第107回 ワークショップ
スタートアップ&新規事業:
Sunday Morning Café
トーク
1.上原 仁氏(株式会社マイネット 代表取締役社長)
2.竹内 ひとみ氏(Coloridoh Inc. Founder & CEO)
3.塚田 英次郎氏(World Matcha株式会社 代表取締役社長)
みんなで楽しくトークセッション
<パネリスト>
上原 仁氏、竹内 ひとみ氏、塚田 英次郎氏
<司 会>
保田 隆明(神戸大学大学院経営学研究科 教授)*開催当時の所属
トーク1

上原 仁氏
(株式会社マイネット 代表取締役社長)
今日参加されている方は社会人の方が多いと聞いています。今回は、これから皆さんが起業するという前提で、もし起業するとしたらこんなエッセンスを取り込んでもらえるとうれしいという思いで資料を作ってみました。
私は、神戸大学経営学部卒業後、NTTを経て15年前にマイネットという会社を創業しました。創業時から15年間、保田先生が社外役員をしてくれています。
私の会社は、これまでソーシャルメディアなどいろいろな事業を行ってきました。今はゲームとスポーツの事業をしています。スポーツは、ファンタジースポーツ[1]と、現在は滋賀レイクスターズというバスケットボール・Bリーグのプロスポーツクラブの会長を務めています。
起業への道のり
子どものときから松下幸之助さんに憧れて、経営者になりたいと思っていました。阪神・淡路大震災の時には神戸にいました。そこでいろいろ経験したことも胸に持って社会人になり、起業したという感じです。
起業家としての原体験になったのが、阪神・淡路大震災の後、受験生のために無料塾を開いたことです。仲間を30人ぐらい集めて、崩れかけの教会や営業停止となったレストランなどにご協力いただき、神戸の11か所に避難所の子どもたちを集めました。
特に受験を控えた中学3年生の子どもたちにビラを配り、勉強の環境など全くないような状態だった400人ぐらいの受験生を支えました。
どんなにきつい環境、惨憺たる環境だったとしても、自分の意志で社会や人々に価値を提供することはできる、自分たちの意志一つで仲間を集めて人の顔を上げることができるという経験が、自分の中で大きな原体験になっています。
勉強を教えることとともに一番大事な経験となったのは、子どもたちに、こんなお兄さん、お姉さんになりたいと思えるような人との出会いと、つながる場をつくれたことです。それがきっかけとなり、人のつながりを軸にした起業家になろうと考えました。
そういった思いで「MY NET(私のつながり)」という会社をスタートさせました。社名がそのまま、事業の中で貫くコンセプトになっています。全ての人にとって大切な人とのつながりをもっと豊かなものにするために、インターネットが普及する時代に即してサービスを提供したいという思いでやってきました。実際には、オンラインで人がつながる場をつくるゲーム空間を長く営んでいます。ファンタジースポーツは、これから広がっていく市場です。
今は、二つのプロスポーツクラブに経営参画しています。特に、滋賀レイクスターズについては8割方の株式を保有し、経営を大きく変革することに取り組んでいます。会社自体は現在、東証1部に上場(開催当時。現在は東証プライム市場に上場)しています。
マイネットはいろいろな事業を変遷させながら進んできた会社で、創業事業は既に収束しています。その後、立てた事業を黒字化して事業売却したり、参入した後も少しピボットしたりして、今はゲームとスポーツの会社となっています。
起業の五つのエッセンス
ここからは皆さんに少し役に立つ話をできたらと思います。本当に紆余曲折があったのですが、その中で体感した起業のエッセンスを五つご紹介します。
心得その一は、「仮説を検証せよ」という話です。ベースにあるのは、思いがあるならやってみようということです。思いというのは仮説であり、やってみることが検証なので、やってみようということです。
ただ、やるならまず、「刻む」ことがとても大事です。思いをそのままやるのは少し乱暴です。まず、思いを因数分解してみると仮説と呼べるものになるので、その仮説を試してみて成否を検証します。
サラリーマンの方は、自分一人で会社の看板なしでやっていけるのかということに悩んで、一歩踏み出せないことが多いと思います。私もそうでした。そこで、私は週1勤務で1年間に120万円稼げるかどうか検証してみました。知り合いになったベンチャー企業のコンサルや、人材派遣会社に登録者募集のウェブマーケティングのようなものについてのコンサルをしたり、ちょっとしたECサイトを友人と一緒に作ってみたりしました。小仕事ですが、実際にやってみると、1年間で200万円ぐらい稼げました。これが自信になりました。これで会社の看板がなくても稼ぐことができて、妻と子どもを路頭に迷わせることはなさそうだということで、起業のスイッチを押しました。ちょっとした仮説検証です。
事業を実際に始めてからは、マイネットではよく「ハンマー調査」を行っています。事業の仮説はやりたいことベースももちろんあるのですが、市場の機会を見いだして抽象度の高いエリア、最近ではWeb3[2]やブロックチェーン[3]など、テーマベースでやりたいことになってしまっている部分も多いと思います。5個ぐらいの仮説を持って、その5個を1回打ち込んでみて、その中で金脈がありそうな一つに、分散していたリソースを集中させ、金脈を掘ります。領域を選んだとしても、一気に一点突破ではなくて、まずは刻んでハンマー調査をし、金脈を見つけてから進んでみてはどうでしょうか。
検証においては、少しずつ首を突っ込むのではなく、それぞれの領域の本当のインサイダーになることが大事だと思います。例えば週1で120万円稼いでみること自体、起業家ないしは独立事業者のインサイダーになるという行為です。この状態になると独立している仲間ができて、その人たちの本気の悩みなどが見えてきますし、実際に自分でも味わえたりします。
心得その二は、「信用資産を積む」ことが大事です。起業を思い立ったら一人ではない状態を作ることです。起業すると、自分は一人きりという心象風景を思い浮かべることが結構あります。そんなときに、近くでも遠くでも自分を応援してくれる人の輪ができることがとても大事です。これをやると決めて、何とかして稼がないと、という方向に一気に行くよりも、一度立ち止まって輪を作ることに時間をかけることをお勧めします。輪の中から支援してくれる人が出てきたり、支援してくれる人同士でディスカッションしている中で新たな知恵が生まれてきたり、その中で起業を共にする仲間ができたりします。
私の場合、まさにそれを地で行くような感じでした。保田先生と一緒に毎回80人ぐらいが集まって、旬のテーマで旬の人をゲストに呼んで、その人のネタをいろいろ引き出していくRTCカンファレンス[4]を行っていました。
コミュニティの運営は、人や場所のセットアップ、プレゼンの作成と結構大変です。しかし、コミュニティでは、自分たちがかけている労力の何十倍もの価値を多くの人たちとともに作り出すことができます。そのコミュニティの中で知り合った人同士が仲間になったり、時には仕事のパートナーになったり、知り合った人同士で実際に起業したという話もありました。
場を作って自分が汗をかくと、信用資産がすごくたまります。実際に起業するときにその人たちが支援者になってくれて、私の場合も最初に仕事をくれたのもそのコミュニティの人たちでした。そこにはメディアの人もよく来ていたので、創業するときにはどんどん書き立ててくれました。最初の投資家となったベンチャーキャピタルの人と出会ったのも、そのコミュニティの中でした。運が味方してくれたところもあったかもしれませんが、そのコミュニティで汗をかくこと、要するに自分の価値の無償の提供が、多くの人に広がり、それが何倍にもなって返ってきてくれたのだと思います。
心がけとしては、縁と知見は無償のgiveで行くのがいいでしょう。当時はまだブログブームだったので、ブログで自分が得た知識・知見は惜しみなくどんどん出すと、さらにいい知恵が返ってきてくれることがありました。
起業とは自分BS(貸借対照表)の運用なのです。資本はいわば生い立ちのようなもので、右上にある時間を使って、左側で信用資産を積み、左上は自分の人生が生み出す価値のようなものです。生い立ちと時間を使って資産を形成しながら、その資産を活用して事業活動を行い、価値を創造するのが起業家人生だと思います。信用資産を積んでいくことが事前にできていると、事業を行うときにものすごく増幅してくれます。
心得その三は、「選択と集中」です。これが最も伝えたい心得です。どんな資格を持っている方でも、どんなにすごい学校を出た方でも、どんなレピュテーションを持っている方でも、最初は全員弱者です。組織を作れているわけではないし、履歴があるわけでもないので、スタートはとにかく全員弱者です。
