第109回 ワークショップ
経営理念の策定と浸透:
現代の「論語と算盤」を考える
講演
1.経営理念の策定と浸透
-企業経営の「見える部分」と「見えない部分」
田中 隆章氏(京セラコミュニケーションシステム株式会社
理念・教育コンサルティング部長)
2.ちよだ鮨における理念浸透
中島 正人氏(株式会社ちよだ鮨 代表取締役社長)
3.コントロールシステムとしての経営理念と管理会計
佐久間 智広(神戸大学大学院経営学研究科 准教授)
パネルディスカッション
<パネリスト>
田中 隆章氏、中島 正人氏、佐久間 智広
瀬山 暁夫氏(京セラコミュニケーションシステム株式会社
理念浸透コンサルティング課 エキスパート)
<モデレーター>
三矢 裕(神戸大学大学院経営学研究科 教授)
講演1 経営理念の策定と浸透 -企業経営の「見える部分」と「見えない部分」

田中 隆章氏
(京セラコミュニケーションシステム株式会社 理念・教育コンサルティング部長)
私からは、企業経営の「見える部分」と「見えない部分」を主題としてお話しします。どのような考え方で事業を行ってきたのか、私どもの考える理念の浸透の在り方などについてお話しします。
1. 理念とは
経営や事業運営では、資本力、製品、設備、マネジメント、売上と利益といった目に見える部分、図1のように樹木に例えるならば地上に出ている枝葉に注目しがちです。しかし、樹木が立派に育つためには、幹を支える根が地中深くにしっかりと根付いていなければなりません。根に該当するものが経営理念であり経営哲学です。京セラでは、経営哲学のことを「フィロソフィ」と呼んでいます。

京セラグループでは、ミッション・ビジョン・フィロソフィのピラミッド構造全体を「理念」と呼んでいます。創業間もない京セラ企業内にすばらしい精神風土を作り上げたことが、今日の京セラをつくった原動力であると稲盛さんは語っておられます。それがミッション(使命)を高く掲げ、ビジョン(目標)を打ち出し、その実現のための行動指針・考え方の基準をフィロソフィとして懸命に説いてきたという経緯があります。フィロソフィはミッション、ビジョンを実現するための行動指針であり、判断の基準を示すものであると位置付けています。図2は京セラフィロソフィの手帳のイメージサンプルです。世間一般ではバリューやクレドといった、項目だけのシンプルなものをイメージする方も多いかもしれません。京セラフィロソフィは仕事のみならず、素晴らしい人生を送るための考え方の基準も含めて全部で78あります。それぞれの項目に300文字程度の解説文が付いています。フィロソフィの項目自体は普遍的な言葉で綴られているがゆえに、ともすると当たり前のこととして流されてしまう可能性があります。そこで、そのフィロソフィが示唆することを具体的な解説文にすることで、フィロソフィの真意を理解してもらう意図があります。

この理念の浸透によって形づくられる企業文化が見えない部分を支えていると考えます。この見えない部分を常日頃から鍛えているからこそ、地上に見える部分が育つと考えます。これは一朝一夕にはまねできないため、長きにわたって経営に大きな影響力を与え、他社に対して競争力を持つことにつながると考えています。
理念は経営の見えない部分であると言いましたが、その浸透活動は、見えない部分をあえて見えるようにする、あるいは感じられるようにするよう努力することだと考えています。この点について、京セラグループでは、①会社が目指す目的と価値観が明確に示され、社内で共有されていること ②組織運営、業務の遂行に価値判断基準がきちんと反映されていること ③社内諸制度、行事、施策などと理念に一貫性があること ④モノやサービス、また社員の言動を通して、その会社の理念が感じられること ⑤社員一人ひとりが理念の実践を体感し、自分自身も成長できていると思えることが、見えない部分を感じられたり、場合によっては見えたりする状態だろうと考えます。社員の価値観や判断基準が素晴らしいものに変化し、お互いのコミュニケーションの質が変化することで組織の風土が少しずつ変わっていき、それが結果として会社の文化になっていくと私たちは考えています。
私たち京セラコミュニケーションシステム(以下、KCCS)は、1989年よりアメーバ経営、すなわち部門別採算制度のコンサルテーションを行ってきました。これまで通算800社ほどがアメーバ経営を導入してくださっています。そのクライアントの企業の中から、次のステージとして、経営理念についても指導をしてほしいという声があがり、1997年頃に理念・教育コンサルティング部が発足し、お客さまの理念の編纂および浸透活動をお手伝いしています。現在までにKCCSが提供する理念編纂は140社に導入されています。
理念・教育コンサルティング部の主なお客さまは、オーナー型の中小企業で、その中でも稲盛さんの経営哲学に共感している経営者がいる会社が多かったと思います。理念編纂サービス導入の動機としては、「事業を承継しなければならない」「トップ交代のタイミングがあった」あるいは「会社の節目の事業として」といったものが多いです。
2. 理念を構築し、浸透させる
われわれは理念・教育コンサルティングを大きく三つのフェーズに区切って考えています。フェーズⅠは、全体構想の検討です。経営トップへのヒアリングや、アセスメントを活用した調査・分析を行うフェーズです。フェーズⅡは、理念編纂です。経営理念や経営哲学につながるような価値観あるいは創業の精神を明文化、整理して体系化する支援をします。フェーズⅢが理念の浸透です。
・フェーズⅠ: 全体構想の検討
フェーズⅠでは、主に経営トップに対するインタビューを繰り返し、現状と課題を把握します。同時に全従業員を対象としたアセスメントを行います。今回は特にアセスメントについてお話しします。ここでのアセスメントは、経営理念や経営哲学に関する質問紙形式での調査です。自己評価と過去評価をすることで共感度や実践度のスコアを出すことを試みるもので、個人の意識、例えば役職や年齢などのデモグラフィック、業績データの三つの相関をとり、組織別あるいは職位別のギャップはもちろん、ビジネスの数値やKPIとの相関も測ろうとするものです。
フェーズⅠでもう一つ大切なのは、理念や哲学浸透の体制構築です。これは経営トップの主導に尽きます。社長をはじめとした経営幹部が率先垂範して浸透活動に臨む姿勢が、結果的には社員を動かす原動力になると考えていますので、経営トップを中心とした浸透の体制が当初にしっかり作られることを強く推奨しています。ちよだ鮨様においても、中島社長自らが委員長となり、推進委員会が定期的に行われています。
・フェーズⅡ:新しい理念の策定
フェーズⅡでは、お客さま企業が大切にしてきた価値観や考え方を整理し、理念として体系化するお手伝いをしています。トップの思いや価値観、あるいは創業から大切にしてきたことを整理するのはもちろんですが、世の中の動向やお客さまが所属するマーケットの分析なども行い、大きくは未来に向けて継承すべきこと、それから新たに取り入れなければならないことに大きく分類して整理していきます。そして、分類した言葉をミッション・ビジョン・フィロソフィの項目として、場合によっては会社として目指すべき人財像としてアウトプットするという編纂の支援をします。
・フェーズⅢ:理念の浸透活動
フェーズⅢは、私たちの策定した理念を浸透していくフェーズになるのですが、ここでは大きく四つのステップがあると考えています。一つ目は理解のステップです。掲げた理念やフィロソフィの目的、意味がきちんと分かるということです。二つ目は共感のステップです。自分自身が行っている仕事とフィロソフィの項目を結び付けて腹落ちさせるということです。三つ目は実践のステップです。日々フィロソフィに基づいて自分の仕事を判断したり行動したりすることができているかということです。四つ目のステップが評価・賞賛です。フィロソフィの実践を通して成果を実感できたり、周りから褒めてもらえるような文化・風土が出来上がっていたりすることです。これら四つのステップをフィロソフィ浸透の基本ステップと考えています。
理念もそうですがフィロソフィは普遍的なものであるが故に、四つのステップは一周回って終わりではなく、何度も繰り返し回すことでより深い理解や高度な実践に結び付いていくものだと考えています。つまり、フィロソフィは普遍的であるが故にゴールがありません。フィロソフィができたかどうかが重要なのではなく追い続けるものであり、それ故にわれわれがフィロソフィ自体を評価することはありません。
浸透活動の具体例として、京セラグループでは多くの部門が部門単位でフィロソフィを輪読しています。輪読のスタイルはいろいろですが、私が所属する理念・教育コンサルティング部では、毎月の輪読当番を月初までに決め、毎日の朝礼で1項目ずつ読み上げて、エピソードや気付きを発表します。その発表をした人が自分の発表に対してコメントしてほしい人を選ぶ仕組みになっています。選ばれたコメント者は、発表者に対して何が良かったのかということ、場合によってはアドバイスを送ります。発表者は決まっていますが、誰がコメント者に選定されるか分からないので、自分が選ばれるかもしれないという緊張感を持って聞くことになります。
さきほど、フェーズIで紹介したアセスメントは、策定前に一度だけ行われるわけではありません。これは、実際に運用が開始された後も、同じ項目を定期的に測定し、理念の浸透活動の効果の定点観測を行います。このアセスメントの基本的なポリシーは、良いデータから良い取り組みを見いだし、それを横展開することで組織全体の底上げをしていこうとするものです。点数を出して悪いところを糾弾するようなものではないということを念頭に置いていただければと思います。
3.理念の策定・浸透に際しての課題
理念の策定・浸透活動を行う際の課題の一つは、実際のビジネスの数字に本当に寄与するのかということです。理念やフィロソフィに時間をかけて浸透活動や研修をしますが、それで本当に数字が上がるのかという素朴な疑問です。これについては、アセスメントによる可視化によって課題解決を試みています。
もう一つ、理念や哲学の浸透に関してはコミュニケーションが必須ですが、会社におけるコミュニケーションでは年齢・時代・世代を超えなければならないという問題があります。このような問題に対して、どのように研修でフォローすべきか、ということが大きな課題となっています。京セラフィロソフィの中には「誰にも負けない努力をする」という有名なものがあります。稲盛さんが出勤するときにはすでに操業している会社があり、退社するときにはまだ操業している会社があって、「こういう会社があるのに、私は早く来なくていいのか、先に帰っていいのか」ということから、「誰にも負けない努力をする」という発想が生まれたというエピソードがあります。今の若い人にこのエピソードを紹介して、そのフィロソフィを伝えても、なかなか受け入れられないのではないかと思います。では、誰にも負けない努力の本質をどうやって伝えるかというと、物量的なものではなく質的にどうやって効率を上げて、同じ時間で良いアウトプットを出すかということを考えなければならないというふうに読み替えて伝えなければなりません。
4.最後に
私たちは健全な企業文化が健全な経営基盤を支えると確信しています。見えない部分を見える化する努力とともに、年齢・時代・世代を超えた活動の工夫によって、揺るがない経営理念の確立と社員一人ひとりにまで経営哲学の浸透を図ることで企業の文化が健全化し、社格も素晴らしいものになります。その結果、経営基盤が健全化し、高い目標に挑戦し成長に向かうことができるだろうと考えています。
残念ながら稲盛さんは8月24日にお亡くなりになられましたが、稲盛さんが2006年のNHKの教育番組で話された内容をもって締めたいと思います。「理念というものは、『私はこういう経営をしていきたい』『会社経営はこうあるべきだ』と考え、行動するもとになるものです。それを守って実践してこそ理念なわけです。経営者の人生観と言ってもいいでしょう。それを競争が激しいからといって、『守っていてはやっていけない』と理念を曲げたとしたら、それは理念ではありません。理念を曲げるくらいなら、従業員ごと会社がつぶれなければいけません。会社が理念を曲げてまで生き延びても、意味がないんです。一度たりとも、わずかであっても理念を曲げてはいけないと思って、私は経営をしてきました。うちの会社の幹部の人たちにも、私は徹底してこう言い続けています。」
年齢・時代・世代を超えて通じる理念・哲学を確立し、貫き通す覚悟が必要であるということです。
講演2 ちよだ鮨における理念浸透

