特別寄稿
医師の視点からみた医薬品マーケティングに潜む問題
埼玉医科大学泌尿器科教授の矢内原仁先生から、医薬品マーケティングに関する論考を寄稿いただきました。現役の医師の視点から、医薬品マーケティングが医師や患者の意思決定にどのように影響するのか、その過程にどのような問題が潜んでいるのか、多面的に考察されています。本誌の主な読者はいわゆるビジネスパーソンですが、医師の視点を知ることで、医薬品マーケティングについて新たな考え方を学ぶことができれば幸いです。
はじめに
昨今、様々なマーケティング手法が医薬品に関しても用いられていることがよく知られており、医薬品の消費者である医師はその手法を客観的に眺めることができるようになっている。ただ、その手法は時には強力に医師や患者の行動をコントロールする。いわゆる企業のマーケティング活動を客観的に観察できる人間がいる反面、簡単に誘導される層が存在するのも事実であり、ちょっとしたきっかけで医薬品の売り上げが急速に伸びることもある。さらにそれがニュースになることで、労せずして勝手に売り上げに貢献するようなことさえある。
医薬品は疾患に対して治療を提供し、社会貢献を行うという崇高な目的のもと開発されているものではある。しかし、それが市場で販売される消費財である以上、売上げを伸ばすために多様なマーケティング手法が採用されているし、その手法も時代のトレンドや制約にあわせて変わってきている。ただ、通常の消費財と少し異なる点は、医薬品の消費者は患者であるが、その最終消費者となる患者に購買の決定権は少なく、処方箋を記載する医師が、患者の購買力をあまり加味することなく消費を決定づけるということだろう。通常は最終消費者の経済状態が加味されたマーケティングが行われるが、概していえば、医薬品に関しては、お金を費やす患者ではなく、消費の決定を下すだけで懐の痛まない(むしろ豊かになる)医師がマーケティングの対象となる。そのため、通常の消費財のマーケティング手法とは異なる側面もあり、医薬品マーケティングの独自の課題と問題点がある。
本稿では、医薬品のマーケティングを医師がどのように受け止めるか、現役の医師の立場から医薬品マーケティングに潜む問題を考察した。本誌の読者の多くはいわゆるビジネスパーソンだと思うので、直接参考になることは少ないかもしれないが、企業のマーケティングが受け手にはどのように受け止められるのか、考察する一助になれば幸いである。
プッシュ型マーケティングとプル型マーケティング
まず、われわれ医師がよく目にするのは、MR(Medical Representative:医薬情報担当者)からの直接の売り込みで、製薬会社からの直接のコンタクトがそれにあたる。いわゆるプッシュ型のマーケティングの代表例である。プッシュ型のマーケティングは最近さらに系統立てて行われるようになっているが、これについては後述する。「プッシュ型」の対義語として「プル型」という、顧客となる消費者に製品の必要性や魅力を訴求することで需要を喚起するものがある。医薬品市場においては、最終利益者である患者へアプローチするマーケティング活動がそれにあたるだろう。具体例では、新たな疾患の概念や治療薬の存在だけをテレビやラジオのCMやWEBなどで流して、患者を自社製品に誘導する手法のことをいう。昨今、「コマーシャルで疾患のことを知って」とか、「○○先生がテレビ番組で言っていました」など患者との会話で聞くのは、患者がその手法にはまっている状況ということとなる。処方箋の必要な薬剤に関しては、日本国内では患者層への直接的な宣伝はできないため、プル型マーケティングのアプローチには限界があり、必然的に国内のマーケティング手法はプッシュ型の医師に対する直接的アプローチが主体となってくる。
医薬品業界におけるプル型マーケティング
まず、プル型のマーケティングについて述べる。私たちが日常的に目にする一般消費財においては、テレビCMが代表的なプル型マーケティングの手法である。プル型マーケティングは、潜在的需要を掘り起こすことが重要な目標となるため、医療においてはどちらかいうと潜在的患者数の多い良性疾患[1] が対象となる。一般社会に対して様々な宣伝媒体を用いた疾患概念の啓蒙とその治療の可能性の認知を、製薬会社などの資金を用いて行うこととなる。