弱者が勝つには、絶対に集中と一点突破が必要です。ここで落とし穴になりがちなのは、日本の教育や大きな会社で味わう意思決定の在り方です。私たちは、選択肢を増やしてリスクをヘッジすることを驚くほど刷り込まれています。これをアンラーニングしなければ、起業の世界ではすぐに死んでしまいます。
弱き者のランチェスター戦略[5]で、一点突破、局地戦で勝つことです。大企業が5個に打ち手を打っているときに、自分たちは1点を突破する動き方をするということです。ちなみに、先ほどハンマー調査のところで分散の話をしましたが、ハンマー調査は調査のために分散するのであり、金脈を見つけたら絶対に一点突破です。フェーズが違うということだけ補足しておきます。事業として本気で取り組むなら絶対にランチェスター、一点突破です。
逆説的に表現すると、決めるとは捨てることです。今まで選択肢を増やしてきているので、決めるといっても実際は選択肢を増やしながら決めていることが多いのですが、起業した上での「決める」とは捨てることです。とにかく研ぎ澄ませていくのです。この1点においては絶対に自分は日本一だ、世界一だというものを磨き切っていくことが起業で勝つ上での一番大事なことです。
心得その四は、あえてずらすことです。みんなが「いいね」と言うことがあります。すごく分かりやすく社会に貢献できていることや、子どもたちにいいことなどは、非常に大事なのは間違いありませんが、みんなが「いいね」と言うことは、みんながやるのです。2021年、マリトッツォ(パンにクリームをはさんだイタリアの伝統菓子)のことをみんなが「いいね」と言って、過当競争になりました。はやりものが過当競争になるのは分かると思います。過当競争になれば、強者が勝ちます。そこについてノウハウやアセットを持っている事業者が勝ちます。みんなが反対しそうなところにこそ、強者のいない白地があるのです。
一番いいのは、みんなが反対しそうだけど3年後、5年後には社会の王道になっていくようなところに差し込むことです。差分こそ価値なのであり、みんなと同じは無価値なのです。
理屈っぽい話になりますが、時間視点でいうと機会は市場の頭としっぽにあります。先ほどお話ししたインターネットとスマホの例のように、いずれ世の中のメーンストリームになるけれどもまだなっていないようなものに踏み込むことです。Web3やブロックチェーン、メタバース周りなどは、みんなが「いいね」と言い始めたのでちょっと危ないです。「頭を取るには半歩先に行かないと」ぐらいに思っていた方がいいです。
逆に、しっぽもあります。2012年ごろ、間違いなくスマホが主流になるといわれていた時期に、iモードの公式コンテンツを買収しまくっていた人がいて、この人は大勝ちしました。これが残存者利得というものです。その後、サブスクリプションのお客さんがずっと残っていきますし、もうそれはトレンドではないとみんなに思われているので、意外と安めに買えます。
このように、頭としっぽとでは頭を狙いがちなのですが、逆にしっぽの方、要するにアービトラージ(Arbitrage:裁定取引)のあるところは、みんなの認識としては価値が低いけれども残存価値は非常に大きく、強者がなかなか来ない白地になります。
ぜひ覚えてもらえるとうれしいのは、「頭のいいお金持ちとはけんかするな」という言葉です。起業して、Googleのような強者がいそうなところには絶対に行っては駄目です。また、リクルートのやりそうなリボンモデル[6]が効く領域もやっては駄目です。リボンモデルだけれども、ここはまだやらないだろうというところ、今はお葬式のリボンモデルをやっているところが結構いい感じになっています。起業は、頭のいいお金持ちがまだいないところでやることが大切であり、頭のいいお金持ちとはけんかをしないということです。
最後に心得その五は、「好きで得意なことをやろう」ということです。得意というのは、自分が狙っているマーケットで、ライバルよりも秀でているぐらいのことができればいいと思います。
創業期、会社を駆動する全ての源泉は起業家の情熱です。これだったら絶対にみんなが幸せになると思っている起業家の情熱が会社を駆動します。「この指止まれ」と言ったときに、やはり人は情熱の下に集まってくれるのです。あなたの好きで得意なことをやることが、成功への一番の近道といえます。情熱が止めどなく湧き出ることを行うことをお勧めします。
***
最後にもう一つお伝えしたいのは、実際に起業して、情熱を燃やして、好きで得意なことをやっているときには「創業オーラ」が出てきます。情熱が湧いている創業者のところには、ものすごく人が集まってきます。レピュテーション、お客さん、お金などいろいろなものがそのオーラに引きつけられ、吸い寄せられるのです。これは、それまでの人生でいろいろため込んできた資産をどーんと爆発させて社会価値に換えている瞬間なので、みんな応援したくなるのです。
しかし、その期間は基本的に1年半です。すごくざっくりした個人経験による統計ではありますが、1年半ぐらい経つと、みんなが興味を持っていた熱量がだんだん薄れ、飽きてくるのです。人間とはそういうものですから、飛び出したら最初の1年半、とにかく走り切ることです。そして、走り切る間に仕組みとチームをしっかり作ることです。創業オーラがある間に下地を作り切ることで、その先にサステナブルな事業、好きで得意なことで社会価値を生むことが実現できると思います。
最後のメッセージは、一度きりの人生だから好きにやってみたらいいではないかということです。ぜひ起業の道を開いてみてはどうでしょうか。
[1] ファンタジースポーツ:実際に行われるスポーツの試合を対象に自分の好きな選手を集めて架空のオリジナルチームを作るシミュレーションゲーム
[2] Web3:これまで情報を独占してきた GAFAM や巨大企業に対して、テクノロジーを活用して分散管理することで情報の主権を民主的なものにしようという概念
[3] ブロックチェーン:ブロックと呼ばれる単位でデータを管理し、それを連結してデータを保管する技術。同じデータを複数の場所に分散して管理しており、このため分散型台帳とも呼ばれる
[4] RTC(Real Time Context)カンファレンス:上原氏と保田先生が個人ブロガーとして共同運営している、敏感なビジネスパーソンのための勉強会議
[5] ランチェスター戦略:戦力に勝る「強者」と戦力の劣る「弱者」にわけ、それぞれがどのように戦えば戦局を有利に運べるのかを考えるための戦略論
[6] リボンモデル:リクルートによって提唱されたサービスデザインモデルの一つで、カスタマー(個人や一般の消費者) とクライアント(企業や事業者)のベストマッチングを生み出す仕組み
トーク2

竹内 ひとみ氏
(Coloridoh Inc. Founder & CEO)
まず、うちの会社は何をしているのかをお話しした後、なぜ私がこの会社を始めたのかという話をしたいと思います。
Coloridohはスペイン語でカラフルという意味があって、カラフルな世界をつくりたいというのがわれわれのビジョンです。ミッションとしては、人のコミュニケーションを考えていて、国籍や年齢、性別を超えたボーダレスな「楽しい」を共有できることを追求している会社です。
事業内容としては、FOOD(食)とPLAYFUL(遊び)とLEARNING(学び)を融合させながら、商品としてはアレルギー対応のカラフルなクッキー生地を開発・販売しています。またサービスとして、カラフルなクッキー生地を使った親子プログラムやレッスン、イベント、コミュニティ運営をこれから本格的に始めようとしているところです。
私がコミュニケーションの中でも特に注力し、思いがあって始めているのが親子コミュニケーションです。親子コミュニケーションというと、人格形成のかなり基になるのではないかと思うのですが、親子関係をこじらせている人が私の知り合いにもかなり多くいます。
私には4人の子どもがいますが、子どもとの遊びに私自身も悩んでいました。クラシエさんがお母さんだけに取ったアンケートによると、子育てで苦労していることとしては、「子どもと一緒に遊ぶのが疲れる」「何をしていいか分からない」など、6割以上の方が課題を抱えています。実際に「ママ遊ぼうよ」と言われて遊んでも、10分持たない人がとても多いのです。
特に「何をしたらいいのか分からない」「面倒くさい」「本当に時間がない」という三つが大きな問題としてあると考えていて、まず親を笑顔にしなければ子どもの精神的安定は得られないのではないかと思っていました。
親が子どもと一緒に遊ぶときに大事なものは何でしょうか。まず安心・安全な環境をつくることと、手軽であることと、楽しいことが挙げられると思います。
では、親も楽しめるものは何だろうと考えてできたのが、FOODとPLAYFULなのです。食べ物は親も子どもも世代を超えてみんな関心があることだと思ったので、食べ物に注目して、それをさらに楽しくできたらいいと思い、食べられる粘土「creative cookie dough」を開発しました。