中島 正人氏
(株式会社ちよだ鮨 代表取締役社長)
私どものアメーバ経営の実践、理念体系の編纂と浸透活動についてお話しします。具体的に何をしたかということも大事ですが、私がその過程で何を考えたのかということを特にお伝えできればと思います。最初に、当社について紹介します。次にアメーバ経営導入の経緯についてお話しし、新たな理念体系の編纂に至る動機などをお伝えして、最後は具体的な編纂の活動から、今まさに浸透活動が始まったところですが、現在の状況についてお話しします。
1. 会社の概要
会社の創業は1959年で、今年で63年目になります。創業当初は中島水産株式会社という水産物の小売や卸をしている比較的大きな会社の一部門でした。中島水産は魚を売る会社だったので、魚を売る一つの手段として企業の社員食堂業務を請け負う事業を始めました。すしを始めたのは1964年、最初の東京オリンピックの年で、東京・池袋の東武百貨店に出した立ち食いずしの店が最初でした。本業に付随する形で、食品の衛生検査・衛生指導を行う事業を始めました。すしと相性のいい食品として、立ち食いそばの店を6店ほど営んでいます。海外では、ベトナムのホーチミンで日本食の総合レストランを2店運営しています。おかげさまでホーチミンではナンバーワンの日本食店といわれています。来春(2023年)、持ち帰りの専門店を東南アジアの他の国で出店する予定です。
年商は直近で約145億円、従業員数は2400名です。そのうち約350名が正社員で、あとはパートタイマーという構成になっています。現在の本業はすし専門店の運営で、店数は185店になります。内訳は173店が江戸前ずしの持ち帰り専門店、7店が立ち食いずし、5店が回転ずしです。主力である持ち帰り専門店の在籍人数は1店当たり10名前後で、そのうち正社員は店長1人というのが平均的な店のありようです。
すし業界の店舗売上高上位5社は全て回転ずしで、ちよだ鮨はそれに次ぐ規模になります。はま寿司さんは単体での数字が出てこないのですが上位に入ってくるはずなので、ちよだ鮨は規模で言えば7番目になります。持ち帰りずしでは京樽さんに次ぐ規模になるのですが、京樽さんもスシローさんに買収されたために単体の数字・詳細は分かりません。ただ、純粋な江戸前ずしの持ち帰り専門店としては、店数・売上ともに弊社が現在一番大きいと思います。
会社に元々根付いていた組織風土・組織文化について触れておこうと思います。一言で言えば穏やかでおっとりしている感じです。派閥のようなものも全くなく、年齢・性別・国籍に関係なく仲がいいです。私が感心するぐらい、真面目で正直な人が多いです。30年ぐらい前まで、弊社の店長は全員が職人で、非常に個性が強い人の集まりでした。誰よりもいい商品や店舗を作るという点で非常に真っすぐな人たちの集団だったので、それが伝統となって真面目で正直な風土が根付いたのかもしれません。
一方で、マイナス面もあります。総じて受動的で言われたことだけやる傾向があり、それも長続きしないということがあります。当然チャレンジもしませんし、周囲から飛び出して目立つことを避けるところもあります。ちよだ鮨は、良きにつけ悪きにつけ、このような組織風土・組織文化を元々持っている会社でした。これは、オーナー企業で現会長が強力なリーダーシップでやってきたことが影響しているのかもしれませんし、はたまた大きな逆境もなくここまで比較的順調に成長してきたからかもしれません。
2. アメーバ経営の導入
ちよだ鮨では、理念の再編・浸透に先立って、アメーバ経営を導入しています。そこで、まずはアメーバ経営導入の経緯についてお話しします。
・アメーバ経営導入の経緯
私が社長を任されるようになったのは12年前の2010年です。その当時、10年先を見通したときに、経営環境がかなり厳しくなることが私にははっきり見えました。まず少子高齢化の問題があります。人が減るわけですから市場規模自体も縮小していきますが、一方ではなぜか店は増え続けています。世界的に見ても人口当たりの飲食店がこれだけ多いのは稀で、極端なオーバーストアになっているのが日本の現状です。
海洋環境も非常に悪くなってきています。同じ海域で獲れる同じ魚種の魚でも、20年前、30年前に比べると明らかに質が悪くなっています。また、水産物の需要が世界的に増えていることもあって、質は悪くなるのに価格は高騰しています。特に日本の場合は物価が異常に安いので、取り合いになったときに海外に買い負けるという現象がここ最近顕著になっています。労働力人口が減るので採用難の問題も当然あります。
今の体質では、とてもこれから生き残れないという強い危機感を持つようになりました。ただ、一握りの経営層がいくら奮闘してもだめです。それを具現化するのは現場で頑張ってくれている人たちですから、とにかく全ての従業員が当事者意識を持って真剣に考え、いいと思ったことは失敗してもいいからまず行動してみることが絶対に必要です。そのためにも、組織文化の改革はどうしてもしなければいけないと考えました。
しかし、自前でこういった改革はできないだろう、特に長い年月をかけて根付いたものだから変えるのが難しいだろうと考え、外部の力を借りることにしました。それがアメーバ経営でした。社内の説明と説得に約1年をかけて、導入にこぎ着けることができました。2016年秋から導入に向けた準備作業をKCCSの皆さんと進めて、導入したのは翌2017年5月でした。具体的には、社内を約230のアメーバと呼ばれる部門に細分化し、部門別採算管理を始めました。一つの店舗は一つのアメーバとして扱われます。各アメーバは自分たちで目標を立て、その実現を目指します。その活動を通してリーダーの育成、特に営業の管理職である営業部長、地区長(エリアマネジャー)といった人たちのレベルアップを図ってきました。
・アメーバ経営の実践
主な活動としては、まず上司と部下によるアメーバ・ミーティングがあり、目標が達成されているかについて議論がなされます。店長と地区長では月2回実施しています。それから、営業部長による月1回の営業本部会議、全部門参加による月1回の業績報告会があります。導入当初は甚だ不十分ではありましたが、後ろ向きの姿勢はほとんど見られなくて、みんな必死についていこうとしてくれていたと記憶しています。事前に勉強会をしたり、準備がしっかりできたりということもありますし、やはり真面目な風土が良い方に働いたのではないかと思います。
導入した2017年は、業績面でも非常に苦しんだ年でした。ちょうど導入を始めた2017年5月、某人気タレントがアニサキス中毒になったことをSNSで発信し、水産物は魚屋を含めてどこも売れなくなりました。私どもも11月ごろまでの半年間、極端な売上不振が続きました。この年の夏は天候不順で、8月に22日間雨が降り、雨が降ると客足が遠のくため非常に厳しい状況が続いた年になりました。しかし、そのような状況の中でアメーバ経営に取り組むことで、業績への執着のようなものが増したのか、責任感が増したのか、お店を回って今までになかったような危機感をみんなが持ってくれていることを肌で感じました。今から考えると、アメーバ経営導入当初にこういった厳しい状況が重なったのはむしろ幸いだったと思います。
3. 経営理念と再編の経緯
次に、これまでの経営思想と理念体系編纂の動機についてお話しします。
・既存の経営理念
実は弊社には、現会長が30年近く前に体系化した経営思想が既にありました。三つの要素で構成されていて、一つ目が創業の精神です。私の祖父である創業者の言葉からきている考え方で、新鮮でおいしい本格江戸前ずしを一人でも多くのお客さまに気軽に召し上がっていただきたいというもので、一言で言えば「すしの大衆化」になります。これは当社の経営目的でもあります。
二つ目が経営理念です。ちょっと変わっているのですが、「私がイキイキする すしがイキイキする お客さまがイキイキする」というものです。「私がイキイキする」とは、一人ひとりが自らの役割を果たすことを表した言葉です。「すしがイキイキする」とは、一人ひとりが自らの役割を果たすことで新鮮でおいしいおすしをお客さまに提供することができるということを表した言葉です。「お客さまがイキイキする」は、新鮮でおいしいおすしを食べていただいたお客さまに満足していただいている様を表した言葉です。さらには、お客さまのイキイキが私たちの喜びややりがいとなって、私たちがさらにイキイキし、より良い仕事につながっていくことを表しています。この「イキイキ」をぐるぐる回し続けることを、「イキイキの好循環」と呼んでいます。
