銅賞
企業のマーケット・シェイピングを成功に導く組織能力についての研究

 

 

永津 慎太郎

1.問題意識

 筆者が所属する自動車業界は、カーボンニュートラル[1]に向けた社会課題解決とCASE[2]に代表される科学技術の爆発的な進歩により、100年に1度の大変革期を迎えている。Macgrath (2014) によると、この不確実性の高い環境下で勝っている企業は、「持続的な競争優位」ではなく、「一時的な競争優位の連鎖」を獲得している企業と指摘している。自動車会社各社は既存の領域を維持しながら、新しい領域に対応した一時的競争優位の連鎖を起こすことで新たな市場を形成する必要がある。

 自動車会社A社(自社)も新動力源による新しい市場の形成に取り組んでいるが、様々な課題から停滞している。要因は高品質への固執とコスト削減頼みの経営に集約される。結果として高コストで消極的な投資によるインフラ不足となり、競争する市場を形成できていない。その代わりに社会課題の新たな解決策として電気自動車の市場が形成されつつある。このかつての成功体験により根付いた組織能力が新たな市場の潮流を生み出してしまったと考えたことが、筆者の問題意識の原点である。

 また、2022年 経済産業省は日本企業に対して、このままでは日本企業の経営の持続性が説明できないとし、ルールづくりによる市場を形成する戦略への転換を求めるガイドラインを発表している。それは、たとえ新技術がなくてもルール作りによって新しい市場を形成することを新たな経営戦略の有力なオプションとして携えることを求めている。

 これらの背景から、市場形成に成功した製造企業の取り組みを分析することで、市場形成に至るプロセスにおいてどのような組織能力が必要であるかという点について考察していく。

2.先行研究レビュー・リサーチクエスチョン

 市場形成(以降、マーケット・シェイピング)とは、市場を“あるカテゴリーの領域”と視る旧来のミクロ的ではなく、“複数の関係者が存在する場”と視るマクロ的な視点で捉え、自ら関係者を動かすことで市場を形成していく考えである。これは、Nenonen et al. (2019)の定義や南(2023)の解釈を踏まえたものである。

 マーケット・シェイピングをするために必要な組織能力について、Nenonen et al. (2019) は、3つのトリガー能力(市場交換の再構築、ネットワークの再配置、制度の再設計)に加えて、それらを後押しし、促進させる4つの能力(探索、試行、共感、協働)が作用することで、はじめてリソースの新しい組み合わせができ、市場や利害関係者の成果につながるとしている。

 また、不確実な環境下でビジネスにおける戦略策定をするプロセスに応用が可能なプロセス(ストラテジック・デザイン)の思考法として、British Design Council(2004)がプロセスフレームワーク(ダブルダイヤモンドモデル)のかたちで提唱している。

 それらの組織能力とプロセスを組み合わせた理論的フレームワークをWindahl, Karpen, & Wright(2020)が提唱している(図1)。それは、マーケット・シェイピングをしていくプロセスにおいて、どのような段階でどのような組織能力が必要かを理論的に説明したものになる。しかしながら、事例による実用性が筆者の調べた限りでは示されていない。

 

 今回、組織能力とプロセスの因果関係をより明確に記述するために、図1のモデルを静的なマーケット・シェイピング・ケイパビリティと動的なストラテジック・デザインに分離し、図2の概念モデルに整理した。また、リサーチクエスチョン(RQ)として、下記3点を挙げる。

RQ1:マーケット・シェイピングに成功している企業は、プロセスの各段階で“何の”ケイパビリティを用いているか
RQ2:マーケット・シェイピングに成功している企業は、プロセスの次の段階へ移行するのに“どのような”ケイパビリティを用いているか
RQ3:マーケット・シェイピングに成功している企業は、“なぜ”ケイパビリティを活用することができたのか(前提や条件などの文脈)