Ready to bakeで、カラフルなクッキー生地を売るというと、すごく単純なことと思われるのではないかと思います。でも、これは世界初の商品で、2年の歳月をかけて開発しました。なぜ2年もかかったかというと、一つはアレルギー指定原材料28品目を使わないと決めたからです。うちの子は幸いにもアレルギーがありませんが、周りにアレルギーの子どもがとても多くて、友達にもいました。ですから、みんなで遊べるものにしたいという思いからアレルギーフリーにしました。
それと、私はこの間までアメリカに住んでいました。このクッキー生地を実際にアメリカで売ろうとしたときに、アメリカには「クール宅急便」がありませんでした。カリフォルニアからニューヨークに送ろうと思ったら、十数時間分の保冷剤を詰めなければならず、荷物が重くなって、送料だけで1万円以上かかるということがありました。でも、アレルギーフリーであれば卵も乳製品のバターなども使っていないので、もう一工夫すれば常温保存できるのではないかという思いから、沼にはまってしまって2年かかってしまったのです。
生地状で売ることを考えていたので、生地状にしようと思ったら水分を抜かないと絶対に常温保存ができません。でも水分を抜くと、ぼろぼろになってしまいます。では、他の液体を入れればいいのではと考え、油を多めに入れると、焼き上がりの形が全部崩れてしまいます。私は理系でもないのに、いろいろな材料を使って研究をして、2年かけて生地を作り、特許申請しました。
この生地は焼く前も焼いた後も色がきれいなのが魅力です。色は全部天然のもので、合成着色料を使っていません。カボチャやトマト、ココアなどで付けているのですが、焼いた後もほぼ変わらずきれいに焼き上がるようになっています。子どもが多少汚い手で作っても、焼くので安心して召し上がっていただけます。
クッキーは焼き菓子の中でも一番簡単なものです。ところが、そんな簡単なクッキーでも、材料の計量から始めると、生地を寝かせたり、あれやこれやで2時間ぐらいかかります。
この商品は既に生地になっているので、好きな形を作ってオーブンで10~15分焼くだけです。ですから、「何を作ろうか」というコミュニケーションにフォーカスすることができます。また、作ったときに出るごみを捨てるだけで、片付けも洗い物も要らない点は、親としても非常に楽だと思います。
さらに、FOOD×PLAYFULにLEARNINGの要素を加えたプログラムを開発していて、ベイキングをする1時間をもっともっと学びの深い、質の高い時間にしていただこうと考えています。子どもと向き合うなら、スマホを触りながら3時間何となく遊ぶのではなくて、上原さんの「選択と集中」ではないのですが、忙しいからこそ1時間集中して、クオリティを高めようというプログラムを作っています。
このプログラムはサブスクリプションで、子ども向け教材と親向け教材の両方が毎月届くのが特徴です。子ども向け教材は、「ART for kids」というもので、粘土を使っていろいろなクリエイティブなものを作ります。例えば、顔をテーマに、どんなパーツが付いているかとか、どんな表情がどんな気持ちを表しているのかという表現力を学んだり、洋服の模様だったり、海の生き物を探してみようとか、いろいろな表現力を付けていくようなテーマを毎月考えてセットにしています。
プログラムの中で特徴的なのは「PARENTING for parents」という教材です。アメリカで、PARENTINGというのは、親スキルや親コーチングのことを指します。どんな声かけをすれば子どもの能力がもっと伸びるか、といった、子どもへの接し方や、子どもとの関係が深まるようなコミュニケーションを勉強していただくプログラムです。
例えば、クッキーを作る1時間の間にこれから何を作ろうかとか、これは笑顔でやりましょうとか、声かけのヒントがたくさん書いてあります。そのとおりにやる必要はありませんが、それをなぞっていくと自然とポジティブな会話ができるようになります。
昨年、小学館や味の素のアクセラレータプログラムに参加したときに「こういうコンセプトのキットがあるのですが、やってみたいですか」というアンケートを取ったところ、9割の親御さんが「やってみたい」と答えました。幼児教室に通わせている親御さんなので元々意識の高い方が多いのですが、その中でもモニター抽出して実際に使っていただいた方からは、最終的に96%の方が「面白かったからまたやってみたい」「子どもがまたやりたいと言っています」と回答いただきました。
実際、子ども向けの教材や子どもの知育を伸ばす教材は世の中にあふれています。われわれの場合は、私目線ではあるのですが、まず親をフォローすること、親も楽しめるものを意識して開発しています。
グローバル展開を目指して
アメリカで創業したので、グローバルを視野に入れて展開しようと思っています。グローバルに強い製品をベンチマークにしています。「Play-Doh」というのは、アメリカではどこの家庭でも学校でも普及しているカラフルな粘土です。この粘土は60年間に80か国以上で販売されています。これだけロングセラーで、子どもたちが遊びまくっている製品ですが、われわれの製品はさらに食べることができます。「LEGO」も90年間に140か国以上で販売されていますが、安いブロックは世の中にありふれているにもかかわらず、さらに売り上げを伸ばしています。このマーケティングがすごく面白いと思って、ベンチマークとしてチェックしています。
クッキー生地から始めましたが、クッキー屋さんになりたくて始めたのではありません。親子コミュニケーションやコミュニティをいろいろ意識していく中で、「食」や「遊び」「楽しい」ということがコミュニティとして最もつながりやすいだろう、というところから、この製品になったのです。将来的にお店をやったり、イベントをやったり、エンターテインメントやコミュニティをつくっていきたいと思っています。アメリカバージョン、イギリスバージョン、ドイツバージョンがさらにつながるようなプラットフォームができたら、われわれにしかできないコミュニティができるのではないかと考えています。
そのような中で、5年、10年で企業価値をしっかり上げていくことが私の役目だと思っていて、最後はグローバル展開に強いブランドに売却したいと思っています。
ここまでの道のり
高校時代にミネソタに1か月ホームステイして、留学したいと思い、留学の準備のため短大の英語科に入りました。しかし、短大卒業の年に阪神大震災があり、留学どころではなくなりました。英語とつながれるという理由で英会話教室に就職し、そこで営業担当となり、全国トップ10の成績を出し、22歳で課長になりました。仕事は楽しかったのですが、同じ商材に飽きてきたこともあり、知り合いが立ち上げたSI(System Integration)の会社の営業に誘われてIT業界に入りました。その後、ベンチャーナウというニュースメディアの創業者と縁あって、結婚。ただ、営業は夜の接待が多く、妊娠を機に、営業にいけないので仕事を辞めました。
私は料理が好きでした。妊娠中、料理コンテスト三つに応募したら、三つとも賞をもらいました。第1子が5か月ぐらいの時に、ABCクッキングの講師になりました。2年ほど勤めたのですが、保守的な夫が働くことに対して条件を出したり、いい保育園に入園させるとお給料から足が出たりしたため、仕事を辞めました。その後は自宅で子連れ料理教室を開いたり、雑誌のフードコーディネーターの手伝いをしたり、いろいろやりました。
結婚して10年の間に、リーマンショックや東日本大震災があったこともあり、夫のメディア事業も何回も窮地に陥りました。2013年には離婚の危機もありました。夜中の2時ぐらいに帰ってくる夫に、ご飯作って、お風呂沸かし直して、耳かきも爪切りも全部してあげるような生活をしていたのに、ありがとうもなく・・・ぎすぎすとした時に、夫が1か月ぐらい帰ってこないことがありました。その時に、夫がいない方が楽だと思いました。そんなこともあり、一人で4人の子どもを育てようと、転職サイトを見ました。すると「35歳以下・大卒」という応募条件が多く、短大卒で当時40歳だった私は、自分は本当に無力なのだ、なんの存在でもないのだ、とすごくショックを受けました。
世の中を変えるために、何かインパクトを与える起業をしないといけないと意識したのがこの40歳の時です。
