特集
スタートアップ、新規事業創造に必要なエッセンス

  • 保田 隆明 (慶應義塾大学総合政策学部 教授)

起業がやっと市民権を得た?

 2022年4月、東京大学学部入学式での総長式辞のテーマは何だったかご存知でしょうか?ウェブで検索すると全文を読むことができますので、ぜひ読んでいただきたいのですが、実は「起業」がテーマでした。それを先読みしていたかのように、今回のワークショップのテーマはスタートアップ、新規事業創造でした。

 わが国において、起業やアントレプレナーシップがアカデミック界のど真ん中で議論されることは極めて稀です。経営学の世界では、商品の広告やプロモーション戦略を扱うマーケティング、企業内の組織のあり方を扱う組織論や人的管理論、企業の通信簿や成績表とも言える決算書を扱う会計学、そして資金調達に関わる金融論やファイナンスなど、ビジネスに必要な知識とスキルを提供するいくつかの学問が存在し、多くの学者が日々研究に勤しんでいます。

 一方、同じビジネスに必要な知識とスキルでも、起業あるいはアントレプレナーシップは、あまり学問分野として認知されていません。中には、「それらは学問ではない」とおっしゃるアカデミアの方々も少なくありません。日本の大学では、起業やアントレプレナーシップを扱う授業は多くありませんし、扱う教員も少数派です。アントレプレナーシップで学位を取ることもできません。実は米国でも、アントレプレナーシップの学位は修士号以上では取得できますが、学部でアントレプレナーシップの学位を授けている大学は多くありません。

 そのような状況において、東京大学入学式で突然「起業」がど真ん中で取り上げられたわけです。東京大学は起業するために必要な器を用意しているので大いに活用してほしいという内容でしたが、式辞の中身はそれにとどまりませんでした。「起業」という言葉からは、IT、インターネット系のベンチャー企業を想起することが多いと思われますが、それだけではなく「起業」とは、すなわち社会課題の解決を目的とするものであることを、多くの事例を紐解きながら東京大学総長は説いていきました。そこには、各方面の叡智を結集するコレクティブ(学際的)なアプローチが必要であることも付言されています。筆者には、東京大学が社会課題の解決エンジンたらんとする総長の一つの宣言のように思えました。

なぜコレクティブアクション(学際的アプローチ)が求められるのか

 さて、この学際的なアプローチはわれわれ学者が従来はあまり得意とはしてこなかったものです。専門性を極めることが是とされてきたわけで、「突然、学際的と言われてもねえ」というのが実際思うところではないでしょうか。企業のビジネスパーソンも同じかもしれません。マーケティングのスペシャリスト、会計や法律の専門家となってキャリアを築いていくというのは分かりやすい生き方だと思います。

 一方、近年だと例えばデザイン思考のように、従来はビジネスとは非常に距離が遠いと思われていたデザインが重用されるようになってきています。複数の専門分野をクロスさせることで、これまでにはなかった新しいアプローチが可能となり、ビジネスを、あるいは、課題解決をよりエキサイティングにできるという事例が増えてきています。

 今回のワークショップでは、3人の起業家の方々にご登壇いただきましたが、3人の話に共通していたのは、まさにクロス領域でビジネスを展開していることです。スポーツ×ゲーム、フード×エンターテイメント、フード×テックなどですが、他の軸のクロス領域としても語ることができます。

 なぜ、アカデミアの世界で起業が扱われることが多くなかったのか、その理由の一つは、まさにこの起業それ自身が学際的であり、さまざまな分野の知識やスキルを必要とするからです。アイデアを創発し、実際にプロトタイプの商品を作り出し、マーケティングが必要となります。ただ、そのためには資金調達が必要であり、投資家とのコミュニケーションも発生します。ひとたび軌道に乗り始めると、仲間を増やす(採用活動)必要が生じ、どのように社員に快適に働いてもらうかという組織論の中身も必要になってきます。

 ご登壇いただいた3人の話の中でも、起業してみるとさまざまな知識とスキルが必要になったこと、それらをある程度自分でも理解するようにしながらも、商品のコアな競争力に影響する部分については外部の専門家に頼っていることなどが語られています。教える側も同じで、起業やアントレプレナーシップを教えようと思えば、横断的な知識が必要になり、それは相当に骨の折れることであることは容易に想像がつきます。逆に、起業やアントレプレナーシップでは、専門性を高める、深掘りするというのは、やや当てはまらないことになるでしょう。

 このように、従来の専門性の深化が是とされてきたことと、起業やアントレプレナーシップは求められる軸や方向性がやや異なること、それゆえにあまり手付かずであったとも言えます。しかし時代が大きく変わり、今ではまさに学際的なコレクティブなアプローチで社会課題を解決する必要があり、そのためには、起業やアントレプレナーシップが果たせる役割は大きくなっているのです。

アントレプレナーシップをどうやって身につける?