この手法では、ターゲットとなる疾患を絞って、特にプル型マーケティングに誘導される年代層を、特定のカテゴリーの薬剤に引き込むことが可能となる。前提としては、その特定のカテゴリーにおいて薬剤が市場で独占に近い形となっているほうが効率よく行うことができるため、後付けで行われるケースだけでなく、おそらく開発段階から戦略をデザインしていることが想像できる。承認後に、まずプッシュ型のマーケティングで医師側の認知を確立したうえで、今度は患者側からのイメージ戦略で囲い込みを行う。イメージが社会に浸透すれば、さらに特集番組や雑誌などで話題の拡大を行う。病院の中で流れる情報発信のモニターなども用いられるが、これらは総じてWEBなどから能動的に情報を得ている若い世代よりは、受動的な情報の受け手であることの多い比較的高い年代をターゲットとしている。
とはいえ、プル型マーケティングは、時に医療の現場で問題を生じさせるという印象がある。プル型マーケティングは、良性疾患を理解させるため、内容は非常に抽象的になる傾向がある。また、新たな疾患の概念を用いて、目的の疾患を含むあいまいな定義のなかに位置する患者群にとりあえず受診を促すような手法も同時に行われることが多い。結果として、ターゲットではない人が誤って外来受診する誘因となり、フリーアクセス[2]の保証されている国内では外来の混乱を招くこともある。このような医療機関への負担が生じることについては、決していいことではないように思う。
別の疾患のケースだが、治療の選択肢が増え、医師への啓蒙が追いつかない場合などには、患者団体を通じた治療の啓蒙から医師に対して医薬品の使用を促すような手法もとられることがある。この手法は、ある程度患者数の多いがんなどの患者団体などに用いられるが、患者会の開催や患者団体への協力という形で行われるため、企業イメージの向上を同時に意図して使用されることとなる。
プル型のマーケティング手法は、製薬会社の企画上で行われるので、冷静にみれば販促であることはわかるのだが、患者側から見れば、きれいなイメージに彩られた情報は、まさしく福音に見えるだろう。特に、現在のメインとなる患者世代は比較的高齢層であるため、その世代の特徴として情報に対して受動的で、かつ影響を受けやすい傾向にあると考えられ、インターネット社会で育った若い世代とは大きく異なることが知られている。消費者の知識や動向はその世代の特徴とともに変化していくもので、患者の世代が変わるとともにこういった手法も様変わりしていくことが予想される。
プル型の手法は、国内では比較的最近行われるようになったものである。すでに承認を受けた医薬品に対して行われ、プッシュ型手法に比べれば、費用面でも比較的安価で、かつリスクも少なく、付加的な効果として企業イメージの向上につながることもあり、企業にとって魅力的な手法ともいえる。実際、そこに使われる費用は業界全体ですでに年間100億円以上といわれ、さらに増加傾向である。とはいえ、製薬業界の中ではプル型の戦略が思ったよりも効果を出していないこともわかってきており、また過剰な広告を行えば企業イメージの低下につながることもあり、慎重になっている傾向も見て取れる。ただ、コロナ禍が長引くなかで、後ほど述べるプッシュ型手法を変化させなければいけない状況もあり、今後も患者の嗜好の変遷や宣伝媒体のトレンド変化にあわせてさらに広く用いられることになるだろう。
医薬品業界におけるプッシュ型マーケティング
つぎにプッシュ型のマーケティング手法について説明する。医療業界におけるマーケティング手法の主流は、現在でも医師を対象としたプッシュ型である。前述したように、医療業界においては最終消費者である患者には決定権は少なく、かつ負担費用は日本国内ではあまり問題にはならないため、医師の間で製品の認知やブランドイメージを確立できればマーケティングの目標を達成できることとなる。ベテランの医師にとってなじみのあるプッシュ型マーケティングの手法は、製薬会社のMRとのお付き合いで、いわゆるSOV(share of voice)といわれる。「単純接触効果」といわれる心理効果をもとに、MRが頻繁にコンタクトを行い、製品の特長などを話しつつ、医師の動向を会社にフィードバックしながら、自社製品の消費とその分析につなげる。
現在、製薬会社がもっとも資金を投入しているのは、おそらくエビデンス、特にがん治療に関する差別的な優位性の形成からの、先読み的マーケティング手法であろう。SOV戦略の限界もあり、希少疾患やがんの治療のなかでも限定された状況への製品を開発し、競合製品の少ない状況で単価の高いものを独占的にマーケットに提供することを目標としているものが目立つ。これが達成できると、販促コストの削減(とくにMRの削減)を行うことができ、さらには後発薬の開発が困難なものであれば、大きく他社との差別化を図ることができるため、なんとかしてこういった薬剤を開発することが医薬業界の全体的なトレンドとなっているように見える。