ちょうどその頃、夫から「アメリカに行きたい」と相談されました。私も留学を諦めていたので海外に行きたかったですし、子どもたちにも良い経験になるだろうと思いました。夫と向き合って落ち着いて話し合いをし、ちょうどそのタイミングで出資してくれる人が現れたので、家族でアメリカに渡りました。シリコンバレーは物価がとても高いので、はじめはシェアハウスをして家賃を賄いました。20人前のご飯を毎日3食作っていました。毎月、小さなバーベキュー大会をしたり、はじめは楽しかったのですが、3年、4年、5年と続けているとトラブルが起きたり、赤字と黒字を行ったり来たりすると疲弊してきて・・・45歳ぐらいで、ちょっときついと思うようになりました。
その間にも起業のアイデアはいくつかありましたが、冷凍クッキー生地がはやり出し、ポットラック(持ち寄り)パーティーのようなイベントに子どもたちと一緒に参加して、実際に起業家の方たちと触れ合ったりするうちに、アレルギーの子でも食べられるようなクッキー生地を作ろうと思い立ちました。そして、せっかくならカラフルにしたら面白いと思いました。調べてみたら、世界のどこにもなかったので、世界初ならやってみようと思ったのです。クッキー生地ですから初期コストも要りません。
夫に相談するも、2度にわたり反対されたため、黙って2019年に創業しました。すでに15年間の結婚生活で、家事を含めてやりきった感がすごくありました。子どもも大きくなって手を離れたので、創業したわけです。キッチンを借りるのに法人である必要があったので、まずLLC(合同会社)として創業しました。資金は、妹が100万円出資してくれたり、友達が30万円貸してくれたり。そんな状態でしたが、1年半ぐらいでものになったので、株式会社としてデラウェア州に登記をして、エンジェル投資家(個人投資家)を集めて今に至っています。
***
一昨年、小学館や味の素のアクセラレーターに受かりました。日本に帰って一度プログラムを受けてみようと考えたら、日本の方がどうもやりやすそうだと思いました。日本の原材料を使ったら、レシピを変えなくても、いきなり味も良くなるし、クオリティも上がって驚きました。アメリカで工場まで見つけていたのですが、日本語の方が私もオペレーション周りを把握しやすいので、いったん日本で形を作ってから海外に出ていこうと考えました。工場もようやく見つかって、春にローンチします。いわゆる「絶賛あがき中」の状態です。
トーク3

塚田 英次郎氏
(World Matcha株式会社 代表取締役社長)
僕もまだまだ駆け足中ですが、何かしら共感ポイントがあったり、何か理解が深まってくれたりしたらと思ってお話しします。
僕は竹内さん、上原さんの1年下で、現在46歳です。僕は21年間ずっとサントリーで新商品開発や新規事業開発をしていました。後半の十数年間はお茶の事業をやっていて、国内では「伊右衛門」や「特茶」、あとはアメリカで「Stonemill Matcha」というお茶の事業を立ち上げました。その後、会社を辞めて、3年前に「World Matcha Inc.」を創業し、「Cuzen Matcha」という抹茶のサービスをアメリカで展開し、昨年は日本でも販売を開始しました。
昨年の秋にフィナンシャルタイムズが、「飲料業界のスティーブ・ジョブズが次に考えていること」というタイトルで僕の記事を書いてくれました。今日は、なぜフィナンシャルタイムズが僕のことを「飲料業界のスティーブ・ジョブズ」と言ってくれたのかというところをちょっとお話ししたいと思っています。
サントリーの飲料事業での経験
サントリーはお酒の会社で、僕は学生時代にラグビーをしていたので、ラグビー選手もいるし、ビールもウイスキーも飲めて最高だなと思って入社しました。ところが、配属は飲料事業で、結局21年間、酒に触らず辞めたというかなり異色のキャラです。
在職中に、アメリカのスタンフォード大学に2年間留学させていただきました。
スタンフォードにいるとやはり、「起業しなさい。大企業のキャリアはむしろ危ないですよ」というふうに洗脳されます。リスクは自分でコントロールできないものなので、自分でやりなさいとものすごく洗脳されます。卒業する頃には自分でも起業できるかもしれないと思うようになりました。
スタンフォード大学を卒業後は、いったんサントリーに戻りました。
その頃、アメリカは極論すればコーラか水しかないという、飲料に関してはかなりお寒い状況だったので、お茶の事業をやりたいと考え、アメリカの事業開発や商品開発をしていました。2008年5月に「伊右衛門」の海外進出のために、ネスレウォーターズと手を組みました。しかし、その夏にローンチした直後にリーマンショックが起き、お客さんが高い水やプレミアムのボトルウォーターを買わなくなりました。ネスレも速攻でサバイバルモードになり、サントリーとは付き合っていられないという感じでその取り組みは終わりました。
留学費用を出してもらった分は、会社に貢献したいとどこかで思っていました。その後、「伊右衛門」をやって「特茶」で成功することができたので、サントリーに対して、もう十分恩返しをしたのではないかと思うようになりました。
ペットボトルのお茶から、もっと広いお茶のユニバース(世界)へ
僕自身、「伊右衛門」も「烏龍茶」も本気でやって、かつ結果も出たからこそ、一方でペットボトルの限界をものすごく感じてしまっていました。
ペットボトルのお茶は、1年間常温で保存が利くように設計されています。中味を腐らせるわけにはいかないので、それなりのレベルの熱の殺菌をかけると、結局その熱に耐えられる味わいや色、香りしか残らなくて、その中でお茶をデザインするしかありません。僕が今やっている「Cuzen Matcha」が持っているようなフレッシュ感やきれいな緑色は、ペットボトルではどうやっても実現できません。
お茶のユニバースはものすごく大きいのに、ペットボトルは本当に小さなエリアで、「綾鷹」は急須のお茶に近くておいしいとか、「伊右衛門」はこう、「お~いお茶」はこうだという小さな争いをしてしまっていたので、スタンフォードで学んだことも含めて次に行きたいと思うようになりました。それが2014年でしょうか。
なかなか異例なことだったのですが、僕は国内のお茶の事業担当という本当に看板の部署から外してもらう形で社内の新規事業開発をさせていただく機会をいただきました。
サンフランシスコでカフェをオープン
その頃、アメリカで抹茶がブームになり始めていました。背景には、コーヒーの飲み過ぎによって起こるカフェインクラッシュという社会現象がありました。
コーヒーはすぐにカフェインがチャージされるのですが、代謝するのも速いので、欠乏感からまた次に飲むという、チェーンスモーキングならぬチェーンコーヒーのようになって、それが身体に負担となります。一方、抹茶には、鎮静作用のあるテアニンが入っています。カフェインも入っているのですが、緩やかに効いていくのが良いと、抹茶が飲まれ始めていました。
ニューヨークにはMatcha BarやCha Cha Matchaなど、ファッション的な抹茶ショップがオープンしていました。アメリカ人も抹茶は日本のものというのは知っているので、日本人によるオーセンティックな、でも伝統を押し付けるわけではない、いい感じのブランドを作りたいと思いました。そして、サンフランシスコでカフェStonemill Matchaを開きました。
僕がつくった会社にサントリーから出資してもらいました。いわゆる社内ベンチャーのような形です。でも、実はローカルの人たちも大企業のこういうものはあまり好きではないので、サントリーの名前は表に出さず、裏側で株主として存在するという形にしました。あくまでもアントレプレナーシップで、新しいブランドになるようにしていました。実際、店を開けたら開店時から行列ができていて、地元のメディアにも結構取り上げられました。
大企業での難しさ
Stonemill Matchaによって、アメリカでも、ちゃんとしたおいしいお茶を作ればいけるという可能性を体感したのですが、残念ながら大企業では自分でコントロールできないことがたくさんあります。僕がやっていたことをサポートしてくれていた上司が途中でいなくなり、新しい上司にとっては、「なぜ塚田君がこんなことをやっているの?」ということになったのだと思います。
僕としては、まずはこの店舗を通じてブランドを立ち上げて、うまくいったら次のフェーズに行く。即ち、そのブランドを使って卸事業やeコマースを始めて、ゆくゆくはサントリーの得意なペットボトル事業を展開するなど、ものすごく長いロードマップを思い描いていました。
しかし、それは僕が思い描いているだけの話であって、残念ながら、上司(株主)の意思が変わってしまったら、そういうことは関係なくなるわけです。結局、僕は、大成功のカフェを立ち上げて、すぐに日本に戻されました。2018年の秋、僕は、本当にどん底に落ちました。
自分で立ち上げた店はうまくいっていたのに、そこから自分は退席せざるを得なくて、スティーブ・ジョブズが「How can you get fired from a company you started?」と言っていたことを思い出しました。
転機
では、僕はどうやってはい上がることができたのでしょうか?
