プロフェッショナルの仕事術
パートナーと共に未来へ躍進する

  • 村上 研介 (株式会社ONO plus 代表取締役)

<略歴>

1995年 京都大学大学院エネルギー科学研究科修了
同    年   ヤンマーディーゼル入社 技術研究所配属
2000年 小野工業株式会社入社
2007年 同社代表取締役就任
2018年 神戸大学MBA修了
2019年 社名を株式会社ONO plusに変更


◆はじめに

 私の父は大手化学メーカーの研究者で、息子にも同じ道を歩んでほしいという願いから長男の私に「研介」と名付けました。そのためか私は子どもの頃から動くものが好きで理系に進み、父の願い通りにエンジン燃焼の研究者になりました。しかし、妻の父親が経営する中小企業を妻の兄二人が継がないことになり、突然、私に転機が訪れました。

 何でも自分で決めたい性格だったので、サラリーマン時代は上司の説得に辟易していました。そのため社長になれば全て自分で決断できることにとても魅力を感じました。しかし、営業も資金繰りも人事労務も経験どころか勉強すらしたことがありません。そして何よりも新事業のアイディアを出す自信がありませんでした。企業の寿命は30年程度と言われますが、義父の会社も30年を経て祖業の紙管製造は既に衰退、新事業のプラスチックフィルム加工も伸び悩んでいました。サラリーマンの子として育った私が知っている経営者は、松下幸之助や本田宗一郎のようなカリスマ社長だけです。自分の能力で会社を再び成長させることができるのかと大きな不安がありましたが、最終的にはこんな機会は二度とないと、全く知らない世界に飛び込みました。29歳の時です。

◆業績向上を目指して

 小野工業の中核事業は、東洋紡や東レといった化学メーカーが作るプラスチックフィルムの下請け加工です。プラスチックフィルムは食料品の包装や、ポイントカードなどさまざまな分野で使われています。大企業が自社で加工しない短納期小ロットの仕事を受けていたため、忙しい割に利益の少ない仕事でした。

 仕事内容はもちろん理解して入社したのですが、入社後に給与台帳をみて従業員の給料が予想よりも少なく大きなショックを受けました。従業員同士の飲み会では会社の悪口ばかりで、その多くは「儲かっていないという理由で給料が上がらなかったのに、社長は新車を買っている」といった「搾取されている感」から来るものでした。仕事中もパチンコや競馬の話題ばかりで、モチベーションが高いとは言えませんでした。従業員の待遇を改善するために仕事を増やし、利益を増やすために、がむしゃらに働きました。そんな時に社長である義父が心筋梗塞で倒れ、一命はとりとめたものの、出勤することができなくなりました。私は予定よりも前倒しで代表取締役に就任することになり、5億円の借入金の連帯保証人になりました。36歳の時です。

 若輩社長に対する周囲の目は懐疑的でした。借入金の重圧もあり、会社の業績向上のみを追い求めて、どんな仕事でも受け、取引先からは喜ばれ仕事は増えましたが、従業員には過重労働を強いるようになりました。

◆離職率の上昇

 業績は向上し、約10年で実質無借金になりましたが従業員は疲弊してしまいました。幹部社員の一人がうつ病で退職し、新規採用者も3か月持たずに離職する者が続きました。従業員の待遇改善を目指して頑張って働いてきたつもりでしたが、誰も幸せそうな顔をしていません。私は、従業員の気持ちを考えず意見も聞かず、完全なワンマン経営者になっていることに気づき、どうして間違ったのかと考える日々が続きました。45歳の時です。

◆神戸大学MBAと産業カウンセラー養成講座

 従業員のモチベーションを高めて、幸せに働ける会社にするためにはどうしたらよいかと考え、神戸大学MBAと産業カウンセラー養成講座とを同時に申し込みました。経営学の理論を使って従業員のモチベーションを上げる技術を身につけると同時に、カウンセラー的共感で従業員に寄り添うことを目指しました。金・土曜日はMBAの仲間たちと経営を論じ、日曜日はカウンセラーの仲間の話を聴き、この1年半の生活は想像以上に刺激的でした。土曜日と日曜日で自分の立ち位置が変わるため、しばらくはなかなか気持ちの切り替えができませんでした。しかし、慣れてくると経営者視点とカウンセリングを通じた従業員の視点をコントロールできるようになってきました。

 従業員の「搾取されている感」を解消するために、管理会計の導入と従業員への公開はMBA入学以前から行っていました。費用の内訳をオープンにすることで、経営者側には無駄遣いの抑止になると同時に、従業員側には投資や人件費の上昇に上限があることを納得してもらうことを狙っていました。これは予想以上に大きな効果があり、幹部人材は経営者の視点で考えるようになり、部下の愚痴に対して経営者に代わって諭してくれるようになりました。しかし、全ての従業員のモチベーションが上がったわけではありません。以前の私は、自分のリーダーシップに従業員がついてくることを要求していましたが、MBAで相手の成熟度に合わせてリーダーシップを変えなければいけないことを学びました。一般従業員は、会計書類の読み方もわからないし、読んだところでそれほど興味を持ちません。そこで決算賞与を創設し、売上高経常利益率でその額が決まる制度にしました。全従業員に簿記の資格取得を推奨し、教材や受験費用を全額支給し、取得後は資格手当を給料に上乗せしました。金銭的報酬は動機づけ要因として続かないことは学びましたが、会社の業績に興味を持ってもらうには大きな効果があり、普段の会話の中にも「経常利益率」や「時間当たり採算」といった言葉が頻繁に出てくるようになりました。