この考え方は、フランスのW・チャン・キムとレネ・モボルニュが2004年に「ブルー・オーシャン戦略[3]」で提唱したコンセプトで、一般のビジネスではすでに浸透している考え方である。医薬品業界では、2005年ごろから製薬会社がこのコンセプトに沿って製品のデザイン・開発をはじめ、「ブルー・オーシャン」市場に出てきた。その真逆の「レッドオーシャン」市場は、単価が低いうえに競合会社が多いことで共食い状態となっているようなジェネリック医薬品の現状を表している。
最近の薬事承認はPMDA(医薬品医療機器総合機構)の努力もあり、海外の治験成績のみをもって比較的早期に国内での薬事承認を得られることが多い。国内だけの治験では承認を得られたとしてもマーケットは小さく、得られたデータが海外のマーケットで使用できない可能性もあるために、ほとんどの製薬会社は海外での治験を主流とし、国際共同研究として国内症例を組み込む治験を行うことが多い印象である。これらの薬事承認の傾向は、これまで大変長時間かかった国内承認プロセスを考えると悪くないとはいえ、現実的に高価な薬剤が多数臨床に投入されることで非常に大きな医療費の消耗を招いているのは事実で、今後の医療費の縮小を考えると、承認プロセスの変化を余儀なくされるかもしれない。
しかしながら、プッシュ型マーケティングの背後にある治験データには課題は多い。薬事承認を含め、論文となる研究の陰には結果が出ずに中止された多くのプロトコルがあることが容易に想像できる。治験データの発表には、プル型マーケティングとは比較にならないほどの資金が投入されていると思われる。本来はこういったネガティブデータ[4]もしっかりと公表されていくことが重要なのだが、ネガティブデータをネガティブと証明すること自体が難しい場合も多いことも含めて、極めて重大な薬害が生じた事例(TGN1412、BIO10-2474の事例など)以外は、あまり表立って開示が行われることはない。そのため薬事承認に用いられるバックグラウンドは、条件がかなり限定的である事例が散見される。対照群が既存薬ではなくプラシーボ(偽薬)であったケースもそれにあたるだろう。プラシーボとの対比は治験薬を既存薬と直接比較することを避けて、同等な治療効果と安全性のみを証明する承認を得るための手段であることが見て取れる。したがって、これらはあくまで薬事承認のためのデータとしてみるべきで、臨床での有用性を細かく検討するとエビデンスとしては弱いものが少なくない。治験におけるfive toos(too few, too simple, too narrow, too median-age, too brief)を持ち出すまでもなく、薬事承認はあくまで限定条件における有用性を認めることが確認され、治療の選択肢の幅を広げたものであることをあらかじめ理解しなくてはいけない。
ひとたび承認が得られれば、製薬会社は販促を行うことが可能になるわけだが、プッシュ型マーケティングでエビデンスとして治験データを使う場合にも注意が必要である。例えば、サブグループの解析で出た結果を非常に強調するケース(サブグループ解析も治験開始前から行うことができるようにデザインされているが)だろう。残念ながら、サブグループ解析は、統計学的には単なる確率論的なものであることが多いことも知られているし、どんなにエビデンスだと強調されても、受け取る側は冷静である必要がある。また、製薬会社のバックアップで行われる研究会や説明会などで提示されるデータとその説明においては、最終的に販促になるような結論に収束する必要があるため、よく見ると論理の飛躍があることもある。
承認が得られれば、製薬会社は臨床的有用性について説明できるキーとなるインフルエンサーを設定し、彼らを中心に研究会や説明会を開催するようになる。いわゆるプレゼンテーションではよくあることだが、研究会や説明会では、製薬会社が最も望むメッセージだけ伝わるように考えられることとなる。医師の生活がますます忙しくなっている昨今、長時間の講演会は今後あまり好まれなくなるかもしれないが、強調されるメッセージは同じで、プレゼンテーションもいろいろと工夫される。実際、代表的な医療系WEBサイトでの販促ビデオは、非常にコンパクトにまとめられている傾向にあり、講演会に出席できない医師に、いかに端的にメッセージを伝えるかに工夫が凝らされていることが見て取れる。とはいえ、日本の医療界においてインフルエンサーに設定されるような人間は周囲に少なからず強制力を持っており、語弊を覚悟で言えば、講演料などと引き換えに市場の確保に貢献する。ただ、インフルエンサーが多すぎると結局製薬会社が望むようにコントロールすることは難しくなる。
