスペックではないかもしれないが、収入や職業、趣味などのデータベースが整備されることで、婚活戦略は過度にエスカレーションしてきたのである。
第四報告の金先生(東京大学大学院)は、学際情報学府社会情報学コース博士課程に在籍中で、経営組織論(とくに制度派組織論)や価値評価研究を研究テーマにしているが、ディシプリンは科学技術社会学に所属されている。科学技術社会学は価値評価研究にとっても最も重要な参照理論の一つであるが、金先生が関わった最新の研究成果に基づいて、科学技術社会学の最新動向をご報告いただいた。とくに、『アクターネットワーク理論入門:「モノ」であふれる世界の記述法』(ナカニシヤ出版、2022年、栗原亘による編著)は、難解なANTを紐解く数少ない解説本の一つであって(他にも『科学技術実践のフィールドワーク:ハイブリッドのデザイン』(せりか書房、2006年、上野直樹・土橋臣吾による編著)がある)、もちろん、それ自体重厚な研究書でもある。今回のワークショップでは天王寺谷先生の報告でもアクターネットワーク理論の鍵概念が利用されているが、必ずしも万人にわかりやすい概念であるわけではない。金先生の報告は、ANTの理論的バックグラウンドを含めて、その狙いとする論点が解説されているので、開催記録を併せてお読みいただきたい。さらに、金先生は最近、科学技術社会学とりわけANTの代表的な研究者であるブリュノ・ラトゥールとスティーヴ・ウールガーの記念碑的著書『ラボラトリー・ライフ:科学的事実の構築』(ナカニシヤ出版、2021年、立石裕二ほかの監訳による共訳)を邦訳された。ANTの原点とも言える著作の翻訳本に、金先生は重厚な解説論文を書かれており、極めて読み応えのあるものとなっている。ANTは近年のMBA論文でも人気のある理論の一つになっているので、ANTを使って見ようと思う人には必ず読んでほしい。
最後に、科学技術社会学の若き論客の金先生から、第一報告から第三報告に対する質問を投げかけていただいた。当日のワークショップでは、各報告に対して私から確認を兼ねた質疑もあったのだが、それよりも金先生からの問いかけに対する質疑応答を通じて、価値評価研究の可能性に対する理解を深めていただければと思う。
<参考文献>
- 栗原亘(編)(2022)『アクターネットワーク理論入門:「モノ」であふれる世界の記述法』ナカニシヤ出版
- 桑田耕太郎・松嶋登・高橋勅徳(編)(2015)『制度的企業家』ナカニシヤ出版
- Latour, B and Woolgar, S. (1979) Laboratory Life: The Construction of Scientific Facts, Sage Publications(立石裕二・森下翔(監訳)金信行・猪口智広・小川湧司・水上拓也・吉田航太(訳)(2021)『ラボラトリー・ライフ:科学的事実の構築』ナカニシヤ出版)
- MacKenzie, D. (2009) Material Markets: How Economic Agents are Constructed, Oxford University Press(岡本紀明(訳)(2013)『金融市場の社会学』流通経済大学出版会)
- Matsushima, N., Yatera, A., Urano, M., Yoshino, N., Hazui, S., Nakahara, S., Kijima, K., Kuwada, K. and Takayama, T. (2022) Materiality in Management Studies: Development of the Theoretical Frontier, Springer.
- 高橋勅徳(2021)『婚活戦略:商品化する男女と市場の力学』中央経済社
- 天王寺谷達将・東田明・篠原阿紀「複数価値の併存:マテリアルフローコスト会計の銘刻に着目して」『日本情報経営学会誌』Vol. 40、 No. 1-2、 124-135頁
- 高橋勅徳・木村隆之・石黒督郎(2018)『ソーシャル・イノベーションを理論化する: 切り拓かれる社会企業家の新たな実践』文眞堂
- 上野直樹・土橋臣吾(2006)『科学技術実践のフィールドワーク:ハイブリッドのデザイン』せりか書房