三つ目が企業文化です。三つの要素で構成されています。一つ目は鮮度主義です。すしの最大の付加価値は鮮度であるというのが私たちの考え方ですから、常に鮮度を最優先で行動することを表しています。二つ目が現場主義です。現場というのはお客さまとの唯一の接点ですし、現場がお客さまからお金をいただいているのですから一番重要です。そして、私たちのあらゆる仕事の結果は現場に反映されますし、課題も現場にあります。現場の人を大事にしながら常に現場に足を運び、現場を知ることが大事だということです。三つ目は誠実主義です。何事も真面目に、誠実にということで、これは読んで字のごとくです。
・経営理念再編の目的
私どもにはこうした経営思想が既にありました。ではなぜ改めてフィロソフィを編纂する必要があったのかというと、動機は二つありました。一つは、組織文化の改革です。これまでの経営思想だけでは、どうしても一人ひとりのものとしては受け止めにくいと思ってきたからです。例えば「イキイキする」といっても、何をすればイキイキするのかすぐにはわかりません。もっと具体的で身近に感じられる価値観や行動指針を示す必要があると考えました。もう一つは、これまで私自身の経験から得られた気付きや考え方を、都度都度に従業員に対して話してきました。そのような考えをきちんと体系化して共有すれば、必ず従業員の成長につながると思いましたし、結果として会社が必ずよくなると確信していました。
私の考えを、会議などで事あるごとに断片的に話してきたのですが、いかんせん断片的ですし、他の事項も含まれる会議の中での話なのであまり頭に残りません。このようなことをずっと考えていたときにKCCSさんからフィロソフィ編纂のご提案をいただきました。
4. 経営理念策定にあたって
これまでの経営理念に加え、以下のような点を反映させたいと考えていました。
・チェーンストアの特性
チェーンストアの特徴を挙げると、まず極端な労働集約型であり、非常に多くの人によって成り立っているといえます。そして、多くの事業所(店)に従業員が分散しています。私どもでは、店ごとの正社員は店長1人であることが多く、全従業員の85%はパートタイマーです。パートタイマーは家庭や学校など生活において仕事以外の割合が大きく、正社員以上にモチベーションにばらつきがあります。
チェーンストアは決まり事でがんじがらめとなり、裁量の余地がなく、ロボットのような仕事しかできないと勘違いしている人がいます。しかし、同じ接客をしていても喜ぶ人もいれば不快に思う人もいますから、その場その場での判断や機転がどうしても必要になります。実はチェーンストアでの決まりは、必ずしなければいけないことと絶対にしてはいけないことの2種類しかありませんから、裁量の余地は意外と大きいです。
一方でチェーンですから、いつ、どの店に行ってもお客さまの期待に応える同じレベルのサービスを提供しなければなりません。
つまり、多くの従業員がばらばらの場所にいて、いろいろな人がいて、決まりは最小限しかないのに、どの店でも統一したサービスを提供しなければならないのです。こうした難しさや矛盾を克服するための支柱となるものが理念であり、価値観であり、行動指針だと思います。当然、規模が大きくなればなるほど店数が増え、人が増えることになりますから、共有や浸透がチェーンストアにとっては不可欠になってくると私は考えています。
・経営者の思想
私が新たに体系化したかった考え方、従業員のみんなと共有したかった考え方の骨子は、次のようなものです。まず一つ目に、会社は従業員のものであり、理想の会社はみんなの意志と努力で作り上げていくべきだということです。従業員が前向きに仕事をできなければお客さまの支持はいただけないし、会社が成り立ちませんから、会社は従業員のものに決まっているのです。だから、みんなが誇れる、好きになれる会社を、自分たちの意志と努力で作り上げていくべきだという考え方です。
二つ目に、たった一度の人生を豊かで幸せなものにしなければならないということです。
三つ目に、幸せになるためにあるのが仕事で、仕事はあくまでも手段だという考え方です。仕事を通して自身の苦手や嫌いを克服し、仕事でもプライベートでも自分の可能性を広げるべきだと思います。私自身、元々コミュニケーションが苦手ですし、人前で話すのは全く駄目でした。仕事である以上逃げることはできませんし、何度も失敗を繰り返して克服するしかありませんでした。もがいていれば苦手なことも苦手でなくなりますし、むしろ好きになるように変われることが私自身の体験から分かりました。そういうことをみんなにも分かってほしいのです。
四つ目に、そのための努力の肝は人間力を磨き続けることにあります。その要素としては、凡事徹底、即時処理、人望、コミュニケーション力、これら全てを包含したリーダーシップが挙げられます。こうした努力を根気よく続けるべきだと考えます。
五つ目に、失敗を恐れず、とにかく何事にもチャレンジしようということです。無謀は駄目だけれどもチャレンジはいいということです。
10年ぐらい前からこういったことを、折に触れて会議などでずっと話してきました。既存の経営理念に加えて、これらの要素を念頭に、体系的に理念の編纂を進めることとしました。
5. 経営理念の再編
・理念編纂のプロセス
具体的な理念の編纂は、二つの段階に分けて行いました。まずステップ1は、ミッション・ビジョン・フィロソフィ(MVP)の検討です。この段階では私を含めた少人数で、KCCSさんからアドバイスをいただきながら何度も意見交換して進めました。一番の土台となる部分なので、あえて少人数にすることで深い議論や率直な意見交換ができたように思います。
ステップ2は、MVPが形になったところで多くの部署から幅広く人を募り、人数を増やしてフィロソフィの項目ごとに文章を作りました。社内から幅広く人選することで広範な議論ができましたし、みんなで作り上げたのだという見え方になったように思います。これら二つの作業をしたときはコロナ禍の真っただ中で、中断したこともあって当初の計画より時間がかかってしまいましたが、1年半弱で作業を終えることができました。
これら一連の作業の中で私が心掛けたことの一つは、私の考えを押し付けないことと固執しないことでした。一人ひとりが自分のこととして受け止められるものにしたかったからです。私の考えをある程度基調にしてもらうことは必要だと思いましたが、いろいろ意見交換する中でもっと広がりを持てたらいいと思いましたし、従業員が自分たちで作ったと感じられるようになればいいと考えました。意見交換の場では極力見守り、本当に必要なときだけ発言するようにしました。
・新しい経営理念
こうした作業を経てMVPは完成しました。まずミッションは、「従業員に幸せを お客さまに喜びを すべての人に日本の食文化を」としました。「従業員に幸せを」は、従業員第一ですから、従業員が幸せになるために会社も個人も一緒に努力していこうということです。「お客さまに喜びを」は、お客さまの支持あっての私たちの商売ですし、その喜びが私たちのやりがいと成長につながるということです。「すべての人に日本の食文化を」としたのは、私たちはただ商売をするだけでなく、「おすし」という日本の食文化を正しく伝える役割を担っているのだという自負と、そこに大きなチャンスもあるので、国内のみならず世界にという思いを込めています。ビジョンは、「2050年までに“街一番店”を1,000店に」としました。
そして肝心のフィロソフィは、最終的に45項目にまとまりました。大きくは「ちよだ鮨の心」と「すばらしい人生を送るために」の二つに分けて整理してあります。「ちよだ鮨の心」には、企業文化に該当するような項目が主に集約されています。「すばらしい人生を送るために」は「心を高める」「より良い仕事をする」の二つに分かれていて、豊かで幸せな人生を送るために心掛けるべきこと、あるいは努力すべきことがまとめられています。フィロソフィは、いつでも触れられることが非常に大事になるので、京セラ様と同じように手帳に仕立てて、従業員みんなに持ち歩いてもらっています。