戻ってきた東京で、20年ぐらいぶりで、大学1年生のときからの親友でCo-founder(共同創業者)の八田君と再びよくつるむようになったのです。彼の実家が福岡県の八女というお茶どころで、彼の親戚は、小さな製茶会社をやっていて、生産者でもありました。そして、お茶農家では、なかなか後継者がいなくて、結果として茶園の耕作放棄が起こり、荒れた茶畑が徐々に広がっていることを知りました。放っておいたら日本のお茶どころは、全部そうなってしまうのではないかという危機感もありました。
その現象の真の原因を考えていくと、昔はみな、おいしいリーフのお茶を飲んでいたけれど、今はペットボトルのお茶の方がメインになっていることだと気が付きました。
リーフでは、一番茶を急須でさっといれてシンプルにお茶の味を味わって飲むのに対し、ペットボトルのお茶は、まずは、ごくごく飲んでおいしい飲みものの上に、お茶を感じる中味設計になります。その味わいを実現するには、必ずしも、一番茶のものすごい旨味やリッチな味わいは要らないのです。それから、熱による殺菌がかかってしまうので、二番茶や三番茶などそれなりに価格の安いものを使っていても、ごくごく飲む液体としてはおいしく作れてしまうということが起こっています。
日本から茶園がなくなることはないのですが、このまま放っておくと高品質のお茶は消えていくのは確実でした。では、どうしたらいいかと考えたときに、一つはアメリカのお客さんがまだまだコーヒーに苦しんでいて、それに対するオルタナティブとして抹茶でカフェイン問題を解決すること。もう一つは、国内に需要がないのであれば、海外でそういった良いお茶の需要をつくっていけばいい。これら二つを掛け合わせて、二つの課題を同時に解決していけばいいのではないか、と考えたのが入り口でした。
Stonemill Matchaは立ち上げ後、すぐにやめないといけなくなりましたが、自分が良いと思うものを、海外の人に広めていく行為自体がものすごく好きだったので、もう一度ゼロからやり直すことにしました。
もちろん、ここに至るまで、3~4か月はかかりましたが、それをCo-founderの八田君や、妻に支えてもらいました。大企業に勤める人の奥さんは、「起業する」と言うと大体反対するようですが、うちの妻は「好きなことをやったらええやん」と後押ししてくれてすごく助かりました。彼女には今、Cuzen Matchaの日本の展開を手伝ってもらっています。
起業へ
僕は、これが自分のタイミングかなと考え起業しました。それはいわゆる世のため、カフェイン問題に苦しんでいる人のため、生産者を守るためでもありました。さらに、僕が抹茶をやらなかったら絶対に誰かが何年後かにうまくやるだろう、それを見ている自分はすごく悔しいだろう、と思ったのです。だったら自分でやろうと思いました。
Cuzen Matchaでの僕の着眼点は、抹茶の「粉」にあります。抹茶といえば、きめ細かい粉がおいしそうに見えると思いますが、抹茶の粉は水に溶けません。だから、シャカシャカと点てますが、あれは粉を液体中で分散させているだけです。抹茶は茶葉そのものなので、水に溶けないだけでなく、放っておくとダマになったり、飛び散ったり、いろいろ難点があります。実際、カフェをつくるときもこの辺のオペレーションは大変でした。
そこで、「抹茶は、粉でないといけない」というバイアスを壊そうと考えました。その上で、目指したのは、本当にいれたて、作りたてのおいしさです。殺菌しないで、おいしいカフェで提供されているような品質感と、毎日手軽に飲んでもらえるような利便性の両方を掛け合わせたものができないかということで、石臼と茶せんの動きをなぞらえて1台のマシンに再現しました。
リーフをマシンの筒に入れて、濃さを選択して、スタートボタンを押すと、徐々に挽かれた粉が落ちてきて、その粉がコップの中で、点てられていきます。そうしてできた抹茶をストレートやラテやスパークリングにして飲む、というサービスに仕上げました。僕らは、別のMaaS(Matcha-as-a-Service)ということで、マシンとリーフのサブスクリプションを展開しています。
茶葉は挽いてそのまま丸ごと食べてしまうので、抹茶はオーガニックであるべきだと僕は考えていて、鹿児島産のオーガニックにこだわって調達しています。
エスプレッソマシンにコーヒー豆を入れて茶色いエスプレッソができるのと同じような感じで、抹茶リーフを入れると、緑の液体が抽出されます。コーヒーはミルクと合わせますが、抹茶の場合は炭酸割りやトニック、カクテルなどいろいろいけます。
このように、おいしくて、簡単で、カスタマイズできて、ヘルシーだから毎日飲めるわけです。アメリカではコーヒーマーケットが9兆円ぐらいあるので、そこを取りに行けば、仮に1%だけでも1000億円ぐらいの大きさになるので、そういった目線で今はやっています。
一昨年の秋にアメリカで販売し、アメリカで非常に有名なセレブシェフやセレブタレント、goopさんなどいろいろな人たちに支えられています。それがウケて一般の人にも広がってきています。1年ちょっとの累計で、直近では2600台ぐらいまで来たでしょうか。
このマシンは、小さな工場を各家庭やオフィスに設置していく感じて、そして中味を気に入ってくれたお客さんに、毎月、原料リーフを供給していくビジネスになります。ですから、累計台数が増えると月間のリーフの出荷も増えていきます。
日本も昨年夏から始めて、アメリカから逆輸入などいろいろ取り上げられたことでPRが結構うまくいき、徐々に広がってきています。
この会社で、僕がやっていることをシンプルにいえば、抹茶を原点回帰しながら進化させようということです。それは、本質を追求しながらイノベーションをかけるということです。
本質は何なのかというと、抹茶は中国から日本へ、栄西禅師[i]が持ってきたもので、元々は薬で、茶葉を食べることが原点でした。当時は当然オーガニックで作られていたし、抹茶を食べるには苦過ぎるから「覆い」をかけて栽培することが室町期ぐらいから始まりました。千利休の時代はひきたてで飲んでいるのです。ティーマスター(亭主)が直前にひいた抹茶を使って、おいしさや安全や健康を追求していたのです。
そうした本質をしっかり追求しながら、イノベーションとしては、石臼でひくのは大変なのでマシンでやったり、お茶作りにおいても日本では97%ぐらいが農薬を使った非オーガニックになっているので、食べるお茶である抹茶はオーガニックのものを使うようにしたり、抹茶は味わいとして強く、いろいろな飲み方ができるので、簡単で飲み飽きずサステナブルなものにすることでうまくいくのではないかと考えました。
抹茶を日常的においしさと健康のために飲むという変化を起こしていきたいと考えて、まずはマシンとリーフから始めましたが、今は徐々に器の提案なども始めています。もう少しお金ができたら空間の提案や、関連のお店を開いたり、その先には甘味などの食に広がっていくのではないかと思っています。
このように、Matchaの日常飲用を真ん中に据えて新しい生活文化をつくり出そうとしているのが、Cuzen Matchaです。岡倉天心[ii]のような気持ちで、それを海外に広めていきます。
僕が好きな言葉は「和」です。和む、和らぐ、和える、調和、平和などが「和」に全て凝縮されていて、漢字は違うのですが、それが輪にもなって、丸窓のきれいなものをマシンにも再現し、そういった空間を創って禅を広めることがCuzenの意味です。

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最後にユニークネスの作り方をお話ししたいと思います。
僕は、大学の理系学部に入ったのですが、途中で文系学部に変わっていますし、東大から飲料メーカーに行った人も珍しいです。サントリーとスタンフォードという組み合わせもなかなかなくて、スタンフォードに行っても飲料業界の人はほとんどいないし、おじさんなのにスタートアップです。このように異なる二つを掛け合わせると、なかなか人がやらないことになったりします。Cuzen Matchaも、実はお茶なのにハードウエアであったり、本質の追求なのだけれどもイノベーションだったり、オーセンティックなのだけどモダンでコンフォートだったり、抹茶なのにスパークリングだったり、そういう意外性の掛け合わせをやっています。
本当に1万分の1になるようなトップ、1点でそういう能力がある人はそこを突き詰めたらいいのでしょうけど、それは本当にごく一部の人しかできません。でも、ちょっと頑張れば上位10~20%ぐらいまで行けると思うので、そういった部分を幾つか持って掛け合わせていけば超ユニークになれるのではないでしょうか。そういう形でユニークネスを作っていくといいのではないかと思っています。
[i] 栄西禅師(明菴栄西):平安時代末期から鎌倉時代初期の僧。日本における臨済宗の開祖、建仁寺の開山。天台密教葉上流の流祖。中国から帰国の折に茶種と作法を持ち帰り、その飲み方などが日本に広まったという説が有名
[ii] 岡倉天心:幕末生まれの明治時代に活躍した文科省のエリート官僚であり、近代日本美術の先駆者。1906年茶道の神髄を西洋に広めるため「茶の本」を英語で出版
みんなで楽しくトークセッション
<パネリスト> 上原 仁氏、竹内 ひとみ氏、塚田 英次郎氏

<司会>保田 隆明
(神戸大学大学院経営学研究科 教授)
*所属は開催当時。現職は慶応義塾大学総合政策学部 教授
保田 私は、昨年までスタンフォードで在外研究をしていてカリフォルニアに住んでいました。そのとき、ひとみさんの子どもとうちの子どもが同じ小学校に通っていました。子どもに手紙を持たせて、「うちは日本のファミリーなのですが、子ども同士仲良くさせてもいいですか」とお願いした思い出があります。試作品のColoridohのクッキーを、うちで一緒に作ったのが非常に楽しい時間でした。そのご縁で今回ご登壇をお願いしました。
塚田さんとは、私が帰国する直前、ある起業家の方に紹介していただき、一度お茶をご一緒しました。その際にお話を聞いて、これは面白いということでご登壇をお願いしました。
上原さんとは、私が十数年前に起業していたときに、いろいろなベンチャー界隈の人たちが集まるようなミートアップで初めて会い、その後はよくご一緒させてもらっています。
起業家の方々とお付き合いしていると、彼らの運転する車の後部座席でいろいろな景色をずっと見させてもらっているような感じで、次はどこに行くのだろうととても楽しいです。
では、私の方から質問やコメントをさせていただいた後で、参加者の皆さんから質問をいただきたいと思います。
どうやって需要を創出するのか?