◆経営理念の策定と社名変更

 MBA入学と同じタイミングで、会社の経営理念の再構築および社名変更のプロジェクトを立ち上げました。自分が変わるのと同時に会社も生まれ変わりたい、そのために何か目に見える成果を残したいと考えたからです。プロジェクトは完全なボトムアップを目指し、私はプロジェクトリーダーを指名しただけで、その後の活動は全て任せました。従業員全員でワークショップを行い、どんな会社にしたいかを時間をかけて議論し、出来上がった経営理念が「パートナーと共に未来へ躍進する」です。パートナーは、お客様や協力会社様、従業員とその家族、地域社会を指しますが、私の一番大事なパートナーは従業員です。プロジェクトメンバーからこの経営理念を提示されたときは、従業員と共に未来を目指せることに心強さを覚えました。

 経営理念が出来上がった後に、社名変更プロジェクトを開始しました。京都の学生たちにも協力してもらい、当社の経営理念を詳しく説明し、それを表現する新社名を21案作りました。そこから社内投票で5案に絞り、学生アンケート結果で「株式会社ONO plus」に決定しました。「小野さん」とお客様から親しまれてきた「ONO」を残し、パートナーと「共に」という想いを込めて「plus」と続けました。アルファベット表記は未来への躍進感を表します。

社名変更プロジェクトメンバーと

◆MBAでの学びの活用

 私がMBAと産業カウンセラー講座に通っていた時は、売上・利益とも過去最高を2年連続で更新し、かつ離職率は大幅に低下し、有給休暇の取得率も大きく改善しました。傾聴を心がけ、部下を信頼して仕事を任せるようになった効果だと思います。またMBAで学んだことで、私がこれまで無我夢中で行ってきた経営改革が体系的につながってきました。三矢教授のゼミで、京セラの経営について「フィロソフィとアメーバ経営は、車の両輪のようにセットになって初めて機能する」ということを学んだ時、経営理念と管理会計の活かし方が初めてわかりました。このバランスをしっかり取れば、従業員の待遇改善とモチベーションの向上が両立できるのではないかと期待できるようになりました。

 また経営者の仕事は、従業員を無理やり働かせることではなく、ブルーオーシャンを見つけることだということも学びました。そこで不採算事業を縮小し、付加価値の高い仕事にシフトしていきました。当社のプラスチックフィルム加工は、フィルムメーカーが困った時にだけ依頼が来る受託加工の仕事なので、仕事量は安定していません。そのためにこれまで新規得意先を開拓し続け、国内フィルムメーカーのほぼ全てと取引ができるようになりました。その間に機械を増やしていきましたが、少しずつ特殊な機械を導入してきました。上場企業のフィルムメーカーでも、毎月数時間しか使わないような機械は購入しないことに私たちは目を付け、ハイスペックの機械を導入しました。各社が毎月数時間でも、50社の仕事を請け負えば数百時間の稼働になります。そしてその仕事はライバル企業はおらず、値段交渉になることもありません。管理会計を使ってどの仕事の利益率が高いかを調査しながらブルーオーシャンを探していったのです。

 私はMBAでは珍しく経営者としての立場で受講していました。大企業の若い優秀な方々と比べて理論の理解という点では足元にも及ばず、成績も芳しくありませんでしたが、学んだ理論をすぐに実践できるという点ではとても恵まれた立場でした。特に人的資源管理や管理会計、経営戦略は中小企業の経営者がすぐに使えるものがたくさんあります。そして何よりもケーススタディーでは、多くの経営者が奮闘している姿から自分も頑張る勇気をもらい、大いに刺激を受けました。学びと経営の両立は時間的に大変なこともありましたが、普段の業務を任せられる人材が社内にいれば、中小企業の経営者には是非MBAに挑戦してもらいたいと思います。

◆従業員と共に未来へ

 コロナ禍でお土産品包装材の需要は激減しましたが、まだ伸びる分野はあります。50歳となった今、新たに幹部従業員をプロジェクトリーダーとして、大型液晶TVの偏光板用フィルム加工、リチウムイオンバッテリーパックのアルミ箔加工、フィルム加工業の少ない関東に新工場設立、といった3つの分野への進出を計画しています。ビジョンを共有できれば仕事に夢を持って、やりがいを感じてもらえると実感しています。これからも従業員に寄り添い、従業員と共に未来へ躍進したいと思います。

社内工場の様子