6. 理念の浸透活動
今春から始めた浸透活動として、会議や朝礼でのフィロソフィの輪読があります。本部や店舗の区別なくアメーバ単位で日々の朝礼や会議で輪読してもらい、それに絡む体験談や思いを話してもらっています。次に、上司と部下がマンツーマンで行っているアメーバ・ミーティングでの対話があります。ここでもフィロソフィを取り上げて、上司と部下で意見交換をして理解を深めたり、実務に生かしたりしています。

キックオフ式の地区別MT
教育的取り組みとしては、キックオフ式の開催、社内報の活用、フィロソフィブログの発信、動画の配信などがあります。浸透活動の開始に合わせてMVPのお披露目会、キックオフ式を9回に分けて実施しました。大きな会場で全体の説明をした後、別室で小グループに分かれ、自分の好きなフィロソフィを挙げてもらって意見交換をする場を設けました。最終的には店舗ごとに特に大切にしたいフィロソフィを決めてもらい、プレートに仕立てて店内に掲げています。

店内に掲げられたフィロソフィのプレート
私どもには「ちよ紙」という社内報があり、その紙面も毎回有効に活用しています。それから、フィロソフィブログというものを毎週発信しています。フィロソフィの項目ごとにプライベートな内容も含めた私の考えを、関心を持ってもらえるように発信しています。また、普段の仕事においてフィロソフィがどのように役立つのかを、「フィロソフィのある毎日」という動画で事例として紹介しています。残念ながら、パートタイマーが毎年一定数入れ替わるのですが、こういった動画を新しく入ってきた人に見てもらうことでフィロソフィに関心を持ってもらい、理解を深めてもらうきっかけにしたいと考えて作りました。

社内報「ちよ紙」
7. 理念浸透による変化と今後
まだ浸透活動を始めて半年足らずであり、それほど急激に目立った変化があるわけではありませんが、始めたことの具体的な反応を幾つか紹介します。

店舗でのフィロソフィの輪読
・口下手な店長が輪読を通して自分の考えを話すことで、メンバー(パートタイマー)が店長の考えを知ることができた:店長とメンバーが仕事上のやりとりはしていても、お互いの考えやプライベートは驚くほど知らなかったりします。それが輪読を通して互いの理解が進んだのだと思います。
・勤務時間帯の異なるメンバーが、キックオフ式のミーティングでフィロソフィについて話し合うことで、お互いの考えを共有することができた:午前勤務の人と夕方以降勤務の人は、同じ店で働いていてもほとんど顔を合わせることがありません。キックオフ式は店ぐるみでの参加だったので、そこで初めて言葉を交わしてお互いのことを知り、店としての一体感を得ることができたと思います。
・普段挨拶さえも交わすことが少ない職場だったが、輪読することで挨拶やコミュニケーションが活発になった:挨拶がないのは困った状況でしたが、輪読でコミュニケーションが活発になり、一体感を得ることができるようになったのだと思います。
・当初、手帳の輪読が宗教みたいで嫌だったが、輪読していて次第に内容に共感できてきた:これはよくありがちな拒絶反応です。30年前に初めて理念体系を発表して活動し始めたときも、一部の人から同じような反応がありました。なぜこういうものが必要なのかということや、宗教ではないということを最初によく説明することが大事だと思っています。
このように浸透活動を進めてきて、一部の人に戸惑いのようなものはありましたが、全体として目に見えるような拒絶感はあまりなく、比較的スムーズに受け入れられたと感じています。その要因は、私自身ちよだ鮨で30年間、多くの仲間と一緒に働いて経験する中で生まれてきた考え方がその骨子になっており、年代、社員・パートタイマーを問わず比較的共感を得られやすい内容になったからだと思います。素直で真面目な社風も後押ししてくれたと思いますし、一番大きかったのはこれまでの経営思想の土台があったことです。今回はある意味バージョンアップしたということなので、その辺は非常に大きかったと思います。
私としてはこれからが非常に大事になると思います。もちろん浸透活動は始まったばかりで、それ自体も大事ですが、フィロソフィも今回完成して終わりではありません。従業員みんなが自分のものとする中で、内容をより良く修正したり、付け加えたりして発展させてくれないと本物にはなりません。そうなれるように、これからも長い年月をかけてみんなで育てていきたいと思っています。
講演3 コントロールシステムとしての経営理念と管理会計