保田 まずお三方にお伺いしたいのですが、塚田さんのプレゼンテーションで、需要と供給という言葉が出てきました。高級な茶葉、高品質の茶葉の需要を創出するのだという話がありました。需要の創出は言うは易く行うは難しで、ベンチャー企業が需要を創出するのは難易度が高いです。例えば、「DA・KA・RA」という新しいジャンルをつくったときは、サントリーさんがマーケティングすることによって需要が生まれたわけです。つまり、新ジャンルの開拓です。それをベンチャーがやるのはなかなか難易度が高いと思います。
そういう意味では、ひとみさんのお話にあったように、世界にないものをやるということは需要をつくるということでしょうし、上原さんが携わっておられるバスケットボールにしても、観戦の需要は今まであまりなかったわけです。そこの需要を創出するところの勝利の方程式というか、掛け算や勝算についてお話を伺いたいと思います。
塚田 もちろん大企業の方が早くできますので、大企業がやることと僕らがやることは違うと思っています。しかし、共通点として、僕らの飲料や食品の場合、「もう1回飲みたい」「もう1回食べたい」という「おいしい」ことは、絶対に必要です。味はベースとしてありながら、商品として今までになかったユニークネスも必要でしょう。
例えば「DA・KA・RA」を作ったときも、似たようなものとしてポカリスエットやアクエリアスがあったのですが、普段飲むには味が強いといわれていました。スポーツなどですごく汗をかいたときはいいのだけれども、実際にスポーツドリンクがスポーツのシーンで飲まれている割合はわずか10%以下というファクトがあります。みんな風呂上がりとか日常的に飲んでいるのですが、日常で飲むには味が強いでしょう。また、日本人は元々塩分取り過ぎなのにさらにナトリウムがかなり入っているわけです。救急時や脱水症状のときにはナトリウムが必要です。しかし、スポーツ時以外でも日常的に飲むと塩分過多になる可能性もあります。他にもいろいろ問題があって、カロリーを抑えたり、カリウムでしょっぱい味にしたりしています。
「DA・KA・RA」には「体のバランスを整えるため」というユニークネスやコンセプトがありながらも、飲んでうまいのは当たり前のことです。
抹茶もすごくおいしいです。今までの抹茶は点てるのが大変だったという問題が全てクリアされているユニークネスと、ベースとしてのおいしさや品質がないと成立しません。
大企業がやるときは金の力を使っていきなりマスやボリュームを狙うので、当然価格などの設計にも反映されると思います。ですが、スタートアップはいきなりそういう仕事ができないので、ある程度価格も高いし、その価値が伝わるセグメントを見つけて、まずはそこを狙います。いずれ僕も広げていくとは思うのですが、大企業とは目指しているところが違うのかなと思います。共通する部分と違う部分はそういうところかなと思います。
保田 なるほど。ありがとうございます。
上原 一言でいうと、コミュニティなのだろうと思います。需要がないのではなく、需要が少しはあるはずです。少なくとも自分が欲しいと思っているレベルで。そうやって小さくても存在している需要を膨らませることが必要ですし、膨らませ方というのは人のつながりの中で伝播させていくことだと思います。
価値観多様化の時代なので、どんなものでも好きな人はいるのです。多くの場合、エッジの立ったものが好きな人は、すごく熱量が高いです。その熱量は一箇所に収まっていることが多いのですが、それを外に開くためのつなぎをつくるのです。
バスケットボールの場合、まず価値は何かというと、一言でいえば熱狂です。試合を見ている瞬間や事前事後の演出なども含めて、とにかくわくわくできること自体が価値です。熱狂している人たちに実際に輪になってもらって、その人たちの欲しいものや苦しんでいることをちゃんと伺って、その人たちの熱狂が人に伝わりやすくするための手段を提供したり、私がTwitterで絡んでいる姿を周りに見せたりして、「こんなに楽しいんだ」というのを私の周りのバスケットが好きな人たちに伝えていくことが大切だと思っています。
クラウドファンディングに挑戦
保田 ありがとうございます。今の需要の話に絡んでいくと、ひとみさんはクラウドファンディングをこの年明けにチャレンジして、先日成功を収められたということなのですが、そのご経験で何か想定と違ったことがあったかと思います。また、今回新たな応援者を獲得されたと思いますが、そのあたりについてぜひお伺いしたいです。
竹内 本当はクラウドファンディングではなく普通に売りたかったのですが、エンジェルで集めたお金も底を尽きていましたし、クラファン自体はマーケティングを事前に2か月ぐらい取ってファンを増やしてから行うといういわゆる出来レースが今のスタイルだと思うのですが、それもできないぐらい時間もお金も両方に余裕がありませんでした。ですので、まずは飛び込み営業のような形のクラファンをするしかありませんでした。
設定料金が2000~3000円で、しかもコミュニティもないのに120万円ぐらいをゴールにしました。みんなに聞くと、その規模にしてはすごく無茶な設定なのだそうです。実際、クラファンでコミュニティをつくっていない人たちは、ほとんどが失敗しています。私はどうしたかというと、年末年始で忘年会や新年会があるので、オンラインでイベントをしたり、イベントや飲みに行ったらその場で「これを今やっているから買って」と1日2~3人には直接買ってもらったりという、ドブ板営業を裏でやって、気づいたら達成していたという感じでした。
何千万円とか何百%で成功というふうにみんなされると思います。でも、オール・オア・ナッシングで、成功しなかったら辞めると決めてやったので、同情してくれたり、「そんな覚悟でやっているなら応援するよ」と応援していただいたりして首がつながったような感じです。
保田 私もクラウドファンディングは研究対象にしていました。調達された金額が177万円ということで、これは日本のクラウドファンディングの規模でいえばど真ん中の規模です。ほぼ皆さん100万~200万円の規模になっています。支援者の8割ぐらいがフレンズ&ファミリーだと思うのですが、大体そのようなデモグラフィーになっていますか?