3.分析結果・考察

 調査方法は、事前アンケート調査による半構造化インタビュー(質問項目を定めて、回答内容に応じてその心理を掘り下げていく調査手法)を行った。成功企業2社から得た情報はすべて記述し、分析は定性的コーディング(データにラベルやコードを割り当て、カテゴリーごとに整理する)作業により各段階における実行された行動に対して機能した組織能力を特定した。

(1)ダイキン工業
①事例概要
 2013年にダイキンは地球温暖化問題に対して、空調機の電力消費により温暖化が加速度的に進むと試算し、自社が持つ省エネ技術を世界に普及させることで抑止に寄与すべきと考えた。しかしながらインドでは空調機器代金と電気料金にしか目がいかず、省エネ問題は理解されにくい社会状況だった。それらを分析すると原因は市場と国の意識にギャップがあることがわかり、この両方に働きかける必要性を見出した。そのために行った3つの施策として、1つ目は、国への政策提言である。ダイキン自らがインドで省エネ実証試験を行い、環境性能の高い冷媒への転換促進への政策提言を図った。2つ目は、現地産業への技術支援である。ダイキンが無償で現地空調据付・サービス技能者へエンジニア教育を行うメンテナンスの基盤づくりをしたおかげで、新しい冷媒への転換の理解を広めた。3つ目は、安全と性能のための規格整備である。ダイキンが深く関わったISO安全規格を、インド国内規格や法規制へ採用されるよう働きかけ、制定に至った。これらの施策を実行したのはGlobal Daikin Advocacy Team(以下、GDAT)というグローバルでサステナビリティ企画から実行まで行う横断組織であった。主な機能は、各国政府や規制当局の情報を現地から収集し、即時に文脈や人脈を整合させたアクションについて企画し、実行までやり切る。結果、日印政府、工業会、委員会、学会への働きかけが成功し、インドに省エネ市場が形成され、ダイキンがインドの空調機市場で売上5位だったのが2021年には売上1位となる大躍進に貢献した。以上のように、自社の保有する技術を活用し、政策リードによる市場を創出した事例について分析をする。

②分析まとめ
 ダイキンの事例を概念モデルに当てはめると図3のようになる。また、事例から3点の発見事項を確認した。

発見事項1:政策リードによるマーケット・シェイピングをするには、3つのトリガー能力のすべてを再設計・再構築することが有効である。

発見事項2:政策リードによるマーケット・シェイピングをするには、相手が共感する関係性を築き、自信が持てるまで協働することが有効である

発見事項3:政策リードによるマーケット・シェイピングをするには、横断的組織による促進能力とコラボレーション能力を組織能力として備えることが有効である

(2)ヤマハ
①事例概要
 2013年に東京五輪の開催決定と障害者差別解消法が制定され、訪日外国人や障害者であっても合理的配慮が求められるようになった。そこでヤマハが生業としてきた音を通じて、誰もが暮らしやすい社会を支えるという「音のユニバーサルデザイン化」のコアコンセプトを企図した。当時は音声情報を多言語の文字でスマートフォンなどに表示する音響通信技術が確立されていなかったため、様々な製品とアプリ間の相互接続が保証されておらず、音響機器の品質に影響を与える恐れもあった。そこで、2017年にSoundUD推進コンソーシアムを参加企業167社と共同で設立し、ヤマハが開発した「おもてなしガイド[3]」アプリをコンソーシアム内に展開した。同時に、方法論や規格の乱立を防ぐことを目的に、SoundUDの技術のひとつである音響通信技術に関わる共通規格を策定することで、鉄道における車内のアナウンスをスマホで多言語表示させたり、タクシー乗車時のスムーズなアプリ決済の実現など、様々な業界で横断的にSoundUDが導入されている。以上のように、音響機器業界における影響力を活かしたコンソーシアム設立と民間共通規格の策定により、新たな市場を自ら創出した事例を分析する。