佐久間 智広氏
(神戸大学大学院経営学研究科 准教授)
お二人には京セラの経営理念を前提にお話しいただきましたが、私はそこから少し引いた立場で経営理念、および管理会計についてお話しします。まず、経営理念と管理会計の仕組みとの関係性を抽象化した形で整理したいと思います。特に、経営理念を浸透させることと管理会計の仕組みを整備することは、ともに従業員のやる気や行動に影響を与えるものだということを確認します。次に、これらの関係性は時に補完関係にあったり代替関係にあったりするということを簡単な例を挙げてお話しします。それらを踏まえて、アメーバ経営における理念と管理会計の両輪関係について検討します。
1. 経営理念とは
まず、経営理念とは何かと言われたときに、皆さん思い浮かべるものは違うのではないかと思いますが、学術的にも定義が定まっているわけではなさそうです。多くの定義が存在するようですが、大きくまとめると「企業組織の目的・価値観・行動規範等を文章や図画等で表したもの」といえると思います。
経営理念は企業によって社訓、社是、(経営)理念、ミッション、バリュー、フィロソフィ、クレド、行動規範、ブランドなど様々な名称で呼ばれます。これらの用語のうち幾つかを使うパターンも多く見受けられます。例えば、日立グループの場合は、MISSION、VALUES、VISIONが階層構造として定義されています。MISSIONは経営理念、VALUESは創業の精神、VISIONはグループ・ビジョンがそれぞれ対応する形で構造化されています。エーザイは、自社の経営理念を集約した「human health care」という言葉を「hhc」というマークと共に使っています。このマークは、その理念に重なる行動をされたナイチンゲールの直筆サインから取っているとのことです。そういう意味では言葉や文章だけでなく、デザインに理念の意味を持たせるパターンもあるようです。
企業によって設立の経緯やそもそもの目的が違うので、経営理念自体が企業によって異なるのは当然だといえるかもしれません。第1講演で田中様も「理念の中身自体を評価することはしない」とおっしゃっていましたが、外部の人が「この会社はこういう目的で設立されたと考えるべきだ」というのは難しいと思うので、理念の中身を経営学として議論するのは難しいと思います。そのため、ここからの話も経営理念の内容自体は所与のものとして話を進めます。
2. 組織文化を通した従業員のコントロール
たとえ経営理念が策定されていたとしても、中身はどうであれ、誰も見なかったり、覚えていなかったり、日々の業務と全く関係づけていない場合は経営上意味がありません。理念自体が存在することが直ちに経営に意義をもたらすわけではないということです。従業員を活性化させたり、理念に沿った行動をとってもらったり、従業員の意思決定や行動に影響を与えたり、理念が経営に何らかの影響を与えるには、理念が組織に浸透している必要があります。
経営理念というのは、企業の設立目的や価値観、行動規範を明示するものでした。その理念が、額に飾られたようなものではなく実際に組織に浸透していると、理念が反映された組織文化が形成されます。組織文化自体も厳密に定義するのは難しいのですが、ここでは組織に共有された価値観や雰囲気、みんなが何となく持っているモラルや規範といったもの、組織の空気のようなものだとご理解ください。組織風土と読み替えていただいても構いません。
管理会計の教科書などで組織文化は相互監視の仕組みだといわれます[i]。理念が反映された組織文化ができていると、その文化に沿った行動をとるよう各々の従業員が自発的に動くだけでなく、理念に沿った行動をとるよう、逆に文化から外れた行動をとらないよう、組織成員が相互に仕向けあうということです。

このように経営理念を策定してそれを浸透させるような経営陣の意図的な行動は、組織文化を変えることを通して、会社の理念に沿った行動を取るように従業員をコントロールする仕組みとして機能すると解釈できます。
3. 管理会計を通した従業員のコントロール
ここからは管理会計についてお話しします。管理会計は「企業の構想実現のための仕組み」と定義されます[ii]。経営理念や、それを達成するための戦略を効率的に実現するために、管理会計の仕組みが設計・構築されて運用されます。管理会計の仕組みは、具体的には経営計画や予算の仕組み、原価計算の仕組み、業績評価の仕組みなどからなります。これらの仕組みは、会計データなどを中心に企業に存在するデータ情報を測定、集計・分析することで経営に役立てるようなものです。
役立て方はいろいろありますが、今回は特に従業員の行動に影響を与えるという側面に注目します。例えば業績評価の仕組み、つまり人事査定や部門評価の仕組みにおいて、予算を達成したかどうかによって査定結果やボーナスが変わるとします。このように予算達成に応じてボーナスや査定が変わるのであれば、業績と評価に関係のない固定給の場合と比べて予算達成のために必死に努力することが予測されます。
さらに、この努力の方向は、予算の中でもどの数値を目標とするかによって変わってきます。例えばコストを目標にするといかにしてコストを下げるか、売上を目標にすると売上をいかにして高めるかに努力を集中させることが予測されます。利益を目標にすると、売上とコストのトレードオフを考えながら努力するように仕向けられます。

そういう意味で理念の実現のために設計される管理会計は、その仕組みを通して従業員が高い評価を得られるような行動をとるように影響を与える、言い換えると努力の量と方向性をコントロールする役割があります。
4.組織文化と管理会計の相互関係
ここまで、経営理念は組織文化や管理会計の仕組みの設計・運用を通して従業員の行動に影響を与える、ということをお話ししてきました。組織文化と管理会計のどちらも理念実現のために従業員の行動に影響を与える手段、つまりコントロールの仕組みと見ることができ、二つの経路があることになります。
この二つの経路は独立に存在するわけではなく、組織文化と管理会計は相互に関わっているといわれています。企業が理念を実現する上で、理念の浸透を通して文化を変えることと、管理会計の仕組みを整備することのどちらかだけに注意を払っていればいいわけではなくて、相互の関係について考慮する必要があります。この相互関係のありようについて幾つか例を挙げます。

まず一つ目が、代替的関係です。例えば経営理念が組織に浸透している、つまり理念が反映された組織文化がある状態で、その理念に強く共感する人を採用するような仕組みができていれば、その人は会計数値に基づいた強いインセンティブの仕組みでコントロールしなくても自発的に理念に沿った行動をとる可能性があります。組織文化のコントロールがうまく利いていれば、管理会計的なコントロールはあまり重視しなくてもいい場合がある、つまり代替関係があり得るということです。
成果の測定や業務内容の標準化が非常に難しい場合、管理会計のコントロールが利きにくいため、理念の浸透や理念にフィットした人の採用に力を入れることが求められます。例えばGoogleのように個々人の裁量が大きかったり、創造性や臨機応変性が求められる業務を従業員に任せたりするような会社がカルチャーフィット採用を重視するのは、このような企業においては事前に目標を立ててインセンティブを与えるような管理会計的なコントロールが難しい、ということがあるかもしれません。
次に組織文化と管理会計の間には補完的な関係、お互いに効果を強め合ったり弱め合ったりする関係もありそうだといわれています。これはうまくいかない例を挙げた方が分かりやすいと思うのですが、例えば家族主義的な経営理念を持っていて、それを反映させた組織文化を持っている会社を想定してみてください。「みんな家族だから」と社長は常々言っているのに、個々人の業績に対する強力なインセンティブの仕組みを入れた場合、どうなるのでしょうか。「みんな家族だ」と言っているにもかかわらず、自分の職位と同じ同僚が自分の何倍ものボーナスをもらっている状況は、多くの人が抱く家族像とは異なり、それゆえ理念自体への共感が失われそうです。つまり、組織文化のコントロールが利きにくくなる可能性があります。さらに、自分は同僚の5倍のボーナスをもらっているのは何となく気まずくなる、などしてボーナスをたくさんもらえるように頑張ろう、という気にさせる管理会計のコントロールも、家族主義的な文化が足を引っ張って弱まる可能性があります。そういう意味では、文化的な理念の浸透を通したコントロールと管理会計のコントロールが合っていないと、どちらの効果も互いに弱め合うような関係になりそうです。
ここまでをまとめると、経営理念が浸透することによって形成される組織文化と、その理念を実現するために設計・運用される管理会計の仕組みは、相互に関係しながら組織構成員の行動に影響を与えるということです。まず組織文化側のルートですが、組織文化は組織にとって正しい判断基準や行動を暗黙のうちに規定し、企業の価値観に沿った行動をとるように仕向けたり、企業の価値観に沿った行動をとっているかを従業員が相互に監視し合ったりすることによって従業員の行動に影響を与えます。一方、管理会計側のルートは、組織構成員の数値責任や責任の範囲、求められる結果を規定して、その結果と報酬、評価が組み合わさることによって従業員の行動を特定の方向に向けるようにコントロールします。さらに組織文化と管理会計の仕組みは相互に関係していて、良い仕組み、悪い仕組みが想定されることをお話ししました。

