特集
企業の税制適応行動と戦略策定・政策立案 ―税務行動研究のEBPMを通じた社会実装に向けて―

  • 鈴木 一水 (神戸大学大学院経営学研究科 教授)

問題の所在

 政府税制調査会による令和5(2023)年6月の中期答申「わが国税制の現状と課題―令和時代の構造変化と税制のあり方―」は、税制、特に租税原則の例外である経済政策、社会政策その他の政策的理由に基づく租税特別措置等について、EBPM(Evidence-based Policy Making: 証拠に基づく政策立案)の考えに基づき、客観的なデータに基づく分析・検証が求められることを指摘している。また、同月に閣議決定されたいわゆる骨太の方針でも、EBPMの取り組みを着実に強化しながら税体系全般の見直しを推進することが表明されている。こうした動向を見据えて、第115回ワークショップを「企業の税制適応行動と戦略策定・政策立案―税務行動研究のEBPMを通じた社会実装に向けて―」というテーマで開催した。

 企業が負担する税金は、企業経営に大きな影響を与える。企業所得にかかる税金は、税引前利益の30%を超える。また、グローバルミニマム課税のように、外国子会社の法人所得税を肩代わりさせられる税制も登場している。消費税においても、企業活動のグローバル化にともなう国境を超えたサプライチェーンの構築やデジタル経済の進展にともなうデジタルプラットフォームを介した越境ビジネスの拡大による取引の内外判定の複雑化や、外国人旅行者向け免税制度の悪用などは、非常に大きな税務リスクを企業に負わせている。このように、税コストは企業の組織化や活動にともなう重大な取引コストであるため、企業の経営戦略にとって税制は重要な考慮事項となり、有効な税務計画の策定と実行は主要な経営課題である。

 税コストが企業の戦略策定にとって重要な取引コストであることが意識されれば、有効な税務計画に基づく企業の組織化や活動は税制適応行動と理解される。日本企業の稼ぐ力と企業価値を向上させるためには、税引後のキャッシュフローを最大化する有効な税務計画を経営戦略の中に織り込んでいくことが、必要であろう。したがって、企業の税制適応行動のプロセスを解明することは、日本企業の企業価値の向上に役立つと考えられる。

 企業の税制適応行動のプロセスを解明することは、政府の税制立案にとっても有益である。それによって、税制改正の税収やその他の政策実現に与える影響を予測するとともに、その効果を評価することが可能になるからである。政府は税制に関して2つの役割を果たす。1つは税収確保すなわち徴税者であり、もう1つは政策を実現するために節税機会を提供するビジネスパートナーである。

 税制は、その時々の産業政策や社会政策などのさまざまな政策目標を実現するための経済的インセンティブを提供する手段としても活用される。最近では、賃上げ税制や国内生産促進税制といったものが、租税特別措置として設けられている。ところが、政府がせっかく優遇税制を創設しても、企業がそれを活用する税務計画を立てて実行に移さないと、優遇税制は機能せず、政策目標を達成することはできない。企業の税制適応行動を理解することは、企業の戦略策定だけではなく、税制を立案する政府にとっても重要な考慮事項となるのである。そして、企業の税制適応行動の予測、評価のための枠組みとその証拠を提示することが、政府のEBPMに求められるのである。

 第115回ワークショップでは、このような問題意識のもとで、企業の税制適応行動に関する研究例を3名の登壇者にご紹介いただいた。この研究例を題材として、税金に関する研究成果を企業の戦略策定や政府の税制立案に活かすべく、その可能性についてディスカッションした(図参照)。

税制適応行動解明のための分析枠組み

 企業の税制適応行動は、有効な税務計画に従う。税務計画の目的は、企業の税引後キャッシュフローの最大化である。税引後利益の最大化でも税額最小化でもない。利益数値は、会計処理方法の選択や会計上の見積りを通じて、ある程度操作できる。したがって、税引後利益の最大化を図っても、それが会計操作を通じたものであれば、企業価値を向上させることにはならない。また、税務計画の実施は、キャッシュ・アウトフローをともない税引前キャッシュフローを減少させることがある。税額の最小化を図ったとしても、そのために税引前キャッシュフローが大きく減少すると、税引後キャッシュフローを最大化することはできず、企業価値向上には貢献しない。したがって、税務計画を有効なものにするためには、税引後キャッシュフローの最大化が求められるのである。

