特集
俊敏さに回帰するマーケティング:
脱・戦略計画が、なぜ、今、私たちに必要か
なぜ俊敏な動きを絶やさないことが合理的なのか
2020年にはじまったコロナ禍の影響が今なお続く。一変してしまった市場環境。しかし、保たれている日常もある。そのなかで私たちは新たな進路を見いだし、前進していくしかない。
このような状況下で、俊敏に動くマーケティングの重要性が今、増している(Kalaignanam et al. 2021; 山本 2021; 栗木2022)。本稿では今、この俊敏なマーケティングを採用することの合理性を、予測制御を前提としてきた戦略計画型のアプローチとの対比のなかで検討してみたい。
一変してしまった市場環境
コロナ禍を受けたニューノーマルの日々を、私たちは生きている。この新たな日常においては、人々の移動や交流などが控えられるようになり、危機に直面することになった産業がある一方で、需要のシフトやオペレーションの変化により、販売や収益性が上向いている企業もある。
はじまってみると、ニューノーマルは一つの定常状態ではなく、変化の絶えないダイナミックなプロセスであった。ニューノーマルのもとでビジネスに吹き付ける風の向きや強さは、時々刻々と変化していく(栗木 2022)。感染対策の充実やワクチンの接種が進む一方で、新たな変異株が生まれたり、世界の各地域での感染状況が変化したりするたびに、人々のあいだに新たな期待や評価が生まれ、欲求や行動の変化が生じ、さらにはグローバル・サプライチェーンを通じて増幅されながら、複雑な関係のなかで影響が各所に広がる。
マーケティングは、こうした止まらない変化にいかに応えていくのか。局面の変化は市場の常だが、コロナ禍によってその頻度やインパクトは増している。そして5年先どころか、半年先の社会の状態すら、誰も見通すことができなくなっている。このような状況のもとでは、正確な予測や裏づけを求めていると、企業はいつまでも動き出すことができない。すぐにできそうなことを見つけて、ラフな見通しをさっと描いては動き出すことを繰り返さなければ、変化していく状況を指をくわえて眺め続けることになる。必要となっているのは、綿密な計画の練り上げよりも、素早く行動してみることを絶やさない「俊敏なマーケティング」への回帰である。
現代の経営課題としての俊敏なマーケティング
こうしたマーケティングの俊敏さへの注目は、2020年のコロナ禍の発生によって突如として生じたわけではない。日本の国内市場についていえば、人口減が進む国が経済面での活力を保つには、企業をはじめとする各種の組織が新たな事業を創出し、社会や産業の変化を導いていく必要がある。これは、コロナ禍の状況が今後どう転じていこうとも、日本の社会が中長期にわたって向き合い続けなければならない課題である。各種の企業が既存の市場で獲得した顧客を守り抜くだけでは、将来展望を描くことは難しく、新たな市場をつくりだすことの重要性が増していることは、コロナ禍が発生しようがしまいが、変わりないのである(栗木 2018)。
そこでの日本企業にとっての一つの解は、事業のグローバル化であった。しかし、そもそもあらゆる国内事業を海外展開できるわけではない。地政学的な変化のなかで、グローバル化に事業の未来を託すことのリスクも高まっている。そのなかでのもう一つの解として、市場創造の担い手となる起業家(entrepreneur)への期待が、社会そして企業において高まっている
経営学やマーケティング論における起業家とは、個人で新たな事業を興す個人起業家とともに、企業などの組織のなかで新規事業などを興す社内起業家も含めた人物を指す(角田 2002)。これらの起業家が社会のなかでになう共通の役割は、科学技術上の知見を製品やサービスへと変換することで社会実装を推し進めたり、その時々の経済空間における非効率を発見して解消したり、社会における変化のエンジンを提供したりすることである。
そしてその結果として起業家は、製品やサービスを、その生産に要する費用よりもはるかに高い価格で販売できるようになるという事業上の機会を手にする。これを起業家的機会(entrepreneurial opportunity)という。この機会を得ようとする起業家は、リソースの結合において、「他の人々に知られていない」何らかの新しい組み立てや組み合わせを実現しなければならない(Schumpeter 1926; Kirzner 1979; Casson 1982; Shane & Venkatraman 2000)。起業家の活動は不完全情報のもとにある市場において可能となり、起業家的機会は、既知の業界や共創図式のもとでの最適解を導出することからは生まれない。
起業家的機会は、社会や産業のさまざまな箇所に潜在しているわけだが、21世紀にあって国内外の各種の産業に多くの起業家的機会をもたらしてきたのは、デジタル・テクノロジーの開発や活用である。このデジタル・ワールドもまた変化が早い。これを受けて新たに提唱されてきた経営やマーケティングの諸論も共通して、俊敏な行動を絶やさないことが、予測の精度を高めることや計画を練り上げることよりも、そこでの事業制御の見込みや成功の可能性を高めることを説く。この流れに属する諸論としては、たとえばエフェクチュエーション(Sarasvathy 2008)、デザイン・シンキング(Brown 2009)、リーン・スタートアップ(Ries 2011)、顧客開発(Blank & Dorf 2012)、ビジネス・アジリティ(山本 2021)、ダイナミック・ケイパビリティ(Teece et al. 1997)、ウーダループ(Richards 2004)、右脳思考(内田 2018)などを挙げることができる。