5.アメーバ経営における理念と管理会計の「両輪構造」
ここからは、アメーバ経営における経営理念と管理会計の両輪構造について考えてみます。
・管理会計
まず、アメーバ経営の管理会計的な側面を、ここでは特に理念との関係を説明するにあたって強調したい点に絞ってご紹介します。アメーバ経営は強力な動機付け効果を持つ仕組みだといえます。アメーバ経営は、まず組織を小さな単位に区分することに特徴があります。これらは事業環境や業務環境に応じて比較的素早くくっついたり離れたりするので、アメーバに例えられます。各アメーバは可能な限りプロフィットセンターとして扱われます。各アメーバは組織内の他のアメーバやサプライヤー顧客とモノやサービスを売り買いすることを通して、疑似的にそれぞれが小さな会社のように利益を追求できるように整備されます。組織を細かく区切ってそれぞれの組織を小さな会社のように責任を持たせる、という仕組みを通して、経営の当事者意識を持つ人が増えます。
また、各アメーバは「小さな会社」を経営するために必要な情報が反映されつつも、なるべくシンプルで分かりやすい利益指標によって管理されます。この利益指標はアメーバの頑張りが反映されやすく、それゆえ利益を上げようという動機付け効果が期待されるといわれています。
一方で、アメーバ経営の仕組みは組織の統合を難しくするともいわれています。先ほどの説明と表裏一体の話ですが、小さな会社であるアメーバそれぞれが利益追求を目指して頑張れば頑張るほど、モノやサービスを売り買いする社内の他の組織との間に摩擦が生じる可能性が高まります。各アメーバがそれぞれの利益を追求することは、他のアメーバ、ひいては企業全体の利益最大化とは必ずしも一致しません。
・京セラフィロソフィ
京セラのフィロソフィを中心とした理念体系とその徹底した浸透施策は有名です。フィロソフィには、会社の規範となるべき規則、約束事、企業が目指すべき目標・目的、目標を達成するために必要な考え方が記されています。管理会計の仕組みとの組み合わせに関連して特に注目したいのが、共通の価値観・判断軸を持つことを明示的に言及している部分です。例えば、「私心なく判断する」ということや、「利他の心を判断基準にする」といったことは、自分のアメーバだけではなくて社内共通の企業目的に向かった判断軸を持とう、ということに直接言及しているフィロソフィの要素だといえそうです。「大家族主義で経営する」ということや「ベクトルを合わせる」という言葉も象徴的です。これらの考えを持ったフィロソフィ、理念体系を持つことで、各アメーバが共通の目的に向かうように方向を調整するような効果が見込まれます。
・両輪構造
以上、二つの話を踏まえて、アメーバ経営をコントロールの仕組みの組み合わせの観点から整理すると、まず組織を小さく割って、それぞれを時間当たり採算という比較的シンプルな利益指標で管理します。それぞれが利益追求をすることは、必ずしも企業の目的に沿った行動を動機付けることにはなりません。特にアメーバ間に相互関係があるときには、各アメーバの利益追求は他のアメーバの利益を損なう可能性もあるからです。
経営理念は企業の目的に直結しています。理念を企業に浸透させることによって、各アメーバが利益を追求しながら、なおかつ企業目的に向かうように従業員の判断の方向性を規定するような組織文化のコントロールが利く、という関係になっています。そういう意味で、共通の価値観や判断軸を提供する京セラフィロソフィを中心とした理念体系は、アメーバ経営が持つ強力な動機付け効果による副作用に対処する手段として働いている、という補完関係にある可能性があり、ここにアメーバ経営における管理会計と理念の両輪構造が見えます。

[i] Merchant, K. A., and W. A. Van der Stede. 2017. Management Control Systems : Performance Measurement, Evaluation and Incentives. New York: Pearson.
[ii] 谷武幸(著) 2022年 『エッセンシャル管理会計 第4版』中央経済社
パネルディスカッション
<パネリスト> 田中隆章氏、中島正人氏、佐久間智広、瀬山暁夫氏(京セラコミュニケーションシステム株式会社理念浸透コンサルティング課 エキスパート)

<モデレーター>三矢 裕
(神戸大学大学院経営学研究科 教授)
担当コンサルタントから見たちよだ鮨の事例と、理念策定のタイプ
三矢 コンサルタント、経営者、研究者と異なる立場からの講演をいただきました。ここからはパネルディスカッションに入ります。パネルディスカッションには、ちよだ鮨さんの理念コンサルテーションを担当されたKCCSの瀬山さんにも入っていただきます。
瀬山 ちよだ鮨様におかれては、アメーバ経営に関しては別のコンサルタントが担当して、私は理念浸透のフェーズで支援させていただきました。
話題提供として、ちよだ鮨様を他のクライアント企業と対比しつつ、比較的客観的な視点でちよだ鮨様の理念浸透のプロセスにどんな特徴があったのかをお伝えします。
具体的には経営トップ、つまり中島社長の関わり方が特徴的だったと強く感じています。どういうことかというと、中島社長は手帳を作るプロジェクトで「私の考えを押し付けない、固執しない」「検討過程では極力見守る」ことを意識されました。そのことでプロジェクトメンバー同士の「対話」が起き、フィロソフィが自分のものになったという感覚が生じたと思います。それは手帳を作るプロジェクトの後の浸透活動でも生きてきて、幹部の方々が自分の体験を基に語り、それを聞いた次の階層のリーダーの方々、マネジャーの方々が自分の体験を語って、さらに下の部下に語っていくという連鎖が起きているように感じています。
他社も担当させていただいている立場からすると、これはとても印象的でした。KCCSがフィロソフィの策定をご支援する企業は、オーナー経営の中堅企業や中小企業が比較的多いです。そういった企業でフィロソフィを作るときには、トップ、社長に強い思い入れがあって、気持ち的には「私が考えている経営の目的や判断基準をぜひ社員のみんなに分かってほしいので、一生懸命教えるし、それに共感してね」という立場でプロジェクトに臨まれます。結果的にプロジェクトの時間の半分以上はトップの方がずっとお話しになって、それをメンバーの幹部の方々が聞いて学ぶような状況が多いと思います。
他社とちよだ鮨様を対比する形で、理念浸透のスタンスをKCCSの経験則からまとめました(図)。この対比は、トップが主導で自分の考えをできるだけ分かってもらいたいというスタンス(トップ主導型)と、社員が相互に対話をしながら理念やフィロソフィを創発していくスタンス(創発型)としています。

