プロフェッショナルの仕事術
数字の読めない銀行員、MBAに行ってみた

  • 香西 志帆 (株式会社百十四銀行よりShikokuブランド株式会社へ出向中)

<略歴>
2022年 神戸大学MBA修了
(銀行員)
香川県高松市出身。大学卒業後、地元銀行に就職。窓口勤務を経て、社内報を担当。全国社内報企画コンペティションで2年連続金賞を受賞。2017年より広告宣伝業務と並行して地域の特産品の企画開発にたずさわる。「まんのうひまわりオイル」ほか全国で50品以上の特産品を企画。
(映画監督)
2006年より中島貞夫監督に脚本を学びはじめる。2012年、ことでん路線開通百周年記念映画『猫と電車 ―ねことでんしゃ―』で長編映画初監督。2014 年、長編映画第 2 作目『恋とオンチの方程式』を本広克行監督プロデュース制作。以降、150本を超える映画やCMなどを手掛けている。

◆神戸大学MBAを受験した理由「自信を持ってコンサルしたい」

 私は大学卒業後に銀行に入行しましたが、銀行員らしい仕事をしたのはわずか2年。それ以降は、希望していた社内報編集や広告宣伝、イベント担当をしていました。言うならば、銀行員生活20年以上「銀行業務外の銀行の仕事」をしてきたのです。一方で、理由は割愛しますが、映画を撮り始めました。「うどん県」のプロモーションが話題になり、映画も低予算ながら全国上映できるなど活躍の場が広がっていく中で、自治体からの特産品開発と地域ブランディングの相談がありました。特産品を企画・開発し、開発した商品が農林水産大臣賞を受賞しました。それがきっかけで、2020年からは銀行が出資した地域商社に出向しました。

 いざコンサルタントになってみると、幅の広い最新の知識が求められました。月1回のアドバイスで、新商品が作られたり、経営に影響を与えることもあります。財務の知識が全くなかった私は、不安でいっぱいになりました。自信を持って経営のアドバイスをしたくて、藁にもすがる思いでMBAの願書を取り寄せたのがスタートでした。

 図1は、MBA志願時の、私のリスキリング考です。緑色が「足りない」「あったらいいのに」と思う知識でした。その知識を得るためにMBAに行ってみようと思ったのです。

図1 私のリスキリング考(緑色の部分が足りない知識)

「まんのうひまわりオイル」ブランド商品

さぬき蛸といりこの瀬戸内アヒージョ

開発・ブランディングを担当した商品

◆出産、子育てから一気にMBAに飛んでみた

 その地域商社が創設された2020年は、出産した年でもありました。出産前までの私は、妊娠9ヶ月くらいまで映画を撮ったり、県外のイベントに登壇したり、大きなお腹で妊婦とは思えぬアクティブな日々を送っていました。ところが、出産後は子育てで引きこもる生活が続きました。毎日1時間だけ子どもを母に見てもらって、それ以外は育児という生活です。育休は半年しか取得しませんでしたが、それだけで社会で必要とされている気がしなくなりました。入学前の私にとってMBAに進学することは、自分に武器を身につけることを意味していました。また、経済誌で頻繁に特集されていた「地方銀行はもういらない」という内容が本当に正しいのか自分で調べてみたかったのです。

 受験対策で行ったことは、英語の辞書を買って、日経新聞を昼休みに読んだくらいですが、研究計画書作成においては、経営企画部にヒアリングし、関連書籍を何冊も読んで仕上げました。

◆入学後、勉強が「贅沢な時間」だと感じた1年半

 入学直後、大量のレポートや教科書を読むことも追いつかず、あまりのストイックさに一瞬だけ入学を後悔しました。もう無理だ、修了できないと何度も思いました。レポートに取り組む時間も土曜の朝しか取れず、単位を落とすことがありました。しかし、全く褒められることではありませんが、単位をいくつか落としてから心がスッと楽になり、「学び」を楽しめるようになったのです。京都大学の授業や病院経営の授業など他学部の授業も可能な限り参加し、結果的に単位を大幅にオーバーして修了できました。

 これまで、勉強はやらなきゃいけないものだと捉えていました。ところが、MBAで仲間と勉強を続けるうちに、大人が学べる環境にいられることは、この上なく贅沢な時間だということに気づかされました。MBAで過ごす学びの時間は、当時1歳の子どもの子育てとフルタイム勤務で過ごす私の週に一度のご褒美のようにも思え、知識によって世界が広がることをも知りました。

 

◆卒業後の変化(まとめ)

 ここで、「数字の読めない銀行員、MBAに行ってみた」結果をまとめました。

  1. ビジネス書や論文が要領よく面白く読めるようになり、読書量が倍増した
  2. ビジネスにおける知識とスキルが向上し、自信につながった
  3. ビジネスをいろいろな側面から見ることができるようになった
  4. より多くの情報を集められ、まとめることができるようになった
  5. 情報収集から資料作成や企画書づくりが得意になり、講演する機会が増えた
  6. 深く話せる友達や先輩ができた

◆MBAで得た知識を実際にどう生かしているか

 上記(まとめ)により、広島大学をはじめいくつかの大学で「地域ブランディング」や「キャリア」などをテーマに話すことができるようになりました。また、映画の舞台挨拶以外で講師として招待していただける機会も増えています。国や自治体などでの肩書も増え、現在8枚の名刺があります。会社でもプライベートでもやりたいことや新しいことに挑戦する機会が増え、映像の仕事ではNHKのディレクターとして連載番組を持たせてもらいました。これらは、4と5のおかげです。

 今は、パリのオペラ座の演出家と日本の能楽師と一緒に、瀬戸内国際芸術祭2025のパフォーマンスの企画をしています。また、教育で自分が変わることを実感できた私は、和歌山県で「探求型グローカル」な学校づくりにも参画しています。

 一般的に、クリエイティブとは真逆にあるMBAですが、そこにはクリエイティブを実現するために必要な知識がありました。もちろん、人によって成長や変化は違うと思いますが、私にとって神戸大学MBAで学んだことは、「自己実現のための方法」でした。今後も、尊敬する若宮正子さん(世界最高齢のアプリ開発者)のように、年齢を理由にせず、学び・挑戦し続けていきたいと思います。