特集
経営理念の策定と浸透:現代の『論語と算盤』を考える

  • 三矢 裕 (神戸大学大学院経営学研究科 教授)
  • 佐久間 智広 (神戸大学大学院経営学研究科 准教授)

はじめに

 渋沢栄一は江戸末期に生まれ、第一国立銀行や東京証券取引所を開設するなど、明治・大正の日本の資本主義の基礎をつくった。2021年に放送されたNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で、2024年度から一新される新1万円札の肖像にもなり近年注目されている。彼が日本の発展のために築いてきた資本主義は、皮肉なことに暴走を始めた。明治期、ライバルともいわれた岩崎弥太郎などが財閥を作って富を増やし、貧富の格差が広がり、社会が混乱していくのを見て、これでは日本は持続的に発展できないと危惧した。そこから「道徳」と「経済」というかけ離れたものを一致させなければならないという思いから、道徳経済合一説を「論語と算盤」で唱えた。

 第109回ワークショップ「経営理念の策定と浸透:現代の『論語と算盤』を考える」では、この「論語と算盤」の組み合わせについて、現代の事例をもとに改めて考える機会となるよう企画した。具体的には、経営理念や組織文化を通した「論語」の経営と、管理会計の仕組みを主とした「算盤」の経営、そしてそれらの相互関係について、理念コンサルタント、理念の策定・浸透に取り組む経営者、研究者のそれぞれの視点でお話しいただいた。本稿では、ワークショップで言及された経営理念、管理会計について簡単にまとめる。併せて、ワークショップでも取り上げた京セラの経営手法について紹介する。

経営における「論語」:経営理念と組織文化によるコントロール

 企業の創業の精神、社是、社訓、スローガン、存在意義、フィロソフィーなど、経営理念は様々な呼び方をされてきた。呼称と同様にその定義は学術的にも実務的にも様々だが、ここでは「企業組織の目的・価値観・行動規範等を文章や図画等で表したもの」とする。経営理念は企業の目的を定義するものであるため(建前上は)経営活動の前提となる。企業の進むべき道や、意思決定の方向性を示す指針として働くことが期待される (Simons 1995)。例えば、多角化戦略をとる際の方向性や、価格や品質に関する戦略的判断は、経営理念に沿ったものになると考えられる。

 ただし、実際には経営理念と経営活動が切り離されている場合も少なくない。例えば、創業の精神や社訓はホームページで公開され、入社式の際に説明され、時には額縁に入れられ飾られているものの、従業員が「日々の業務で意識することは全くない」「覚えてすらいない」という企業も多いのではないか。このような状態では、経営理念が経営に何の影響も与えないため、「論語」の経営ができているとは言えないだろう。

 経営理念が経営上の意味を持つためには、経営理念の考え方が日々の業務の指針となるよう組織に浸透していなければならない。経営理念が組織に浸透すると、組織構成員が経営理念をベースに日々の業務の意思決定を行うようになることが期待される。それに加えて、企業の雰囲気・組織文化が理念の影響を受けたものとなる。組織文化は「相互監視のシステム」 とも呼ばれ、理念に沿った行動をとる(もしくは理念に反した行動をとらない)よう、組織構成員が相互に監視するとされる(Merchant and Van Der Stede 2017)。このように、理念が浸透して初めて、経営理念で標榜される企業の目的や行動規範は経営上の意味を持つ。言い換えると組織のコントロールシステムとして働くということである。

 経営理念は従業員による理念への共感、理解を通して浸透するとされる(高尾・王 2012)。企業が経営理念を従業員の行動の方向を指し示すコントロールシステムとして機能させるためには、従業員の共感・理解を促す働きかけが必要となる。しかし、浸透のための取り組みは一朝一夕にできるものではない。特に情緒的な共感を促すことは容易ではないだろう。また、従業員が、理念に共感しているか、理念を理解しているかを把握することは難しく、企業が浸透状況の確認をすることも難しい。