まず、トップ主導型の理念浸透活動は、経営トップが作り上げた理念をプロジェクトメンバーに伝え教えることをプロセス目標に設定されるケースが多くあるようです。これに対して創発型のちよだ鮨様は、過去にまとめた理念の内容をプロジェクトメンバーが振り返り、その内容を各人の経験に照らして意味付けし、社員全員に伝わるように言語化する活動だったとお見受けします。
理念やフィロソフィの明文化は、トップ主導型の場合は経営者個人の信念や価値観を明らかにして公表するようなものではないかと感じています。これに対して創発型では、経営者の信念・価値観と成員(社員、プロジェクトメンバー)の持っている価値観をひもづけるようなものではないかと思います。
次に、検討の場の作用、つまりフィロソフィを作るプロジェクトの場やそれを学ぼうとする研修の場での作用に関しては、トップ主導型の場合は経営者から成員に対して教育がなされ、経営者の信念・価値観に共感してほしいという作用だと思います。これに対して創発型は、成員各人が主体的にフィロソフィを意味付けしていき、対話によって双方の考え方を知ることで共感を生んでいくものになっています。人材開発の言葉でいえば、経験学習がとても親和性が高いと思います。
それから、指向性に関しては、トップ主導型はベクトル合わせのスタンスだと思います。会社のトップが練り上げた思想や考え方をみんなが学んで、それと同じような行動をとれるようになっていくというスタンスです。これに対して創発型は、多様性の理念を軸にしながら認めているのではないかと思います。
補足すると、創発型と呼んでいるものの場合、画一的に教育をして、みんなが平等に同じ質感で全てのフィロソフィを学ぶスタイルはあまり取りません。そうではなくて、一人ひとりが仕事の中で経験したことがあって、その経験の中で自分なりに培った価値観と会社が示しているフィロソフィがうまく一致しているものを一つでも二つでも見つけます。そこには強い腹落ち感や納得感、本当にこのフィロソフィが自分の仕事観や人生観に合っているという共感があります。結果として均質な学習にはなりませんが、腹落ちするフィロソフィがあることによってこの会社のことが好きだと思えるような効果があると見ています。
ちよだ鮨様においては、社長が黙ってみんなの対話を促したことは、共感を強く後押しした活動だったのではないかと思います。知識でフィロソフィを理解することは比較的簡単だと思います。勉強の場を開いてみんなで読めば、そのうち頭に入っていくのですが、これは自分の働き方にとって納得できる、共感できる項目だというものを一つでも二つでも見つけてもらうためには、社長があえて語らずに、皆さんの対話を促しているのはとても良かったのではないかと思います。
ただし、これが全ての企業に必ず当てはまるやり方だとは思っていません。会社ごとの文化や歴史を踏まえて、どれがいいのかを選択されるといいと思います。ちよだ鮨様の場合は歴史が長く、偉大な創業者や会長もいらっしゃり、かつ社員の方々も豊富な経験をお持ちの中で、中島社長がとられた行動がはまったのだと思います。一方、各社員の方々が共有した歴史や共通の価値観のようなものがない企業がちよだ鮨様のようにやっても、経営トップの目的の実現に向かいにくくなるのではないかと思います。
また、伝統的な中小企業のオーナー色の強い会社であればトップ主導型の方がいいかもしれませんし、大企業の場合は創発型がいいかもしれません。長い歴史のある企業であれば、みんなで話し合って理念を納得していくことがいいと思います。
理念策定を社員に任せるということ
三矢 下の人に任せるとどうしても店長やエリアマネジャーの視点になり、社長や経営者の視点がどうしても抜けがちになると思います。中島社長は、大事な理念の策定において、なぜ我慢強く社員の人たちに任せることができたのでしょうか。議論が違う方向に向かっているように感じたら、何か言いたくなることはなかったのでしょうか。
中島 理念の内容について、私は過去10年ぐらい、いろいろな場でこういうことが大事だとか、こういうことを心掛けていこうということをずっと語ってきました。ですから、従業員は私が何を考えているかということを大体分かっています。ただ、それを従業員のみんながきちんと受け止め、理解できるようにするために、どのような表現にするのかについては、自分たちの経験や気付きがそれぞれあるはずですから、みんなに任せた方がいいと思いましたし、あまり大きく逸脱するという心配は全くしていませんでした。我慢していたわけではなく、それは違うとか、これはこうした方がいいというときには、「ちょっといい?」と自分の考えを話しました。確かに、後から手帳を読むと、この表現はちょっと違ったと思うこともありますが、それはおいおいどうするかを考えることにしました。
理念策定・浸透の効果はどこにあらわれるのか?
三矢 最初に田中さんと中島さんには理念の策定と浸透の部分についてたくさんお話しいただきました。これについて、佐久間さんはどのように考えましたか。
佐久間 理念浸透プロセスとアメーバ経営のような管理会計の仕組みを入れるプロセスは、導入に対する反対・抵抗があり、それを乗り越えて従業員に納得してもらうプロセスがあるという意味では共通点があると感じました。それを踏まえてお聞きしたいのは、理念の策定・浸透プロセスにおける成果の検証についてです。例えばアメーバのような管理会計の仕組みを企業に入れた場合、数値データが積み上がっていき、それを見るとどう行動が変わっていったのかが見えてくると思います。成果の検証方法が管理会計の仕組みの中に内包されている、ともいえそうです。対して理念はその成果が見えにくそうです。新しい理念が浸透してきて、経営に効いていると感じられるような、例えば具体的な従業員の誰かの行動などというのはどこに表れてくるのでしょうか。
三矢 参加者の方からも、佐久間さんの関心に近い質問をもらっています。アセスメントの結果を見ていて顕著に変わるタイミングはあるのか、あるとすれば何年ぐらいか、どんな傾向があるのかという質問がありました。また、フィロソフィの策定により今後定量的にどんな効果が生まれることを期待しているかという質問もありました。現場のご経験が豊富な田中さん、瀬山さんにお伺いしたいと思います。
田中 まさに現場の体験ということでお話しすると、顕著に変化が表れるのは新入社員です。新入社員が入ってきて、最初は分からないなりに輪読に参加して感想やコメントを言う機会がありますが、3年目ぐらいから急にみんながじんとくるようなフレーズやエピソードを話すことが増えてきます。変わるタイミングという意味では、3年ぐらいかかるのではないかと思います。
一方で、ビジネスの数字と理念の浸透との関係については、数字が変わるまで3年かかるのかというとそうではないと思います。中島社長のお話にもありましたが、アセスメントのデータを真ん中に置いて、ちよだ鮨さんの経営幹部の方々とわれわれがそれを基に、どういうことが起こっていたのか議論をしますが、それはデータの良し悪しを議論するというよりは、例えば地区長であれば複数の店舗を持っていて、明らかに数字がいい店舗があったりします。そこの店長は日々何をしているのか聞くと、他のBやCの店舗とは違って、A店舗は独特な取り組みをしていたということが分かったりします。それがまさに起こっている行動で、数字を良くしている行動でもあるので、それを横展開すると2年目から変わるだろうと私は思います。
ちよだ鮨さんのアセスメントは初年度なので、まだ2年目以降については実証できているわけではないですが、今後データを基に何か行動を変えることはできると思います。
瀬山 視点を変えて現場で感じていることを述べたいと思います。社内で設計企画される施策がフィロソフィの視点で検討されるようになっていくと、成果につながる可能性が高いと感じています。具体的にちよだ鮨様の例で説明します。現在、ちよだ鮨様では店長の職務の負担を軽くしようという計画を進めています。店長は現場でお客さまと直接接し、お客さまが最終的に手に取るおすしを作ってくれている人であり、その人たちが笑顔になれるのか、きちんと正確な仕事をしてくれるのかというのは重要だ、ということはミッションやフィロソフィでも強調されています。しかし、その店長が実はアメーバ経営の業績管理も労務管理も任されていて、他にもいろいろやることがあって忙しくて手いっぱいになってしまっています。そうした状態が明らかになったときに、それは改めた方がいいとか、店長自身が幸せにやりがいを持って働ける環境を作ろうと思ったら何か手を打てるかもしれないという判断がなされて動いています。店長の動き方が変わると、実際にお店の雰囲気もがらっと変わっていくと思います。そういう意味で、店舗での新しい施策を考える際にフィロソフィが指針になり始める、というのが浸透の効果を見る一つの視点だと考えています。
理念と管理会計の導入順について
三矢 今日は神戸大学名誉教授の加護野先生が参加されています。加護野先生と同じく神戸大学名誉教授の谷先生と私の三人で、1999年に「アメーバ経営が会社を変える」という本を出しています。加護野先生はアメーバ経営についても大変詳しく、いろいろな場面で発信してこられました。今日の登壇者の方々に何かご質問はありますか。
加護野 KCCSの方々に伺いたいのですが、佐久間さんは「経営理念と管理会計は車の両輪のようなものでうまく組み合わせられないと駄目だ」というお話をされました。KCCSの方々がコンサルティングする順番として、まず理念をきっちりと体系化する形で理念から入る場合と、アメーバから入る場合の2種類があると思います。私はアメーバから入る方が入りやすいと思うのですが、KCCSの方々はどちらから入った方が会社を良くする確率が高いと思っておられますか。
