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書籍紹介

栗木契(著)
『エフェクチュアル・シフト:不確実性に企業家的機会を見いだすマーケティングの探求』

栗木 契(神戸大学大学院経営学研究科 教授)

千倉書房、2024年

 

 本年6月に、『エフェクチュアル・シフト』を、千倉書房より出版した。出版不況のなかにあって貴重な機会をいただいたことを感謝している。

 本書を貫いているのは、不確実なことには手を出さないという姿勢が、日本の組織や産業、さらにいえば社会の活力を奪ってはいないかという問題意識である。これはマーケティングだけの問題ではないはずである。今、日本の社会が向き合わなければならない課題は、イノベーションによって未来を切り開いていくことであり、そのためにも不確実性とのつき合い方を見直してみる必要がある。

 では、この問題にマーケティング論という実践志向の研究分野から、私たちはどのように応えていけばよいか。企業がマーケティングに取り組む際には、リスクは可能なかぎり低減すべきである。しかし、これはマーケティングという営みの一面である。確実に成果をあげることにしか興味を示さないマーケティングの先に、どのような未来が開けるだろうか。

 イノベーションによって未来を切り開いてきた企業の事例を振り返ると、市場とのかかわりのなかで生じる不確実性を活用することから、企業家的機会をたぐり寄せていることが少なくない。例えば、本書で取り上げるリクルートの「スタディサプリ」では、個人向けのサービスを開始したことで、広告を見た岡山の高校から思いもよらない問い合わせがあり、この想定外の問い合わせにていねいに向き合ったことが、現在の「スタサプ」の主力となる学校向け事業の開発につながっている。

 本書ではマーケティングにかかわる17の事例を取り上げ、理論的な知見にもとづく視角から個人や組織の行動にかかわる検討を加えていく。その結果として見えてくるのは、起業や新規事業開発にたずさわる企業家は市場とかかわるなかで、各種の不確実性に遭遇していくことであり、そこに潜在している価値創造につながる可能性を、マーケティング活動を通じて引き出していくことは、イノベーションを実現するための重要な回路となることである。そして本書では、事例の分析を通じて、この市場発のイノベーションにおける企業家的機会の源泉となる不確実性は、個人や組織が新たな行動を進めるプロセスのなかで明瞭に認識できるようになっていく問題だということへの認識を深めていく。

 この問題は、マーケティング論の主流である戦略計画には限界があることを示すものである。なるほど、どこにどのような不確実性があるかが、事前に明確に認識できるものなのであれば、この問題はマーケティング・リサーチなどを通じた予測によって一定の対処ができるはずである。しかし、本書で確認していくように、バリュー・イノベーションを実現していく企業家は、行動を踏み出す前ではなく、行動を進めていく渦中において、思いもよらなかった効果や反応、状態と出会い、それらへの臨機応変な対処から想定外の可能性を手に入れる。このような展開が起こることが少なくないのであれば、予測にもとづく戦略計画的なアプローチにはそもそも限界があるといわざるを得ない。

 そこで本書では、戦略計画を補完する行動として、エフェクチュエーションに注目する。本書の支柱となるエフェクチュエーションは、不確実性問題のもとで合理的となる企業家の行動をとらえた理論である。エフェクチュエーションは、戦略計画とは異なる行動原則の重要性を説く。

 本書では、この戦略計画一辺倒のマーケティングから、エフェクチュエーションの側に少し重心を動かすことの意義を踏まえて、さらにその先に残されていた課題に挑む。例えばエフェクチュアル・シフトを支えるには、予測とは異なるマーケティング・リサーチをどのように行えばよいか、あるいは、市場とかかわるなかで個人や組織が固定観念の枠を外すことで新結合を実現したり、異なるタイプの不確実性に対処したりするためには、エフェクチュアルな行動をどのように組み合わせ、切り替えるべきか。本書は事例の検討を通じて、企業には予測とは異なるマーケティング・リサーチとして、行動の省察や逸脱事象との遭遇などを重視したリサーチを活用する動きが見られることや、エフェクチュエーションの「5つの行動原則」は、固定観念の枠を外すことに直接つながる行動と間接的に支援する行動に分けてとらえることができることなどを提示する。


<参考>
 エフェクチュエ―ション:https://mba.kobe-u.ac.jp/business_keyword/17041/