ここで「ブルー・オーシャン戦略」に戻ると、革新的薬剤であれば、投薬できる施設に条件をつけ限定的とすることで、製薬会社としては販促に関したコントロールも行いやすくなるし、なにより在庫の調整が容易になり、またMRの人員節約もできることとなる。同効薬やジェネリック薬の発売に頭を抱えながら、MRを総動員して人件費を費やし、潤沢な在庫を各地に確保しなければいけないような薬剤では利益も少ないというわけである。とはいえ、循環器病薬などもとからのマーケット規模が大きいものは、利益率が低くても全体的には大きな利益になり、今までどおりの戦略を継続している場合もある。
医薬品マーケティングへの懸念と今後
製薬会社はあくまで利益を追求する企業である。ビジネストレンドを追いつつ、心理学的手法を用いて、医師と患者の双方に働きかけて販促活動を行うのは当然のことである。そして、市場環境の変化に合わせて販促活動を発展させていくことは容易に想像できる。例えば、最近、MRからの情報だけで治療薬の選択を行う医師は少数派であることが分かっている。若い世代はWEBから積極的に薬品の情報を確認するだけでなく、それをいかに短時間で行うかに医薬品マーケティングのトレンドをシフトさせていると考えられる。ただ、医師がWEBを活用しデータを得ることは、それだけ意思決定のプロセスを数値化しやすいともいえる。こういった情報は、医療系サイトでの簡単なアンケートからもデータを収集され、製薬会社のビジネスのために提供されるようになっている。製薬会社は薬剤の販売データとも合わせて、表面に出てこない医師の処方傾向を含めたデータから、AIなどを用いた薬剤販売の最適化戦略をとり入れる(もうすでに始めているとは思うが)こととなるだろう。
医師としては、患者に対して新しい薬剤で治療を提供していくことは、良好な医療サービスを提供できる喜ばしいことであり、製薬会社と協力体制を構築することは医学の発展を継続していくためには必要なことであろう。もちろん医師自身にも規律は必要で、その決定権の大きさと、弱い立場の患者、さらに政府に購入させている現実をしっかりと見据え、薬剤の決定については様々な情報を広く正しく知ることが重要と考える。
患者の生命を預かり、その意思決定をコントロールする権限が認められている職種であるからこそ、いろいろな意味でマーケティング手法に操られてばかりではいけないと感じている。製薬会社においては人件費、主にMRの数を削減することを相当真剣に考えている。すでに管理職になったMRの世代は、過酷な仕事と引き換えに非常に恵まれた収入を得ていたといわれているが、徐々に昔話になりつつある。現在のMRの方々はまさしく生活がかかっており、最新のマーケティング手法を駆使した販促活動に必死に取り組んでいる。だからこそ、企業のマーケティングと市場のトレンドを俯瞰的に分析しながら、供給が需要を形づくるような事態にせず、純粋に医療サイドの需要がマーケットの供給につながるように、医療側から患者により良い環境を構築していくのがわれわれ医師の使命ではないかと考えている。
[1] 良性疾患:本稿においては、がんを含む腫瘍性疾患をのぞいた疾病を良性疾患と総称した。泌尿器科領域での代表的なものとして「頻尿」が挙げられる。
[2] フリーアクセス:日本の医療においては、金銭的な負担は要求されるが、患者が希望されれば、初診であっても大学病院のような施設を受診する権利が保障されており、原則的には医療機関はその受診を断ることができないのが建前となっている。
[3] ブルー・オーシャン戦略:2004年10月「ハーバード・ビジネス・レビュー」に発表された。日本語版は、有賀裕子(訳)で「ブルー・オーシャン戦略 -競争のない世界を創造する」がランダムハウス講談社より2005年に刊行、新版が入山章栄(監訳)、有賀裕子(訳)でダイヤモンド社より2015年に刊行
[4] ネガティブデータ:臨床研究をはじめるにあたり、研究計画を立案し、それに沿って患者データを収集するのであるが、データを解析しても、期待された結果が得られない場合、研究結果は発表されることは少ない。こういったデータをネガティブデータと呼ぶが、あくまで臨床研究での結果であり、対象を広げるなどした場合は期待された結果がでる可能性もあり、データの解釈には常に慎重である必要がある。