田中 アメーバ先行か、理念先行か、または同時導入かという3パターンがあると思っていて、お客さまの意向でアメーバ先行になる場合が多いと私は思います。ビジネスを伸ばさなければならないので、数字にすぐに寄与するものから採用したいというのは経営陣としては当然だと考えていて、そうした意向が強い中で「理念の再形成を」とはなかなか言いづらいというのが正直な私の気持ちです。
ただ、本当に会社が伸びていくためにどんなスタイルが理想なのかというと、私は同時導入だと思っていて、会社が変わるときには理念とアメーバの仕組みをセットで考えます。これも実はジレンマがあって、会社が導入に割く人的なリソースは限られているので、アメーバの導入と、理念を1年ぐらいかけて編纂しますが、そこにかける人材は重複することが多くて、一度にやるのはなかなか難しいという台所事情もあります。それで結果的にはアメーバ先行で、理念は後ということが多くなるのが実態ではないかと思います。私は同時導入がいいと思っていて、場合によっては理念先行かなと思います。
瀬山 私も同じです。補足として、アメーバを先行した場合、佐久間先生がおっしゃったとおり社内の対立は起きると思います。各部門のアメーバのリーダーが自分の部門の利益を追求することに一生懸命になって、そのこと自体はとてもいいことですが、やや近視眼的になって周りのことをケアできなくなってしまうことはあると思います。そのときにはフィロソフィというか、何のためにこの仕事をしているのかという振り返りが必要であり、まずは結果を出したいとおっしゃっていた経営者の方もその大切さに改めて気付くことで、フィロソフィに力を入れようというふうになると思っています。
加護野 私は管理会計を先行すべきだと思います。数字から入れば、みんな考える習慣が付くのです。考えた後で理念のような抽象的なものを勉強した方が、理念の意味や限界がよく分かるのではないかと思います。理念を最初からやると雲をつかむような話になってしまうので、やはり管理会計から入るべきなのではないかという感じがします。
三矢 おもしろいご指摘ですね。私自身は、KCCSの方がおっしゃる通り同時がいいのかなと思っていました。しかしながら、加護野先生が言われている通りだとしたら、管理会計というのは、理念浸透のための土台整備の役割もあるのかもしれませんね。今まで考えていなかった新しい視点です。これからの研究課題とさせていただきたいです。
理念導入の成果と今後
三矢 参加者の方から中島社長に対する質問です。フィロソフィの策定によって今後、定量的にどんな効果が生まれることを期待していますか。
中島 弊社は圧倒的にパートタイマー(メンバー)が多いのですが、メンバーの中には、なぜここまで頑張れるのだろうという、社員よりすごい人がたくさんいます。メンバーは85%を占めていますから、働く時間は短くてもこの人たちが自分の会社なのだという意識を持ってくれると、恐らくすごいパワーになるだろうと思います。実際、メンバーから店長など管理職になった人は何人もいますし、人材という部分で底上げができるのではないかと期待しています。
三矢 例えばパートの方の離職率などは変わってくるのでしょうか。いい意味でいえば、共感できる、単にお金をもらっているだけではなくて何かやりがいを感じるという気持ちで会社への愛着が高まる人もいると思います。その一方で、私はパートとして仕事をしているだけなのに、この会社では価値観を否定されたり、新しい考え方を注入されたりするから辞めたいという人も中にはいるのではないでしょうか。
中島 ものの考え方がはっきり形づくられればつくられるほど、合わない人も出てきます。特に中途入社の人はそれぞれの価値観やいろいろな経験に基づいた考え方を持っていますから、淘汰されてしまう方はたくさんいます。それは仕方のないことですけれども、メンバーの離職率という点では間違いなく低くなってくると確信しています。
三矢 ということは、彼らが経験を積んで、技術も上がって、接客が良くなったり、おすしの質も良くなったりする可能性もあって、ひいては売上や利益にも関わってくる可能性がありますね。離職の問題はとても興味深いことなので、田中さんにもお聞きしたいのですが、例えば稲盛さんだったら、これはどうお考えになるでしょうか。
田中 まさに会社が掲げる理念や哲学というのは、その会社で志を同じくして一緒に仕事をするための前提条件だと思います。これは中島社長が話されたとおりで、稲盛さんもそのようにおっしゃっています。ですので、そこに共感できない人が同じチームで働くのは、周りの人も、何よりその本人にとっても苦痛以外の何ものでもなくて、「去れ」という言葉はきついですけれども、そこでは働けないだろうと思います。
三矢 組織文化的なものと管理会計的なものが時にうまく組み合わさったり、ばらばらになったりするということについて、中島社長はどのようにお考えですか。
中島 その二つがかみ合わないことは全くないと思っています。われわれのようなところは一つひとつの事業所の規模が小さいのですが、大型量販店などとは違って、非常にいいことや努力をしても、なかなか目先の数字に結び付かないことがたくさんあります。一番大事なことはどういう努力をしているのか、どういういいことをしているのかを常に見ていることだと思っています。
それで私は、店をこまめに回っています。週の半分以上は会社にいなくて、ひたすら店舗を回り続けている感じです。これだけ回っていると、店にちょっと入っただけで何かおかしいとか、何か良くなっているということもすぐに分かります。われわれのような商売は、そういうことがとても大事で、それが正しい評価につながります。理念がなければ何でもやっていいということも起きたりしますけれども、考え方を行動指針で押さえながら、私は特に店舗の人たちには「どんな小さい努力も絶対に無駄にならない。だから、安心して努力しなさい」という話をしています。
三矢 店舗がおかしくなっている、良くなっているというのはどこを見たら分かるのでしょうか。
中島 空気です。行くと分かります。何かおかしいと思って、そこからいろいろ聞いたり、調べたり、様子を見たりするのですが、すぐに分かります。店の中の人間関係が悪くなったり、働きにくい環境が生まれていたりすると、不思議なものでお客さんがさーっと引いていきます。
瀬山 アメーバ経営を導入する意図も、フィロソフィを作る意図も、ミッションを実現するためという点で同じです。意図に沿って適切に設計していけば、両者はけんかしないだろうと思います。ただ、設計のミスなどで齟齬が生じることはあるでしょうから、その場合はアメーバの方のルールを変えたり、フィロソフィの方の解釈の仕方を話し合いで修正したりすることで、すぐに補正は利くと思います。
田中 佐久間先生のダイヤモンドの図で、文化と管理会計が相互に代替的であるということと相互補完的であるということも、相互監視のための仕組みとして働くというのもそのとおりだと思います。文化が浸透した会社では、そうではないよね、うちらしくないよねという会話がなされて、行動修正が現場で行われます。それが会社の外から見ると社風に見えるのだと思います。そういう良き社風を持ったところは文化が浸透していて、さらに言えば相互監視としてお互いに行動をよいものにするという力学が働いている状態だと思いました。
佐久間 理念の浸透プロセスの中で浸透し過ぎということはあるのかを伺いたいと思います。例えばチャレンジングなことを思いついてほしいとか、自発的に動いてほしいというときに、理念の解釈までも統一されてしまった状態になると、新しい考えが出てこないように思います。同じ判断基準になってしまうほど理念が画一的に浸透するのはよくないのではないか、浸透しつつもある程度理解のばらつきがあって、解釈のばらつきが個々人にあるぐらいが理想なのではないか、とも思いますが、そのあたりはどうでしょうか。
田中 フィロソフィの各項目は、独特なものというよりは非常に普遍的な内容でできています。それゆえに、読むたびに新たな気付きや学びが得られるのがフィロソフィの素晴らしいところであると思います。よって浸透「し過ぎ」ということはないだろうというのが私の答えです。
エピローグ
三矢 このワークショップでは、経営理念の策定と浸透をテーマとして、経営理念の策定・浸透支援をされているKCCSの視点から田中さん、そして実際に経営理念の再策定、および浸透に取り組まれている企業の視点からちよだ鮨の中島社長にお話しいただきました。佐久間さんからは、企業のコントロールシステムの視点から、理念と管理会計の関係を整理していただきました。理念の重要性やその浸透活動の難しさ、そして理念と管理会計をはじめとする仕組みとの関係・組み合わせについて、参加者の皆さんに何らかの気づきや考えるきっかけを提供できていれば嬉しく思います。
最後になりますが、本ワークショップのサブタイトルでもある、渋沢栄一さんの『論語と算盤』の考え方を、京セラ創業者の稲盛和夫さんは京セラフィロソフィとアメーバ経営という形で現代の企業経営の仕組みに具現化し、その実践を日本だけでなく世界に発信されました。残念ながら、稲盛さんは2022年8月24日にお亡くなりになりました。私たちは稲盛さんのご功績を忘れず、さらに発展させていかなければならないと思います。その意味でも、本ワークショップはとても意義深いものです。ご登壇の皆さん、ご参加の皆さん、ありがとうございました。