②分析まとめ
 ヤマハの事例を概念モデルに当てはめると図4のようになる。また、事例から2点の発見事項を確認した。

発見事項4:「ネットワークの再配置」における業界共通認識を形成することを起点に、マーケット・シェイピングをすることができる

発見事項5:業界コンセンサスによるマーケット・シェイピングをするには、横断組織による「試行」と「共感」、「協働」の組織能力を備えることが有効である

4.結論・インプリケーション

RQ1:マーケット・シェイピングに成功している企業は、プロセスの各段階で“何の”ケイパビリティを用いているか

A問題を絞り込む段階で最初に活動の価値観を定め、市場、ネットワーク、制度に関する関係者の意識まで掘り下げた問題点を「探索」をする能力を用いている。また、解決策を絞り込む段階で、取り組みを理解「共感」してもらう能力と、境界なく関係者に働きかけて「協働」を引き出す能力、そして小さく早く実現する「試行」する能力を用いている。

RQ2:マーケット・シェイピングに成功している企業は、プロセスの次の段階へ移行するのに“どのような”ケイパビリティを用いているか

A:次の段階へ移行するために、取り組みを理解し協働を引き出す戦略共有の組織能力と、社内(世界各地域)と社外(産、官、学、社)をつなぐコラボレーションの組織能力を主に用いている。また、政策リードの市場形成においては、非政治的でありながら政策担当者と信頼関係を築く、顧客リレーションシップの組織能力を最も重要視して用いている。一方、業界コンセンサスによる市場形成は、戦略的に盛況感を出して各業界の横展開を狙う、ブランド・マネジメントの組織能力を用いている

RQ3:マーケット・シェイピングに成功している企業は、“なぜ”ケイパビリティを活用することができたのか(前提や条件などの文脈)

A:社会課題解決につながる様々な機能を包括的に担う部門や企業群を団体化することで、情報伝達ロスを最小化し、情報共有と文脈、人脈を有効に活用できる“場”を整備したから、状況に応じた組織能力を活用することができた。

 本研究を通じて、長年、日本企業が環境に適応し、耐えてきたという受動的な姿勢から、企業が環境を形成するという能動的な姿勢へと大きな転換を迎えるにあたり、必要となる組織能力の一部なりとも特定できた。本発見は、組織設計を実施するうえで重要なインプリケーションとなると考えられる。


[1] カーボンニュートラルとは、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにすること。いわば、脱炭素社会の実現を目指すことを指す。

[2] CASEとは、Connected(コネクテッド)、Autonomous(自動運転)、Shared & Services(カーシェアリングとサービス)Electric(電気自動車)の頭文字をとった自動車産業の革新を象徴する4つの方向性のことを指す。

[3] おもてなしガイドとは、アナウンスをスマートフォンアプリで聞き取り、アナウンス内容を多言語で瞬時に表示するアプリのことを指す。ネット接続がなくても稼働可能。


<参考文献・参考WEBサイト> 

  • British Design Council. (2024). Framework for innovation, British Design Council. https://www.designcouncil.org.uk/ourresources/framework-for-innovation/

    Retrieved August 11, 2024.

  • McGrath, R. G. (著)・鬼澤忍  (訳) (2014).『競争優位の終焉―市場の変化に合わせて、戦略を動かし続ける』日本経済新聞出版.
  • Nenonen, S., & Storbacka, K., & Windahl, C. (2019).  Capabilities for market-shaping : Triggering and facilitating increased value creation. Journal of the Academy of  Marketing Science, 47(4), 617–639.
  • Windahl, C., & Karpen, Ingo O., & Wright, M, R. (2020) . Strategic design: orchestrating and leveraging market-shaping capabilities, Business & Industrial Marketing, 1413-1424.
  • 南知恵子 (2023) .「マーケット・シェイピング戦略 : 概念的特徴と市場における成果」『国民経済雑誌』 227(6), 15 -28.