竹内 そうですね。かなり知り合いが多いです。ただ、インスタ広告なら小さな額でできるので、インスタ広告にトライしてみました。そのとき、かなりリーチしたのですが、実際購入まで結び付きませんでした。私の場合、小難しいことを言い過ぎたというのが反省としてあります。アメリカでは、粘土遊びをしたりクッキーを家で焼いたりするのが当たり前のカルチャーなので、単純に「Edible Play-Dohなんだよ、楽しいでしょう?」「粘土ってすごく汚れるし、じゅうたんに付いたら取れないけど、これなら食べられて片付けられるから最高じゃん」というシンプルな説明だけでみんなテンションが上がって、商品だけで広がりそうな感じなのです。
日本に帰ってきたときは、日本の価格が何でもすごく安いし、この価格を出そうと思ったらもっとバリューを付けなければなどと考えてしまって、いろいろなことを説明したり、ストーリーを売らないといけなかったりということで書いてしまい、逆に難しかったという反省はありました。
保田 これはもしかしたら、上原さんがおっしゃっていた「選択と集中」でいうところの、商材だけではなくてメッセージの部分にも当てはまるのかもしれませんね。上原さん、そのような形で理解してしまって大丈夫ですか。
上原 大丈夫だと思います。竹内さんの情熱があったら何でもうまくいくでしょう。先ほどの五か条でいう五つ目を貫くと何でも勝てるということを証明している感じはします。
保田 確かにそうですね。「主婦をしていました」とか「料理が得意です」と言う人はしばしばいますが、塚田さんのお話にあった、10分の1掛ける4乗ですかね。何かの領域のトップ10%になって、それを四つ持っていればすごくとんがった存在になれると。あれはすごくそのとおりだと思ったので、そこはつながっていくと思います。
さて、ここで、参加者の方から特に塚田さんに対して販路について質問がきています。
Stonemill Matchaをオープンした当初、サンフランシスコで受け入れられるにはどのような工夫があったのか、また、マシンの販路、チャネルについても質問をいただいています。
販路におけるピボット
塚田 Stonemillはカフェだったので、販路は特にはないのですが、ゼロベースでカフェを立ち上げることはやったことがなかったので大変でした。その領域のスペシャリストをコンサル担当に入れて、自分なりに理解しながらやっていました。お店の成功は、5割以上が立地に左右されるので、ある程度のフットトラフィックがある場所は必要で、そして、自分たちが入る前そこには何があったのか、などの要素は重要になります。結局、僕らが入った所はBar Tartineという、サンフランシスコの人であればみんな知っているTartine Bakeryが経営していたレストランだったので、その次に何が入るのかという期待値が既に高い所でした。メディアで、Tartineの次は、どうもすごくオーセンティックな抹茶バーができるようだということを発信していきました。
それから、幸いにしてサンフランシスコでキャリアを積んでいたペストリーシェフを雇うことができたので、その人自体も、お店の大きなコンテンツ・財産になりました。いろいろな努力をした結果、オープン初日に行列が30人ぐらいできたのも、その辺をうまく組み合わせてできたからだと思います。
Cuzen Matchaは、これもまたゼロでやっています。なぜサンフランシスコで始めているかというと、GoogleやFacebookやAppleの大きなキャンパスがあって、皆さん大量にコーヒーを飲んでいるので、そこに入れていきたいと思ったからです。そうした消費量が多いところであれば、必ずしもマシンを「売る」必要もなくて、無償で貸すかわりにしっかりリーフを買ってもらう。そうしてBtoBビジネスを立ち上げて、オフィスで体験して気に入った人が、「自宅用にも欲しい」となれば、それがBtoCビジネスにもつながる、というのが、もともとのプランAでした。それがコロナになってオフィスがどんどん閉まっていく中、商品は既に製造に向けて着々と進んでいるけれども、アテにしていたBtoBビジネスは当面無理だ、ということが分かったのが2020年春でした。
上原さんの「集中」でいえば僕はBtoBを選んでいたのですが、その筋が消えてしまったのでBtoCをやるしかないということになりました。だから、僕の場合は4月にBtoCをやろうと決めたのはいいけど、それに向けた準備は何もしていませんでした。では、どうしようというときに、今から間に合うとしたらクラウドファンディングのキックスターター[1]かなと考えました。キックスターターには新しいものを応援したい人たちがいるし、ものがない状態でも売れるし、かつ終わった後もずっとコンテンツとして残ります。キックスターターで作ったビデオは今でも使っています。BtoBがなくなってBtoCでやるのであれば、キックスターター界隈にいる新しいものを求める人たちにちゃんと届けようと考え、そのためのコンテンツをつくろうという感じでやったことが結果的には正しかったのだと思います。
それで、2020年秋にローンチして、最初に400台ぐらいの注文が入っていたので、それを出荷する中でオペレーションの問題点も分かったし、そういう早いお客さんたちが使い出して周りに広めてくれたりしたこともあって、周りの人たちが使い出しました。そして、goopという女優のグウィネス・パルトロウがやっているウェルネスとライフスタイルの会社が早くに注目してくれて、彼らが売ってくれたことが最終的に大きかったです。
ですから、クラウドファンディングは僕もあまりうまく利用できていなくて、出来レースではなかったので結構大変でした。しかし、こういったものを早い段階から評価してくれるところに飛び込むことができたのと、幸い影響力を持っている人が何人か早い段階でファンになってくれて、周りの人に広めてくれた結果、徐々に広がっていきました。
保田 ピボットがうまくできたわけですよね。ご自身の言葉では、もちろん結果論というのはあるのかもしれませんが、ピボットするところをいとわないのがすごく大きいと思います。
次は金脈を掘り当てるというゴールドラッシュの話についてお聞きしたいと思います。上原さんの話で、五つぐらいたたいて、最後に一つ決めたら一気に行きましょうという話がありましたが、「いろいろな迷いが出ると思うのだけど、それはどうするのか」「判断基準はどこにあるか」「捨てるというけれども、それも難しいだろう」など質問を受けています。その辺を上原さん、補足していただいてもいいでしょうか。
金脈をどう見分けるのか
上原 これをやるときには完全に一気に引いて、ベンチャーキャピタリストになった気持ちでやります。ベンチャーキャピタリストは何をしているかというと、金額の水準は違いますが、ある金額のお金をスタートアップ企業に投資して、そのお金で走って、トラクションが出るかとか、PMF(Product Market Fit)[2]をするかとか、KPI(重要業績評価指標)をどの基準まで達成するかを聞いて、投資をして、そこまでたどり着いたら次の追い金をする。すごくざっくりいうと、これがベンチャーキャピタルです。
ベンチャーキャピタルは、例えば10社に張ったら10社中10社がうまくいってくれたらいいなとは思っているけど、基本的には10社中1社か2社うまくいってくれたらOKという張り方をしています。基本の考え方は、選択の方の意思決定を、ベンチャーキャピタルの気持ちでやることになります。今回のハンマー調査は、予算全体として5000万~6000万だとしたら、1選択肢当たり1000万円と定まっていて、この1000万円を五つのプランに投下して、その1000万円で実現すべきPMFはここまで、ないしはKPIはここまで達成ということをしっかりと握って、責任者に1000万円を渡します。
その1000万円の使い方については、責任者が全て意思決定権を持ってやります。もちろん会社から、チームリソースなどはできるだけしっかり提供します。その上で半年とか1年間走らせた状態で、PMFでたどり着いたものやKPIの基準値までたどり着いたものを残すのですが、大体、五つの中で期待値をぐっと上回るものが1個だけ出てきてくれるというのが今までの経験です。こんなに行くのかというのが1個あって、それ以外はKPIが全く届かないことが多かったです。これは、もう体験でしかありません。そうなったら、「一番抜けているものに全リソース集中だ」というふうに意思決定をします。この瞬間に大事なのは、捨てる部分も最終的に握っておくのです。先ほどの話でいえば、1000万円でこのKPIと言って責任者に権限委譲しているので、それに届かなければ、約束だからやむなしという捨て方です。そういう感じでしょうか。
投資の決定基準
保田 やはりやってみないと、その場面に直面しないわけです。まず1000万×5をやるというところをどう説得できるかというのが最初のハードルとしてあって、その後どういう基準になったらより張るのかとか、撤退するのかということだと思います。企業でよく「撤退基準を決めろ」「追加の投資基準を決めろ」と言うではないですか。多分、そういう指標を皆さん模索されているのだろうとは思います。
上原 今のでいうと、このお金がなくなったら、ではあるのです。五つの本当の完全スモールスタートアップを始めているという感じになりますし、責任者にとってそれは、企業内ベンチャーにチャレンジする機会だったりもします。お金とKPIだけは絶対に仕切るのです。どれだけ頑張っていたとしても、お金がなくなったら企業はアウトではないですか。でも、その1000万円のお金で決めた値よりも上の方に行っていたら追い金がある。