 税務計画を有効なものにするためには、4つの多角的かつ包括的な視点からの検討が必要である。

 第1に、当該企業自体だけではなく、株主、経営者、従業員、取引先、債権者などの企業を取り巻く各種利害関係者を含めた全体としての税引後キャッシュフローの最大化を目指さなければならない。政府も、優遇税制の提供者としての役割を果たすときは、ビジネスパートナーとして利害関係者に含められる。そして、全体として最大化した税引後キャッシュフローを、契約を通じて利害関係者間で再配分するのである。

 第2の多角的・包括的視点は、すべての課税管轄を利用することである。国や地域が異なれば適用される税制も異なるので、どの課税管轄で所得を得たり取引するかによって、税負担も異なってくる。そこで、グローバルに事業を展開する企業は、事業拠点や無形資産の地理的配置について検討し、地球規模での税引後キャッシュフローの最大化を目指すことになる。

 第3の多角的・包括的視点は、顕在税のみならず伏在税も含めたすべての税コストの考慮である。顕在税とは、企業が課税当局に対して「税金」という形で支払うものである。他方、伏在税とは、課税優遇による投資対象に対する需要増大にともなう価格上昇から生じる税引前投資利益率の低下である。たとえ顕在税の最小化を図っても、伏在税が増加すれば税引前キャッシュフローが減少するので、税引後キャッシュフローを最大化することはできない。例えば、課税優遇地域への投資は、所得にかかる顕在税を減らすが、他の企業も課税優遇を求めて同じ地域に一斉に投資すると、土地価格、建設代金、人件費その他の諸経費などの上昇を招き、税引前投資利益率が低下、すなわち伏在税が発生し、顕在税と伏在税をあわせた税コストの削減につながらないことがある。これでは、有効な税務計画とはいえない。

 第4の多角的・包括的視点は、税コストだけではなく、税務計画にともなうすべてのコストを考慮に入れることである。確定決算主義によって課税所得計算と財務報告とが密接に結び付くわが国では、税額を削減するために課税所得を減らすと、それに連動して財務報告利益も減少しやすい。財務報告利益の減少は、当該企業の信用を低下させ、資金調達コストや納入価格などの上昇を招き、財務報告コストを生じさせる恐れがある。また、経営者によるエージェンシーコストを削減するためにインセンティブ報酬を経営者報酬として採用しても、インセンティブ報酬は課税所得計算上損金不算入となることが多く、その場合、税コストが上昇することになる。逆に、税コストを減らすために損金算入可能な企業業績に依存しない定額報酬を採用すると、エージェンシーコストが生じる恐れがある。さらに、行き過ぎた租税回避行動が露見すると、社会的批判を浴びて消費者による不買運動が広まり、企業業績が悪化するという評判コストが生じるだけでなく、税負担を増加させる税制改正や課税当局の厳しい税務行政の執行による負担増といった政治コストも生じかねない。税務計画にともなう財務報告コスト、エージェンシーコスト、評判コスト、政治コストなどが生じると、たとえ税コストを削減できたとしても、税引前キャッシュフローが減少して税引後キャッシュフローを最大化することはできない。したがって、税以外のこれらのコストも税務計画では考慮する必要がある。

 企業の税制適応行動を解明するためには、これらの多角的かつ包括的視点から税務行動に影響すると予想される諸要因が、税務計画にどのように織り込まれているかに着目して分析を進めなければならない。

EBPMに資する研究方法

 EBPMが有効に機能するためには、まず証拠による検証の対象となる理論の構造、すなわち理論モデルを明確に示すことが重要である。「なぜかわからないけど、こうなっている」という証拠の示し方では、説得力のある提言ができない。理論モデルの分析では、前述の4つの多角的かつ包括的視点を織り込んだ分析枠組みに基づいて、企業の税務行動を説明する諸要因をモデル化し、その均衡状態を企業あるいは課税当局の最適反応と捉え、その性質を明らかにする。