経営における「算盤」:管理会計によるコントロール

 経営における「算盤」は、管理会計であろう。管理会計は、「企業の構想実現のための仕組み」(谷 2022, p.1)とされる。企業の構想を明示したものが企業の経営理念であるので、管理会計は経営理念の実現のために設計される仕組みであるともいえる。具体的には経営計画や利益計画、予算、原価計算、業績評価の仕組みなどが挙げられる。これらの仕組みによって算出される数値やスコアは、その他社内のデータ(例えば人事データや顧客データなど)と組み合わせて分析され、意思決定や従業員のコントロールに用いられる。

 管理会計は、事業の進出・撤退、工場建設・設備投資の決定、製造計画、製品ミックスの決定、自製か購入かの決定、といった全社的なものから現場に近いものまで様々な決定に用いられる。各決定には必ず複数の代替案があり、管理会計の仕組みはそれぞれの代替案によって得られるであろう収益や費用を見積もるために役立てられ、比較検討の手がかりを提供する。

 管理会計はまた、予算目標や原価目標といった形で従業員に目標を提示し、その結果を評価するというプロセスを通して従業員をコントロールする。例えば、売上高の予算目標と個人のボーナス査定を関連づけることで、売上高目標を達成するために努力するよう従業員を動機付ける。

 管理会計の仕組みを適切に構築することは、従業員の意思決定の精度を高め、経営理念に沿った行動を動機付けることにつながる。一方で、管理会計の仕組みは経営理念がないと構築できないというわけではない。経営理念が日々の活動と全く切り離された企業でも、予算管理の仕組みや業績評価の仕組みは構築され、機能する。しかし、それらの仕組みを通して引き出される従業員の行動は、理念の実現に向かったものではないかもしれない。例えば、短期的な業績によって評価される従業員が長期的な会社の利益を犠牲にしてでも短期的業績目標の達成を目指す、というような行動は、多くの企業にとって理念に反した行動といえよう。このように管理会計の仕組みは、必ずしも経営理念の実現、という目的のもとに構築されるわけではなく、時に理念に反した意思決定や行動を動機付けるように働く可能性がある。

経営における「論語と算盤」の組み合わせ

 経営理念を浸透させることを通した組織文化と管理会計は、共に経営理念を出発点としており、日々の業務の意思決定の指針となるという側面と、なおかつ従業員を特定の方向に向かって努力するよう動機付ける側面を持つ。そういう意味では、両者の関係も重要となる。両者が相互補完的に働くような組み合わせもあれば、両者がチグハグでお互いの効果を打ち消し合う組み合わせもあり得る。

 例えば、創造性やイノベーションを重視する経営理念を持ち、経営者がその理念を繰り返し説いていたとしても、意思決定の基準(管理会計の仕組み)が厳格な収支予測に基づくもので、予測の立たない事業や製品は承認されないような仕組みであったならば、創造性を重視するという社長の言葉は従業員に響かず、創造性を重視する組織文化は根付かないだろう。

 別の例として、予算達成といった具体的な数値目標を設定し、達成度合いによって昇給やボーナス査定、昇進等が決まるような管理会計の仕組みを構築している企業があったとする。このような仕組みはその目標達成に向けて従業員を強く動機付ける。しかし、目標は基本的に四半期、半期、1年などの期間を区切って設定されるため、従業員の頑張りは、「評価期間の予算達成」に向けられることになる。これは時に短期の業績目標達成のために帳尻合わせをするような行動や、もっと悪い場合、長期的な業績を犠牲にして短期の業績目標を確保するといった近視眼的行動を招きかねない。これはいわば管理会計による動機付け効果の副作用である。もし経営理念を反映させた組織文化がこのような近視眼的行動を回避するように働くのであれば、管理会計の欠点を組織文化が補うような関係となる。後述する京セラのフィロソフィの浸透を通した組織文化とアメーバ経営(管理会計)は、上記の例とは違う形ではあるが管理会計の仕組みと組織文化が補完的に働く例といえる。