暴風雨のなかで蟻たちはどう行動するか
企業をとりまく市場環境の変化については、今後も予断は許されない。だがコロナ禍のもとでも、世界中のビジネスは一時的に縮小することはあっても、止まりはしない。そしてデジタル経済への移行は加速する一方だといえる。「予測可能なのは、予測が成り立たない状況が続くこと」という、予測至上主義者にとっては皮肉な事態が続くなかで、企業は経営を続けていかなければならない。
1978年のノーベル経済学賞受賞者であるH. サイモンは、『システムの科学』のなかで、蟻の足跡などを題材にし、ごくシンプルな行動システムでも、環境からのフィードバックを受けて軌道修正を繰り返していくことで、複雑な環境をとらえ、対応できることを説いている。サイモンにならって、コロナ禍のような危機のもとでのビジネスの論理を考察してみよう。
もし暴風雨に襲われたとき、蟻たちはどうするだろう。急いで巣穴に引き返すはずだ。しかし蟻たちは、じっと巣穴にこもり続けるわけではなく、一時的にでも風雨が弱まれば、巣穴の外に頭を出して様子をうかがい、チョロチョロと活動を再開するだろう。変化してしまった周囲の環境を小出しに探り、食料などを見つけては持ち帰るだろう。
コロナ禍のもとにあって次の機会をうかがう各種の企業の動きは、この蟻たちなどの行動とどこか似ていないか。あなたが関わる企業、あるいは組織はどうだろうか。
世界中のビジネススクールなどで教えられてきた戦略計画型の行動、つまりあらかじめ綿密な戦略を立案してそれを実行していくというアプローチは、見通しが立つ環境のもとにおいては絶大な効果を発揮する。だが未来の予測が困難な状況においては、この方法が合理的だとはかぎらない。
「犬も歩けば棒にあたる」という。この格言をどのように受け止めるか。一つの解釈は、行き当たりばったりの行動を繰り返していては、何かに打たれたり、ぶち当たったりするリスクが高まるというものである。そこで戦略計画は、綿密に練り上げた計画に沿って整然と行動するアプローチを推奨する。たしかに不用意にフラフラと出歩かない方が犬にとってのリスクは少なく、心地よく惰眠をむさぼることができる。だが、生存を揺るがすような危機のなかにあっても、このアプローチは通用するのか。
大航海時代の帆船の旅に例えてみよう。天候に恵まれた静かな海での航海は、出航前の計画通りに順調に進んでいき、乗客たちは洋上での日々をのんびりと過ごす。しかし海が荒れ、予想外の天候に巻き込まれると、そうもいってはいられない。船上でのまどろみから、乗り合わせた人も、犬も猫もたたき起こされる。刻々と変化する空と海をにらみながら、船の舵を切り変えつつ、急いで帆を下ろす。そして総出で櫂を漕ぎ、船内に入り込んでくる水をかきだし、場合によっては積み荷を海に投げ捨ててでも、転覆や沈没を防ぎ、前進を絶やさず安全な港に逃げ込まなければならない。
ここで犬や猫にできることは、不安げにウロウロと歩き回ることしかないかもしれない。とはいえ誰もが惰眠どころではなくなる。俊敏に行動し続けなければ、船を失い、嵐の海に投げ出されるかもしれないのだ。
俊敏なマーケティングの出番
惰性の行動を続けていては、コロナ禍のもとでの変化についていくことは難しいわけだし、デジタル・テクノロジーがもたらす変化から生じる機会をとらえることもかなわない。ニューノーマル、そしてデジタル・ワールドのなかでのマーケティングの課題は、確かな予測や見通しを得ることは困難であっても、行動を止めないことであり、行動を続けることから見えてくる局所での可能性をとらえ続けることである。
そのために、先述したエフェクチュエーションをはじめとする、21世紀に台頭してきた脱戦略計画型の緒論の重要性が今、一段と高まっている。だからこそ私たちは、蟻たちのミクロな行動の合理性を問い直してみるべきなのである。
脱・戦略計画型のアプローチに見られる共通項は、行動を起こすことの重要視である。これらのアプローチは、歩くことで棒に打たれることを避けようとするのではなく、そこで生じる新たな気づきや情報の取得を活用しようとする。出る杭は打たれるが、打たれることによって新たな情報や気づきを獲得できる。この行動することがもたらすフィードバックを活用しようとすることが、脱・戦略計画型のアプローチの共通項である。
こうした俊敏なマーケティングの活用は、コロナ禍以前から広がりはじめていた。デジタル・テクノロジーの導入が進む各種の市場においては、マーケターが立ち止まって思考することができる時間の猶予は一段と短くなっていた。新しい技術、システム、ビジネス・モデルが次々に生まれ、顧客の行動は流動化し、備えるべき競争の範囲の拡大も止まらない。こうした変化への俊敏な反応の必要性に、コロナ禍が拍車をかけた。
今、私たちは、社会や市場の未来を正しく確実に見通すことが、ますます困難な状況に置かれている。だが慌てることはない。未来に対応するには、予測に頼らない方法もある。
サイモンが述べるように、歴史のなかで人類と文明は、予測だけではなく、フィードバックの仕組みを活用してきた。社会システムの望ましい状態と実際の状態との乖離に応答する、その場その時の行動を絶やさずに続けていれば、正確な予測は入手できなくとも、環境の変動にシステムを着実に適応させていくことができる。