 今回のワークショップでは、慶應義塾大学の村上裕太郎教授に、経営者報酬や交際費のような税務上の損金算入制限のある契約や取引に税制が与える影響に関する理論分析の研究例を紹介していただいた。そこでは、契約理論(エージェンシー理論)のモラルハザードのモデルを使って、企業が税コストとエージェンシーコストとのトレードオフ問題に直面していることや、損金不算入割合の変更が経営者の努力水準や企業価値に影響することを示している。この研究は、多角的かつ包括的視点の中の税コストとその他のコストを含めたすべてのコストの視点に基づく分析に位置づけられる。この成果は、企業の経営戦略策定と政府の税制立案の両方に示唆を与えるものとなっている。

 EBPMのための証拠提示方法としては、伝統的にはアーカイバルデータを使った実証分析が長らく主流の地位を占めてきた。アーカイバルデータとは、公表されているデータベースに記録されたデータであり、企業財務データなどが主要なものである。企業の税制適応行動に関する研究でも、各種データベースに格納された企業財務データとその他のデータを統計処理して、企業の特定の税務行動と、前述の分析枠組みからそれに影響すると予想される諸要因との間の平均的な関係を推定し仮説を検証する。

 今回のワークショップでは、神戸大学の安間陽加准教授に、アーカイバルデータを使った実証分析例として、所得拡大促進税制の有効性に関する研究成果を紹介していただいた。そこで得られた証拠は、この税制を含む優遇税制は限界顕在税率の高い企業によって適用される傾向があること、所得拡大促進税制の適用は限界顕在税率を低下させる一方で伏在税率を上昇させている可能性があることを示しており、政策税制の有効性の評価に貢献するとともに、企業による賃金体系の設計にも資するものとなっている。この研究は、多角的かつ包括的視点の中の顕在税と伏在税を含むすべての税コストの視点からの問題意識に基づいたものである。

 最近では、アーカイバルデータではなく、実験により得られたデータを使う実験研究も進められてきている。上場会社の財務データ等は一般に入手可能であるが、個別企業の税金に関するデータは公表されていないため、アーカイバルデータだけでは、分析に必要な個別企業のデータの入手に限界がある。そこで、実験を通じて分析に必要なデータを収集しようというのである。しかし、このワークショップでは時間の制約から、この種の研究例の紹介を省略した。

 その代わり、今後、ビッグデータの整備の進展と利用範囲の拡大によって実証研究の可能性が広がるものと期待されるため、関西学院大学の地道正行教授から、ビッグデータを活用した研究方法の現状と将来の可能性について、日本の東証プライム上場会社、世界の上場会社、さらに非上場会社の財務諸表データを利用して、再現可能性を担保しつつ、可視化と統計モデリングを実行する探索的解析の試みについて解説していただいた。再現可能で可視化された分析結果をフィードバックすることは、EBPMにとってきわめて重要である。ここで指摘されたビッグデータ解析を可視化し再現可能性を確保するための工程と課題は、今後の実証研究のあり方に一つの示唆を与えている。

結びにかえて

 客観的なデータに基づく分析・検証は、政府の政策立案だけではなく、企業の戦略策定にも求められる。税金は、企業にとって大きな取引コストであり、国にとっても存立にかかわる資金源であると同時に国民生活に重大な影響を及ぼし、かつ、企業行動を制御する政策手段としても利用される。したがって、EBPMを通じて、企業の税制適応行動に関する研究の成果を社会実装することは、企業の経営戦略策定と政府の政策立案の両方に求められている。これまで税金の問題を取り上げたワークショップは開催していなかったので、今回、この機会を持てたことは大変意義深いことといえよう。

 当日の講演後やパネルディスカッションでは、多くの質問も出て、第115回ワークショップは実りのある回となった。このワークショップの開催記録も併せて読んでいただきたい。また、今回のワークショップの問題意識、分析枠組みおよび研究方法に関しては、2024年4月に同文舘出版から出版された『税務会計研究ハンドブック―EBPMのための理論・実証分析序説―』に詳しくまとめられている。関心を持たれた方は、ぜひご一読いただきたい。