 以上をまとめると、図のように整理できる。経営理念はその浸透を通して組織文化を形成し、理念に沿った行動をとるよう従業員を動機付ける(1)。管理会計は理念を実現するために設計され、意思決定の仕組みや業績評価の仕組みなどを通して従業員の行動を動機付ける(2)。組織文化と管理会計は相互に関係しており、組み合わせによってはその効果が高まったり弱まったりする(3)。

京セラにおける「両輪の経営」

 20228月に亡くなられた稲盛和夫氏は、27歳で京セラを創業した。創業メンバーは「自分の技術を世に問う」という夢のために、必死に働くのが当たり前の状態になっていた。しかし、創業3年目の春、入社間もない高卒社員たちは、必然的に遅くまで残業することへの不満などから団体交渉で会社側に将来に対する保障を求めた。交渉は難航するが、稲盛氏は徹底的に話し合いを続け、なんとか熱意が通じ決着する。ただ、この一件を機に、彼は「会社とはどういうものでなければならないか」と真剣に考え続け、その結果、会社経営とは、将来にわたり社員やその家族の生活を守り、みんなの幸福を目指していくことでなければならないという考えに至る(稲盛和夫OFFICIAL SITE 「経営理念の確立」を参照) 。その後、彼は「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」という京セラの経営理念を作った。また、理念を実現するために求められる考え方を「京セラフィロソフィ」としてまとめた。

 彼が「アメーバ経営」という独自の小集団・部門別採算制度(算盤)とフィロソフィ(論語)を両輪として使いながら経営した京セラは、日本を代表する大企業となった。また稲盛氏は、KDDIを起業し、倒産したJALを再建したが、その際にもこの「両輪の経営」の手法をとった。これらの成果から稲盛氏の経営手腕、そして彼の作り出した経営手法は世界から注目を集めた。 管理会計と理念の両輪関係を強調した京セラの経営手法は、「論語と算盤」について検討するにあたって好例となる。以下では議論の前提となる京セラの経営手法を簡単に紹介しておく。

アメーバ経営

 アメーバ経営は強力な動機付け効果を持つ仕組みである。その特徴は、組織構造と管理会計の仕組みにある。アメーバ経営では、組織をアメーバと呼ばれる小さな単位に区分した上で、それぞれに利益責任を課す、つまりプロフィットセンター(利益を生み出す部門)として扱うことに特徴がある。例えば、ある製品の製造工程としてA(材料の切削)、B(材料の研磨)、C(組み立て)という工程があったとする。それぞれの工程は、通常は原価に対する責任を持つコストセンター(業務にかかったコストだけが集計される部門)として扱われる。販売活動は行わないため、当然、利益責任を持つことはない。一方、アメーバ経営では、それぞれの工程をプロフィットセンターとして扱う。製造工程がプロフィットセンターとなれるのは、ABCの各アメーバが社内売買を行うからである。次工程にコストではなく、社内売買での販売単価で材やサービスを受け渡すことで、得られる販売収入から当該部門でのコストを差し引けば利益を算定できる。このような管理会計制度を社内に作ったのは、各製造工程のアメーバを町工場のように独立採算化することで、大企業病(ネガティブな意識や勤務態度が蔓延する、非効率な企業体質)を避け、現場の一人ひとりまでが当事者意識を持つようにしたかったからである。

 一方で、アメーバ経営の仕組みは組織の統合を難しくするともいわれている。各アメーバはそれぞれが利益を追求する「小さな会社」になっている。それぞれが利益追求を目指して頑張れば頑張るほど、社内の他の組織との間に生じる利害対立、すなわち部分最適化が深刻になる。このような組織内の対立調整に時間とコストが多大にかかるようになると、企業全体の利益を損う可能性がある。