少なくともマーケティングについていえば、確実な見通しはなくとも今できることがあるなら、素早く行動すればよいわけだ。日々の状況を見ながら俊敏に動き、棒に打たれて反応していくことから、マーケティングの未来は開ける。われわれは、この俊敏なマーケティングの意義と活用について、認識を深めていく必要がある。
<参考文献>
- 内田和成(2018)『右脳思考:ロジカル・シンキングの限界を超える観・感・勘のススメ』東洋経済新報社
- 栗木契(2018)「デジタルで、打って出よう」, 栗木契、横田浩一(編著)『デジタル・ワークシフト:マーケティングを変えるキーワード30』産学社, pp.1-8
- 栗木契 (2022)「『みんなでワイワイはもう戻らない』ワタミの"脱・居酒屋"の大転換をバカにはできない:動かなければ死んでしまう時代」PRESIDENT Online, 2022/01/09, https://president.jp/articles/-/53340
- 角田隆太郎(2002)「起業家とベンチャー企業」, 金井一賴、角田隆太郎(編著)『ベンチャー企業経営論』有斐閣, pp.27-57
- 山本政樹(2021)『Business Agility』プレジデント社
- Blank, S. and B. Dorf (2012) The Startup Owner’s Manual; The Step-by-Step Guide for Building a Great Company, K & S Ranch(堤孝志(訳)、飯野将人(監修)『スタートアップ・マニュアル:ベンチャー創業から大企業の新事業立ち上げまで』翔泳社、2012年)
- Brown, T. (2009) Change by Design Revised and Updated: How Design Thinking Transforms Organizations and Inspire Innovation, Harper Business(千葉敏生(訳)『デザイン思考が世界を変える:イノベーションを導く新しい考え方』早川書房、2019年)
- Casson, M. (1982) The Entrepreneur: An Economic Theory, Martin Robertson
- Kalaignanam, K., K. R. Tuli, T. Kushwaha, L. Lee, and D. Gal. (2021)” Marketing Agility: The Concept, Antecedents, and a Research Agenda", Journal of Marketing, 85(1), pp.35-58
- Kirzner、 M. (1997) “Entrepreneurial Discovery and the Competitive Market Process: An Austrian Appriach”, Journal of Economic Literature, 35 (1), pp.60-85
- Richards, C. (2004) Creation to Win: The Strategy of John Boyd, Applied to Business, Xlibris(原田勉(訳・解説)『OODA LOOP:次世代の最強組織に進化する意思決定スキル』 東洋経済新報社、2019年)
- Ries, E. (2011) The Lean Statup, Crown Business(井口耕二(訳)、伊藤穣一(解説)『リーンスタートアップ』日経BP社、2012年)
- Sarasvathy, S. D. (2008) Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise, Edward Elgar Publishing(加護野忠男(監訳)、高瀬進、吉田満梨(訳)『エフェクチュエーション:市場創造の実効理論』碩学舎、2015年)
- Schumpeter, J. A. (1926) Theorie der Wirtschaftlichen Entwicklung: Eine Untersuchung Über Unternehmergewinn, Kapital, Kredit, Zins und den Konjunkturzyklus ,2 Aufl, Duncker & Humblot(塩野谷祐一、中山伊知郎、東畑精一(訳)『経済発展の理論』岩波書店、1977年)
- Shane, S. and S. Venkataraman (2000) “The Promise of Entrepreneurship as a Field of Research”, The Academy of Management Review, 25 (1) pp. 217-226
- Simon, H. (1996) The Sciences of the Artificial Third edition, The MIT Press(稲葉元吉、吉原英樹(訳)『システムの科学 第3版』パーソナルメディア、1999年
- Teece, D. J., G. Pisano, and A. Shuen (1997), "Dynamic Capabilities and Strategic Management," Strategic Management Journal, 18 (7), 509-533.