保田 なるほど。逆に塚田さんの場合、サントリーにいらっしゃったときには、「特茶」にせよ、「伊右衛門」にせよ新しいブランドを立ち上げるときに、いくらまで投資して、どこまで行ったら追加で、あるいは撤退でというふうに、ある程度社内で明確な基準があった中でやっていたと思います。一方で、ご自身でやるとなると、そういうものは事前に持っていたとしてもそのとおりにいくわけではなくて、そのときのベストなチョイスを追求するしかないと思います。大企業から出て、今まで自分がやっていた意思決定のやり方と起業した後での意思決定のやり方の違いで悩んだり、違うからこそやりやすかったことはありますか。
塚田 当たり前ですが、スタートアップでやっているとまずベースとしてはリーンスタートアップ[3]でやらざるを得ない部分があります。ですから、本当に意味のない支出は全てミニマムまで落としながらも、僕らの場合、最初はマシン作りや将来的にそれがコアになる部分には、お金だけ払うわけではなくて、仲間としてストックオプションやコンペンセーションを含めて、うまくいったときには彼らにもうまくいくし、足元で出ていくキャッシュを最小化できます。価値づくりにフォーカスするけれども、それ以外の家賃とか、自分の給料とかは少なくしながらということでしょうか。
大企業では、例えば、課長としてやっていると、良くも悪くもある程度リソースを使わなければいけないし、自分がやり過ぎるのも駄目というところもありますし、部下の教育などいろいろな観点での振る舞いが求められます。理想は課長自身が何もやらない状態であり、部長などはまさにそうで、意思決定だけをしていきます。少なくとも僕がいた企業では、そういう感じが求められていました。
大企業のマネジメントとは反対に、スタートアップでやるのだったら、ほとんど全てのことは自分でできた方がいいと思います。僕の場合は、アカウンティングやデジタルマーケティングのバックグラウンドも何もわかっていなかったので、やってみて始めてわかりました。40代になってBtoCをやると思っていなかったので、広告についてもゼロベースでしたが、自分である程度基本的なことは一通りできるようになりました。しかし、僕はデザインのところは最初から自分でやらないと決めていました。もちろん一番大きなデザインはします。いわゆるUX(User experience)などのレベルはするのだけれども、マシンのデザインとか、ウェブサイトとか、その辺は自分の領域ではないので、優秀な人をチームに入れています。
スタートアップのときは身をもって自分でやらなければいけない戦略とか、今後この事業を成長させるためにどんなことをしなければいけないのかとか、そちらにもっと時間を割かないといけないので、このオペレーションの領域は人を雇って渡していくことになるといったことは、やりながら分かってきました。
起業 v.s. 独立
保田 なるほど、面白いですね。ひとみさんに質問ですが、料理の講師やフードコーディネーターという、日銭を稼げる仕事があったと思います。起業をしなくともそちらでやっていけば、自分の名前で仕事もできたと思うし、ある程度の自己満足も得られたと思うのですが、起業したのはなぜなのですか。
竹内 私は、料理教室が全然好きではありませんでした。自宅に呼ぶとなると、片付けとか、材料も少ししか使わないのにたくさん買わないといけないとか、労力に見合うだけの対価がそこまであるかというと、ないのです。夫に依存しないと決め、子どもを4人育てようと思ったら、それでは食べていけません。もちろん営業が好きなので、私が料理教室をやったのも人と交流ができるという方がメインなのです。
起業してメリットしかないと思っています。私は学歴も別にないし、キャリアがあったわけでもないのですが、すごくいろいろな方と交流することができて、自分の会社が駄目になったとしても、私を営業として雇ってと言えるネットワークができました。もし駄目になっても、アメリカでスナックを開くと言ったら、出資するという人もいるので、何をやっていても私は稼げるという自信があるのです。駄目になったとしても、「起業もトライしたんだ」「こんなにいい会社にいたのに面白いね」となるし、絶対に職にあぶれることはないと思うのです。何をしても食べていけると思います。私のように何もなくてもそう思うので、皆さんが起業しても全くデメリットはないと思います。
個人のミッションと会社のミッション
保田 皆さんのパワー、バイタリティに共感するコメントが参加者からたくさんきています。次は参加者の方から直接質問をしていただきます。
参加者 恐らく皆さん会社をつくられているので、会社のミッションと個人のミッションはあまり変わらないと思いつつも、恐らく会社は複数の社員がいらっしゃるので、必ずしも個人のミッションと会社のミッションは1対1対応ではないように察しています。人生は考えたら別に仕事だけではなく、全体があるからこそ仕事も頑張れるところがあると思います。一人ひとりの個人として全体でこういうことがやりたいのだという思いを是非聞いてみたいと思います。
上原 上場企業の社長になってしまうと、確かに自分が個人に戻るシーンは本当になくなっていて、この問いをいただいて、「おっ」となっている自分に気づいています。
会社のコンセプトとしては、人のつながりはもっと豊かにできるという思いを持っています。だから、マイネットなのです。私は、会社と自分をかなり同一化しているタイプの起業家、経営者だと思います。今この瞬間、皆さんと垣根なしにこうやってつながっていること自体がわくわくするし、楽しいし、このつながりがもっと豊かになるにはこういうサービスがあったらいいとか、こんなふうにみんなが振る舞えたらいいのにとか、そんなことばかり考えています。
まず第1段階としては、人のつながりをもっと豊かにできるということが、個人として、会社としての思いです。もう一歩だけ引いて、私の場合エゴとしてあるのは、そんな思いを込めたマイネットという会社が100年続く会社、サステナブルな会社になることを実現して死にたいと思っています。
竹内 私は自分の無力さを感じて起業を意識し始めたので、「子育てはキャリアにできるのではないか」ということをすごく意識しています。これは今の事業もつながっていますし、PARENTINGは、部下のマネジメントに使えるのではないかと思うのです。「なぜできないのか」ではなくて、「どうやったらできるのだろう」という言い方をしたり、いろいろなことがマネジメントにつながるので、これをもう少し体制化できたりしたら、育児休暇中にPARENTINGを学んで、復帰したときにそれがマネジメントに活かせるようになると思います。そうすれば、パパが子育てにもっともっと参加してくれるようになるのではないかとか、とにかく子育て全般をキャリアにできないかというのを人生の軸として置いています。
塚田 会社としては、やはり抹茶を通じて世の中を良くしたいというか、もう少しサステナブルにしていきたいと思っています。コーヒーに替わって抹茶のサステナブルなエネルギーを世界中の人々にお伝えして、その結果として、先ほどの需要と供給になります。そういうものがいいよねというふうに広まっていくことで、日本の生産者が守られていくというか、その辺が今、個人と会社で重なっている部分です。
個人として思っているのは、行き過ぎた資本主義の中で、どちらかというと消費にフォーカスが当たり過ぎていて、消費の接点が重要だと最終的にバイヤーがすごく力を持ってしまうということです。価格を決めていくのはバイヤーで、結局は彼らが利益を取って、メーカーが利益を取って、お茶の場合でいうと価値の高いお茶を作っているのだけれども、生産者が結局は買いたたかれる構造になってしまっています。おいしいお茶がないとみんな楽しめないのに、彼らが利益をちゃんと享受できないというのが僕の中では納得いかないし、それが僕の会社の試みとして、それこそ生産者の方にストックオプション渡すなど、そういったことも通じてきちんと生産者に還元されていくようなことをしていきたい。それが今のチャレンジでもあります。
もう一つは、自分たちの世代を後押しすることです。大企業にいたときもバブル組がたくさん上にいて、一方で下にもデジタルネイティブとまでいかないけれども自分たちよりも圧倒的にその辺のリテラシーが高い子が入ってきています。僕らの世代は間に挟まれ客観的に見ると、上はたくさん人がいるし、下は優秀だし、この世代は何か使えないなと思ってしまうのです。今後いろいろな会社でそのようになって、本当はちゃんと能力もあるのだけれども、僕のように勇気がないのか、いろいろ家庭の事情などがあると思うのですが、なかなかチャレンジできない人に対して、僕が成功していくことでそういった後押しができるようになっていくといいなと思います。
両方に共通するのは、生産者にしても、僕らの世代にしても、今の仕組みの中ではなかなか輝けないのだけど本来はすごいものを持っている、そういった人たちがちゃんと光り輝けるようにしていけたら、僕はすごくうれしいです。
[1] キックスターター(Kickstarter):2009年設立のアメリカ合衆国の民間営利企業。ウェブサイトにおいてクリエイティブなプロジェクトに向けてクラウドファンディングによる資金調達を行う手段を提供
[2] PMF(Product Market Fit):提供しているサービスや商品が、顧客の課題を解決できる適切な市場で受け入れられている状態。ソフトウェア開発者のマーク・アンドリーセンが広めた概念と言われ、ベンチャー企業や新規事業を始める際によく使われる
[3] リーンスタートアップ:コストをかけずに最低限の製品・サービス・機能を持った試作品を短期間でつくり、顧客の反応を的確に取得して、顧客がより満足できる製品・サービスを開発していくマネジメント手法