京セラフィロソフィ

 京セラのフィロソフィを中心とした理念体系には、「会社の規範となるべき規則、約束事」「企業が目指すべき目的・目標を達成するために必要な考え方」が記されている(稲盛和夫OFFICIAL SITE)。フィロソフィは78の項目からなるが、日々の仕事を進めるにあたっての具体的な判断基準を示すものから仕事を超えた人生観に言及するものまで、その内容は多岐にわたる。その中でも顕著であるのは、「公明正大に利益を追求する」「利益を追求するあまり、人の道として恥ずべき手段をもって経営を行ってはならない」など利益に対する考え方が随所で述べられている点である。これは、アメーバ経営を実施することによって引き起こされる部分最適化を抑制し、各アメーバが強固な協力体制を築いて、全体最適を目指して欲しいという稲盛氏の考え方をあらわしている。各項目には300文字程度の解説が添えられ、京セラグループでは、フィロソフィ手帳として編纂され、全従業員に配布されている。

 京セラでは、このフィロソフィを日々の輪読活動などを通して組織に浸透させている。この理念の浸透活動により、京セラの組織文化はフィロソフィに謳われる価値観が色濃く反映されたものとなり、従業員の意思決定や日々の行動に影響を与えていると考えられる。

 京セラは我が国の企業の中でも、とりわけ経営理念と管理会計が相互補完しなければならないことを早くから自覚していた企業といえる。同社の50年以上にわたる取り組みを題材とすることによって、経営理念と管理会計の関係という普遍的なテーマを解明するためのヒントが得られるのではないかと考える。

ワークショップを通して考えたいこと

 ワークショップを通して考えたい論点は、以下の三つである。

 一つ目は、経営理念の策定についてである。「経営理念と管理会計は相互に関係しており、調和するように設計・運用されなければならない」と書くことは簡単だが、実際には様々な面で難しい。まず、経営理念がスローガンのようなものにとどまり、日々の指針とならない場合、経営理念の浸透を通した組織文化による従業員のコントロールは望めない。また、このような場合は、管理会計の仕組みも経営理念の実現のための仕組みとはならない。経営理念自体が、組織文化構築および管理会計の設計・運用の指針となっているかどうか、もしそうでない場合、理念をどう再構築するのか、といったことについて考えたい。

 二つ目は、経営理念の浸透施策についてである。経営理念があったとしても、それが日々の業務と切り離されている場合、組織文化は経営理念とは独立のものとなるという懸念がある。経営理念に基づかず、職場や部署ごとに異なる文化が構築された場合、各職場・部署はそれぞれ異なる論理、判断基準で動くことになる。経営理念の実現に向けて頑張ってもらう、という意味で経営理念を経営に役立てるためには、組織文化が経営理念を反映させたものとなるよう、理念を組織に浸透させる必要がある。しかし、経営理念の浸透はすぐにできるものではない。また、個々人の理解度や共感度を把握することは難しいため、理念浸透施策の効果は目に見えにくい。時間がかかり、効果も見えにくい理念浸透をどのように行うかについて、実際の取り組み事例を踏まえて考えたい。

 三つ目が、理念浸透を通した組織文化の構築と、管理会計システムの設計・運用との関係についてである。理念と管理会計の両輪性を強調するアメーバ経営を題材に、両者の関係について考えたい。

 以上のような論点を念頭に、第109回ワークショップ「経営理念の策定と浸透:現代の『論語と算盤』を考える」を開催した。開催記録を併せて読むことで、この三つの論点について深く掘り下げることができるのではないだろうか。


<参考文献>

  • Merchant, K. A., and W. A. Van Der Stede. 2017. Management control systems: performance measurement, evaluation and incentives. Fourth. New York: Pearson.
  • Simons, R. 1995. Levers of control : how managers use innovative control systems to drive strategic renewal. Boston, Mass.: Harvard Business School Press.
  • 谷武幸. 2022. 『エッセンシャル管理会計 第4版』中央経済社.
  • 高尾義明・王英燕. 2012.『経営理念の浸透 : アイデンティティ・プロセスからの実証分析』有斐閣.
  • 稲盛和夫 OFFICIAL SITE. https://www.kyocera.co.jp/inamori/ (2022/10/20閲覧)