 では、起業やアントレプレナーシップを学び、身につけるにはどうすればいいのでしょうか。米国のBabson Collegeは毎年MBAプログラムにおいてアントレプレナーシップ分野で世界ランキング1位を獲得しています。そのBabson Collegeの山川恭弘先生に、毎年神戸大学で集中講義を開講していただいています。筆者も昨年その初回授業を聴講させていただきましたが、そこで頭に残ったフレーズは「Action Trumps Everything」、つまり「行動はすべてのものを凌駕する」でした。

 起業や新規事業には、事業アイデアとそれを遂行するためのプランが必要です。それらをきれいな資料に作り上げて、ビジネスプランコンテストなどでプレゼンテーションをして、フィードバックをもらい、また資料をブラッシュアップする、そんなことをスタートアップ時は繰り返していきます。ただし、この会議室のためのプレゼンテーションは、言うなればスタートアップ1.0です。

 今回のワークショップにご登壇いただいたマイネットの上原社長は、新規事業立ち上げのコツをお話ししてくださっていますが、その話の中で「ハンマー調査」というものが登場します。これは、いくつかの事業案に対してテストするための予算を投じ、スモールスタートあるいは小さな実験を行なって、手応えがある事業があればそれに集中してリソースを投じて事業の立ち上げを行うというものです。「調査」という呼称からはPCでできるリサーチをイメージしがちですが、ここで最も重要なことは、実際に小さく実験してみるということです。これをスタートアップ2.0と呼んでみます。

 スタートアップ2.0で最も重要なことは「走り始めてみる」こと、つまり、プロトタイプやサンプル商品をユーザーに実際に試してもらい、会議室ではなくリアルな場でのフィードバックを得ることです。このリアルな場でのフィードバックを得る、あるいは、まずは商品を市場に出してみて、徐々に商品を改善していくというプロセスこそまさにAction Trumps Everythingと言えます。最近成功する起業家に必要な要素としてよく耳にするようになっている、エフェクチュエーション(effectuation)も、その中身は失敗を許容できる範囲でやってみる、柔軟に戦略を変えるなど、基本的にはAction Trumps Everythingの体現と言えます。

 起業やスタートアップを学び、身につけるのは、兵法を学び、身につけるのと同じように考えられます。そして起業家の話を聞くのは、歴史を学ぶことに近いのではないでしょうか。過去に一つたりとも同じ戦は存在せず、時代も戦局も陣容も異なるにも関わらず、過去の戦からはさまざまなエッセンスが学べます。織田信長が桶狭間の戦いで今川義元に勝利したという話と、今回ご登壇いただいた上原氏が語っていたベンチャーは弱者であるが故に全勢力を集中して一点突破するしかないという話は、なにか通じるものがあります。

ユーザーと共に作り上げる世界観:お客様から仲間へ

 竹内氏(Coloridoh  Inc. Founder & CEO)、塚田氏(World Matcha株式会社 代表取締役社長)は共に購入型クラウドファンディング(CF)を実施しています。お二人の話では、計画的にCFを利用したというよりは、使えるものはとにかく使ってみよう、試してみようという流れで実施したことが分かります。幸いにもお二人ともCFには成功し、その後の事業展開に大きな示唆を得たとも話していましたが、CFは初期のファン作り、コアユーザーの獲得に寄与します。また、やってみた結果から見えてきたことをもとに、事業展開を一段、二段とレベルアップしていく様子は、まさにエフェクチュエーションそのものとも言えるでしょう。

 自社プロダクトを応援してくれるコミュニティを形成しつつ、事業展開への示唆を得る、このように書くといいことずくめのように感じられます。しかし、もしもCFがうまくいかなかった場合は、コミュニティ形成も事業展開への示唆も得られないばかりか、そもそも事業の可能性が否定されるかのような状況になってしまいます。ですから、CFへ挑戦するには相当な勇気が必要だったことでしょう。そのリスクを取ってアクションしたからこそ、リターンを得ることができたということになります。 

 本原稿を書いている2022年4月下旬には、テスラのイーロン・マスクCEOが、ツイッターに対して買収提案をしたというニュースが飛び込んできました。テスラも、やってみる、改善する、やってみる、改善する、を繰り返して事業を大きくしてきた1社です。そして、今や時価総額が100兆円を超えるまでになっています。テスラの完全自動運転は、ベータ版です。実際にテスラを運転している人たちのデータの蓄積をもとに、より精度の高いサービスを提供していくことになっています。いわば、大きな社会実験ですが、購入者を実験協力者にしてしまうという発想は従来ではなかなか出てきません。しかし、やってみよう、というそのスピリットに共感する人たちが実際の購入者となるという、一つのコミュニティが出来上がっていると言えます。

 このように考えると、現代における起業やアントレプレナーシップは、従来のお客様発想を仲間作りへの発想に切り替えたものになってきているのではないでしょうか?竹内氏はCFをやってみた感想として、「小難しいことを言い過ぎた、もっとシンプルに自社商品の楽しさを訴求した方が、お互いに楽だったのではないかと思う」と発言されていました。これは、仲間へ呼びかける姿勢にしていれば、もっと響いたのではないかということでしょう。

 今回のワークショップにご登壇いただいた起業家の3人は、全員40代でした。40代で起業すると聞くと怖い、遅いという印象を抱く方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、仲間づくりをするには、40代というのは上の世代も下の世代も理解しやすい、非常にいい年齢層でしょう。そんな3人が繰り出してくれた素敵なトークを開催記録としてとりまとめていますので、クッキーと抹茶と共にお楽しみください。